5
「何故、貴様が」
「歌虫がこちらに居る、と聞いてな」
「何故そんなものを探す」
数は最低でも五十。
「貴殿に言うべきものでは無い」
「俺は歌虫じゃないぞ」
地震でも起こらなければ、どう足掻いても逃げ出せない。
「貴殿には借りがあるからの。それを返しておこうと思った次第だ」
ミスリルとウッドはかつて帝国軍時代、近代最強の二将軍と呼ばれた。柔軟な思考と戦術を駆使して劣勢を跳ね返すウッドと、戦略的に有利な状況を作り出す能力に天下無双の剛力を備えたミスリルは、次の帝王候補だった。
それが百五十年ほど前のことだ。未だに新しい帝王が誕生した話はウッドの耳まで届いていない。そもそもミスリルが帝王になっていればこんなところで顔を合わせる筈が無かった。
「相変わらず執拗な奴だな」
「レッドスネーク。そう呼ばれることも我には名誉よ。さあ、古き友よ、そろそろ別れの儀式を始めようか」
その一声で、周囲を囲む兵たちが一斉に槍や剣を構えた。まるで鉄柵の中に閉じ込められたかのように錯覚する。
ミスリルは一歩前に出て、腰から剣を抜き放った。よく磨き抜かれた刀身は、木漏れ日を浴びて強く光った。
隙は無い。仮にミスリルを殺したところで、周囲の誰も動揺はしないだろう。ただ冷静にウッドを囲んで殺すだけだ。
一歩、また一歩、距離を縮めてくる。どの瞬間にも打って出てくるだけの気迫があり、迂闊に動くことが出来ない。背後には沢山の兵が控えている。
体の細胞が震える。汗が染み出し、皮膚を伝う。
だが何故か心地よかった。随分昔に失ってしまった、アルタイ族としての生きている実感。それがこの窮地にはあった。だからウッドは自然と笑みを浮かべていた。
「余裕か?」
ミスリルは面白くないようだ。
「いや。かつてを思い出しただけだ」
「あの頃もそうだったの。主はどれだけ追い詰めても、そこから」
仮面の奥で
「そう言えば、まだ帝王の犬をやっているんだな」
「犬ではない。いつでも帝王になれるが、奴に王座を与えてやっているだけだ」
「馬鹿な犬は自分が主人面をしているというが」
「何を」
「犬にはやはり犬小屋がお似合いという訳だな」
「ウッド! 貴様」
「さっさと犬小屋に帰って寝るんだな」
ウッドはそう言い放ち、背を向けた。ミスリルは
それを反転して避けると、刀身でミスリルの剣を押さえつけ、その仮面を左の肘で突き上げた。
短い呻き声と共にミスリルが仰け反る。
だがミスリルも体勢を立て直すより先に片手で剣を払い上げ、傾いた体を利用して左脚での回し蹴りをウッドに叩き付けた。
強固な脛当てがウッドの顎を打った。それだけで眩暈を感じたが、踏み止まって次の一撃に備える。
上段から斬りかかってきたところを何とか剣に左手を添えて受け止めたが、その重さに足が地面に沈んだ。ミスリルは構うことなくもう一撃そこに加え、ウッドの手が痺れたところで、胴を払おうと横から薙ぎ払う。
間に合わない。
右肘を飛んでくる刀身に当て、何とか軌道を
血が跳ね上がる。
だが鍛えた筋肉繊維はそれが奥深くまで入ることを許さない。
「嫌っ」
ネモが叫ぶ。
一瞬動きの止まったミスリルの首目掛け、剣先を思い切り突き上げた。首を保護している甲冑が火花を散らし、ミスリルは大きく吹き飛んだ。剣先が欠けたようだ。
だが気にしない。倒れたミスリルにウッドは迫る。剣を逆手に構え、寝転がっているミスリルの甲冑の隙間を狙って突く。右腕の上腕と前腕の間、肘の裏側。醜い悲鳴が上がる。すぐに相手の剣が跳ね上がってくるが、それを足で簡単に払い除け、次の一撃を同じ箇所に加える。
血が飛んだ。奴の右腕が震えている。
「駄目っ」
ネモの声が、遠い。
右腕が終われば左腕。
血の臭いだ。心臓が大きく脈打ち、感覚が研ぎ澄まされていく。
ミスリルは左に剣を持ち替え、体を捻って地面を二転三転した。うまく体を起こし立ち上がろうとするが、そこにウッドの剣撃が上から降ってくる。ミスリルはそれを防ぐので手一杯のようだ。
「左を鍛えるのを
ミスリルは何も答えない。いや、答えられないのだ。
剣が欠けるのも気にせず、ウッドは撃ち続けた。
右、左、横から、下から、様々な角度と強さ、速さで。
撃つ度に自分の中に力が溢れていくのを感じた。
違う。取り戻しているのだ。己の力を。強さを。アルタイ族としての本能を。
「嫌だよ」
俺はいい。
「こんなの」
これが俺だ。
「違う」
戦いをずっと求めていたんだ。
「戦い、駄目」
誰かを殺したかったんだ。
「なら何故」
血が見たくて仕方なかったんだ。
「墓を作ったの」
俺は。
「木の種を植えたの」
俺はただ。
「何故」
違う。
「わたしを助けてくれたの」
ちがう。
「あなたは優しいひと」
振り下ろそうとした剣が、動かなかった。静止した時間の中で、ゆっくりとミスリルの剣先が伸びてきて、胸元まで伸びてきて、すっと音も立てずに、肉を引き裂いた。呼吸が止まった。息を吸おうとして、吐こうとして、何も出来ないまま噴き出したのは、大量の血だった。
――嫌ぁぁぁぁぁっ!
強烈な光が、嵐が、何もかもを吹き飛ばした。
ウッドの意識までも。
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