3

 ウッドはぐったりとした彼女をムシロの上に運び、横にならせた。眠っていればまるで人形のようだ。いや、土くれで作られた人形など彼女の美しさには遠く及ばない。それはウッドが花や草木、山や空を見る時に感じる自然の美しさというものだった。アルタイ族の無骨で戦う為の筋肉と肌に囲まれたその醜悪しゅうあくな容姿とは比べるべくもない。

 広がった髪が彼女の呼吸に合わせて微かに上下する。

 それを恐る恐る撫で付けて、ウッドは何とも言えない安らぎを感じていた。


 ふわふわと花の香りがした。

 だがそれらはいつも見慣れているあの巨大な花たちとは違う。ウッドは何度も目を擦り、それらを凝視したが、まるで自分が巨大化してしまったかのように小さな花々がずっと広がっていた。

 その花の絨毯じゅうたんを踏みしめて歩いていくと楽しげな笑い声が響いてきて、ほどなく歌虫たちが集まっているのが見えた。

 いや、ペグ族だけではない。そこにはやや背の低くなったアルタイ族もいた。よく見ればペグ族にしては彼女たちも体が大きい。その上、二つの種族はそれぞれ争うことなく仲良く笑っていた。

 名を呼ばれ、笑い掛けられる。

 自分が何と呼ばれたのかウッドには分からなかったが、それでも自分が彼らに温かく迎えられているのは分かった。知り合い、なのだろう。自分には何一つ覚えがない。

 そう。おそらくこれは夢だ。また夢なのだ。

 確かにふわふわと心地よい。

 彼らの輪にウッドは自然と溶け込んでいた。

 話すことは意味を成さないが、それでも不快では無かった。

 アルタイ族の男たちは戦士の表情をしていない。

 ペグ族の彼女たちは美しくあったが、それでもペグ族が本来持つ自然の美を結晶化したようなそれには遠く及ばない。

 彼らは、彼女らは、何者なのだろう。

 この夢は、誰の夢なのだろう。

 ウッドは自分自身の内側がこんな世界を望んでいるのかも知れない、と思った。


 不意に空が暗くなる。

 そして稲光が、二度。雨が降り出し、途端に花々は散り散りになり、笑っていた仲間たちの姿も消えてしまった。

 ウッドは一体だけ取り残され、どうしたものかと途方に暮れながらも雨を凌ぐ為に方角も定かでないまま走り出す。

 叩きつける雨粒は飴玉ほども大きさがあった。腕を前に出してそれらを防ぎつつ駆けていると、雨音に混じって誰かの声が聞こえてきた。か細い、けれど切実に何かを求める声だ。

 ウッドは駆けた。水飛沫が上がり、自らが濡れることも気にせず、走った。

 枯れ木ばかりの森を抜け、湿原をもがきながら脱出し、何とかやってきたのは砂漠に立つ見たこともない巨大な尖塔だった。その先は雲を突き抜け、空にまたたく星々までも届くかのようだ。

 確かにその塔の中から声は聞こえる。ウッドを求める声だ。

 彼は構わずにその塔の中へと入る。


 高い高い塔だった。ぐるぐると回る螺旋階段を登りに登り、やがてその頂へと到達すると、展望台になった細長い窓つきの小部屋では彼女が待っていた。

 ネモだ。

 彼女は微笑んでいる。だがそれは「嬉しい」では無い。

 ウッドにはそれと断定出来るほどはっきり判別出来なかったがおそらく「悲しい」なのだと思った。涙は出ていない。それでも「悲しい」なのだろう、と。


「…………」


 彼女の言葉が、分からなかった。


「…………」


 自分が何と言ったかも、分からなかった。

 ただ夢の中の彼女とウッドは、互いに幾つか言葉を交わし、ただ互いの手を握り合わせ、一つ、二つとうなずいた。

 ひときわ大きな音が鳴り響いた。

 地響きがして床や壁を構成していた煉瓦は砂煙を上げながら崩れ、そのままウッドは裂け目に呑み込まれていく。手を伸ばしたがネモには届かない。

 ただ、落ちていく。

 ただ――。


 木戸が軽快に叩かれた。

 ウッドは目を開いてからもしばらく現実の世界に意識が戻ってこられずに、何度も叩かれる木戸の音が敵襲を知らせる里の警戒報のように思えて、慌ててムシロの脇の剣に手を伸ばそうとした。そこにあった柔らかい物体が、愛らしく甲高い叫び声を上げる。


「あぁ」


 すっかり忘れていた。ネモは何度も目をぱちくりとしてウッドを凝視している。


「す、すまない」


 申し訳なく頭を下げると、そんなウッドに笑い声を浴びせ掛けた。


「びっくりしちゃった」


 それから彼女は思い切り伸びをする。どうやら体の方は大丈夫なようだ。

 ほっとしたところで、ウッドはまだ木戸が叩かれていることを思い出す。それからネモを見て、更に思い出す。

 彼女はペグ族だ。それを形はどうであれ、ウッドはかくまっている。決して彼女のことを気取らせてはならなかった。


「え? えぇ!」


 訳も分からず薪の束が固めてある中にその体を隠されて暴れるネモの口を押さえて黙らせると、ウッドは絶対に声を出さないようにと言い聞かせた。


「すまない。でも見つかれば、どうなるか」


 ――分からない。


 声には出さなかった言葉の意味を、彼女は理解したのだろう。

 じっとウッドの目を見ていたかと思うと、自分から薪の束の中に身を隠した。

 ウッドはそこに布を被せ、それから一呼吸整えてから、


「誰だ」


 玄関の木戸を開いた。

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