第94話 1556年(弘治二年)5月〜 比叡山延暦寺
五月十三日。尼子の一方的な通告を受けて急ぎお山に戻った大僧都は、僧正(上から三番目の階級)に事の次第を報告した。尼子に対しての動きを応胤入道親王に進言し直接動いていたのは僧正だ。僧正は下賤な者を見る目を遠くに向けながら話を始めた。
「朝廷に使者を送り尼子の動きを止める勅命を出していただくのじゃ。次に雇い兵を直ぐに募れ。宗徒もじゃ。お山の近くだけでなく、日ノ本津津浦浦に話を広げよ。もちろん日吉の社にもじゃ。」
京がこの地に開かれるとほぼ同じくして、最澄によって開かれた比叡山延暦寺。京を守ってきたお山を害するなど何人にも許されぬ事。かつて無頼を働く者もいたが、お山は今もこうして都の北にて屹立している。天下万民の上に立ち、下々の者共を仏の道に導いているのだ。
数百年に渡りこの地にあり続けているが故に、始まりがあれば終わりがあるという、当たり前の理を忘れていたのだろう。
京の町に米をもたらし、必要な品々を運び込み、生きる人々の暮らしを物質面から支え、仏の道を説き精神を支える。高貴な人たちにとっても、家を残していくために跡取りになれない者たちの受け入れ先は必要だ。
だが時の移ろいと共に世の中も変わる。延暦寺もその時の流れに飲まれようとしている。
歴史は突然動く。後で思えば思い当たることは多いが、その日その時を生きている者にとっては青天の霹靂以外の何物でもない。
五月十四日昼を過ぎ、尼子が堅田を包囲したとの知らせが延暦寺に届いた。
「なにを馬鹿なことを。そのようなことはあり得ぬ!」
僧正は耳を疑った。しかしその後に続けて入る知らせを受け、慌ただしく動き始める。
「ええい、朝廷の命はまだか!僧兵を差し向けよ」
お山の僧兵が取りあえず二千ほど坂本に向けて出発する。
五月十五日、雄琴にて尼子軍がお山の僧兵に襲いかかった。大量の鉄砲の一斉射撃により、僧兵たちははなすすべもなく崩れさった。
尼子軍は坂本に進軍した。坂本の町は固唾をのんで尼子の動きを見守っている。町を焼かないで欲しいというのが町衆の思いだった。
応胤入道親王は急ぎ内裏に参内し、尼子の暴挙を訴えたが朝廷の反応は鈍かった。朝廷、寺社、武家の三者のうち朝廷の力は著しく低下し、今や自らの力では宮中行事もままならないほど。
それに対して寺社は神仏の加護をかさに着て栄華を誇る。落ちぶれた朝廷には目もくれず、そればかりか気に入らぬ事があると強訴をたびたび起こしてきた。特に延暦寺は強訴の常連と言っても良い。普段は見向きもせず我を通し、都合が悪くなるとすがってくる。余りにも自己中心的である振る舞いに朝廷も延暦寺を持て余しいていた。
そして今回、延暦寺は武家である尼子と事を構えている。なぜ朝廷は延暦寺の訴えを聞かないのか。そこには従一位、三条公頼の動きが大きく作用していいた。大寧寺の変を尼子の救援によって生き延びた三条公頼は、そのまま出雲国に滞在し、尼子の上洛とともに京に戻ってきた。そして寂れた内裏の修復と帝の日々の暮らしを立て直すべく活動を始めた。その為の資金は勿論、尼子から出ている。三条公頼は特に明言していないが、後ろに尼子がいるのは周知の事実だ。
思い出してみよう。なぜ大寧寺の変が起こったのか。朝廷の権威を取り戻し、乱れた京から帝をお救いするため、山口への遷都もしくは帝の行幸を進めていたのが三条公頼。それを疎ましく思い、大内の内情を利用しつつ陶晴賢を使い計画を潰したのが幕府。これ以上の権威失墜を招かないために幕府と(三好は消極的に加担した)遷都を望まぬ内裏内の勢力が西国の雄、大内家を潰したのが大寧寺の変だ。
三条公頼は生き残った。まだ遷都を、行幸を諦めてはいない。
しかし…今の三条公頼は以前と決定的に違う面がある。彼は『神官』なのだ。
