第28話 展望室
虹の入江基地の展望室の奧には、半透明な地球と月の模型が置かれていた。その前に立てば、月面がアフリカ大陸とオーストラリア大陸を合わせた面積をもつことや、地球から地球約30個分の距離を置いて月が存在する事実を実感することができた。 台座には年月日とともに協定世界時を示すデジタル表示盤がはめ込まれており、時刻とともに月に対する地球の向きが自転によって刻々と変わっていく模型だった。
そして、巨大水槽のような3層強化ガラスの展望窓に寄れば、地球光に照らされた夜の月面の上空で、本物の地球が模型と同じ面を月に向けていることも確認できた。
虹の入江ではシャクルトン同様、世界時、さらに厳密には協定世界時(UTC)が生活時として使われている。イギリスのグリニッジ標準時と同じ時刻であり、もちろん夏時間などはない。
シャクルトンでは、太陽光の差さないクレーターの底に基地が建設されており、地上に主な建造物が設けられている。太陽の位置に合わせて生活する必要のない2つの基地で、地球周回国際ステーションで共通して使われていた協定世界時が採用されたことは自然な成り行きだった。
初めて月を訪れた2031年2月20日。最初の月での食事。
「コンスタンティノープルの月夜」や「月夜のナポリ湾」...ほかにもタイトルは覚えていないが素晴らしい絵画がいくつも広い食堂の壁面を飾っていた。 椅子やテーブル、そして照明さえも、この基地には不似合いなほどの古いデザインのものが揃えられていた。これらはすべてパール・ギャラリーという美術品企業による寄贈だった。
数名の隊員と夕食をとったあと、約85m上の展望室に昇っていった。 工事現場にあるような無粋なエレベーターもあったが、重量物の運搬などを除いては運動能力維持のため階段の使用が強く奨励されていた。 重力が地球の1/6しかないため、85mの高さまで階段をかけあがっても息が切れることはなかったが、向きを変えるたびに何度も壁面に吸い寄せられそうになった。
薄暗い展望室に入ると、体が包まれるような温かみのあるピアノ曲が聞こえ、なにかわからないがエステル系のほのかな香り、そして巨大な窓の外が予想以上に明るかったのを覚えている。
そのとき、虹の入江は夜だったのだが、地球が満月ならぬ「満地球」に近かったため、強烈な地球光が闇の月面を照らし出していたのだ。月で見る地球は、地球で見る満月の4倍近い直径に見え、約80倍もの明るさで輝くのである。
月面は、どこか地球の荒野や砂漠と似たようにも見えるが実はそうではない。風も水の流れもなく、ときおり落下する隕石の衝撃を除けば、散在する個々の岩石は、人類の祖先が地球に現れたときよりも遙か昔からその場所に存在しているのだ。
外の景色を見ようと窓辺に近寄っていくと、シルエットになっていたが、誰かがこちらに来いと手招きしているのに気づいた。その人物のそばに柱がたっていたので、窓と柱の間にまわりこむように近づいていった。
柱の方に向かってかがむようにしているその人物は、私のほうを向き、柱の一部を指さしながらイギリス英語のアクセントでこう言った。
「ぜひとも、のぞいてみてください」
地球光に照らされたその額には、細かい皺と大きな抜糸跡があった。頬にはわずかに髭が残り、白い歯がのぞく口元も印象的だったが、なによりも...彼の両眼...そこには地球が映っていた。
私がなにも言わなかったので、彼はフランス語やドイツ語、さらにはイタリア語でも話しかけてきた。
「失礼しました。英語でわかります。これですね」
柱に見えたのは一種の潜望鏡だった。眼を近づけると、あまりの眩しい光に一瞬眼が眩みそうになったが、視野一杯に広がっているのは紛れもない地球だった。次第に眼がなれてきた。
「このダイヤルで拡大が」
試してみると、地中海が視野全体を占めるほどまで拡大できた。船の航跡が見えるほどだ。 もとの倍率に戻した。
地球周回軌道から見る地球とは印象がまるで違っていたし、ムーン・クリッパーの窓からの地球も分厚い窓ガラスを通していたためか、これほど鮮明ではなかった。87億人がその表面に暮らしていることを思うと、まるで神の座から地球を見ているようだっだ。
「月から見る地球は想像以上に素晴らしいでしょう?」
