第78話 1554年(天文二十三年)6月 周防 其の二

 九日、矢地峠についた尼子軍はしばし休憩していた。義久はすぐに銀兵衛に指示を出した。

「銀兵衛、ここから若山城と周防灘に面した戸田へたに到るまで斥候をだせ。途中陶の物見がいても今は殺すな」

「ほほう、物見を生かして策にはめる気か」

「そんなとこだ。お前たちが尼子の命綱だ。しっかり頼むぞ。働きによっては追加報酬を出す」

「よし、言ったな。その言葉忘れるなよ」

 銀兵衛は即座に姿を消した。

「甚之助、本城常光に伝えよ。今日はここで野営だ」

「畏まりました」

 全軍に野営の指示が飛んだ。

 日が暮れて半刻程たち鉢屋が知らせを持ってきた。

「陶の物見に見張られております。陶の軍勢が若山城を出て陣を敷き始めました。夜市川の直ぐ北、的場川の東であります」

「ご苦労。引き続き監視を続けよ」

「はっ」

 出てきた。陶は尼子を潰しに来た。それから暫くして須々万沼城を攻める部隊に帯同させている横田衆から連絡が入った。

「城攻めは滞りなく進んでおります。明日には城が落ちるかと」

「相わかった。戻って任につけ。よろしく頼むぞ」

「はっ、もったいなきお言葉。励みまする」

 横田衆は須々万沼城に戻っていく。

「甚之助、軍議だ。皆をあつめよ」

「承知しました」


 軍議が始まって半刻経った頃、鉢屋が二回目の知らせを持ってきた。

「陶の軍勢から一千ほどの軍が別れました。北に向かい山の中に入っていきます」

「どこまで行った」

「的場川が別れる才原の東の丘に留まりました」

 本城常光が声を発した。

「退路を断ち我らを包囲するつもりですな」

 小笠原が鉢屋に尋ねる。

「別れて西に進む的場川沿いには軍はおらんのか」

「そちらには軍はおりません」

 若山城攻めが決まりだした頃、晴久は銀兵衛に若山城周辺の地勢を調べさせ、地図を作らせた。軍議は地図を囲んで行われている。

「敵兵が潜んだ位置から敵陣まではいかほど離れておる」

 益田藤兼が問う。

「十五町(1500m)ほどでございます」

 福屋隆兼が呟く。

「十五町…幅はどれくらいじゃ」

「北から南にかけて四町(400m)にかけて東西概ね一町(100m)でございます。その後は開けております」

 本城常光が義久に向き直った。

「御屋形様、この四町を通り過ぎるとまず戻れませんな」

 諸将はそれぞれ自分のタイミングで頷いている。

「陶を貼り付かすにはここは超えねばならん…これでどうだ。一気に鷹飛原八幡宮たかとばらはちまんぐうまで南下し陣を構える。小笠原に兵千を預ける。丘にこもる陶の軍勢が尼子本隊に向かったとき、小笠原が後ろから攻撃する。戸田に毛利の水軍が着いたら動くぞ」

 諸将は考えていた。

 三隅隆繁は声を出した。

「恐れながら申し上げます。我々は囮ということにございますか」

「そうだ、囮だ。ハッキリさせておくが、毛利に強いられたのでも、要請されたのでもない。俺が独断で決めた。だが死ぬつもりはない。だめだと思ったら引く」

 そして続ける。

「この戦で勝つこと、さらに尼子の力を見せつけることを考えている。無謀かもしれん。意見があったら言ってくれ」

 本城常光が声を出す。

「この先、我ら石見勢は尼子の軍勢の中で御屋形様率いる主力とは別の動きを求められる。故に軍の練度と我ら部将の結束が今、最も大事である。同じ飯を食い苦楽を共にしてこそ成し遂げられることがある。どうじゃ、皆の衆。無謀を承知でやってみぬか?」

 皆が無言で頷いた。いい顔をしている。

「よっし、石見勢レベルアップチャレンジだ!いくぞ!!」

 義久のノリについていけたのは本城と小笠原のみだった。


 日が昇り朝餉を食べたあと、尼子軍は矢地峠超えを始めた。登って下ったあとゆっくりと才原に向かっていく。小笠原率いる千騎は離れて付いてくる。

 的場川の別れから少し北まで来た。時刻は巳の刻(10時半頃)。鉢屋が知らせを持ってきた。毛利水軍、戸田湊に到着。

「よし、行くぞ!全軍駆け足進め!!陶の物見は消せ」

 尼子軍は鷹飛原八幡宮に向けて最大戦速で走り出した。


 尼子が峠を超えだしたと知らせを受けた陶晴賢は口を引き締め、目を向いた。

「者共!尼子が来るぞ。返り討ちじゃー!!」

 陶は戦の態勢を整えるよう下知を出し、尼子を迎え撃つ準備に取り掛かる。物見が来てから一刻ほど経ったがまだ尼子軍は見えない。なにをのろのろしているのだ。臆したか、それとも用心深いのか…次の物見が来た。

「尼子軍、才原に来ました。もう少しで伏兵が籠もる丘を過ぎまする」

「気付かれたか?」

「そのような様子は御座いませんでした」

 よし、はまった。この戦勝ったぞ!!!

