第65話 1552年(天文二十一年)十一月 南近江から出雲へ

 京極高延きょうごくたかのぶは天文十九年に浅井久政と和睦し、北近江における浅井氏との争いに終止符を打った。しかしその後、三好長慶に与し六角氏と争う。六角の下にいたのではなく争っていたのだ。一月に六角定頼が死に嫡男の六角義隆が六角氏を継いだ。この代替わりは高延にどのような影響を及ぼすのだろう。

 高延は最近、自身の戦いに疲れていた。何のために戦っているのだ。北近江は浅井が支配しその浅井は六角に従属している。四職の一家として高き家名と権勢を誇ったのはとうの昔の話であり、今は自領を持たぬただの名門。三好の中においてもただそれだけでなんの力もない。席をおいているというだけで、三好にとってはいてもいなくても構わない存在である。なにせ将軍と管領を近江に追放する権勢をほこる三好なのだ。京極、赤松、一色、山名など今更どうでもいいのであろう。子の高成は幕府に使えている。儂が残るか、息子が残るかまたは尾張に落ちて行った弟、高吉が残るか、京極氏がなくなることはないであろう。

 などと取り留めもない事ばかりが頭をよぎるようになった。妻とも離縁し一人の近習が付き従うだけ。三十人ほどの足軽の大将を務める、落ちぶれた名門とは儂のことだ。

 今日も六角との戦場に立つ。戦と言っても小競り合いだ。適当に槍を交え双方が引く。だが今日は勝手が違った。相手方の手勢が多い。攻め込まれて、逃げるのが遅れてしまった。少々まずい。

「殿!すぐに引きましょう」

 近習が声を上げるがすでに回り込まれていた。足軽たちは我先にといち早く逃げ出していた。気付けば儂と近習しかおらん。こんな所で終わるのか。虚しい人生であった。せめて最後は武士らしく腹を切ろうと覚悟を決めた。それぐらいは許してもらえるだろうか。

「な、なんだ、あがっ」

 儂らを取り囲んでいた雑兵たちの後ろの方から、なにやら声がした。

「て、敵か、何奴。うごっ」

 雑兵共は後ろを振り返る。一人、二人と兵どもが倒れていく。呆気にとられているうちに儂らを囲んでいた雑兵共はすべて倒れていた。長らしき一人の男が儂の前に立つ。

「京極高延殿とお見受けした。某、出雲尼子三郎四郎様の命を受け、京極殿を出雲にお迎えするために罷り越した銀兵衛ともうす者。これより拙者と一緒に出雲にご同行願います」

 何ということだ。婿殿が儂を呼んでいるだと…促されるまま近習とともに出雲に向かうことになった。


 儂らは蔵馬街道を通る針畑越えを使って小浜につき、そこで尼子の船に乗った。なんだこの船は。朱印船と呼ぶらしい。こんなに大きな船を尼子は持っているのか。海は荒れていたのでなかなか出れなかったが凪の日が訪れたので小浜を出港し、因幡の天神山城の近くの湊に着いた。そうだ、ここはもう山名の国ではない。幕府の命を受け新たな因幡国守護となった尼子の領地だ。尼子は守護として堂々と因幡に進み山名を追い払った。幕府奉公衆もまとめて潰したと聞く。なんという威勢の良さよ。船を降りると儂らを迎えてくれたのは因幡代官、山名理興殿だ。代官といえど因幡一国の代官だ。城持ち大名と変わらんぞ。

「京極様、よくぞおいでになられました。これより若様の命により、伯耆までこの山名理興が誠心誠意お伴いたします。何かありましたらご遠慮なさらず、何なりとお申し付けくださいませ。ささ、こちらへ。先ずは風呂に浸かり長旅の疲れを癒やしてくださいませ」

 儂らを連れてきた銀兵衛殿から山名殿に案内役が変わった。そしていきなり風呂、風呂に浸かれと言うておる。風呂は浸かるものなのか?蒸し風呂の間違いではないのか。

「いえ、尼子で風呂とは湯船に浸かるものでございます。蒸し風呂がお好きでしたらそちらもございますが…」

 いやいや、湯船に浸かるぞ。そもそも湯船になぞ浸かったことなどない。湯治に行ったことが…ないな。いやいや、そうではない、饗応役が代官どのだと!

