悪役令嬢は、月を乞う狼王子から逃げられない
花宵
悪役令嬢は、月を乞う狼王子から逃げられない
王立魔法学園の卒業パーティー会場にて。
「ご覧ください、オリヴィア様! この薔薇の髪飾り、とても可愛いと思いませんか?」
頭に付けた薔薇の髪飾りを、嬉しそうに見せてくれるのは、バトック男爵家の令嬢レノアさん。今日も元気いっぱいで可愛らしいわね。
「フェリクス殿下に頂いたものなんです。私は要りませんと申し上げたのに、どうしてもと譲ってくださらなかったので、仕方なく受け取ったのですわ」
だって可哀想じゃありませんか! 折角の卒業パーティーに髪飾りも買えないくらい困窮していらっしゃると知ってしまえば、優しいフェリクス様は気にせずには居られませんもの。
困っている令嬢達に、私がデザインした髪飾りを配って下さいました。今もほら、レノアさんの後ろで楽しそうに談笑されている令嬢の頭にも同じものがありましてよ。皆嬉しそうでよかったですわ。
「ふふふ、気に入って頂けたようで嬉しいですわ。その髪飾り、殿下に頼まれて私がデザインしたのですよ」
「……え?」
「折角の卒業パーティーですもの。皆に楽しい思い出を残して頂きたくて、困っている令嬢達にプレゼントさせて頂きましたのよ」
「そ、そんなバカな……」
キョロキョロと辺りを見渡したレノアさんは、口をパクパクさせて真っ赤になってしまったわ。
「で、ですが! このドレスも、殿下に頂いたのですわ!」
レノアさんの身に纏ったドレスは確かに上質のシルクを使った一流品の素晴らしい一着。ただ胸元はブカブカで袖や裾も長く、明らかにサイズが合っていないものでした。
まぁ、仕方ないわよね。フェリクス殿下の姉君であるリディア王女様のように、完璧なプロポーションのご令嬢はそうそうおりませんもの。手直ししないと着こなせないのは無理もない事ですわ。
ドレスも準備できないご令嬢はレノアさんだけでしたので、リディア王女様の着なくなったドレスを贈ったと、殿下は仰っていましたものね。
「とても素敵なドレスですわね。ですが……」
私は自身の着ていたストールを、レノアさんの肩に巻いてあげました。そして彼女にだけ聞こえるようにそっと耳打ちします。
「そのままだと胸元ががら空きで、背の高い殿方からは見えておりますわ。休憩室に侍女を待たせております。手直し致しますので付いていらして」
慌てて胸元を手で隠したレノアさんは、大人しくこくこくと首を縦に振って付いてきてくれました。
まさか手直ししてくれる使用人の一人も雇えない程だったとは、配慮が足りませんでしたわ。恥ずかしい思いをさせてしまって申し訳ありません。
「ど、どうして! オリヴィア様は悪役令嬢なのに、私に優しくして下さるのですか! シナリオが狂ってしまいます! それでは困ります!」
度々彼女の口から聞く『悪役令嬢』という言葉。よく私には分かりませんが、私が彼女の思い通りに動かない事でとても困惑させてしまっているのだけはよく分かります。
なんでも殿下の婚約者である私ことオリヴィア・フローレンスは、ヒロインであるレノアさんに嫉妬して虐めないといけないらしいのです。
「その、悪役令嬢というのはよく存じませんが、私は殿下の意思を汲んでいるだけですわ」
「フェリクス様の……?」
「ええ、そうですわ。殿下を優しすぎると揶揄される方もいらっしゃいますが、私はそんな殿下を尊敬しております。だから私は、殿下がいつまでも優しくあれる環境を整えたいだけですわ」
フェリクス殿下は普段、にこやかで誰にでも優しい好青年ですけど、とある地雷を踏むと大変な事になられます。貴族なら誰もが知っているけれど、レノアさんは元々平民で男爵家に養子として引き取られたせいか、ご存知ではないようね。
あのおぞましい姿を知っている身としては、もう二度とそのような姿に覚醒して欲しくないと思ってしまうのも仕方ない事ですわ。
特に、このレノアさんは事あるごとに問題ごとを持ってきて下さるので最初は本当に苦労しましたわ。でも次は何をして楽しませてくれるのかとわくわくして、魔法学園で過ごしたこの三年間がとても楽しくもありました。
卒業してしまえば頻繁に顔を会わせる機会もありませんし、今日でおしまいだと思うと寂しくなりますわ。
「そ、そうやってお高くとまっていられるのも、今だけですからね! ドレス、ありがとうございました! 失礼します!」
そう言って、レノアさんは出ていってしまいました。折角だからもう少しお話していたかったのに残念ですわ。
◇
