第16話 二条事務方のオモイカタ
こちらの話は『冬野つぐみのオモイカタ』の最新話「第311話 井出明日人は感謝する」からのスピンオフとなります。
ネタバレが苦手な方はまず、本編をお読みいただいてから、読んでいただけたら嬉しいです。
本編は読んでないけど、この話を読んであげるよ!という方のために、簡単な登場人物紹介を。
主人公は名もなき二条の事務方の女性。
彼女の創造の翼の広がりざま、楽しんでいただけたらと思います。
では楽しんでいただけますように!
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「うん、あとはこの報告書を届ければ今日は一段落かな」
ファイルへ資料を挟み終えた私は、大きく両手を上げて伸びをした。
「よし」と呟き軽く頬を両手で二回たたきながら、これからすべきことを頭の中でまとめ直していく。
幸い今日は大きなトラブルもなく過ごせている。
あとは
「んふふ~、惟之様の顔を間近で見れるのって久しぶり。イケメンをじっくり堪能して今日は帰るぞ~」
自分が所属する二条の上級発動者である
彼は十年ほど前、大きな事故に巻き込まれ片目の視力を失ったと聞いている。
さらにはその事故の後遺症で、光に対し強い痛みを感じてしまうらしい。
そのため惟之様は、普段はサングラスを付けて過ごしている。
当初はそのサングラスと背が高く見下ろされるということもあり、勝手に怖い人物だと思い込み、近づかないようにしていた。
だが仕事で接していくうちに、私はそれが勘違いだと気づく。
彼の部下に対する配慮や周囲へ気遣う姿は、実に真摯なものであったからだ。
今はこうしたささやかな接触に喜びを感じ、仲のいい女子で組織内の素敵な男性について語り合うのが楽しみの一つになっている。
「ん~、せっかくの週末だもんね。これなら誰かこの後に予定の無い子でも誘って、ご飯でも食べに行っちゃおうかな」
頭の中で仲のいい事務方の女性達の姿を浮かべながら、ファイルを手に取り私は歩き出す。
「確か惟之様は自室にいらっしゃ……、そういえば
四条の上級発動者である
出雲さんの元へ惟之様からそんな連絡がきたのが十五分程前。
仕事の話ではないので、お茶などは準備しなくてもいい。
この後の来客等の予定は無いはずだが、予定が入りそうならばキャンセルをして欲しいと頼まれていたことを私は思い出す。
井出様はもう帰られただろうか?
惟之様の部屋の前までたどり着き、私は思案する。
プライベートでの話のようなので、入室の許可を得ても構わないはずだ。
とはいえ、話を途切れさせるというのも心苦しいもの。
幸い辺りには誰もいない。
しんと静まりかえった廊下で、私は耳をそばだててみた。
扉の向こうからは声が聞こえてくる。
どうやらまだ井出様と話の最中のようだ。
そうなると、どのタイミングで入るべきか。
できれば話が一段落した時に入りたいと考えた私は、そのまま話を聞いてみることにした。
はっきりと聞き取れるわけではないが、話の流れを理解できるほどの声量で二人は話をしている。
「……いいのですか、惟之さん。僕はあまり、あなたの体に負担をかけたくないのです」
「構わない、これは俺がいいと言ったことだしな。下手に遠慮されてもこちらとしても逆に困ってしまうだけだ。続けてくれ」
体に負担をかける?
その言葉に私は疑問を抱く。
井出様は四条の治療班だ。
なにか治療でもしているのだろうか?
でもそうであれば負担という言葉はおかしいし、惟之様が怪我をしたという報告は受けていない。
首をひねりながらも引き続き会話を聞いていく。
「先程より深くしますよ。痛みが耐えられないようでしたらすぐに止めますので、どうか無理だけはしな……」
「……はぁっ。いっ、今更そんなことを言うな」
何かをこらえているような惟之様の声が聞こえてくる。
「俺がお前に出来ることをするって、約束したばかりだろう。中途半端な遠慮などするな、続けてくれ」
えー! えー! ちょっと待って!
お二人は一体、何を続けていらっしゃるのですかー?
心の中で盛大に叫んでしまう。
これはなんとしてでも、続きを聞き届けなければ!
……いやいやげふんげふん!
うん! 入室のタイミングを見計らわねばならないのだ!
ならば私は、聴覚を研ぎ澄ませる必要がある。
そう考えた私は目を閉じて、耳に意識を集中していく。
「惟之さん、僕のためにそこまで……。わかりました。その覚悟、僕も受け入れさせていただきます」
受け入れるの? 井出様は何を受け入れているの?
え? 何? 私の知らない世界が、扉の向こうで受け入れられてるってこと?
その場から動くことも出来ず、私はひたすらに彼らの会話に聞き入る。
「ぐっ! ……い、今のは確かにっ、深く、……きたものだな。自分が言っておいてなんだが、遠慮なくやってくれたものだ」
何をしているのかは全く分からない。
けれど、苦しそうな惟之様の言葉の後に、大きく息を乱した様子の井出様の声がその後に続く。
「えぇ、僕としても知りたいところでもあったのでっ! ……ふぅ、これはなかなかにハードですね」
ハードなのですか?
