第9話 大流星雨
第3居住区展望室。
ここは拡張工事によって最近できた区画であり、増員となる新しい居住者は次の輸送機で来ることになっていた。
室内灯を消して、三重の強化ガラスの窓を通して見る夜の地球。
聞こえるのは、隣の部屋に備えられた空気清浄機のかすかな振動と、区画を横断 して聞こえてくる同僚の声。あるいはコンピューター音声かもしれない。
大小の都市を中心とした光のネットワーク。ときおり見えるオーロラや雷光。今日は満月の光が海面を照らしていた。
2040年12月20日世界時14時53分、宇宙ステーションUN6は夜のインド洋上 389kmを通過中だった。
就寝前の自由時間、地球を眺めている同僚は多い。UN6には科学者や技術者、 医療関係者など、現在24名前後が滞在しているが、食事の時間の主な話題はきまって 地上のニュースか「地球の景観」であった。
21世紀初頭に比べ、都市近郊の屋外照明はかなり改善され、年間数億ドル規模のエネルギー節減に成功した国もあった。 日本のテレビ局の提案により、宇宙ステーション船外に高精細船外カメラが取り付けられ、 地球のようすを中継しはじめたことがそのきっかけであった。
宇宙ステーションの位置を時折示しながら、その下に広がる地球の高精細映像を提供する番組は、 地球環境やエネルギー消費への問題意識を高め、地上だけを照らすシェード(かさ)付き照明器具や エネルギー消費を抑えた低圧ナトリウム灯の需要増を生み出し、不況にあえいでいた発展途上国の人々を 救済する効果も生み出していた。
毎日、毎時間、変化に富む景色は長期滞在者にとって、地上の家族や友人とのコミュニケーションと並び、重要な精神的な糧となっていた。その効果は心理学的にも立証され、専用の展望室(撮影兼用)が設けられたのは2010年代からである。
ここでは、地上の生活と異なり、2種類の気象情報番組が高視聴率を誇っている。ひとつは、 地上の天気を伝える一般放送によるもの。もうひとつは、34カ国の観測所と軌道天文台4機、 それに月面基地2カ所にある遠隔測定機から成る「太陽・磁気圏監視ネットワーク」による 「宇宙天気情報」である。UN9では気象観測を行っていないので、前者の情報は専ら地球観望に役立てられている。
ここに来て7週目に入ったレオン・アルベルティは、3台の超精密時計「ファラオ6」を維持するのが主な任務だった。 2015年から搭載された1号機から数えて6世代目にあたる現在の原子時計では 原子間の衝突の影響を事実上なくしたインジウムイオン時計を採用している。 ステーション内を移動させるだけで相対論的効果による狂いが検出できるほどだ。
彼は勤務時間を終えたあと、展望室の窓辺で眼を閉じ、黙想するのが好きだった。仕事のこと、同僚のこと、昔の友人、そのときどきに頭に浮かんだことに想いをはせる。
この窓辺にいると、信じられないような遠い昔のことが難なく思い出せることがある。
そして眼を開けると、音もなくゆっくりとながれていく地球の情景が眼下に広がっているのだ。百年後、千年後、この景色はどうなっているのだろうか。そのとき自分が知る人間がだれもいない地球を、自分と同じような気持ちで眺めている人間がいるだろうか。
空間や時間、人生を鳥瞰できる場所、それがこの窓辺だ、とレオンは感じていた。学生の頃、ネパールのダマン峠で見た、威圧的なほどの星空。あれ以来の感覚だった。
20世紀、美しい星空が見える地域は、人口増加と経済発展とともに次々と地球上の片隅に追いやられていった。
1990年代後半、ニュージーランド南島の小さな湖畔の町テカポにも大規模な観光地化計画がもちあがった。 数少なくなった貴重な星空が失われてしまうことに大きな危機感をもったこの地で星空ガイドを務める一人の日本人が、「星空を世界遺産にできないか」という、 誰も考えなかったアイデアを思いついた。
その思いつきは賛同者を得ながら次第に拡大していき、同様な検討を始めていたユネスコでも取り上げられた。 星空も守りながら、地元の経済も向上する開発をめぐっての議論と調整が行われ、 2010年のユネスコ総会を経て、星空世界自然遺産第1号へと結実していったのである。
やがて眼を開けたレオンが海面の月明かりに気がつき、窓にいっそう顔を近づけて月をさがそう とした瞬間、まったく予期しなかった強烈な船体からの反射光が彼の眼をおそった。
ステーションが今日の日付になって10回目の夜明けを迎え、太陽光にさらされるまでにはまだ相当時間があるはずだった。反射的に顔をそむけながら、あわてて窓の太陽光遮断幕を引いたレオンは、船体の光から、光源が宇宙ステーション進行方向にあると判断した。