「オリヴィア、どこに行っていたんだい? 探していたんだよ」
会場に戻ると、私を見つけた殿下が駆け寄って来られました。
フローレンス公爵家に生まれた私は、幼い頃からフェリクス殿下との婚約が決められておりました。
政略結婚ではあるものの、お互いに少しずつ愛を育んでここまで来たので、今では良い関係を築けています。いえ、築かざるを得なかったと言った方が正しいのかもしれません。
「ご心配をおかけして申し訳ありません、殿下。少々休憩室の方へ」
「どこか具合でも悪いのかい?」
おろおろした様子で声をかけてくるフェリクス様。全く心配性なんですから。
「いいえ、これから殿下とダンスでしょう? 少し緊張してしまいまして。そのために呼吸を整えてきただけですわ」
「フフフ、いつも一緒に踊っているじゃないか。何をそんなに緊張する必要があるんだい?」
あの悲劇がまた起きてしまわないか不安で仕方ないとは、口が裂けても言えませんわね。浮き足だった皆さんが、どうかハメを外しすぎませんようにと祈るしかありません。
王立魔法学園の卒業パーティーには、とあるジンクスがあります。それは、最初にダンスを踊ったパートナーとは、末長く幸せに居られるというもの。
結婚に関して比較的自由なこの国では、本人達の意思で結ばれる事が多いのです。そのためまだパートナーの居ない方々はそのジンクスにあやかろうと、相手を見つけるのに必死のようなのです。
歓喜と悲哀に満ちた声が入り交じる会場の異様な空気は、この学園の名物だと学園長のお祖父様が仰ってましたわね。
「この胸の鼓動が殿下に聞こえてしまわないかと、私はいつも緊張しておりますのよ」
「それは是非とも聞かせて欲しいな」
「こんな所で意地悪言わないで下さいませ」
「じゃあ二人だけの時にね」
そう耳打ちされて、背筋にぞっと悪寒が走りました。ですが決して悟られてはいけません。私が殿下を恐れているということを、本当は傍に居るのが怖くて仕方ないということを。
あの舞踏会の悲劇がもう二度と起こらないように、私も気を引締めねばなりませんね。
「そろそろ始まるね。オリヴィア、私と踊って頂けますか?」
片膝をついて、殿下が私に手を差し出してくれました。
「はい、喜んで…………!?」
殿下の手を取ろうとしたら、横から不意に衝撃を感じて体が揺らいでしまいました。
「オリヴィア!」
咄嗟に殿下が抱き止めてくれたから大事には至りませんでしたが、まずい。これはまずいですわ。殿下の手がわなわなと震えていらっしゃいます。
「ちょっと待って下さい! フェリクス様、私と踊ってくれるって約束したじゃないですか!」
ああ、レノアさん。どうして少しの『ステイ』も出来なかったのかしら。殿下の飼われている犬のマインでさえ、空気を読んで『ステイ』は出来ますのに。
「誰が、一番に踊ってやると約束をした?」
底冷えするような殿下の声に、会場がしんと静まりかえりました。
口調まで荒々しくなってしまわれた殿下を拝見して、あの時の記憶がフラッシュバックして思わず吐きそうになるのを何とか堪えました。
「えっと、それは……」
「学園最後の思い出作りにお願いしますと泣きついて来たから、仕方なく了承してやっただけだろうが!」
「で、でも! 私は貴重な聖属性魔法の使い手で……殿下も私の事を大切に思って下さっていると……」
「確かに聖属性魔法の使い手は貴重だ。だが我が国には、お前以外も優秀な聖属性魔法の使い手は居る。別段お前を特別扱いするつもりはない! それよりも、俺の大事なオリヴィアが怪我でもしたらどう責任を取るつもりだ!? お前の代えはきいてもオリヴィアの代わりは誰にも出来ぬのだぞ!」
「そ、それは……誠に申し訳ありませんでした……っ」
殿下のあまりの豹変ぶりにレノアさんは泣き出してしまいました。無理もありませんわ、いつも柔らかな笑みを絶やさない殿下がこんなに怒るとは思いもしませんよね。
私も最初はびっくりしましたわ。しかもその地雷スイッチが、私に危害が加えられる事なんですもの。
「殿下、私は何ともありませんのでどうかその辺で……」
「この怒りが収まるものか! オリヴィア、其方は優しすぎるのだ! そうやっていつもこいつを甘やかすから、調子にのるのだ! 衛兵、この者を捕えて牢屋に入れておけ! オリヴィアに危害を加えたのだ、明日処刑を行う!」
「そ、そんな……いや! 誰か、助けて……!」
「キーキーうるさい女だ! 今ここで始末してやろうか?」
