第5話 最強のお飾りの妻になるための努力
「お嬢様、昨夜は寝付けませんでしたか?」
「えっ?」
「クマが酷いですし、お肌もカサカサですし、目も充血しています」
「……それは、最悪のコンディションね……」
侍女のマリーが言う通り、昨晩アディリアは眠れなかった。目を閉じると、昨日のピンクな光景が瞼の裏に蘇るからだ。
枕に向かって声にならない声を叫び続け、気がつけば朝日が昇っていた。
「今日は特にご予定はありませんが、どうされますか?」
「朝食の前に、兄様の部屋に行くわ。お願いしたいことがあるの。朝食後は、姉様の所に向かうからよろしくね」
アディリアの言葉を受けたマリーは準備を始める。おそらくフェリーナの好きなお菓子の調達に向かってくれたはずだ。
「アディリアです」
部屋の扉をノックしてそう言ったアディリアは、もちろん兄からの返事を待った。
さすがのアディリアも学習した。もう二度と返事を待たずに勝手に扉を開けたりしない。
暫くすると兄であるエリオット自ら扉を開けて、「リアが私を訪ねてくるなんて珍しいな」と凛々しい笑顔を見せてくれた。
相変わらずエリオットの部屋は本と資料で溢れている。
建国以来の秀才と呼ばれたエリオットは、本来であれば数学の研究者になりたかった。
しかし、そこは由緒あるフォワダム侯爵家の嫡男。夢は趣味にとどめ、後を継ぐべく財務大臣(父親)の補佐官をしている。
エリオットが『数学の謎』と呼ぶ何かを解くための走り書きを手に取り、アディリアはひらめいた落書きを残しておいた……。
「兄様にお願いがあります」
「俺に? 本当に珍しいな。お願いはルカーシュにしないと、機嫌を損ねるぞ?」
(不思議。昨日までは嬉しい言葉だったはずなのに、今は一番聞きたくない言葉)
「お兄様が適任なの。私、今更だけど、勉強をしようと思うの」
「リアが、勉強? 何の?」
「目標としては、ロイズデン王立学院を首席で卒業できる程度の学力を身に付け……」
話し途中のアディリアの目の前に、机の上に置かれていた本や書類が雪崩れてきた。
アディリアの言葉に驚いたエリオットが、ジェンガのような塔にぶつかってしまったからだ。
動揺しているエリオットは自分が雪崩を起こしたことにも気づかずに、アディリアがおかしくなったのではと心配して顔を覗き込む。
過剰に見えるがエリオットの反応が、世間一般的な反応だろう。
アディリアの勉強と言えば、もっぱら試験の前の一夜漬けのみ。それもルカーシュが素晴らしい予想問題を作り、つきっきりで教えてくれて平均ギリギリだ。
そんな「勉強なんて私には必要ないの!」と言い切ってきたアディリアが、こともあろうにフェリーナでさえ成し遂げられなかった首席卒業をすると言っているのだ。
エリオットからすれば、アディリアのご乱心としか思えないほど、正気の沙汰ではない。
顔面を蒼白にしたエリオットが、アディリアの真意を測りかねているのも当然の反応だ。
「頭は狂ってません。私は真面目にお願いしているの!」
アディリアはできる限りの真剣な表情を向けるが、今まで積み重ねてきた愚行のせいでエリオットからの信頼はすこぶる低い。
「兄様も知っての通り、馬鹿でマナーもなっていない私は、ロレドスタ侯爵夫人に相応しくない。このままいくと、病気療養と偽って領地に閉じ込められると思うの。でも、それでは余計に事態をこじらせ、ルカ様の足を引っ張るだけ。私なりに力をつけて、ロレドスタ侯爵夫人として恥ずかしくない振る舞いができるようになりたい。私が存在する意味を失いたくない!」
アディリアの力説に、エリオットは目を丸くした。
お気楽に幸せなことだけを見ていた妹が、急に現実を見始めたのだから、きっかけがあると思うのは当然だ。
「何があった? ルカーシュに何か言われたのか?」
「……あ、いや、別に……。ルカ様に何かを、言われた訳では……」
明らかに怪しい……。何かありましたと言っているようなものだ。
エリオットは、ついにこの日が来てしまったのだと天を仰いだ。
エリオットの不審な目を振り切ったアディリアは、必死に自分の気持ちを伝える。
「ただ、このままルカ様に頼り切って何もできない私から生まれ変わりたいの!」
エリオットは頭を抱えると、深くため息を吐いた。
