第19話 変革の時

 イエズス会司祭クリストヴァン・フェレイラ。十六世紀の日本にやってきてキリシタン取り締まりの拷問を受け、節を曲げて『転びバテレン』となり、それ以降は目明し忠庵と名乗り、キリスト教弾圧に精を出した人物である。蛮族が支配する他国に赴き布教しようという信仰心篤い人物が、真逆の存在に変化したのである。


 人間は拷問されると人格が変化する。

 それは拷問だけでなく単純に事故でも起こる。友人にイケイケの男がいたが、彼はあるとき雑木林の中で古釘で足の甲を踏み抜き、それ以来性格が大人しくなった。それまでは体の痛みというものをまったく意に介さなかった男がだ。


 痛みには皮の痛みと肉の痛みと骨の痛みがある。

 肉の痛みまでは人間は生き方を変えない。それは命に届かない痛みであるからだ。だが骨に届く痛みは命に直結する。その痛みを感じたとき、このままでは死んでしまうと感じて、人間の心の奥底に眠る本質は基本的な生存戦略を変えるのだ。

 勇猛なる者には怯えを与え、動かざる者には強烈な逃走衝動を与える。そして神に敬虔な者には神への激しい憎しみを与える。

 そして命に届く痛みが無ければ、この基本的な戦略=性格は変化しない。命に危険が無ければそれまでの生存戦略を変える必要がないからだ。



 ここに・・現代で深刻な悩みになっているニート問題を解決する糸口がある。

 このままニートを続けていたら死んでしまうと本心から感じさせればよい。そしてそれは骨まで届く痛みでなくてはいけない。つまり、骨まで届けとばかりに力を込めて、五寸釘を足に打ち込むのだ。体の芯を貫く激痛の中で、怠惰な心はその有様を変え、新しい自分が生成される。

 今がまさに変革の時なのだ。


 ああ、やるなら自己責任でどうぞ。これはただの根拠のない空論だ。

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