理由は定かではないが『神官』は突如として今世に蘇った。そして出雲を奪った大和に対する復讐を始めた。着々と計画が進んでいたとき、予想外の事が起こる。『巫女』の降臨と『大王』の誕生だ。その時『神官』は『巫女』の怒りをかってしまい勝手な動きを封じられた。『神官』は考える。『巫女』に楯突くことはできない。即座に首が飛ぶ。だが今の状況は特に変わりは無いのではないか。尼子は覇道を行く。杵築は尼子を支える。我の目指すは大国主大神の威光をこの大地に広げること。ならばこのままで何も問題は無いではないか。最後の強力な駒と思っていた尼子の嫡男が仕える対象に変わっただけの事。行幸を行い、憎き大和の末裔である帝を杵築に参らせ、深く深く頭をたれさせれば良いではないか、膝が擦りむけ血で地面が赤く染まるまで、何時までも何時までも土下座をさせれば良いではないか…そして世は尼子の治世、『大王』の治世だ。
『神官』は考えを微妙に変えていた。今世の日ノ本の状況も理解してきたのだろう。それに今の『神官』は個にして衆だ。依代の影響も受けていく。
朝廷が延暦寺の訴えを聞き入れることはなかった。
五月十六日。軍勢を引き連れ坂本にやってきた俺は日吉神社に来ていた。延暦寺の集金マシンと化したこの神社だが、俺は日吉神社は焼き討ちしないと決めていた。坂本の町も焼かない。あくまで目標は山の上にある延暦寺だけだ。
転生前の世界で織田信長に焼き討ちされた延暦寺と日吉神社、そして坂本の町。信長が下した決断は妥当だなと思う。浅井、朝倉連合軍を匿ったこと、高い経済力を持っていたこと、神仏の加護を担い民百姓の心の拠り所だったこと。その気になれば万に近い軍勢を境内に抱えることができたこと。そんな独立国のような勢力が敵になるなんて信長からしてみれば容認できるわけがない。焼き討ち当然だな。
俺も結局延暦寺と事を構えることになった。改めて思う。この寺は邪魔だ。船を差し押さえられたのは今思えば良かったな。寺社対策を失念していた事を思い出させてくれた。潰そう。宗教は民百姓のため祈りを捧げるだけでいい。
日吉神社は利用価値があると思い、取り込むことにした。この神社が持つ神人のネットワークは使い道がある。それと宗教について考えてることがあるからな。
「御屋形様、あと三日のうちにお山から退去するようにと、使者を送りました。坂本の町衆には町は焼かないと伝えてあります」
横道が報告に来た。
「どうだ、坊主どもは静かに山を降りるのか」
「御屋形様が坂本を焼かないと言われたので里坊にとどまる者や坂本に下る者が出ております。僧兵は立て籠もっておりますが大した問題ではないでしょう」
「…そうか…。日吉神社の神人はどうだ?」
「はっ。こちらの意向に従うとのこと。御屋形様の仰るとおり、延暦寺の振る舞いに不満を持っていたようです」
「よし、杵築に使者を送れ。国造を呼び出すぞ」
「御意」
延暦寺に残る者は全て討つ。女、子供を殺すのは本意ではないが。綺麗事を言っていては務まらんからな。
五月十九日。延暦寺には僧兵、僧侶、女、子供など合わせて三千名ほどの者が立て籠もっていた。僧兵は二千ほど。
若狭と将軍山城からそれぞれ千づつ兵を呼んだので尼子の軍勢は七千だ。
表参道と無動寺に向かう参道に分かれて軍勢は進む。途中で僧兵が抵抗するが特に手こずることもなく、粛々と軍は進む。
「根本中堂と大講堂は焼け。それ以外の境内の施設も数は少ないが焼いてしまえ。残っている者は一人残らず首を刎ねよ」
二日間にかけて延暦寺を焼き、籠る者共を掃討していったのだが、二十日の昼過ぎ、予期せぬ出来事が起こった。
「御屋形様、坂本の町に六角の軍勢が現れました。下坂本を占拠しております。数は一万!」
文字通り火事場泥棒があらわれた。泥棒にしては多すぎるだろ!
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