「...これは...ああ、私の言葉ではとても表現できません!」
「どうか、ゆっくり楽しんでいてください」 と彼は立ち去りそうになったので、あわてて顔を上げた。
「あの、よろしければ写真を」とっさにポケットから小型カメラを取り出し、彼に向けた。
なんとか月と地球を背景に入れることができた。月に着いて初めての記念写真だった。
撮影が済むと、相手は握手の手を差し出した。地球光のせいで、手の甲の大きな傷もわかった。
「申し遅れました。ジム・タイラーです。地質調査を担当しています。よろしく」
「いえ、こちらこそ。医療センターのシーマ・シャハクです」
「とてもいいカメラをお持ちですね」
「私の唯一の趣味です。
あの、もしかして...もうひとつのご専門はジャーナリスト?」
「とんでもない」
「何カ国語も話されるようですし、失礼ですが、危険な目にも会われたような...」
私が言い終わらないうちに、彼は奧に行くと、やがて飲み物を2つ持ってきた。 アルコール抜きのアイリッシュ・コーヒーのひとつを差し出した。
「中東とアフリカで3度ほど戦闘に加わりました」
窓の外を見ながら彼は言った。
「すみません。立ち入ったことを」
まずいことを聞いてしまったようだ。
「いえ、かまいませんよ。 ここでの任務は氷層調査です。 国連月行政センターにある月面地質調査室からの募集を見て応募したのです。中東でもアフリカでも水源探しが本来の任務でしたから」
笑顔がもどってよかった。
地球がよく見える窓辺に腰掛け、その後1時間ほど話をしただろうか。 翌週も、同じ木曜のその時間になると彼はここに来ていた。また話をした。
あるとき少佐から、2枚の興味深いプリントアウトを手渡された。一枚は、中国科学院の雲南天文台が毎年発表していた 「月居住者のための天文現象」(電子版)の一部だった。その「近時の日食一覧」(地球から見た場合の『月食』)によれば、その年2031年には3度の部分日食があるものの、 皆既日食は2032年にならないと起こらなかった。4月25日と10月18日の2度も皆既日食が起こるという2032年が来るのを彼は心待ちにしているようだった。
太陽を完全に覆った地球の縁が深紅に輝き、その光が一時的に暗闇となった月面を淡いオレンジ色に染めるのを、一度でも見た者は決して忘れられないという。
そしてもう一枚は、日食に関連した話題が載っている Astronomy & Geophysics という学術誌からの写しで、5ページの論文の最初のページだった。直径が月の約400倍もある太陽が、月までの距離の約400倍地球から離れている(したがって地球から見た月と太陽の見かけの大きさがほぼ等しくなり、時には皆既日食が起こる)時期が、地球上の生命が発展存続する上でもちょうど重要な時期に当たっているという論文だった。
地球近傍で生まれた月は潮汐作用により次第に地球から遠ざかり、地球から見た月と太陽の見かけの大きさがほぼ等しくなる頃、地球上では多種多様な生物が発生した古生代カンブリア紀を迎えていた。その後も次第に地球-月間距離が増加し、一方では太陽の進化の過程で、太陽自体の直径も増加していく。 ついには皆既日食が起こらなくなるが、それは現在からおよそ10億年後と予想される。その頃には、増大した太陽放射で極地の氷は完全にとけてしまい、海水の大規模な蒸発にともなう水蒸気温室効果によって地球は過酷な環境に変化していくという。
その論文は1999年に書かれたものだった。
「当時はまだ、これほど温暖化が進むことなど考えられなかったのでしょう」少佐は言った。
基地建設初期に見つかっていた氷層の下に、大規模な氷層が存在する可能性を少佐は早くから予測していた。難民救援活動の水源探査に長年携わってきた経験に基づく勘だという。 測定チャートの背後を読みとる能力なのかもしれない。
イギリス陸軍所属のジム・タイラー少佐は、アフリカではつらい体験も少なかったようだ。アフリカの話になると口が重かった。奥さんの死とも関係があるようだった。 医療記録からわかったことだが、深刻なアルコール依存症の時期があったようだ。
