第20話 2.りんご色の風船に手を伸ばしたら(6)

 小鬼に膝裏を押されながら、再度一歩を踏み出す。


「ど、……どうして、な……泣いていたの?」

 もう一度声を掛けると、男の子が再び僕を見上げた。今度は、はっきりと彼の顔を見る。彼の眼に涙はもうなかった。口を真一文字に結び、じっと僕を見つめる彼は僕の弟だった。


 僕と弟の歳は、二つ違い。彼は今、高校三年生。しっかりと測ったことはないけれど、身長は僕よりも高かったはずだ。


 しかし、目の前にいるこの小さな男の子は紛れもなく僕の弟だ。遠い昔の記憶として僕の胸の奥深くに眠る、幼い頃の弟だった。


「た、たもつ?」

「アレ」


 弟は小さな手で何かを指していた。彼の示す方へ視線を向けると、駐車場に隣接するように住宅が立ち並ぶ。その内の一軒の敷地内にある大きな木の枝の間で赤いものが一つ、ユラユラと揺れていた。


「風船?」

「うん。りんごのフーセン、とんでっちゃったの」


 弟はカクンと首を垂れる。何かを我慢している時、弟はよくこの仕草をしていた。


「取りに行けば?」


 僕の言葉に、小さな弟は頭をプルプルと振る。


「あそこのおうち、おおきい……のいるから」


 大きいの? なんだ? 何がいるんだ?


 困惑したまま足元の小鬼へ視線を投げると、小鬼は顎をクイッと住宅の方へ向ける。


「ぼ、僕が取ってくるの?」

「それくらい、いいじゃないですか~」


 僕は小さな弟を見下ろして声を掛ける。


「僕も一緒に行くから、保も行かない?」


 僕の言葉に、弟は再度頭をプルプルと振る。そんな弟の態度に僕は小さな苛立ちを覚える。


「じゃあ、諦めれば」

「い~や~だ~。うわーーん」


 つい、突き放した言い方になってしまった。すると、弟はまた大声で泣き始めた。


 そうだ。こいつはそういう奴だった。自分の思い通りにならないとすぐに機嫌が悪くなる。そして、大声で泣き続けるのだ。誰かが問題を解決してくれるまで、ずっと。


 うんざりした顔で小さな弟を眺めていると、右膝をペシッと叩かれた。小鬼は、両手を腰に当て怒りモードを演出中だ。


「古森さん~。何で泣かせるんですか~?」

「泣かせてないし。こいつが、勝手に泣き出しただけだし……」

「風船くらい、取りに行ってあげればいいじゃないですか~?」

「何で僕が……」

「古森さん〜。今がどういう状況か、お忘れですか~?」

「……わかったよ……」


 僕は、小鬼の放った呪縛の言葉に従わざるを得ない。仕方なく弟に向き直る。


「風船は、僕が取ってくるから、保はここで待っていられる?」

「……うん」

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