第95話 1556年(弘治二年)5月〜 観音寺城

「管領代様、堅田にて尼子の船が捕まりました」

「…む?尼子の船は堅田を通っておったではないか。堅田衆は今さら態度を翻したのか」

「船を捕まえたのは延暦寺にございます」

 六角義賢の顔が変わった。

「後藤と蒲生を呼べ」

「はっ」

(尼子とお山がぶつかるのか)

 義賢の顔に薄っすらと皮肉っぽい笑いが浮かぶ

(跡目争いに負けて出雲で死んだ京極。その被官が、今や準管領になり朝廷すら手を焼く延暦寺と事を構えるか…)

 去年の七月。六角は尼子と共に上様を奉じて三好と戦い勝利した。上様は京に戻られ政務に復帰した。

 振り返れば…尼子の強さが目に浮かぶ。たかが京極の被官ごときが、との思いは変わらない。しかし、あ奴らは強かった。いや強いのだ。

 名門意識が抜きん出て高い、六角義賢にとって自分より家格の低い者を無意識にでも認めるのは異例中の異例である。


 後藤賢豊と蒲生賢秀がやったきた。義賢は二人と相対しながら胡座をかき、三者は会談を始めた。

「後藤但馬守、尼子とお山が争うようだがどう見る」

「尼子が勝ちましょう」

「それはどうなるということなのか」

「尼子がこれからどう動くのか見定めなくてはなりませんが、お山の動きは稚拙にございます。尼子をただの田舎侍と思っております。某もまだどうなるかは分かりかねます」

「だが、尼子は勝つか…蒲生左兵衛大夫はどう見る」

「はっ。多分尼子は延暦寺に攻め込むでしょう。今の尼子の武に延暦寺は勝てません。結果…もしかしたらの話ですがお山は無くなるかもしれません」

 六角義賢はグッと前のめりになった。

「そうなれば近江における延暦寺の威勢は消えてしまうの」

「御意」

「それを丸ごと尼子が手にするのは…つまらんのう」

「いかにも」

「そのとおりにございます」

 三人の思惑は一致した。

「尼子の動きをさらに詳しく、早く掴まねばならん。但馬守、甲賀者の誰がよいか」

「鵜飼家がよいかと。棟梁は孫六と申します」

「褒美を増やせ。この先甲賀者は今以上に重用せねばならん。その事をはっきりと乱破どもに示すのだ」

 義賢は甲賀者に対しても扱いを変えようとしていた。もっと積極的に乱破を使いあらゆる知らせを集める。情報戦の重要性を改めて思ったのだ。尼子の河原者の使い方を見て感じたことだ。良くもあそこまで嫌がらせができたものだ。あの執拗さ、徹底さが三好の大軍の動きを止めた。そして最後には袋のネズミに三好はなっていた。儂が仲介にいかねば三好は京から叩き出されていたであろう。だがその後に幕府の中心に尼子が陣取るのはあってはならない。そこまで尼子に勝たせるわけにはいかん。

 かつて鈎の陣において甲賀者は卓越した働きをした。これからもそうでなくてはならない。六角家のために更に励むことか甲賀者には必要だ。

「直ぐに孫六を動かせ。尼子と延暦寺の動きを見逃すでないぞ」


 尼子が堅田を占拠し、影響下に置いたのを見て六角義賢は動き出した。出陣の準備を始める。雄琴の戦いで僧兵が総崩れになり尼子が坂本に進軍するのは確実となった。

「近江にある延暦寺の荘園を全て押さえよ。荘園だけでなくその他の権益も忘れるでないぞ」

 六角義賢と後藤賢豊は一万の兵を率いて五月十九日の朝、大津に向かって出陣する。蒲生賢秀は近江内に広がる延暦寺の荘園、市、蔵、街道など諸々の権利と財産を抑えるべく兵を差配する。勿論南近江だけでなく北近江もだ。浅井や他の国人領主たちの領地と延暦寺の荘園などは複雑に入り組んでいる。故に近江の津々浦々に軍を派遣する。

