第12話 婚約者との諍い①
今日は昔を思い出すような出来事もあり、アディリアにとってそこそこ大変な一日ではあった。
(まぁ、ルカ様とアーロンの密会現場にうっかり踏み込んだ時や、アーロンとの諍いを思えば大したことじゃない。可愛い子犬がキャンキャン吠えているようなものよね。なんだか私も図太くなったなぁ。喜ぶべきだろうか?)
アディリアにとって、エルシーナとの出来事はその程度のものだ。できれば無かったことにしたい。
だから、夕食後の勉強に集中したい時間に、メインイベントが待っているとは予想外だった。
兄の部屋で集中して問題集を解いているアディリアに、家令から耳を疑う言葉が告げられる。
「ルカーシュ様がいらっしゃいました。サロンにお通ししております」
ペンを握ったまま、みるみる顔色が失われていくアディリアは、「……今、行くわ」と息を吐き出すように力なく答えた。
ルカーシュと会うには、まだ心の準備ができていない。
いや、心だけではなく身体も準備ができていない。
その証拠に、動悸は速いのに血の気は引いていく。立ち上がらなくちゃと思うのに、身体が重くて動かないのだ。
そんな悲痛な妹を見ていたエリオットは苦い顔で「私も同席しよう」と言ってくれた。
アディリアの頭にポンと手をのせた。
それはとてもありがたい申し出で、温かいエリオットの手に縋り付きたい。だが、アディリアは疲れ果てた表情で首を横に振った。
(兄様とルカ様は、いずれフォワダム家とロレドスタ家の当主となる。手を取り合っていく必要がある二人に、私のせいで溝を作りたくない)
もちろんエリオットはアディリアの気持ちには気づいている。だからこそ一人で向かわせる気はない。
「何も言わない。ただリアの隣に座っているだけだ」
アディリアを安心させるために笑顔を見せたエリオットだったが、内心はこんなにも妹を落ち込ませるルカーシュに対する怒りが収まるはずがない。
アディリアの母は可愛らしいものが好きだ。色もシックよりパステルを好む。しかし、ここは由緒正しき侯爵家。人が集まるサロンがピンクまみれという訳にはいかない。
白い家具を基調にしながらも、茶色の革張りのソファや、紺に銀糸の刺繍が施されたカーテン等で引き締められている。
サロンでは仕事帰りで少しくたびれたルカーシュがソファに座り、そわそわした様子で待っていた。
アディリアがサロンに入ると、ソファから立ち上がり駆け寄ってくる。
いつもだったら笑顔を見せるアディリアが引き攣った顔をしているし、二人の間にエリオットが入り込んできた。
三人ともいつもと異なるピリリとした空気が、サロンに立ち込める。
自分の邪魔をするエリオットの行動に、ルカーシュは眉を上げ不満げに睨んだ。
そんな視線は瞬き一つで払い落としたエリオットは、アディリアを背中に隠したまま淡々とした声で「座ろう」と言ってソファに向かう。
ルカーシュは何か言いたそうにしていたが、アディリアもエリオットに続いたので渋々ソファに座った。
ルカーシュはアディリアと向かい合って座るも、絨毯に視線を落としているアディリアと全く目を合わせることができない。
いつもだったら満面の笑みで自分を迎えてくれるアディリアの表情が暗く硬い。明らかに歓迎されていないと分かる態度に、思い当たることがあり過ぎるルカーシュの気持ちが焦る。
そんな中、エリオットに「何しに来たんだ?」と突き放されるように聞かれ、ルカーシュは視線を合わせてくれないアディリアに尋ねる。
「サイラス公爵令嬢がリアに暴言を吐いたと聞いて、居ても立ってもいられず確認しにきたんだ」
特に何の報告も受けていないエリオットは、不機嫌な低い声で「暴言?」と呟くと、やっぱりアディリアに確認を求める。
今回のことは無かったことにしたいアディリアは、エルシーナの件を家族に報告する気は全くなかった。
噂だけなら適当に誤魔化そうと思っていたのに、まさかルカーシュが聞きつけてくるとは……。想定外だ。
(もしかして、アーロン? あいつは、本当にトラブルメーカーだな!)
二人からの圧を感じ、アディリアは困った。エルシーナのためにも、騒ぎ立てたくないのだ。
アディリアは二人の圧を受け流し、「友人同士の些細な諍いです」と言って微笑んだ。
「いや、サイラス公爵令嬢はリアを散々侮辱した挙句、私との婚約を解消しろと言ってきたと聞いた。これは些細な諍いではないよね? リア。辛かっただろう? 我慢しなくていいんだ」
「我慢なんてしていません!」
珍しく尖った声を出したアディリアに、ルカーシュもエリオットも驚いている。
エルシーナのしたことなど、ルカーシュがアディリアにしている仕打ちからすれば些細なことだ。
「エルシーナ様は、わたくしがルカーシュ様に相応しくないことを指摘して下さったのです。実際にわたくしはロレドスタ侯爵夫人になるには力不足ですので、当たり前の意見を頂戴しただけです」
「そんなことはない。リアは良くやってくれている。私の可愛いリアを傷つけるなんて許せることではない。サイラス公爵家には我が家から厳重に抗議するから、リアは安心していいよ」
手回しがいいことに、既に今日の出来事を事細かに調べ上げているのだろう。ルカーシュはアディリアを安心させるために、見惚れるほどの美しい笑顔を向けた。
しかし、アディリアは黙って首を横に振った。
いつもだったら大喜びで自分の胸に飛び込んでくるはずのアディリアの表情は、変わらずに暗い。
そんな態度を取られると思っていなかったルカーシュの眉は下がっていく。
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