 風呂に浸かった。身体が温まるにつれ腹が減る。案内された先にこれでもかというほどに料理が並んでいる。

「ささ、一献。近習の方も遠慮のう飲んで下され」

 山名殿に勧められるまま、酒を飲む。澄み酒だ。酒精がほどよく強い。くーっ、美味い。目の前に捕れたての蟹が並ぶ。

「もう蟹が獲れる季節になりました。獲れたての松葉ガニです。この呼び名は若様がつけられました。越前ガニに勝るとも劣らぬ立派で美味しい蟹でございます」

 詰まったカニの身がプリッと出てきて食べるとほんのり甘い。これは…次々にカニを食べる。夢中で食べる。途中で澄み酒をあおる。無言で黙々と食べてしまったではないか。側で食べている近習も無言だ。カニの味噌汁も飲み、魚の刺身も食い、漬物も食べる。近江にいた頃は鮒ずしをよう食べたが、ここでは海から新鮮な魚がたくさん捕れる。漁に使う網やら方法も随分新しくなったそうだ。これも婿殿の指図だという。

 たらふく食い、よく寝て次の日の朝、天神山城を後にする。

 伯耆国の泊まで進み次の饗応役が出迎えた。家老で伯耆代官の牛尾遠江守幸清殿だ。牛尾遠江守殿は代官どころか家老で譜代の尼子の忠臣。歴戦の猛者でもある。いや、儂は京極の当主?!なんら臆することなどない、と思いながら胸を張る(虚勢を張る?)

 牛尾殿とは八雲城で行われた連歌会を始め文事の話をたくさんすることが出来た。武芸百般にも通じまことに立派なお方であった。泊の次は淀江宿で泊まった。伯耆に入ったら街道を歩く民百姓が増えてきた。淀江に近づくほどその数は増える。皆どこへ行くのかと聞いたら杵築詣でと八雲城見学に向かうのだという。そして城下の市を見て回るのだという。だんだん言っていることが分からなくなってきた。行けばわかると牛尾殿は言っていた。ま、そうだな。

 次の日、饗応役が変わった。出てきたのは亀井能登守秀綱、なんと筆頭家老殿ではないか!!

「京極殿。今日からは八雲まで某がお伴をしまずぞ。まず出雲郷まで行きまする。次に宍道、その次の日に八雲に入りまする。あと少しで旅も終わりましょうぞ」

 淀江を出て出雲の国に入ったのだが街道を歩く人が更に多くなった。今宍道湖の北を回る街道を整備し直しているらしい。それに舟だ。小早が中海と宍道湖をたくさん走って人と物を運んでいる。富田の城下町は中海の近くまで広がっている。富田城には行かなかったが飯梨川を走る舟も多かった。


 ついに八雲城の城下町にたどり着いた。斐伊川にかかる橋に人が一杯になり渡っている。横に臨時の船橋も架かっている。遠くに城が見える

「山陰道から本町通りに入りまっすぐ城に向かいます。ですが…今日はちょっと時間がかかりますな。『八雲小町』が練り歩く日に当たってしまったので」

「八雲小町?」

「左様でございます。見ればわかります」

 本町通りと呼ばれる南に続く大きな通りは進むに連れ人がごったがえし、歩くのもままならぬようになった。しばらくすると道の向こうから櫓がやってくる。民百姓が騒ぎ出す。

 これは、祭りか。櫓の上に人が立って手を振っている。その者たちを一目見ようと民百姓は必死だ。掛け声も聞こえる

「お菊様ー!こっち向いてくださえー!」

「明美様ー!今日もきらきらでーす」

「芳サマー!可愛い!!!」

「多絵さま!多絵さま!!」

 なんじゃこれは、いや待てお菊様だと?!儂は櫓の上をしかと見た娘が四人立っている。そのうちの一人から目が離せなくなった。

 あれは、菊ではないか。我が娘、尼子に嫁に出した菊ではないか。櫓が近づいてきた。儂は馬に乗っておる。なので櫓からは見つけやすいであろう。そして菊と目があった。その時、菊は一瞬立ち止まり、しばらくして大きく手を振り儂に叫んだ。

「お父様ー!お父様ー!」櫓は進んでいき菊はもう見えない。

「能登守どのこれは…いったい」

「京極殿。お菊様は若様の正室として、尼子の民百姓から絶大なる人気を得ております。美しく、聡明で、若様を慈しみ、領内にお二人で出向かれ分け隔てなく民百姓とお話をされる姿は、尼子の女子の手本として女衆たちの目標になっております。この国の有り様は他の国とは違うのです。その最も先端をお菊様が歩かれているのです」

 家老筆頭の亀井殿が話されたことは理解ができなかった。だがあの菊が、いつもおどおどして何をするにも怖がり、笑うことなどなかった菊が、あんなに楽しそうに手を振るのを見て本当に嬉しかった。そしてこの国のために儂にできることは何でもしようと、命を差し出せと言うなら喜んで差し出そうと心に決めた。



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偽典尼子軍記 卦位(けい) @wsedrf

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