第92話 1556年(弘治二年)2月〜 近江
去年の10月。年号が弘治に変わった。天文は長かった。幕府が改元を拒んだからかな。
俺は去年の家族会議以降、八雲に居て領内の開発について活動していた。
特に領内貨幣の発行を進めていた。鷺銅山の開発が進み同時に領内や他の領国から粗銅を集め南蛮吹きにより純度の高い銅を得ることが可能になっている。
鷺銅山付近は狭いので米子に銅生産の拠点を作ることにした。そして真っ先に米子で作ったのが銅を使った【米子通宝】と銀を使った【石見小玉銀】と【石見銀判】だ。出雲は畿内に比べて経済規模が小さかった。なので殆どが米を貨幣の代わりに使っていたが俺が始めた対外貿易の結果、物が溢れ決済手段として米を使うのが不便になってきた。永楽通宝をたくさん持ってきて使っていたがそれでも足りなくなる。自前の貨幣を作りたいと思っていたが、銅と銀の生産、加工が軌道に乗ったので念願の貨幣作成となった。出雲、伯耆、石見、因幡、美作を中心に新貨幣の流通を始める。そして最終的に尼子領内での貨幣システムを構築し秤量貨幣から計数貨幣への転換を図る。そうだな、そのうち金を使った小判も作りたいな。佐渡の金山を抑えるか…ま、今はちょっと無理っぽいな。今後に期待かな。
八雲に帰るときに浅井の嫡男、猿夜叉を連れてきている。弘治元年に数えで十一歳だ。これからしっかりと尼子流を叩き込む。猿夜叉が元服する時は烏帽子親を父上にお願いしようと思っている。浅井久政殿と要相談だがな。
弘治二年の正月を家族みんなで八雲城で過ごし、二月に後瀬山城にやってきた。父上はもちろん将軍山城だ。
去年発行された尼子の荷に関銭をかけないという特権を付与する『御内書』を使って、小浜から京に物資を運んでいるが、陸路ではやはり輸送力が足りない。京の下京に出した山城屋の店でも在庫がなくなることが多く、上京の公家向けの高級品も需要に供給が追いつかない。若狭街道は順調に整備されているが西の鯖街道と若狭街道だけでは足りないのだ。やはり琵琶湖の湖上水運を使わないといけないことがハッキリした。ではどのようにするのか。
「御屋形様、少なくとも堅田衆を黙らせねばなりません」
山中甚次郎は続けて声を上げる。
「浅井配下の菅浦水軍を使えば船の問題は解決します。そして高島氏と盟約を結び今津湊を確保します。高島は朽木の宗家。朽木に遅れをとるまいとするので我らと盟を結ぶことに抵抗はないでしょう。そうなれば小浜から今津まで陸路、今津から大津まで水運で物資を運べます」
「菅浦水軍を使うというが浅井配下の軍を使えるのか?」
「伊賀守殿。浅井を従属させればよろしいのです。そうなれば伊賀守殿の仕事もやりやすくなると思います」
「儂の仕事もやりやすくなると…ほほう、公に浅井を従属させる。六角、朝倉に尼子も乗るという体をつくるということか。うむ、ならば確かに儂の仕事もはかどるのう」
吾郷勝久は弟の
俺は甚次郎の意見を採用することにした。
「甚次郎、伊賀守、美濃守。お主ら三人にこの件任す。淡海の海の水運、開いてみせよ」
「ははっ」
三人は声を合わせしっかりと答えていた。頼むぞ!
山中甚次郎、吾郷勝久、吾郷勝秀の三名は小谷城に乗り込み浅井久政と会見し尼子に優位な条件で盟約を申し込んだ。この会見の数日前より小浜から尼子軍が出陣し海津湊、菅浦湊に対し武力示威行動を行い、それは会見が終わるまで続けられた。(今津湊に対しては高島氏との盟約がなったので示威行動は行っていない)
浅井家はほぼ従属に等しい同盟関係を、尼子と結ぶことになった。越前朝倉氏が異を唱えたが、加賀で一向一揆との戦の最中であり、まして去年大黒柱の朝倉宗滴を失っているので特にこれと言った動きもできなかった。
六角も沈黙を守った。
四月になった。小浜には三月からアユタヤからの朱印船と宇龍、温泉津からの朱印船が入りだし、降ろされた荷物が今津湊に向かう。湊の桟橋には荷駄が数珠つなぎになっている。
菅浦水軍の船がやってきて荷を船に積み込んでゆく。初めて尼子の荷が堅田を通り大津に向かう。船には山中甚次郎、吾郷勝久、吾郷勝秀が乗り込んだ。尼子の足軽も船に乗り込んでいる。
「さて、幕府の『御内書』は堅田衆につうじるかの」
吾郷勝久は呟く。
「そうですねー。通じれば楽なんですが。ま面倒くさいんで、調略はかけていませんから」
甚次郎がサラリと話す。
「中では色々あるが外から押されれば纏まるであろう。それに御屋形様は堅田を優遇するつもりはないからな」
「ですね。淡海の海は尼子が直に統治するのが一番いいと思います」
船が堅田に近づくと湊から殿原衆(堅田の地侍)が操る堅田船がやってきて
吾郷勝久は『御内書』を取り出し上乗の支払いを拒否する。
殿原衆はそれを見て上乗の要求を取り下げた。
菅浦水軍の船は何の問題もなく堅田を通り抜けたのだ。
「えーーー拍子抜けですね」
甚次郎は声を上げる。
「鉄砲を使う必要がないとは。何があった」
兄の問に弟が答える。
「
幕府の船を堅田衆が差し押さえたため延暦寺が堅田を焼いた堅田大責。同じことは繰り返さないということなのか。
兎にも角にも船は無事に大津湊に入った。
そして十日後、事態は急変する。
「申し上げます。堅田にて菅浦水軍の船が拿捕されました」
後瀬山城に届いた知らせに甚次郎、勝久、勝秀は飛び上がった。
「御屋形様、直ぐに事態を収拾いたします。堅田に向かうこと、お許しください」
吾郷勝久が平伏する。
「勝久、そんなにかしこまらなくてもいいぞ。何が起こったのか確かめてこい」
「はっ!!」
三人は五百の軍勢を率いて堅田に向かった。
堅田で三人を出迎えたのは殿原衆ではなかった。千ほどの僧兵が、
三人は堅田に入ることは許されず、もちろん船と積荷、菅浦水軍衆とも会うことはできなかった。
吾郷勝久が出迎えの僧兵に問う。
「お山は幕府の『御内書』を無視するのか」
「我らは『御内書』を無視してはおらん。上乗はとっておらんではないか」
「ならば船を直ぐに解放せよ」
「そうはいかん。これを持って帰れ。そして返事をお山に伝えよ」
僧兵は延暦寺の申し出だと書状を出してきた。
「出雲守殿によくよくお考えよと伝えるが良い。これ以上の話は無用だ。後瀬山に戻られよ。それともまだ何かあるのか?」
見える範囲で僧兵は千ほど。周りに伏兵もいるだろう。武力行使はほぼ無理筋だ。
吾郷勝久は顔色一つ変えずに書状を受け取ると踵を返した。吾郷勝秀、甚次郎もそれに続く。尼子の軍勢は後瀬山に帰っていく。
噛み締めた唇から、握りしめた拳から、一筋の血が流れていく。この屈辱、忘れることはない。三人は心に刻んだ。
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