赤色パドル

グンジョシキ キレイ

本編


 水たまりは鏡のようだ。僕はいつもその鏡を覗いている。何かを見つけたくて、ずっと中を覗いていた。


 君は誰だ?水たまりの中から覗く瞳。赤いレインコートに、少女の顔。問いかければ消えてしまう。


 雨の日、僕は彼女を追った。映っては消える彼女の顔を必死に追いかけていく。暇だったのか、いや興味をそそられたからだ。追わなければいけない気がする。そんな思いを持って、僕は彼女を追いかける。


 交差点、見回す。彼女が見える。走り出す。その時、自動車がこちらにやって来た。しまったと思った。だが、水たまりに落っこちていった。


 赤い空は、まるで夕焼けだ。ここは水たまりの中。鏡合わせの世界だろう。僕は至って冷静だった。車に轢かれて死んだかとさえ思っていたからだ。


「こっちに来たのね」


 赤いレインコートの少女が、僕をじっと見ていた。


「君にずっと会いたかった。なぜ、君は僕を見るんだい?」


 赤い空、赤いレインコート。くらくらするような極彩色。


「あなたが私を見るから。いや、あなたには私が見えるからと言ってもいいかも」


 どういう意味だろうか。しばし考えたが、答えは出ない。


「付いてきて」


 赤いレインコートの少女が歩いていく。それはまるで夢のようだった。


「思い出さない?」


 何を?言いかけて何か忘れた気分になっているのに気が付いた。赤いレインコートの少女に導かれて歩く。鏡合わせの街。何一つ動きを見せない街。2人の人影。幽玄のような風景。


「ここよ」


 そこはかつて通っていた学校。たくさんの思い出が溢れてくる。


「ここは僕の学校?」


「いいえ、私の学校」


 見知った飼育小屋、見知った百葉箱、見知った昇降口が僕を出迎える。


「君も通ってたのかい」


「忘れてしまったの?」


 何を忘れたって?


「君は僕の同級生だったのか」


 そう言ってしまっている自分に驚く、記憶は全くないのに。いや、そうじゃない。亡骸を見ている自分。封印された記憶。


「私はあなたに看取られたのよ」


 そんな、凍り付いた記憶があふれ出していく。駄目だ。思い出しては。しかし、奔流には抗えなかった。




 僕は水たまりが好きだった。学生時代のあの頃もずっと水たまりを見ていた。


「何かいるの?」


 赤いバック。あの子だった。


「いや、僕は水たまりが好きなんだ」


「どうして?」


「だって、向こうにも世界があるみたいじゃないか」


 ふふふとあの子が笑う。


「ロマンチストなのね」


「そういう君はリアリストなのかな」


「ごめん、馬鹿にしたわけじゃないの。想像力豊かなんだなって思ったの。これでも褒めてるのよ」


「そっか。ごめん」


 水たまりを通じて、彼女に謝った。


「また、水たまりの出来た日に会いましょう?」


「水たまりの出来た日?雨の上がった日に?」


「そう。そしたらまた面白い話を聞かせてほしい」


「分かった」


 そう言って別れた。それから何回も会った。徐々にプライベートな話をしていった。




「君と僕は友達だったんだね」


「そうよ」


「でも、なぜ君は亡くなったんだ?」


「覚えてないの?」


「いや、知ってるはずさ」




「ねえ。本当に水たまりの向こうってあると思う?」


「一体何を言ってるの?」


「本当に素敵な世界が」


「僕の妄想だよ」


「妄想でもいいの。あなたの水たまりにはそういう力があるんじゃない?」


「どういうこと?」


「私も仲間に入れてほしい。あなたの見ている世界を一緒に見たい」


「照れるよ」


 僕は視線をそらして水たまりを覗いた。彼女の悲しそうな瞳に気が付いた。


「ねえ、君は」


「じゃあね」




「名前も知らない」


「そうね。私もあなたの名前を知らない」


「それでも良かった。君と話せるのであれば」


「でも、終わりは突然来るのよ」


「どうして、どうしてなの?」


 僕は彼女の顔を見た。血の気の引いた白い顔だった。




 空中から彼女が落ちてきた。水たまりにぶつかって、赤くはじける。


「これが私が消えた日よ」


「いや、君は亡くなったんだ」


「どうして?私はここにいる」


「僕が作り出した幻想だよ」


「そうじゃないちゃんと聞いて」


「分かってる。僕も車に轢かれて」


 その時、あるはずのない水たまりが見えた。あの日の彼女の顔が見えた。


「いや、まだ間に合うかもしれない」


「何をする気?」


「本当に水たまりの世界なら」


 僕は水たまりに手を伸ばし、消えた。




「ねえ」


「あなた、どうしてここに」


「僕は水たまりの世界から来た」


「本当に言っているの?」


 彼女は慌てふためく。


「君は世を儚んだ。違うかい」


「そうよ。あなたがずっと救いだった」


「話してくれればよかった」


「私だけの問題よ」


「まだ間に合う。水たまりの前で今日の日の僕が待ってるよ」


「無理よ。言えないもの」


「君は身を投げた後、僕を水たまりの世界に引き込んだ。どっちみち僕らは一緒にいる運命だ」


「...」


「じゃあ」


「待って」


「...」


「私によろしくね」


「ああ」


 水たまりの中へ僕は戻っていく。


「あれで良かったのかしら」


「良かったんだよきっと」


 向こうの世界では、少女が泣いている。大きな水たまりが出来つつあった。


「ねえ、あなたはどうするの?」


「君とともにいる。もう1人にしない」


「...それって告白?」


「いや、告白は君をもっと知ってからさ」


 赤いレインコートの少女は、僕と手をつないで歩いていく。



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