第67話 1553年(天文二十二年)一月〜 吉田郡山城

 時は少し遡る。


 昨年の天文二十一年五月から六月にかけて備後、備中に湧いて出た尼子勢力を駆逐した大内勢(陶、毛利)は、戦の後始末と領国内の引き締めを行っていた。備後はともかく備中においては、新見庄が尼子に占領されたままであり奪還の目処は立っていなかった。小早川隆景と三村家親が何度か動きを起こしたが、全て撃退され新見庄に入ることもできなかった。尼子もそれ以上備中に攻め込むことはしなかった。だが人の往来は止めてはいない。新見から御師と商人と歩き巫女が、またまた備中松山城下に現れるようになった。新見を通して美作、伯耆に民が移動することもできる。関所の取締はけっこう厳しいが、銭は取られないのですこし我慢すれば問題ない。尼子から流れてくる食料、質のいい鉄製の道具、工芸品などが備中に静かに、着実に拡がっていく。

 天文二十二年になった。備後、備中を安定させ、国造りを進めたい毛利は一月に備後旗返山城、備中松山城、猿掛城に城代を派遣したいことを陶に申し出た。この城をめぐる戦の主力は毛利軍だった。当然の権利として城代の件を打診したのだが、陶は松山城を三村家親に任すことは同意したものの、旗返山城、猿掛城にはそれぞれ江良房栄、伊香賀房明を城代として配置するとし毛利の提案を却下した。

 大内領国内の不安定さは解消していないが陶は己の権力を強化することに邁進し、自分の息がかかった者を次々と配置していった。そればかりか筑前宗像氏ちくぜんむなかたしの内紛につけ込み山田局、菊姫、小少将・三日月・小夜・花尾の侍女4人を惨殺し、宗像地方に影響力を強めようとするなど、なりふり構わぬ動きをするようになっていた。陶晴賢の目には毛利はともに戦った戦友ともではなく、一番目障りな、去勢すべき相手として映っていたのだ。なので行動を開始し、その初手が城代の任命であった。毛利は力をつけすぎた、その力を削ぎ我のもとに置き、忠実な臣下にせねばならん。次々に陶は手を打ってくる。

 石見において問田隆盛といだたかもり益田藤兼ますだふじかね福屋隆兼ふくやたかかねらは断続的に吉見正頼よしみまさよりが籠もる津和野城に攻め込んでいる。吉見の抵抗は頑強でなかなか城は落ちない。だが今のままでは津和野城に吉見方の援軍が来ることはない。吉見正頼は二月に毛利元就に力添えを要請した。我と共に謀反人、陶晴賢を討とうと。一ヶ月後の三月に、今度は陶晴賢から毛利元就に津和野城攻めに参戦せよと名指しで要請が来た。


 毛利家中において陶に味方するか、吉見に合力するか意見が別れた。陶には腹立たしいが、正面から敵対するには躊躇がある。大内は腐っても鯛、その兵力は大きい。大寧寺の変に際しても、実権を握った陶に毛利が従わないという選択肢はあり得なかった。そして大事なことがもう一つ。尼子だ。今や出雲、伯耆、美作、隠岐、石見半国そして因幡まで手中に収め絶頂期の大内に比肩する勢力になっている。この両者を敵に回すことは毛利が滅ぶことと同義であると殆どの家臣たちも察していた。なので色んな思いがあるが胸に秘めただ顔を伺うのみ。大殿は、元就さまはどうなさるおつもりなのかと。


 元就は陶、吉見からの要請が揃ったところで、陶の要請に応じ石見に出陣することにした。ところが、元就に対して公然とそして激しく反対を表明した者がいる。毛利家当主、毛利隆元である。

「父上、断じて石見に出陣してはなりませぬ。石見に行ったが最後二度と安芸の地を踏むことは出来ませんぞ。陶は父上を騙し討ちするつもりであります。そして毛利を己の下僕にするつもりです。どうしても石見に出陣しなければならないなら、某が向かいます!」

 隆元は家臣たちに陶の無道を説き元就の出陣に強固に反対、家臣たちも自分の意見に従うことを求めた。隆元が毛利家の家督を継いだあと、ここまで我意を通しつづけ元就に反発するのは初めてのことである。

 なんだかんだと言っても現当主が反対する以上元就も出陣はできず、かといって隆元が出陣するのも如何なものかと。時が過ぎていく。

 なかなか出陣を決めない毛利に対して痺れを切らした陶はついに毛利を飛び越して直接安芸、備後国衆を津和野に招集しようと動いた。陶が放った使僧を平賀広相ひらがひろすけが捕まえ元就に突き出した。陶が行ったことは毛利に安芸、備後国衆をまとめる権限を与えるとした約定に反しており、看過することはできなかった。

「父上、今こそ陶と断交すべきときです。決断してくださいませ」

 隆元の言に元就は頷きながらもこう答える。

「尼子への備えはどうするのじゃ」

「尼子と盟を結びます。これを期に尼子との関係を作り直そうかと思います」

 元就の目が細くなった。作り直すとな…

「尼子が強くなった理を明かし、取り込めるものは取り込み毛利を強くいたします。大内を受け継ぐのは尼子ではなく、毛利でございます」

 この大内気触れめ、一端のことを言いよるわ。だが、間違ってはおらん。

「よかろう、その任、隆元にまかせた。皆のもの、毛利は陶と袂を分かち、安芸、備後、備中をまとめる独自の勢力としてこれから振る舞っていく。ただし事は慎重に行わねばならん。尼子との盟約が成り次第、我らの立場を明らかにすることとする。それまでは陶に気取られるような真似をするでないぞ」

 隆元は元就の意を組むものとして角都を、自身の意を組むものとして安国寺の若き僧侶、瑶甫恵瓊の二人を選び、尼子への使者とした。

 かくして、毛利の運命を担った二人は七月に出雲八雲城に足を踏み入れることになる。


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