第5話 TLP
1957年10月4日、アメリカ合衆国は大きな転機を迎える。
世界時19時12分、R-7大陸間弾道ミサイルが極秘裏にバイコヌール基地から飛び立った。その100分後には、直径58cm,重さ83.6kg のアルミニウム球がアンテナから電波信号を繰り返し発しながら、打ち上げ地上空を通過した。その知らせはモスクワ放送を通じ、数分後には全世界に転電された。
人工衛星「スプートニク1号」がロシア(当時のソ連)の手によって打ち上げられた。人間の作った物体が「月」のように地球を周回するという人類初の偉業であった。
1952年、国際学術連合会議(ICSU)は、太陽活動の極大が予想される1957年7月1日から1958年末までを「国際地球物理年」(IGY)と定め、地球大気、重力場、磁気圏など地球物理に関するさまざまな観測活動を呼びかけた。アメリカは上層大気の観測のため人工衛星の開発に着手したが、スプートニク打ち上げによってソ連に先を越されただけでなく、 アメリカの技術的、軍事的、政治的優位性が大きく揺さぶられたのであった。
世界中の人々が夜空を横切るスプートニクをひとめ見ようと、屋根に上り、公園に集まった。
それは、本格的な宇宙時代の幕開けとなると同時に、米ソ冷戦の真っただなかでの出来事であっただけにアメリカが受けた衝撃はただならぬものであった。ソ連の共産党機関紙「プラウダ」には「打ち上げ」の控えめな賛辞が出ただけだったが、ニューヨークタイムズは 「科学的成果であると同時に世界最大のプロバガンダである」との社説を掲載した。
米ソの宇宙開発競争の幕が切って落とされた。
1958年3月、第34代の合衆国大統領アイゼンハウワーは、月探査を目標に掲げ、幾つもの連邦機関や民間企業が計画に参加していった。
月探査計画を進める上で、技術者たちが懸念していた事項に「月の大気」という問題があった。探査機が月を周回する際、月に大気があれば大気の影響が及ばない高度に軌道を設定しなければならない。希薄ながらも大気があるのなら、その中を通過すればたちまち月に落下していくからだ。
月面の明暗境界線の鮮明さや、 恒星の手前を月が横切る現象の際、恒星の光が一瞬にして失われることから、 ほとんどの天文学者は月に大気はない、と考えていた。月面での重力が大気を保持するには弱すぎることもその理由だった。
スプートニク打ち上げから1年が経ち、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンの向こう側から、再びアメリカの科学者を驚かせるような発見が伝えられることになる。
1950年代、アメリカのグリフィス天文台台長ディンズモー・オールターは、同じカリフォルニアにあるウィルソン山天文台の口径1.52m望遠鏡を使い、長波長(赤外)と短波長の2種類で月面写真を撮っていた。彼は月内部からのガス放出を検出しようとしていたのだ。ガスが発生すれば、短波長の光がガスによって強く散乱されるはずだった。
1956年10月26日はとりわけ大気の安定した夜だった。オールターはアルフォンスス・クレーターに望遠鏡を向け撮影を行った。すると、赤外画像では鮮明に細部が写っていたクレーター内が短波長では不鮮明になっていたように思えたという。しかし、それは他人が見てもわかるようなものではなく、かなり主観的な見方だったようだ。その観測がすっかり忘れ去られた頃、 黒海に突き出たクリミア半島の先端近く、バーハチサーライ市の南東15km、海抜600mにあるクリミア天体物理観測所に、オールターに触発された天文学者がいた。
紅葉が眩しい深い森に包まれたその観測所では、 1958年11月3日月曜の夜、まもなく下弦になろうという月に口径1.25m反射望遠鏡が向けられていた。プルコヴァ天文台所属のニコライ・アレクサンドロヴィッチ・コジレフは、アルフォンスス・クレーターのスペクトル観測をその秋から定期的に行っていたのだ。
彼は、30分の乾板露光時間の間、クレーターの中央部(そこには中央丘と呼ばれる凸型地形がある)がいつもより明るく白く輝いていることに気づいた。しかし、1分と経たぬうちに通常の明るさに戻ったため、彼は直ちに露光をうち切り、別の写真乾板を入れ、スペクトルの撮影を行った。乾板を現像してみると、初めの乾板には炭素分子の発する波長4737オングストロームの輝線が記録されていたのである。2番目の乾板にはそれは写っていなかった。
レニングラードに近いプルコヴァ天文台では記者会見が開かれた。「アルフォンスス・クレーターの噴火を観測」との記事を読み衝撃を受けたアメリカの天文学者はなんとか詳細を知ろうと、コジレフに接触を試みる。冷戦下の米ソ間で科学者に直接連絡を取ることは不可能に近いことだった。
