海蛍

雨月 史

第1話 海蛍

潮の匂いが漂っていた。

人はそれを海の香りがすると言い、

夏を象徴するかの様に感じる。

人はそれを磯臭いと言い、

生臭い生物の屍臭が漂う

不快の象徴なのだと感じる。



「君の生まれた町へ行ってみたい。」


ベッドで夜を過ごした後に里佳がそう言った。


「ん?僕の生まれた町?とんでとない田舎町だよ。何にもない……。魚の腐った屍臭と吐きそうな磯臭いがする小さな町だ。面白くもなんともないよ。」


「うーん君がどうやって育ったのかを見てみたいのよ。」


「そんなもんかな?」


「そんなもんでしょう。」


そう言って里佳は僕の胸にもたれたかかってきたので、抱き寄せてそのまま二人で眠りについた。



。。。。。。。


「おい、あんた追いかけなくていいのかい?」


と、この小さな居酒屋の店主がカウンターごしにそう言った。


「そんな事言われてもね……。」


不貞腐れて食い荒らされた刺身をつつきながら、グラスに注がれたビールを飲み干す。

大学時代の最後の夏休みを利用して小さな漁港のある町を二人で訪れた。


僕の生まれた町だ。


そもそも里佳とはもう別れるつもりだった。

彼女は大手ホテルに就職が決まっていたが、

僕は4回生の夏になっても就職先が決まらなかったからだ……。


最先不安の自分なんかが彼女を幸せに出来るわけもなく……それに少し上から見られている気がして鬱陶しかった。


自分が先に決まったからって、

「この資格はもっているか?」

「あの企業の面接受けてみたら?」

とか言われるのが……。

プライドもあるけれど、

何かこう……

情けない気持ちが拭えなかったから……。


「この町で就活してみたら?」

そう言われたのが気に入らなかった。

お前は都会の企業は向いてない。

こんな小さな漁港くらいしか勤め先はないんじゃないの?と言われた気がしたから。

それで思わず酒を飲んだ勢いもあって声を荒げて言ってしまった。


「お前はうるさいよ。先に就職決まったからって偉そうに……。お前のそういうところが気に入らないだよ!!」


彼女は一瞬怒りの顔を見せた後、すぐに涙目になって……静かに立ち上がると、


「私の気持ちもしらないで……。」


と大粒の涙をボロボロ流して店をでた。





「今なら間に合うと思うよ。だからほら、彼女追いかけないと。」


と店主が厨房から出てきて僕の席の近くまで来てそう言った。


「でも……。」



「別れようが別れまいがそりゃ俺が介入する事じゃないけどな、どちらにしてもあんな形で別れるのは良くない。俺はね、昔付き合っていた彼女がね、大喧嘩したすぐ後に交通事故にあって死んでしまったんだ。だから君たちみたいなのを見てると放っておけないんだ。だからほら、追いかけて今すぐに。」



「お金……。」



「そんなのいいからほら早く行かないと!」


「あとで必ず払いにきます。」


店主に促されて彼女を探しに店を出た。

それから彼女にLINEをいれる。


「今…どこにいるの?」


すぐに既読がついて、


「港」


と一文はいる。

僕は港へ走った。


港に着くと小さな人だかりがあったので、

少し気になり、もしかしたら里佳がいるかもとその人だかりの方へ行ってみた。すると


「探してくれたんだ。」


「あー…うん。」


「お酒飲んだ後の夜のお散歩っていいよ。なんかこう……熱くなった物を少し冷ましてくれるような……そんな感じ。」


「そうだね。」


「これ知ってる?」


と里佳が人だかりの看板を指差す。


「海蛍?」


「うん。これ見たい。」


「3000円もするよ。」


「私が払うから一緒に行こう。」


「うん。後で返すよ。」


小さな観光船に何人かの人が乗り込む、

そして船は夜の海へ出る。


道もない闇夜の海を

船は進んでいく

それはまるで

月の無い深夜の散歩のようで、

それはまるで

先の見えない僕の将来のように思えた。

普段は磯臭いと感じる海風も、

今夜は優しい潮風の香りがする。

月の光が一筋

それがまた心を落ち着かせる。

闇夜の散歩も時にはわるくない。

そう思い里佳のほうを見る。

するとゆっくり船が停まる。


そして船が放っていたライトを消すと、

海が青色にキラキラと輝いていた。


海蛍だ。


それは夜空に浮かぶ銀河の星の様で

神秘的な気持ちにさせる。



「私ね……どこかで、私がしっかりしないと、君は就職できないんじゃないかな?って不安に思っていたの。」


「うん。」


「でも少し反省したわ。君の気持ち、ちっとも考えていなかった。どこかで自分の彼氏が就職が決まらない事に焦っていたのね。人の為にしてるつもりが、結局ただの自己中。笑えるわ。」



「そんな事ないよ。ただ俺が情けないだけだよ。ただ就職が決まらない事が不安でいじけて、里佳に甘えてた。優しい言葉をかけてもらいたい反面、怖かったんだ。情けないやつって愛想尽かされるのが。この海蛍みたいなもんさ。僕は一人では輝けない。光る為の何かが必要なんだ。」


「私だって一緒だよ。」


「え?」


「私も君がいないと輝けない。」


いつも毅然として弱味はみせない里佳の意外な一言だった。


「ごめん。もう少し待ってくれる?しっかりと就職先見つけるから。」


「うん。」


やがて観光船のエンジンがかかる。

暗闇に光る儚い青い光に別れを告げる。


人はみんな自分の光を輝かせる為にいきているのだろう。でも一人では輝く事はできない。それぞれどんな光を放つかはわからない。どうにかこの自分の儚い光を輝かせる何かを見つけたい。


海蛍を背にあらためてそう感じた。

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海蛍 雨月 史 @9490002

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