4
ウッドしか歩くことが無い里から墓地までの道には、産毛のように細い草がまばらに伸びて成長している。誰の足も踏み固めることのない道端は壁のように直立して生い茂る巨大な茎や草により覆われ、視界は悪い。それがずっと天上まで伸びて空を覆い、ところどころで僅かに差し込む木
歩き慣れた道で、ウッドの足音と腰に吊り下げた大剣が臀部の上の方で揺れ当たって起こる小さな金属音が響く。
時折、茎から外れて目の前に伸びてくる蔦を払い、足に絡みつく下草を蹴飛ばす。毛皮のベストの下がじっとりと汗ばみ、蒸発した汗は周辺の草いきれに紛れた。
太陽は徐々に傾き、空が気取られないくらいにゆっくりと色を変える。
暗くなった森の深くをウッドは足早に歩く。
周囲は草や茎から樹木の壁へと変わっている。目の前にすると丸みなどなく、一体どれほど腕を伸ばせば一周するのか分からないほどの太さの樹が、それぞれの存在を主張するかのようにぽつりぽつりと立っていた。
何だろう。ウッドは首の後ろ辺りがすっと涼しくなったように感じた。
――何か居る。
それは衰えていない彼の戦士としての勘が訴えていた。
息を殺す。
注意深く気を周囲に配る。
足音に注意し、
それは近づいていくウッドの体にじわじわと伝わり始める。耳で感じるよりもずっと早く、後頭部の奥の方が熱を持ち、弾かれたように思い出した。
――まさか。
そんな言葉を思わず吐き出してしまいそうになる。
ウッドは足音がするのも忘れて、高く足を上げて駆けた。
両腕で目の前に飛び出してくる蔦や枝葉を掻き分け、それが居るだろう場所を目指した。
心臓は早鐘になり、細胞は今にも踊り出さんがばかりに躍動を始めた。
ややあって、視界は開けた。
湖に波紋が立った。
最初は森を抜けたのか、と錯覚した。水面が煌めき、ちょうど中ほどに薄ぼんやりとした月のような球体が浮かんでいるのだと思えた。
だが目を凝らせばそれが、蝶のような羽をばたつかせて水の上に浮かんでいる小さな人なのだと認識出来る。
――ペグ族。
アルタイ族の間では侮
ウッドの両腕で大半を隠せてしまいそうなほど小柄な彼女は、細く、ウッドの指ほどしかないその手を胸元で組み、顔に不釣合いなほど大きく丸い瞳を閉じて、懸命にその体を震わせていた。それはペグ族が鳴らす「歌」という奇妙な音の連なりだった。
ウッドは全身が何とも言いようのない快感に包まれていくのを感じ、意識だけがそれを恐れた。
――また、俺はおかしくなってしまう。
ペグ族には決して触れてはならない。
それはアルタイ族の誰もが知っている自然の理だった。ペグ族に遭遇したアルタイ族はその後、誰もが気が狂ってしまう。ある者は終始何かに怯えたまま暮らし、ある者は燃え盛る火口に飛び込み、ある者は狂喜してそのまま行方不明になってしまった。
ウッド自身も、五十歳の時に僅かに触れたこの「歌」により、己の人生を狂わせてしまった。
もう二度と逢ってはならない。
そう言い聞かせていた筈だ。
それなのに、彼の体は、細胞は、それを求めている。
「う、うぅ」
それも震えが止まらないほどに、激しく。その「歌」を求めている。
自らの意志を振り切って湖の畔まで歩いてきたウッドは、そのまま心地よく揺らぐ音の波紋に体を委ねた。そのゆるやかな振動はウッドの体内から、遠い昔に失われてしまった何かをゆっくりと湧き上がらせるような、そこから逃れがたい魔力を秘めていた。前に一度体験した時は分からなかったが、今ならこれに近い感覚をウッドは思い出せる。
――夢。
深く眠りに落ち、その色鮮やかな別世界を覗いている時のそれに近いのだ。
アルタイ族は一般に夢を見ないと言われている。
昔ディアムド帝国の研究所にいた風変わりな研究者によれば「夢は確かに見ているが、それを覚えていることは稀だ」ということらしいが、ともかくアルタイ族にとっては夢など本当に一生の内で何度お目にかかれるか分からない。
けれどウッドはこの百五十年くらいの間に既に何十回と夢を見ることが出来た。
だからこそすぐに同じだと実感出来た。
波はやがて音を超えて言葉となり、ウッドの心臓の奥深くへと染み入るように届く。
季節が変わり、花が枯れ、
時と共に、石は風化する
それでも変わらない、確かな
風が嵐を作り、
雨が洪水を起こし、
雲が雷を呼んでも、
揺ぎ無い。
ただ、ただ、
求める。
願う。
必ず、あなたと――。
不意に光が消えた。
「きゃ」
どこからか彼女に向けて、矢が射られたのだ。足から細く赤い筋を流し、彼女は湖面に落下した。
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