そこで、当時イギリスにいたチェコの天文学者ズデニェック・コウパックがプルコヴァ天文台台長アレクサンドル・ミハイロフに電話連絡をとり、その内容が西側に報告されたのである。
1905年、オランダに生まれたジェラルド・ピーター・カイパーは、天文学を1920年代終わりに同国ライデン大学で学んだ後、1933年にはアメリカに移り、カリフォルニアのリック天文台に勤める。ハーヴァード大学に着任するが、まもなくテキサス州のマクドナルド天文台台員となる。
それ以降の彼は、専ら太陽系天文学に取り組みことになる。1944年、口径2.1m望遠鏡でのスペクトル観測から、土星の衛星チタン(タイタン)にメタンに富む大気が存在することを明らかにした。
1959年1月、天文誌編集者を通じてコジレフが撮影したスペクトル写真の焼き増しを入手した カイパーは、早速マクドナルド天文台の2.1m望遠鏡でアルフォンスス・クレーターのスペクトル写真を25回も撮影してコジレフの写真と比較した。それでもコジレフの写真に問題の輝線が本当に写っているのかカイパーは確信が持てなかった。撮影乾板を見なければはっきりした結論が出せないと彼は感じたが、「鉄のカーテン」という敷居はあまりに高かった。1958年のモスクワにおける国際天文学連合総会に彼は出席したものの、近郊の天文台に行くこともソ連の天文学者と個人的に接触することも叶わなかった。
1959年10月23日は、1年前とほぼ同様な日照条件で月面が観測される夜だった。コジレフはこのときも観測を行ったが、クレーターの外見に異常は見られなかった。ところが、スペクトルの帯のうち、黄色とオレンジの間にあたる領域で、わずかにコントラストの増加が認められたというのである。彼は1000℃近い溶岩の熱によるものだと解釈した。
コジレフのこの2度目の観測に対しては、半信半疑で受け取る向きが多かった。また、彼による金星、土星、水星に関するスペクトル観測については、結局批判に耐える内容ではなかったことも、月のスペクトルに対する信憑性に影響を与えていたのである。
米ソの対立は1960年代初めのベルリン危機やキューバ危機で頂点に達し、核戦争直前にまで進んだ。しかし、同時に核戦争回避の努力が、緊張緩和政策を生み出すことになった。
1960年12月にはプルコヴァ天文台台長アレクサンドル・ミハイロフが、国際天文学連合の月委員会をレニングラードで開催することを提案し、カイパーもこれに出席することになった。発表にはコジレフの観測に関するものもあり、レニングラードのカリンヤクとカミオンコらは、 撮影乾板を測定器にかけた結果、スペクトルには確かに輝線が写っていることを確信したという。ただ、炭素ガスは高温ではなく低温であるというのが彼ら独自の解釈であった。
レニングラードでは、もはやどこに行くにも制限はなくなり、天文学者の仕事場や家庭にも自由に訪問することができた。カイパー自身も個人的に乾板を調査する機会を得たが、疑いもなくあれは本物だった、と述べている。
月面に、突如として赤やピンク色、あるいは色彩が明瞭でない光点が現れたり、霧のようなものが現れたりするという現象は、 紀元557年の記録までさかのぼることができ、以来2千をこえる膨大な数の報告がある。これらは、一括してTLP、 一時的な月面現象(Transient Lunar Phenomena)と呼ばれている。
だが、その圧倒的多くが、太陽光の照射角度によって月面地形が明るく見えたり、色彩が明瞭にみえたり、あるいは、地球大気による屈折や望遠鏡の性能により地形に色がついて見えたという「見かけの現象」と考えられている。それでも、なかにはプロによる観測や、写真に記録された現象が存在する。最も有名なTLPの例が、ニコライ・コジレフが1958年に観測したものだった。
プロの天文学者による注目すべきTLPが、1963年10月30日、アメリカで観測された。その夜、アリゾナのローウェル天文台ではジェームズ・グレーンエイカーとエドワード・バーが 口径61cm望遠鏡でアリスタルコスやヘロドトスといったクレーター、さらに付近にある「シュレーターの谷」を観測していた。彼らは、空軍が製作していた月面図の校正刷りの確認のため、クレーター内部を調べていたのだった。
まずいことに、月はまだ地平線から25度しか昇っておらず、大気の影響で像はかなり揺らいでいたが、数分も経つと像はだいぶマシになった。
異変に最初に気づいたのはグレーンエイカーだった。「シュレーターの谷」の南の端は コブラの頭部のような形状をしていたため、月面観測者からは「コブラ・ヘッド」とよばれていたが、「コブラ・ヘッド」の南西側にあるドーム地形が赤くなっていたのだ。
ほぼ同時に、「シュレーターの谷」に近い山頂も同じ色に染まっていた。2分と経たぬうちにこれらの色は極めて鮮明になった。25分後には、そこから60kmほど離れたアリスタルコス・クレーターで異変が生じた。クレーターの縁に沿うように長細いピンク色のすじが現れた。さきの2カ所のように輝くような印象はなかった。
