34.おわり

 部屋に満ちる秒針の音は、やっぱりくるってた。一定のリズムじゃなくなってた。いつものでもない、知らない音だ。何となく、心の中がにじみ出てるみたいだった。

 ばたばたあばれるチョウを見た。あのチョウは自分と愛する人のために、他のヒトの全部を吸い取った。でも今じゃまるで、クモの巣にからまったみたいだった。

 焦げるようなにおいを感じて足元に目を向けると、溶けてどろどろになったロウを見つけた。それは、キョウキテキな愛を見えるようにしたみたいだった。

 じゃあおれは? おれはどうなんだろう。何もできなくて、ただ立ってることすらできなくなってて、それでおれは何に見える? どうなってる?

 息が苦しい、吐くことばっかりで吸えなくなってくる。胸をおさえて、のどをつぶすみたいに力を入れて、その場に座りこむ。もう無理だった。顔を上げてるのも限界で、たれたかみのスキマから目を向けることしかできなかった。

 クロックがパイプをふり上げるのが見える。クロックからのこうげきを、その後にある死をカクゴしてうでを上げてるユリシス。おれは右手にある武器を見て……でも投げる力なんてとっくになくなってた。手がふるえる。こうげきするどころか、万年筆はその場にころんと落ちた。

 ぐらぐらして、ふらふらして、脳がおかしくなる。視界にノイズが走る。目の前にあの日の光景がフラッシュバックする。

 ――天井からつり下がってる真っ赤なドレス。気持ち悪いくらい、足だけが白い。ぽと、ぽとん。ふたつのバラが落ちてくる。目だけ上に向ければ、みっつのバラの花と、首にまわった太いなわ。上は果てしなく黒が続いてる。じりじり音が聞こえて、ぶちっ、ってなわが切れた。ばん、ローザが落ちてそこに転がる。

 ――いや、ローザじゃない。いつの間にか着てるものが変わって、灰色のロングブーツに暗い緑色のロングコート。首元からはおれと同じような首がのびて、おれに似た顔が……あるとは言えないのかもしれない。だって何もわからないくらいぐちゃぐちゃにされてるから。それはたぶんさっき一階で見たジルケで、母さんだったものだ。そいつはぎょろっとこっちを見て、しゃべった。

『ユウくん、きみはぼくみたいになっちゃダメだよ』

 ドン! その大きな音ではっとした。かえってきた。胃の中からゼツボウがこみ上げてきて、口から出てく。せきがおさまってから、音がした方をなみだ目で見る。

 ぐらっとバランスをくずしたクロックと、その前にはテッポウの口。それは下からのびてきて、クロックの胸のあたりを指してた。それから――音がない。

 全身の力が全部抜けきったみたいにクロックは後ろにたおれて、テッポウを使ってつかれきったのかケルツェも力をなくしてうつぶせになった。ユリシスは立ってられなくなったみたいで、その場にすとんと落ちて泣き始めて、おれは……おれはずっと自分のことを抱きしめるしかできなかった。

 おれの背中、ドアの方からどたどた誰かの走る音が近づいて来る。

「無事かユリシス!」勢いよく開けられたドアから入ってきたのは、村長だった。「っ! こんな……っ、何があった……」

 村長はこの悲劇の舞台を、重たそうに足を引きずりながら横切る。おれを一瞬だけ見て、悲しそうにひとつぶ水が落ちたのは見間ちがいだったかな、それとも。

「ぁあ、ぁ、あああぁ」ユリシスはまともに会話できる状態じゃなかった。「ううぅ……じ、ちちうえ、っ、じる、じるけ……」

 村長だって一階にあった母さんの死体を見たはずだ。もしかしたらそれで全部わかってるのかもしれない。ポケットから機械じかけの箱を取り出して、誰かと交信してる。医者がなんとかとか、誰それを呼べとか、そんなことをしゃべってたと思う。うまく呼吸ができなくて、頭に酸素が足りてないみたいだ。考えるのがむずかしい。

 泣きじゃくるユリシスのそばについて背中をさすっている村長を見ると、家族ってそういうものなんだって感じた。本当だったらここでおれの背中をなでてくれたのはクロックだったはずなのに。それともローザかな、いや、母さんかもしれない。でも、おれのそばには誰もいない。おれはひとりなんだった。

 部屋にいろんなヒトが入ってくる。白衣を着たヒト、軍服にテッポウを背負ったヒト、テジョウを持ったヒト。村長と軍服がユリシスを外に連れ出して、おんぶでケルツェも部屋から出されて。そのとき少し動いたように見えたから、ケルツェは無事だったのかも――あぁいや、これを無事って言えるならの話だけど。

 でも、こんなときでもみんなは、おれのことは見ないフリだった。周りにいろんなヒトがいるのに、おれはやっぱり置いてけぼりだった。

 軍服のひとりがクロックのそばにしゃがみこんで、手首をさわってる。それから首を横にふって、ふたりがかりでクロックを持ち上げようとする。

「待ってよ、やだよ」無意識だった。気づいたらおれはそのふたりの足元まではって行って、クロックを抱きしめてた。「まだ話したいことがあるんだから」

 部屋からみんなが出てく。おれとクロックだけが残った。さっきまであんなに、イヤなくらい秒針の音が聞こえてたのに、今はひとつも聞こえない。

「クロック」呼びかけてみる。足をつっついたり、指をぎゅっとにぎったり、腹に乗ったり。でも何もしてくれない。「おいクロック」

 クロックの腹の上に乗ったまま胸をとんとんたたいてみる。少しずつ力を入れて、痛いくらいにぎって、なぐる。

「なあ、終わったよ? 全部全部、終わったんだよ……?」返事は、ひとつもない。

 目の前がにじんでく。雨が降ったときの窓みたいで、全然クロックが見えない。おれにとってたったひとりの、本物の家族だったのに。

「起きろよ、起きてまた時間ですよって、たくさんおれに文句言ってよ……なあ、どうして何も言わないんだよ、クロック……!」

 たぶん、おれはとっくにわかってたんだ。どうしても欲しかったのは、手に入れたかったのは、この世界でもこの村でも、人間じゃないおれでもなかった。クロックとおれと、ふたりでのあの生活なんだ。もしかしたらそこにはローザもいて、村人にナイショにすることなんてないような、そんな幸せな人生だったかもしれないのに。

 村の全ての蒸気が止まった今、窓の外には初めての「ユキ」が見えた。

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