私は頭の中でハードの意味を呼び起こしてみる。
えーと確か……。
ハード【hard】
1 堅いさま。
2 厳しいさま。激しいさま。
……。
なにこれ、どっちも想像が逞しく育っていきそうな単語ですねー!
混乱した頭を落ち着かせようとしているのに、井出様の言葉はさらに私の
「はぁっ。……あぁそうか、こんな風になっていくんだ。ちょっと苦しいですがこの感覚は、……覚えておきたいな。ごめんなさい惟之さん、このまま続けさせてもらっても……?」
苦しい、という言葉の通り、とぎれとぎれに届く井出様の声にいつもの快活さはない。
そんな井出様への惟之様の答えは、私の心拍数をさらに加速させるのに十分なものだった。
「お前さんのことだ、どうせ最後までして知っておきたいんだろう? わかったよ、それこそ俺も受け入れてやろうかね」
はい! 受け入れ態勢入りましたー!
ねぇ、なんの?
何を惟之様は受け入れようとしているのでしょうか?
知るべきなのか?
私は今この扉を開けて、その答えを知るべきではないのだろうか?
だってほら、私は惟之様にこのファイルを届け……。
「何をしているの?」
「それが実は今、禁断の扉を開こうかどうか迷っておりまして、……ってふぇ?」
何ということだろう。
いつの間にか私の隣には出雲さんが立っているではないか。
見られていた?
この扉に張り付いていた姿を、出雲さんは見ていたということ?
私の頭の中で、裁判所の前で『人生終了』と書かれた垂れ幕を掲げた自分が無表情で周囲に見せつけている姿が浮かび上がる。
……だめだ。
恥ずかしすぎてまともに顔が見られない。
私は一歩下がりながら背筋をしゃんと伸ばし、勢いよく腰から体をぐっと曲げ、ファイルを出雲さんへと差し出した。
「きゅ、急用が出来たので、どうかこちらをお願いします!」
数秒の後、ファイルが私の手から離れる感覚に再び顔をがばりと上げる。
ファイルを手にしたまま、驚いた様子の出雲さんと目が合ったと同時にもう一度、私は深々と礼をした。
そのままくるりと体を後ろに向け、駆け出すようにその場から去って行く。
恥ずかしい、あまりにも恥ずかしすぎるではないか。
そのまま給湯室へと駆け込み、誰もいないのを幸いに一人で「うおー」とか「ぐわー」とただひたすらに叫び続ける。
しばらくそうしていたものの、このままここに居続けるわけにもいかない。
とぼとぼと二条の事務所へと戻れば、私の机の上には伏せられたメモが載っていた。
ぼんやりとした頭でそれを裏返せば、見覚えのある
これは出雲さんの字だな。
それだけを認識しながら読んでいた私の脳に、次第に書いてある内容が浸透していく。
握っていた紙が私の震えに合わせぶるぶると揺れる。
後で聞いたところによると、震えながら私の顔色は青から赤へと変わっていったらしい。
黄色はどうした、歩行者信号かよ。
今ならそんなツッコミが出来るが、その当時はそんな余裕は全くなかった。
鞄を掴むと私は「急用ができました! お先に失礼します」と叫び、事務所を飛び出していく。
目指すは本部の近くにある、ちょっとおしゃれでお高めな創作料理店だ。
駆け足で自分の車へと向かいながら、電話でその料理店へ個室の予約と突然の連絡になることを詫びつつ、出雲さんへと食事のお誘いを入れておく。
店に向かう途中にあるコンビニに寄り、ATMで口止め料兼食事代になるであろうお金を引き出す。
幸いにして早い時間ということもあり、料理店はすぐに私を個室へと案内してくれた。
二人部屋の個室の下座に控え、鞄の中から会社で読んでいたメモを取り出し改めて読みなおす。
『私は何も見ていないから。あとね、多分だけれど、私も同じ勘違いをしてしまったわ』
……出雲さん、私にはあなたがお気遣いの神としか思えません。
本部に向かって出雲神への礼拝をしようとしたその時、「あと十分ほどでお店に着きます 出雲」というメールがきた。
私はこの十分で何をすべきかと脳をフル回転して考えていく。
どこまで語るべきか。
そしてどこまで自分の心の想像の翼の広がりを出雲さんに話すべきかをだ。
――その日は出雲さんにごちそうするはずが、先輩だからと逆におごってもらってしまった。
出雲さんからは井出様の治療スキルの向上のために、惟之様が体を刃物で傷つけて検証をしていたのだと説明を受けた。
それを聞いた私は、『生きていてごめんなさい!』と思わず叫び、出雲さんを驚かせることになる。
けれども料理がとても美味しかったこと。
そして出雲さんと私の想像の翼の大きさが案外同じだった為、なんだかとっても強い絆が芽生えたのは、ここだけの話。
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こちらのお話は、私に多くの素晴らしき刺激とひらめきを与えてくれた大須の素敵な貴腐人と、そのご友人である陽だまりのような書き手様に捧げたく思います。
今年一年、読んでくださって皆様に感謝を。
引き続きつぐみたちをよろしくお願いいたします!
お読みいただきありがとうございました!
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