【第10話】送っていくよ
エルミーを見送ってから、俺はいそいそと自分の部屋へ向かった。
その途中、母親の衣装棚からこっそり黒いワンピースを拝借するのを忘れずに。
以前、コトネに貸したことのある、あの服だ。
俺のベッドの上では、毛布を体に巻きつけたコトネが、俺の使い古しのラケットを眺めていた。
ふつうの女の子なら、ここで「モテモテね」とかイヤミをいったり、「あの子のこと、どう思ってるの?」とか聞いてくるところだと思うが、コトネは違っていた。
エルミーのことになど興味がないのか、ラケットを無心に見つめている。
「それは今まで俺が使ってたラケット」
「かなり古そうだけど、きちんと手入れがしてある」
「まあね。うちは貧乏だし、おいそれと新しいラケットは買ってもらえないからね」
「カスタマイズしていないのは、なぜ?」
「カスタマイズ? ああ、鉛の板を貼ったりして、自分に合うようにラケットのバランスを変えるってやつ?」
「そう。ほとんどの人がやっている」
「俺はそういうの、興味ないんだ」
「なぜ? ちゃんとカスタマイズすれば、確実に勝率が上がる」
「そこまでして勝ちたいとは思わないからね。どこまでいっても結局、俺にとってトゥーネスは遊びにすぎないんだ。グロワール高校に入って、それがはっきりわかったんだ」
「……そう」
いつも無表情なコトネが、珍しく微笑んだ。
この顔は……ああ、そうだ。
彼女と初めて出会ったあの夜も、コトネは同じ表情をしたっけ。
その顔があまりにも可愛らしいので、俺のほうも、ついつい微笑んでしまった。
すると、コトネはもとの無表情に戻った。
「なに?」
「いや、なんでも──」
きみの微笑みが可愛かったから──なんて、いえるわけがない。
「──それより、もうそろそろ親が帰ってくる時間だ」
「そうね。それ、貸してもらえる?」
「ああ、忘れてた。ごめん!」
俺はずっと手に持ったままだった黒いワンピースを彼女に渡して部屋を出た。
しばらくすると、コトネが部屋から出てきた。
あいかわらずワンピースが似合っている。
「帰る」
「うん。靴は俺のお古でいいかな」
「ありがと」
もう捨てようと思っていた古い靴を貸してやると、コトネはそれをはいて帰っていった。
小柄なコトネがはくと、長靴みたいだった。
だが何よりもドキドキしたのは、靴をはくときスカートの中が見えそうになったことだった。
なにしろ今の彼女は下着をつけていないのだから。
彼女の家は裏山の向こう側にあるらしい。
この時間だと山道は無理だから、迂回して帰るしかないだろう。
いずれにせよ、危険な夜道であることに違いはない。
おまけにコトネは今、薄手のワンピース1枚しか身にまとっていないのだ。
俺はようやくそれに気づいて、彼女を追いかけた。
「ごめん、気がきかなくて。送っていくよ」
「大丈夫」
「いや、危ないって。きみがイヤだっていっても、送っていくからな」
「好きにすればいい」
1時間弱ほど歩いただろうか。
裏山を迂回して2人で歩いていると、民家の明かりがちらほらと見えてきた。
「コトネの家は、ここから近いの?」
「うん」
「じゃあ、俺は帰るな」
「そう。さよなら」
「また明日な!」
ここまで来たなら、ちゃんと家の前まで送ってあげるべきだという意見もあると思うが、俺にはできなかった。
彼女の住所を把握したり、家に上がらせてもらったりするのが目的だと思われたくなかったのだ。
俺は1人、来た道をそのままたどって帰宅した。
試合のあと、いろいろあったので忘れていたが、明日はエルヴノラオープンの2日目、つまり最終日だ。
どこまで勝ち上がれるかはわからないが、不思議なラケット──コトネとのコンビで、どこまでいけるのか、試してみよう。
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