見えない骨 ~ショキカケンキュウジョ~

みなみつきひ

 美月ののどにかますの骨が刺さって、もう一週間が経っている。あいかわらず唾を飲みこむだけでチクリと痛いし、違和感がある。

「いいかげん、病院行ってきたら」

 電話での母からの一言に、うーんとか、まあとか、気の乗らない返事を続けていたら、母は早々あきらめたようだった。母特有のため息が聞こえる。有音の息のあと、無音の息。

「だって、たかが魚の骨だよ。これで病院行きなんて、時間とお金がもったいない。魚の骨にやられたなんて人類の敗北だわ」

 母にはつい、勝ち気さが倍増してしまう。

「はいはい、みいちゃん、ほんと頑固」

 

 今年で三十四になる美月をまだ子ども扱いする母にむっとしていたら、話題はもう近所の豆腐屋の話になっていた。

「それでね、おじいさん、最近お豆腐づくりの合間に太極拳をはじめたんだって。ほら、お豆腐やさん早起きだから。『太極拳豆腐』って商品つくったらいいのにね。太極拳しながらつくったお豆腐なんて健康になれそうよねえ。はあーって、なんかの気が入ってて。何の気かわかんないけど、お母さん二個買っちゃう。あ、そういえばこの前、そのお豆腐を食べてたらね、お父さんが突然口をもごもごしだしたの。誤嚥かと思って駆けつけたら、手のひらにぽろって。口から吐きだしたもの、何だったと思う? 魚の骨じゃないのよ。なんと、奥歯! 奥歯がぽろっと、とれちゃったの。もうびっくり。その歯が茶色くて、汚くてねえ。でもお父さんけろっとして、ずっと痛かったからやったーって、子どもが乳歯抜けたみたいに喜んでるのよ。みいちゃんは歯が抜けるといつも泣いていたわね。この話まだ続きがあってね」

 

 すでに長いのにまだ続くのか。美月はスピーカーに切りかえ、朝食の準備をはじめた。母がこんなに話すということは、きっと父は不在で、有樹は調子がよくないのだろう。

「ねえ、みいちゃん聞いてる?」

「うん、聞いてるよ」


「それがね、うちのクロちゃん、お父さんの相棒の。もう十三歳の高齢猫よ。お父さんの歯が抜けた翌朝、クロちゃんが突然起きあがってね、口からぽろっと吐きだしたの。リビングの床がカランって。あら何だろって見たら、固くて茶色の固まりなの。お父さんの歯とそっくりでね。猫も歯槽膿漏になるのねえ。ふたりして、ぽろって。おかしいでしょう。そういえば最近、口が臭い気してたのよ。お母さん、クロちゃんがあくびしそうになったら息止めてたから。それでも臭ったわよ」


 チーン、とトースターの音が鳴る。こんがりと焼いた食パンに、はちみつをたっぷりと塗った。

「あ、行かなくちゃ。ごめん、切るね」

「あ、はいはい。忙しい朝にごめんね。のどの骨、とれるといいわね。じゃあね」


 ほぼ毎朝、電話をかけてくる情緒不安定な母。転職の末、早期リタイアをした放浪癖のある父。中学から引きこもる弟。家計はいつもぐらぐらで、学校で必要なものがあるたび美月はひやひやした。


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