反対側の窓に向かった彼は、信じがたい光景を目にした。遙か彼方の地平線方向には、白熱する無数の火の玉が次々に大気圏に突入していた。 針のように大気に突き刺さる大量の火球であった。
勤務時間中の同僚たちもカメラをもって駆けつけてきた。
「4番の船外モニターにも」
手首に巻いた通信機の画面をズームさせて見せるロシアのクルー。
「爆発か?」
「どこのステーションだ」
「場所が違う、巨大な流星かもしれない」
観測班の通話機が鳴った。
「管制から分光観測の優先指示が入った」
10分以上にわたる未曾有の大流星雨がインド洋を航行中の船舶や、 インド南部、モルジブ、チャゴス諸島、スリランカからも目撃されていた。
「2000年を祝うパリ・エッフェル塔の花火のようだった」というスリランカの老人の話を当時の映像とともに、世界中のマスメディアが伝えていた。というのも、 これは極秘に進められた大がかりなクリスマス行事ではないかという憶測が流れたからだ。
ミサイルによる大気圏外核爆発という可能性は当初から除外されていた。 地球周辺の人工物体の動きは、地上と軌道上のレーダー網によって常時監視されていたからだ。 一部の国が疑心暗鬼でとった軍事上の非常態勢も12時間以内に解除された。
UN6の乗員が撮影した映像のほか、船外監視カメラ2台にその現象がとらえられていた。UN6の広域分光カメラの観測予定が変更され、直ちに大流星雨の分光観測が行われた。
早期警戒衛星が赤外線で探知したこの現象は DOD-4013 という符号で呼ばれ、データ解析の結果、 南緯0.2度、東経67.5度上空、315kmで大規模な爆発が起こったことが判明した。
レーダーによると、地球の公転を追いかけるような方向から天体が接近し、インド洋上空で 爆発していた。アメリカ国防総省がこの発表を行った12月26日の時点で、「花火説」は 完全に影を潜めた。
26日の発表によると、 赤外線放射から求められた全放射エネルギーは 10の23乗ジュール(TNT火薬2000万メガトン)と計算され、 石質天体と仮定した場合の直径は8㎞と見積もられた。
もし大気圏外で爆発していなければ、インド洋の海底には直径49km、 深さ17kmのクレーターができたはずで、恐竜絶滅時のような地球規模の被害が再現した可能性があったと、 国際天文学連合、太陽系小天体監視委員会議長のアンドレイ・ベローフは、 年が明けた1月4日にコメントを発表した。「可能性」という言葉が使われたのは、事件に対する冷静な対応を望んだため、 と一般的には解釈されたが、ベローフ本人を含め委員会のメンバー全員が、天体規模の見積もりに疑問を感じていたからだった。
8㎞もある天体が、地球公転軌道にある天文台2カ所を含む天体監視網をこれまで逃れていたことなど、 可能性のあるいかなる軌道を想定しても考えられなかった。天体監視網見直しの声もでる中、 事態を重く見たベローフは、国連、宇宙空間平和利用委員会のマリー・メイアーズとも連絡をとり、 DOD-4013 がなぜ事前検出できなかったのかを調査する特別チームの編成に着手した。
地上・船舶から撮影された巨大な花火のような光景とともに、 宇宙ステーションUN9のカメラからの映像や、4カ所の月面基地からの自動カメラがとらえた映像が次々に放送、電子メディアに公開されていた。当時、月から見た地球は太陽に近かったため、 自動カメラだけが夜の地球上空で起こった巨大閃光をとらえていた。
事件から20日後、国連月行政センターから発表された報告によると、 当時、衝突天体の破片と見られる物体が月の「嵐の大洋」にある 「アリスタルコス」付近にも落下していたことがわかった。遠隔カメラと月震計から送られるデータから、閃光と震動が確認されたのである。
報道資料として添付された報告書によると「月面衝突イベント時刻は、地球上空の爆発より2秒早く、この事実から、破片の分離が 地球到達以前であったと推定される」とされている。つまり、地球に達するかなりまえに分離した破片が、 たまたま月面にも衝突したらしい、ということである。
衝突物体の痕跡を調べるため、1月下旬には「雨の海」にある虹の入江基地から「アリスタルコス」に調査班が派遣されることになった。
年末以降のニュース番組では、いずれも「宇宙の巨大花火」(花火説がなくなったあとも、 この表現がしばしば使われていた)が取り上げられ、専門家を招いてさまざまな解釈が試みられたが、 なぜ大気圏外で大爆発したのか、なぜこのようなサイズの天体がこれまで発見されなかったのか、この2点について核心に迫る議論はついに現れなかった。
1月23日、ベローフらの「DOD-4013調査チーム」が活動を開始した。
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