第61話 1552年(天文二十一年)5月 備後国北部 三次近辺
毛利元就、毛利隆元、吉川元春率いる毛利軍四千と、江良房栄率いる陶軍千、合わせて五千の軍勢は
城攻めの軍議の最中、伝令が入った
「尼子方約三千、布野に現れました」
布野!?元就は訝しんだ。甲山方面から来るのではないのか。
「敵将は誰ぞ」
「温湯城の小笠原長雄、山吹城の本城常光にございます」
「父上。比叡尾山城に向かい三吉と共に尼子に当たりましょう」
隆元の言にゆっくりと頷く元就。
(晴久はいない…とな)
急いで陣払いを始め、毛利軍は比叡尾山城にむかう。
「尼子軍、比叡尾山城より更に南にすすんでおります」
布野に陣取るとばかり思っていた尼子軍はこちらに向かってきた。旗返山城を直接救援に向かうつもりか?それは無理筋であろう。しかし進軍速度が早い。
「三吉に城を出て尼子軍の後ろを突けと伝令を出せ」
元就の下知が飛ぶ。
布野に現れた尼子軍は陣を敷くのではなく駆け足で比叡尾山城の南、丘陵地帯に向かっていく。
走っていく兵たちの足取りはリズミカルだ。出で立ちは至って軽装備、連弩も改良され携帯性が増している。
小笠原長雄と本城常光は走りながら言葉をかわす。
「”兵は拙速を聞く”といいますからな。文字通り『すぴーど』が肝要。三郎様が重視されるのも当たり前のこと」
長雄、何気に大黒語リテラシーが高い。
「確かに。それにあの調練。三瓶山周回三縦走。なかなか堪えましたな。三途の川が見えましたぞ。その川にですな、死んだおっかさんがおりましてな、手を振るんですよ。えー儂はおっかあに呼ばれとるんかー、勘弁してくれと思ったらなんか違うようで、おっかあ…」
こんな時でも本城常光はよく喋る。
そんなこんなで尼子軍は目的地に到着した。酒屋と呼ばれる場所だ。東と西に丘があり大軍が入りずらい。ここで毛利軍を迎え撃つようだ。
「では、行きまする」
本城常光は小笠原長雄に告げて来た道を戻っていく。指示を出しながら兵たちを動かしていった。
「さて、儂も準備をするか。者共、陣を敷け。水は飲みすぎるな。動きが鈍るぞ」
小笠原も指示を出し兵たちが配置についていく。
「よし、調練の成果は出ておるな。だがこれからが本番じゃ」
兵たちの顔と動きを観察していた小笠原は満足げに頷いたあと鋭い視線を南に向けた。毛利兵が現れた。
遅れて来た毛利軍も南に陣を構えた。ほどなくして三吉隆亮が率いる五百の兵が城を出て尼子軍に北から襲いかかった。同時に毛利軍も攻めかかるが尼子の鉄砲を警戒して出足が鈍い。尼子が陣取った場所は東西が丘になっており大軍が入りにくい。隆元が騎馬で行くにも進路を固定される。尼子の鉄砲は一町の距離で当ててくるのがある。下手すればいい的になってしまう。だがなんの準備もなしに尼子の鉄砲に向かうほど毛利は愚かではない。竹束だ。足軽たちが竹束を持って少しずつ前進してくる。対抗策は考えてあるのだ。じわりじわり、五段ほどに距離を詰めた所で足軽たちの足が止まった。鉄砲の数が多いのと連弩の矢が上から落ちてきた。正面と上、二方向からの打撃はいかんともしがたい。このままでは北と南から尼子軍を挟撃することが難しいのではないか…
「このまま押し込め!毛利殿と挟み撃ちじゃ」
近年尼子軍は何度か比叡尾山城に出ばってきたが三吉と戦うことはなかった。三吉が常に籠城を選択したのと、尼子が城攻めを行わなかったからだ。だが今日こそは蹴散らしてくれる。あの時布野で勝ったのは尼子でも、毛利でもない。三吉じゃ。忘れたわけではあるまい。勝ちに驕り儂らの奇襲にあわてふためき、出雲に逃げ帰った無様な姿をまた晒してくれるわ!三吉勢は勢いを増し尼子の陣に食い込んでいく。尼子などひと捻りよ。
「なっなんじゃ、この矢の多さは。下がれ」
下がるより倒れるほうが早い。何の事はない。三吉は経験値が足りないのだ。尼子の連弩と鉄砲の攻撃を受けたことがない。なのでその圧倒的な数の暴力の恐ろしさを知らないのだ。おまけに過去の栄光にしがみついている。勝ちに驕っているのは三吉だ。
「駆け足で進めー!」