さらに5分とたたぬうちに、これら3カ所がいずれもルビーに変身したかのような赤色に変わった。試しに、望遠鏡に並行して付いている15cm口径のファインダーを覗いたが、これらの現象はまったく見えなかった。
ところが、突如として色はあせ始め、10分もしないうちにすべてがもとの状態にもどった。まるで何も無かったかのごとく。
残念ながら、このグレーンエイカーらが目撃した現象は、大気差、つまり大気層がプリズムの役割をしたことで容易に説明できた。地平線から25度しか昇っていない月を見ていたため、その光は長い大気層を通ってきたのだ。赤い光と青の光は異なる屈折率で大気層を進むために分離してしまう。青い光のほうは大気中で散乱しやすく大気を通過する間に弱まっていた。大気の揺らめきが「輝く」ような光を作り出していたのだ。1ヶ月後の同じ月齢の夜、グレーンエイカーらは同じ現象を目撃することができた。
NASAが資金提供を行ったプロジェクトも進行していた。その結果として1968年にNASAの報告書として刊行されたのが「年代順月面現象報告集」(Chronological Catalog of Reported Lunar Events)である。579件の現象が収められたこの文献は、権威あるものとして受け入れるにはいささか疑問がある。編者らは単なる報告集ではなく、できるだけ「見かけの現象」を取り除いた、としているが大気差の影響については説明がない。しかも除外された例がたった6件だという。
さらに、ひとりの観測者からの報告が108件もある。実に5件に1件の割合になる。バルティモアの医師、ジェイムズ・バートレットがその人であるが、口径10cmクラスの望遠鏡で繰り返し、アリスタルコス・クレーターの内部や周囲に「青色や紫の輝き」を見ている。
アリスタルコスは月面でも特に明るく見える地形であるため、大気差による色の影響が出やすいのである。579件の報告のうち、実に4割近い224件がアリスタルコスで起こっている。一度TLPが観測されると、多くの観測者が望遠鏡をそこに向けたがる傾向も考慮すべきだろう。
一方、明確な説明が難しいTLP観測が存在していたことも事実である。その正体を明らかにするため、1964年には NASAの科学者であるジェラルド・ガターが、 全米のアマチュア天文家やアマチュア無線家に参加を呼びかけ、TLP観測網を組織した。ギリシャ神話に登場する百の眼をもつ生き物の名から「アルゴス・アストロネット」と名づけられた。
1965年には、参加者による無線交信はニューメキシコ州、ラス・クルーセス近郊にNASAが建設したコラーリトス天文台 でモニターされ、TLPの記録がとられることになった。天文台の主力機器は、テレビカメラ付きの口径60cm望遠鏡だった。電動操作で色フィルターを交換しながら観測ができるようになっていた。
火山活動など赤外線を発する地形を検出しやすいよう、赤外フィルターを付けた口径15cm望遠鏡も併設されていた。ノースウェスタン大学が運営を任されていたが、オペレーターは望遠鏡の下に ある空調の効いた部屋でモニター画面の監視を行っていた。
こうして1968年までに3000時間近い監視記録がとられた。その年、ノースウェスタン大学天文学部の部長アレン・ハイネックは 月面上で発生した現象を検出することはできなかった、と報告した。
アポロ計画(1963~1972年)が終わる頃には、天文学者らの間には、月の火山活動は数億年前に終焉を迎えた、という共通合意が形成されていた。
しかし、見落としがあった。
1971年、アポロ15号はアリスタルコスの上空110kmを通過したが、まさにそのとき、搭載されていたアルファ粒子検出器の値が跳ね上がり、ラドン222のガスが異常なほど多いことが検出されたのだった。
アレン・ハイネックは、1952年から着手された空軍の「プロジェクト・ブルー・ブック」(1969年に終了.未確認飛行物体の調査計画)に科学顧問として参加していたが、そのときの経験から 「証拠が存在しないことが、存在しない証拠とは言えない」ことを痛感していた。
そして、クレメンタイン探査機が2ヶ月にわたり月面の撮影を200万枚以上行った1994年。 ついに月周回軌道上からもアリスタルコスの色彩変化が観測されたのである。1994年4月23日、アマチュア天文家がアリスタリコス台地が「かすんでいる」ことに気づいた。
そして、クレメンタインが同地域を撮影した3月3日と4月27日の画像を比較した結果、わずかに色彩が変化していることが判明したのである。
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