グルルルルと、殿下が威嚇体制に入ってしまわれました。殿下のサファイアのように澄んだ青い瞳が赤く変化し、美しい白銀の長髪が黒く染まっていきます。
いけないわ。このままだと本当にレノアさんが処刑されてしまうわ。
問題行動の多い子ではあったけど、いつも一生懸命で可愛い子だったわね。目が離せなくて、まるで妹のようなそんな親近感を覚えていましたのに。
殿下を止める方法は一つだけ。後で謝ります。何でも言う事を聞きますので、どうか許して下さい。レノアさんの命には代えられませんもの。
息を大きく吸い込んで、私は叫びました。
「フェリクス、『ステイ』!」
私の号令に合わせて、殿下の体がピタッと止まりました。
「いい子だから、それ以上威嚇してはだめよ。気持ちを落ち着けて、そう、ゆっくりと……偉いわ、とても上手よ」
殿下の頭を撫でながら、優しく諭していきます。
なぜ私の代わりが誰にも務まらないのか――それは私が、フェリクス殿下を唯一止めることが出来る調教師としての力を持っているからなのです。
このリィンバーム王国では、ごく稀に狼の痣を持って生まれてくる王子が存在します。彼等は始祖返りと呼ばれ、人狼に変身する一騎当千の力を持って生まれ、国に大きな繁栄をもたらすと言われています。
しかしその大きすぎる力の代償として、我慢できない程の逆鱗に触れた時、自分ではその怒りの感情を制御出来ません。
だから始祖返りが生まれてくる年には必ず、月の形をした痣を持つ女児も同時に誕生するのです。
始祖返りが暴走した時、唯一それを静めることが出来る調教師と呼ばれる存在。それが私でした。
「オリ……ヴィア……」
「ええ、私はここに居るわ。ずっと、貴方の傍に居るわ。だから、安心してね」
私の声で、殿下は次第に冷静さを取り戻していきます。
レノアさんにそっと目配せして、今のうちに逃げてと伝えました。こくこくと頷いて、レノアさんはその場から離れていきます。
その背中を見て、胸がズキンと痛みました。私も彼女のように逃げることが出来たならば……と叶わない願いに、そっと思いを馳せてしまいました。
殿下を止められるのは私だけ。だから当たり前のように婚約者として傍に仕えるよう命令されました。けれど私が傍に居なければ、そもそも殿下が暴走する事もないのではと思わずにはいられません。
優しい殿下の逆鱗に触れる唯一の行為、それは私に危害が加えられること。それ以外で、一度も殿下は暴走された事はないのですから。
月の痣を持つ者への、異様な程の過度な執着。あの悲惨な現場を目撃した人々は、この歪んだ関係をこう例えます。まるで、『月を乞う狼の呪い』のようだと。
初めは、何て事ない不慮の事故でした。悪気があったわけでもなく、ただ本当にタイミングが悪かっただけなのです。舞踏会の途中で軽く肩がぶつかり、私の体がよろめいたのは。
それを見た殿下が烈火の如く怒り、ぶつかった令息を怒鳴りちらします。そして獰猛な人狼へと変化して、彼に牙を向いて襲いかかったのです。
あまりにも恐ろしくて、声が出ませんでした。白い大理石の床が血で赤く染まっていくのを見て、カタカタと震える事しか出来ませんでした。
何とか声を絞り出して殿下を止めた時には、令息はひどい怪我を負っていました。
それ以来、誰も私に近寄らなくなりました。もしうっかり不慮の事故でも起きようものなら、あの令息のようになってしまいますから。
レノアさんだけでした。殿下以外で、ああして私に話しかけて下さるのは。彼女のおかげで三年間、楽しく過ごせましたわ、本当にありがとうございます。
「私は……一体……」
「殿下、私が誰だか分かりますか?」
「……オリ……ヴィア、オリヴィア!」
すがりつくように、殿下は私の体をきつく抱き締めました。小刻みに震える彼の背中を、そっとなだめるように優しく撫でます。
私の隣で屈託なく笑ってくれるフェリクス様が、大好きです。けれど貴方が私に寄せる思いはきっと、魂に刻まれた月を乞う狼の呪いの影響なのでしょう。そう考えると、心がとても苦しくなります。
傍に居るのが、怖いのです。私のせいで優しいフェリクス様を狂わせてしまうのが、怖くて仕方ありません。
ねぇ、フェリクス様。
私は本当に、貴方にとって必要ですか?
貴方の傍に、このまま居ても良いのでしょうか?
もしもいつか、フェリクス様にかけられた呪いが解けた時にそう尋ねたら、貴方は何と答えるのでしょうね……
悪役令嬢は、月を乞う狼王子から逃げられない 花宵 @kasyou
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