「遂にリアも今までルカーシュにどんな仕打ちを受けてきたのか……、知ってしまったのだな……」
急に疲れた顔を向けるエリオットに、アディリアは小さくうなずいた。
(兄様も知っていたのか……。今までどうして教えてくれな……、教えるわけないか。教えてもらったところで、この目で見るまで信じれれなかったと思う……)
「知ったのに、婚約破棄をしないのか?」
「まだ、分からない……。正直に言って、今はまだ現実を受け止めきれてない……。だけど、知ってしまった今も、私は馬鹿だから、ルカ様を慕う気持ちは変わらないんだ」
「事実を知って、慕うって……。理解できない! 今までの月日だって取り返しがつかないのに、これからもあいつに人生を支配されるということなんだぞ!」
きつい見た目に反して穏やかな性格のエリオットが、顔を歪めて声を荒げるなんて、今までだって数えるほどしかない。
(そうよね、兄様が怒るのも無理はない。私だって自分が馬鹿なことをしていると思う……)
「本当にまだ気持ちの整理がついていないのだけど、ルカ様の側を離れたくない。だって、こんな事情をフォローできるのは私しかいない。私が少しでも賢くなって、隙を与えなければ何とかなると思う。お願いします、兄様、必死に頑張るから私を助けて!」
アディリアの思いが理解できないエリオットは、額に手を置いたままよろけた。
子供の頃からルカーシュ一筋の妹を見てきたが、この状況でも気持ちを貫けるとは……。
非常に不本意だが、必死に努力しようとするアディリアを拒むことなどエリオットにはできない。
「……リア、頭を上げなさい」
エリオットの手が肩に置かれた。アディリアは、祈る思いでゆっくりと顔を上げる。恐る恐る見たエリオットは、当然苦悶の表情だ。
「俺としては、今すぐに婚約を解消して欲しい。でも、リアの人生だから、リアの意見を尊重したい。あいつに嫁ぐのであれば、リアの言う通り『隙を見せない』ことが一番重要だ。だから俺の持つ力の全てを使って、勉強を教えよう」
アディリアは喜びのあまり「兄様、ありがとう」とエリオットめがけて飛び付いた。
苦しそうに顔を歪めたエリオットは、一つ条件を出した。
「婚約解消も視野に入れるんだ。リアは猪突猛進で、周りが見えなくなる。ルカーシュを助けられるのは、本当にリアだけなのか? この状況にリアは耐えられるのか? リアが側にいることで、事態を悪化させないか? リアには厳しい話だが、もっとよく考えてみて欲しい」
エリオットの言う通りだと納得したアディリアは、静かにうなずいた。
エリオットの言いたいことは、アディリアだって分かっている。下心なしにルカーシュを支えるお飾りの妻を演じられるのが自分だけだという主張は、ルカーシュの側を離れたくない言い訳だ。
結局はどんな手を使っても、今まで通りルカーシュの側にいようと必死なだけだ。
だが、この「今まで通り」は、既に無理な話だ。
だって、アディリアは知っているのだから……。
ルカーシュが第四王子を愛していて、アディリアを愛する日は永遠に訪れないことを。
(ルカーシュ様の好みのタイプが第四王子かぁ。私とはかけ離れ過ぎてるな……)
キリッとした切れ長の青い瞳が象徴となっている、芸術的に整ったクールな顔立ち。あの冷たい表情から自分にだけ甘い表情になるのが、きっとルカーシュの心をくすぐるのだろう。
背の高いルカーシュよりも高い身長。ムキムキという訳ではないけど、程よく鍛えられた身体、割れた腹筋。
アディリアとは違い過ぎる……。
エメラルドグリーンの丸く垂れた大きい目に、低くはない鼻に小さくふっくらした唇。明らかに美人よりは可愛い寄りだし、クールより癒しの成分が強い。
いつも馬鹿みたいに笑っているから、見た目通りの可愛いだけの馬鹿でギャップはゼロ。
ルカーシュの頭一個分は小さい身体。出る所は出てるから胸は大きいが、もちろん筋肉ではなく脂肪の塊。
(正反対じゃん、私……。ルカ様の理想と、真逆じゃないか! チーターとか獰猛でしなやかな大型ネコ科動物を連想する人に対して、私は自衛もできない小動物ですよ……。比べちゃ駄目なやつだよ……)
◆◆◆◆◆◆
本日二話目の投稿です。
読んでいただき、ありがとうございました。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます