第二章 「メノの里」

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 巨大な草花の森を越えて巨木の林を抜けた先に、幾つかぽこぽこと岩肌が隆起している地帯がある。「メノの里」とここに住まう者たちは呼んでいた。

 だが何かが住んでいるにしてはやけにひっそりとしていて、時折悲鳴のような甲高い声で鳴く鳥の声が聴こえてくるくらいだ。

 日も落ち、すっかり闇に覆われた世界で、その岩塊の一つに向けて、ちらちらと小さな明かりが動いていた。

 ウッドだ。

 彼は自分の腕ほどもある太い枝の先に油を染み込ませた布を巻きつけた松明たいまつを右手に、連れもなく歩いていた。背中には大きな頭陀袋ずだぶくろを背負っている。その中にはスコップなどが詰め込まれているのか、揺れる度に金属音がした。

 ほどなく大地が真っ二つにズレ動いたかのようなそそり立つ岩壁の前へとやってくると、ウッドは松明の火に土をかけて消し、一度周囲に別の目が無いか確かめた。

 それから消した松明を一旦地面に置き、彼は目の前の岩の小さな窪みに両手を突っ込む。それを力任せに横にズラした。地響きがしてウッドが何とか抜けられる程度の隙間が空くと、そこから中へと滑り込む。

 ウッドが岩穴に吸い込まれて直ぐに、再びの地響きと共に岩がズレて穴が埋まった。


「もう直ぐだ。決して、声を出すな」


 誰に語り掛けているのか。

 ウッドは松明を背中の頭陀袋に仕舞うと、そのまま暗闇の洞窟を奥のぼんやりとした光源に向かって歩いていく。

 彼の身長の倍ほどもあるその洞はどうやら器物を使って成形されたようだ。きっちりと楕円形にアーチを描いていて、よく見れば崩れてこないように木の角材が組み合わされていた。ところどころに見られる細い格子状の竹は空気取りだ。

 奥から風が流れてくる。その風に乗り、かすかな声が届いてきた。

 ウッドは一度足を止めた。

 喉元を汗が伝う。それほど暑くは無いのに水分は体から抜けていこうとしている。

 ウッドは頭陀袋の口が開いていないことを再度確認し、それから気を引き締めて歩き出した。


 この巨大な岩塊をくり貫いて新しいメノの里が作られてから、もう九百年にはなるという。長がまだ若かった頃、この建築作業に携わったそうだ。最初は十体ほどが住めればいいといった申し訳程度の洞穴住居だったが、徐々に新しい住民を受け入れて今では百体弱、この中に住んでいる。アルタイ族の里としては比較的大きな規模の里だ。

 通路を抜けると細長い半球型の空間が広がる。


「ご苦労様」


 ウッドは門番に立っている二体の豪腕に軽く頭を下げ、そのまま町に入る。


「待て」


 頭を剃り上げ、そこに幾何学模様の刺青をしているオッグが呼び止める。もう一体の髭面のマッジは「よせ」といった風に顔をしかめるが、口を出そうとはせずに、ただ黙って見守る体勢のようだ。


「何か」

「臭うな」

「そうですか」


 関わり合いにはならない方がいい。メノの里の者なら誰もが分かっていた。

 オッグはそこそこ強い。だがそれもメノの里という狭い範囲での話だ。かつて帝国軍に所属したことのあるウッドには奴くらいの腕の者ではさして利用価値も無いと思われることを知っていた。


「臭うだろが」

「いえ。何も」


 そのまま行ってしまおうとしたウッドの頭陀袋をつかむ。一瞬でウッドは全身の筋肉が悲鳴を上げそうになるのを感じる。


「くせえんだって、これがよ」

「土の臭いじゃないですか」


 ウッドの答に、オッグはこれでもかと声を荒げて笑う。


「それが臭いってんだ。墓だ? そんなもの作ってやることないだろ。どうせ奴らは土くれに返っちまうんだぜ。それをわざわざ埋めてやる? お前は本当にアルタイか?」


 もうよせ。マッジはそんな空気を漂わせていたが、ただ呆れた視線を二体に向けるのみだ。ウッドは構わずに行ってしまおうとした。


「待てや」


 肩に伸びてきた腕を瞬時に払い除けると、その腕を取って捻り上げる。


「幾ら挑発しても、俺はやらない」

「負け犬が」

「そうさ。負け犬だ」


 オッグはじっとウッドを睨み付けていたが、握っている手を緩めると直ぐに腕を振り払い、


「行けよ」


 とそっぽを向いてしまった。

 その様子に少しだけ歳の大きいマッジは苦笑いを浮かべたが、何も言わないまま門番の仕事へと戻ってしまった。

 ウッドは歩き出す。

 夜になり、採光の為に空けられた穴から途切れ途切れに星が見えた。今夜は晴れらしい。

 石煉瓦れんがを組んで造られた立方体の家々の中で明かりが灯っている。そろそろ誰もが夕食の支度をしているのだろう。煙突から立ち昇る煙に混ざって香ばしい匂いが辺りに撒き散らされていた。

 ウッドは一度、オッグたちの方を振り返る。もうこちらを見ない。

 オッグはウッドより少し若い。

 ウッドがこの里に拾われたのが五歳の頃で、オッグはそれから更に五年ほどしてここにやってきた。歳が近かったからか昔は何かと兄のようにウッドのことを慕っていた。オッグの剣技を鍛えたのもウッドだった。

 帝国へ向かうウッドのことを誇らしげに周囲に自慢していたオッグが懐かしい。だからこそ今のウッドの有様が許せないのだろう。

 けれどもう、以前の自分には戻れないことも、ウッドには充分過ぎるほど分かっていた。

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