 陶は陣を北に動かすよう命を出した。動き終わろうとしたとき北に軍勢を見た。

「尾張守様、尼子でございます。尼子が来ました!!」

 的場川の両岸を尼子軍が進んでくる。

「ぬうー!!ゆくぞ!押しつぶすのだ」

 横いっぱいに広がり、進みだした陶軍は尼子軍を包囲しようとしている。

「弓を放て。鉄砲の準備をせよ」

 陶の弓隊が先行しその後ろを鉄砲足軽が続く。左翼には弘中隆包、右翼には青景隆著あおかげたかあきらがいる。

 尼子軍にむかって矢が飛ぶ。尼子は矢を防ぎながら陣を構えようとしている。

 そうだ、陣をかまえろ。そのうち貴様らの後ろから三浦房清みうらふさきよ率いる千の軍勢が襲いかかるぞ。慌てふためくがよい!

 狂ったような、酔いしれたような獰猛な笑みを浮かべる陶の耳に音が届く。

 シュシューン、シュンシュン、シュシュシュシュン

 そして視界の上部から、浮塵子ウンカの大群が如き黒い矢が降り注ぐ。尼子の放つ黒い矢は途切れることがない。まさに厄災。

 陶軍の足が止まった。

「く、盾を持て、矢を防ぐのじゃ。止まるでない。前に進め!」

 武将の指示がだされ盾を持った足軽たちが前面に出る。陶軍は再び前進を開始した。


 目の前で竹筒を立てて陶軍の弓を防いでいた尼子の足軽たちが一斉に後ろに引いた。そこに現れたのは、座って鉄砲を構え、立って鉄砲を構え、台に乗って鉄砲を構える尼子の足軽たち。鉄砲の三段構えだ。

 バババーーーーーーーーーーン

 三百丁の鉄砲が一度に火を吹いた。陶軍の中央は凹んだ。百人以上の足軽が同時に倒れた。文字通り凹んだのだ。尼子の足軽は規則正しく入れ替わる。そして

 バババーーーーーーーーーーーーーーーン

 二発目の発射音が響く。

「引けー。種子島の射程外まで引けー!急ぐのじゃーー!」

 中央の陶軍は半分混乱しながら後ろに引いていく。


 右翼にて指揮をしている青景隆著は恐ろしいほどの鉄砲の威力に慄きながらも気持ちを奮い立たせていた。中央に砲火が集中している分、右翼にはそこまでの被害はない。

「聞けー!このまま前進するー!八幡宮に登り上から叩くぞー」

 固まっている兵どもに活を入れ、右翼の三千を動かしていく。なんとか動き出した兵たちが鷹飛原八幡宮の下にたどり着いた。

「登るぞー!」

 階段を駆け上がった兵達が見たものは種子島を構える尼子兵だった。

 パンパンパーンパンパン

 鳴り響く鉄砲の音。階段を転げ落ちる陶軍。遅かった。既に尼子軍は鷹飛原八幡宮を占拠していた。

「そんな、三浦殿の軍勢はなにをしているのだ」

 青景隆著は吐き捨てた。


「三浦は何をしているのだー。どうして尼子は混乱しておらんのだ!」

 陶晴賢も青景隆著と同じ思いだ。

「物見はなにをしておる!三浦を早く呼べ!尼子の尻を蹴り上げるのだ」

 混乱しつつある部隊を制しながら陶は叫ぶ。

「申し上げます。尼子勢、鷹飛原八幡宮に布陣しております。右翼の青景隆著殿、八幡宮に向かいましたが登ること叶わず。尼子が鉄砲と矢を撃ちおろし近づくことも叶いません」

 物見の報告に陶晴賢は真っ赤になった。

「おのれ、おのれ、全軍で八幡宮を囲め!総攻めじゃー!!!!」

 怒りに我を忘れた陶晴賢の軍配は唸り、総勢一万四千(既に千近く減っているが)の軍勢が八幡宮の東、南、西から総攻撃をかけようとにじり寄って来る。態勢が整い、陶が攻撃命令を出そうとしたとき、北から尼子の新手が現れた。同時に陶の本陣に伝令もやってきた。

「申し上げます。三浦房清様討ち死に。兵千は壊滅。山の中に逃げ込みました」

 …伝令を見る陶晴賢の顔には表情がなかった。

 また一人走り込んできた。

「北から新手の尼子が。弘中隆包殿が応戦しております」

 なにが、どうなっておる。なにがどうなった。

 最後の伝令が息も絶え絶えに、兵に抱えられて入ってきた。

「…も、もうし‥上げます。須々万沼城、落城にございます」


 陶晴賢は動かなかった。動けなかった。


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