 京の東、淡海の海の恵み、水運など古くから近江は開発され人も多く住んでいる。故に色んな者たちが根を張る事を可能にする富める大地だ。その者共を束ねることができたなら、それだけで強力な勢力になることができる。六角義賢は今が好機と捉えた。尼子が延暦寺を潰してくれる。その後は儂が面倒を見よう。

 大津湊を占拠した六角は沙汰を出す。

「今日より大津は六角の命のみに従う。他の者共の指示は受けずともよい」

 そして次の日。軍勢は坂本に向けて動き出す。軍を率いる六角義賢の目に比叡山から上がる煙が見えた。

「はははっ、やりおった。お山を焼きおったぞ。さすが尼子、容赦ないのう。皆のもの、急ぐぞ」

 六角軍一万は下坂本に入り坂本の町と湊の占拠を始める。そこへ尼子の武将、横道兵庫介が現れた。

「これはこれは、管領代様。何か問題でもありましたか」

「うむ、比叡山延暦寺の騒動を受けて僧侶たちが無頼を働くという知らせが入ってな。急ぎ軍を出し抑えているところじゃ」

「そのような知らせは入っておりませんが」

「大津湊では乱暴狼藉を働く者共がおってな、其奴らは始末したが、逃げおおせた者が坂本に向かったので追って来のじゃ。これからも同じようなことが大津や坂本で起こるやもしれん。我らは守護として近江の治安を守らねばならん。よって兵を出しておるのじゃ」

 管領代の言葉に横道は一礼し踵を返した。

「…やられたな」

 低く呟き日吉神社に戻っていった。


 六角軍は五月末にかけて南近江、北近江を隈無く動き、比叡山延暦寺の持つ荘園を全て接収し六角家の直轄地にした。八風街道、千種街道も抑え四本商人も影響下に置いた。

 坂本の支配に関して尼子と協議を行い日吉神社を中心とする上坂本を尼子が、商人町、湊で構成される下坂本を六角が統治することになった。坂本は分割された。

 延暦寺が街道や湖上に配置していた関を全て撤廃し、大津に新しく楽市を開く。四本商人を使って交易も活発に行う。尼子が運んでくる商品も小浜で買付け伊勢、尾張、三河へ運び利益を得る。尼子も四本商人をあらかさまに排除するようなことはしなかった。物が日の本の至る所に行き渡るのは、経済を活性化させたい尼子としては喜ぶべきことだからだ。商売敵が出てくるのは当然と思っていた。

 六月になり六角は北伊勢の千種城を攻め反抗的な千種氏を屈服させ後藤但馬守賢豊の弟を跡継ぎとして送り込む。そして当主、千種忠治を隠居させ千種家を乗っ取ることに成功する。

 そして『六角家式目』を制定する。これは六角家における分国法だ。民事の裁判においても国人の裁決が不満の場合、六角家に申し立てをすることが出来るとされ、国人の裁判権にも踏み込んだ内容が盛り込まれている。

 軍事においても具足を準備して参陣させ具足数を規定している。これによって軍の数を定量的に把握できるようになった。

 その後傘下の国人衆に起請文の提出を求める。六角家を当主として仰ぐ事が明記され六角家と他の国衆の間に上下関係が存在することがハッキリした。

 六角家は延暦寺の富を使って有力守護から力を持った戦国大名へと脱皮を計ったのだ。



 何処か遠くの時と場所を越え一人の男が今世の尼子義久に転生した。尼子の滅びを回避する為出来ることを行なっていた男の動きは、色んな事柄を変えていく。特に彼と関わりが大きい者ほど、全く違う生涯を送ることになる。あくまで義久目線だが。

 六角義賢もその一人。彼の変化は少なくとも義久にとっては歓迎すべきことではないだろう。

 両者の決着がつくまで暫しの時間が必要になった。それに三好も忘れてはならない。その他の勢力も。


 これぞ名門!の顔をしながら六角義賢は観音寺城に登城する。次の一手を考えながら笑みを浮かべていた。

 



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