ひとり娘のジュリアのことはよく話してくれた。写真も見せてもらった。 最悪な状況から抜け出すことができたのも娘のくれた本のおかげだといっていた。 とても優しそうな眼が父親にそっくりな彼女は、オクスフォード大学で天体物理学を学んでおり、月の裏側にあるメンデレーエフ・クレーターに電波天文台を建てるのが夢だという。
虹の入江基地には、中国国家航天局(CNSA)の試験と訓練を経て採用されたさまざまな人材がやってきているが、大きく3つのタイプに分かれるようだった。ひとつは若い人に多いキャリア・パス型だ。 経験や能力を高める、あるいは経歴に「月面基地勤務」を入れたいがために、半年から1年間、月で専門知識や技術を磨くというものだ。その目的とは裏腹に、月での経験は生涯にわたって影響を及ぼす結果となるようだ。私がそうだったように。
そして、もうひとつは地球逃避型だ。地球での生活に希望を見いだせず、 残る生涯を月世界の発展に捧げようとするタイプである。2年以上の長期滞在契約をする者も多いが、実際には2年を待たずして地球に戻るケースも少なくない。タイラー少佐は典型的とはいえないものの、地球逃避型かもしれない。あとから聞いた話では、地球での彼を知る者は、月での彼は確かに変わったという。
21世紀中の人類の生存に危機感を持っていたタイラー少佐は、2018年10月に中国科学院の徐甬祥院長がBBCに語ったDNAライブラリーを月に置くというアイデアに心から共感していた。 イギリスが率先して行うべき事業だと考えていたほどだ。そうしたこともあって、本来シャクルトン基地へ行くはずだったのが、本人の強い要望から虹の入江基地の氷層探査に参加することになったのだ。
3つ目のタイプは「月の神秘」にとりつかれているような科学者だ。彼ら、彼女らは決まって言う、「月を知ることは地球を知ることにつながる」と。
基地の規模が拡大するにつれ「月の人間」には、そうした探究型の割合が増えているように思えた。
木曜の展望室での会話が6週ほど続いたと思う。その後、4月になると木曜になっても少佐の姿を見なくなった。
氷層探査のため、4月4日、少佐を含む3名が北東地域に出発したことを基地発のニュースで知った。
その数年後には、危険が伴うと予想される探査活動にはテレプレゼンス・ロボットが使われるようになったが、当時は現場のロボットが得る感覚を遠隔地のオペレーターに伝えるタッチ・フィードバック・システムがまだ未熟な段階で、とても人間に代わる探査活動には使えなかった。
2031年4月11日は忘れられない日となった。18時54分、ラプラス岬南東11km(L21地区と呼ばれていた)の地下240mに相当量の氷層を発見との連絡が入り、広いトンネルに大勢の歓声がこだました。
その興奮がさめやらぬ22時02分、隊員のひとりがクレバスに落ちたという連絡で基地内は騒然となった。 分散していた隊員の多くが通信室につめかけた。
... 3日後、ようやく遺体安置室に運ばれたタイラー少佐を眼の前にした。
故郷からはるか離れたこの地で事故に遭い、命を失うなんて。
その顔は、酸素がなくなる直前に永眠薬を服用したせいか、苦しんだようすもなくとても穏やかに見えた。
薬を飲む決意に到るまで、そして次第に意識が薄らいでいくなかで何を思ったのだろうか。
この頭脳に...無数の人生と行きかう45年間の思い出が詰まっていたのだと思うと、胸がしめつけられる思いだった。
冷たくなった左手はしっかりと握りしめられたままだった。そのこぶしには、なにかが...よく見ると、それは銀製と思われる傷だらけのロケットペンダントだった。
彼の遺体は、家族の了解を含む月面勤務契約の記載に従って、虹の入江の埋葬地に葬られることになった。8日後にはジュリアが到着した。彼女は埋葬に際して、宇宙服の通話器を通して私に話しかけてきた。
「父はこの地に埋葬されることを強く望んでいました。なぜ、殺風景な場所にと思いましたが、ここに来て理由がよくわかりました」
地球光に照らされたジュリアの表情はとても満足そうだった。
それから9年が経ち、国連発行のものを含め、各国の月面地質図には「タイラー氷層」の名が刻まれることになった。
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