本城常光のよく通る声が戦場に響いた。指揮下の尼子兵たちは弩を放ちながら林から飛び出し、三吉の足軽を追い立てるように走っていく。弩から逃れることができた数少ない足軽たちが城に向かって敗走していく。
尼子兵は三吉の足軽を追うことなく来た道を戻りだした。弩はもうしまっている。
想像以上に多い鉄砲の射撃を受けて毛利軍は動きが止まっている。負傷者も増えだした。
吉川元春はこの状況を打開すべく、兵を率いて西から回り込み横槍を入れようと考えた。
「父上ー、某が西から横腹を突きまする」
いざ行かんとした時、西から尼子軍がやってきた。赤穴久清が兵五百を連れて江の川を遡り、船所に上陸、毛利の横腹を突いてきた。
毛利の軍がたわむ。その綻びに鉄砲と矢が集中する。毛利はたまらず軍を二町ほど下げた。まずは西からの尼子軍を叩こうと隊列を立て直している間に、目の前に陣どっていた尼子兵が引いている。来た道を戻っているのだ、駆け足で。なんだ、旗返山城を救援に来たのではないのか。西から突っ込んできた兵どもも引いている。
「何をしている、逃がすなー追えー!毛利殿早く!」
江良房栄が叫んでいる。毛利軍が追いかけようとしたとき尼子軍はもう二町以上先を走っていた。しかも早い、よく見ると装備も軽いものしか着けていない。
毛利軍は北に向かう尼子軍を追撃できなかった。西からきた軍も江の川の船所から船に乗り下っていった。
尼子軍は布野まで戻りすでに作り始めていた野戦陣地の作成に取り掛かっていた。馬防柵も作っている。この地で毛利を待ち構えるようだ。尼子にとっても毛利にとってもいい思い出がない布野で今度こそ雌雄を決しようとするのか。
布野に向かいながら元就の中で違和感がどんどん増していた。我らは何ゆえ布野にいくのか、尼子が陣を構えたから?なぜ尼子は攻めてこない。いや、晴久はなぜ攻めてこないのだ。今からやってくるのか?ろくに戦いもせず布野に引いた意味があるのか。引くなら攻め込む意味がないだろう。意味がない…
元就は軍を止めた。皆を集め軍議を始める。
「今から旗返山城に向かう。布野の尼子は捨て置く」
「なにを言っているのだ元就殿。布野で尼子を打ち破り備後をしっかりと治めねばならんではないか。旗返山城を落としても尼子がすぐに攻めてくるぞ」
強い口調で江良房栄が元就に詰問する。
「江良殿、尼子は、いや晴久は備後には来ませんぞ。布野の軍は儂らを少しでも長く備後に留めておくための囮じゃ」
「江田が尼子に付いたのじゃ。助けねばならんではないか」
「ならばもっと大軍を率いてこなければならんでしょう。三千ごときで助けられますか。それに現に晴久は来てませんぞ」
「だから今からくるであろう!」
このままでは堂々巡りだ。結論が出ない不毛な軍議が続くかと思われたそのときに足軽が一人、議場に入ってきた。
「大殿、知らせにございます」
そう言って文を元就に差し出した。
これだ、これを待っていた。元就は素早く文を拡げしっかりと文言を読む。
「晴久が動きましたぞ」
元就が告げる。
「いつ来るのじゃ」
江良房栄の問に元就はしっかりと答えた。
「尼子晴久率いる尼子軍は因幡に向けて出陣しました。直に因幡は尼子領となりましょう。我らは今から旗返山城を落とし、備後を盤石にすると同時に備中に進み、備中の内乱を鎮めねばなりません。もたつけば尼子が備中に攻め込んでくるのは必定。急がねばなりません」
「なんという…しかたない。毛利殿のいうとおりにするとしよう」
「皆のもの、すぐに引き返すぞ」
元就の下知で皆が動き出した。
(晴久は溜め込んだ力をついに振るおうとしている。尼子の嫡男はどれだけの力を作り出したのかのう。因幡の戦、見届けねばならん。尼子の力をしかと見定めねば毛利の行く先も見えてはこんか…難儀じゃのう)
違和感が解消した元就であったが、気分は晴れない。この先、毛利が生き残るためには、まだまだ沢山の山を越えねばならない。顔がより引き締まる。大内、いや陶と尼子の狭間でいつまで上手く立ち回らなければならないのか。まだ先は見えなかった。
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