第八章 「歌虫は歌う」

1

 銀色の部屋の外に出るとそこは、ユウゾウの言った通り巨大な円筒形を横にしたような空間が広がっていた。


「これは倒れた塔の一部です。私たちの祖先はそれを改造して自分たちの住処をこしらえました」


 ユウゾウの言う「塔」とは、先ほど彼の話の中に出てきた、人がこの世界から脱出しようと造り上げた天を貫くほど巨大だったとされる人の塔のことだ。それはウッドが生まれるより遥か昔に折れて倒れたらしい。

 遥か見上げる天井は暗くて様子がよく分からなかったが、確かにここは巨大なトンネルで、とてもアルタイ族には作れそうに無い。


「ここをずっと行くと、やがて地上へ出られます」


 ユウゾウが指した方向には、薄ぼんやりと明かりが見えるような気がした。


「先が坂になっていて、そこを上っていけばやがて地上へと繋がる穴が見えてきます。ウッドさんもそこから運んできました」

「そうか」

「それから」


 今度は反対側を向き、彼は真っ暗になっている方を指差した。


「こちらは真っ直ぐに行くと、元々この塔の根元だった部分に出ます。おそらくそこで、フロスさんが待っています」

「そこにネモも」

「ええ」


 ウッドは迷うことなく塔の根元へと向かう道を選んだ。


「これをどうぞ」


 ユウゾウが手渡してくれたのは、火のない不思議な松明たいまつだった。人の発明品らしい。


「いいのか」

「もう私には必要無いものですから」


 そう言って彼は寂しげに笑った。僅かな時間では彼を理解することが出来なかったが、それでもその穏やかな微笑はウッドの胸を締め付けた。何とも言えないもやもやが残り、ウッドは歩き出す前に彼に手を伸ばした。


「握手、ですか。もう随分ずいぶんとしていない。そんなものがあることも忘れていました」


 しっかりと手を握る。彼の手は小さかったが、それでも何かは通じ合えたような気になれた。


「さよなら」


 歩き出したウッドに、ユウゾウはそんな言葉を投げ掛ける。


「人の別れの言葉です。人は出会いも別れも惜しむ生き物でしたから。だから人の最後の言葉はこれが相応しいと思うのです」

「さよなら、か」


 ウッドは自分でもその言葉をつぶやいてみて、何だか随分と寂しい響きだと感じた。


「私が話したことを忘れないで下さい。そうすれば、あなたが生きている限りは、人は滅ばない」

「ああ。忘れない」


 そう言ってユウゾウを見ると彼は小さく何度もうなずく。それを目にしてウッドも一つうなずくと、背を向けて歩き出した。


「さよなら」


 さよなら。

 彼は何度でもその言葉を言い続けた。ウッドは思う。きっと彼は己の命が尽きるその時まで、その言葉を繰り返すだろうと。だからウッドも小さく呟く。


 ――さよなら。


 ユウゾウと別れてから、その巨大な空洞をウッドは随分と歩いた。途中で幾つも小さな箱のような銀色の家を見つけたが、どこにも住民の気配が無かった。

 歩きながらウッドは今一度、彼が語った内容について考えていた。ネモは本当は歌うことも声を出すことも出来たのだという。なら何故彼女はそんなふりをしなければならなかったのだろう。歌うことは彼女にとっては生きることと同じくらい大事なことだと言っていた。なら、それを捨ててまで彼女は何を守ろうとしたのだろう。

 そこには生きることより大切な何かがあったということだろうか。

 幾ら考えてもウッドには答は見つかりそうに無かった。けれどそれももう直ぐ分かる。フロスと共に居る彼女に直接尋ねればいいのだ。

 何故なら彼女は話すことが出来るのだから。


 日も昇らないし、月も出ない。

 ずっと同じ空間が続いていた。ただもう小箱の家は見つからず、辺りは殺風景なまま、風すら吹かない。それでもここは寒くは無かった。地下だからなのか、この空洞の中は温度が一定に保たれているように感じた。


 どれくらい歩き続けただろう。

 ウッドは自分が本当に前に進んでいるのかどうか、分からなくなってきた。足こそ動いているが、その実感が無いのだ。

 頭はただ余計なことばかり考える。何故ネモは歌えるのに歌わなかったのか。話せるのに話さなかったのか。少なくとも彼にくらいは事情を話してくれてもよさそうなものなのに。

 その内にユウゾウから貰った火の無い松明も、何度か点滅してから消えた。闇がウッドを包む。本当にこの先にフロスが待っているのだろうか。けれどユウゾウが今更ウッドに嘘をついて、何の得があるというのだろう。この先に彼は居るのだ。少なくともウッドの直感は彼にそう伝えていた。

 静か過ぎる。耳が痛いような気さえする。

 フロスに会ってどうする。ネモを返せと迫るのか。それを彼が拒否したらどうする。その時は彼と戦うのか。

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