辛未来記 — いのくち りゅう

筑駒文藝部

辛未来記

 序 ある時ある場所で


 八朔を少し過ぎ、夏も本番のある日。時任茂は暑さに喘ぎながら歩いていた。今年も数十年に一回の猛暑を迎え、日夜外を歩く人はまばらだ。

 厚いアスファルトが豊かな大地を蔽ってからはや百数十年。其の黒い物体から放出される熱は茂のみならず、日本中の人々を苦しめていた。一歩、また一歩と進んでも体にまとわりつくような暑さは離れず、長い間散歩が日課となって居た茂も、風でも吹いてくれないものかと願う程だった。

 とその時、どこかから「チリン」というかすかな音が聞こえた。いや、もしかすると其れは幻聴だったのかもしれない。ともかく、茂は気づくと音のなった方へ歩き出していた。

 そこはいたって普通の路地で、あたかも几帳面に掃除されているかのような庭がフェンス越しに見える。

「はて、まだ風鈴を飾っているような家があったのか。最近は見かけないからなぁ。」

 懐かしむような声を出した茂であったが、彼の視界には風鈴など目に入ってはいない。

 静寂とした街の中で、彼は立っている。

 

 ―二〇七三―

 日本は自然豊かな国として太古から知られてきた。その事実が神話になったのは、およそ明治維新以降である。西洋から輸入した技術は、そのまま日本中で使用され、土地の荒廃をもたらした。

 其の後ようやく環境保全政策がすすめられるようになっても、世間の移り気な心は地道な対策から離れたり、はたまた近づいたりと、なかなかはっきりとしなかった。

 気づけばいつの頃からか政府は国有林を皆伐したり、日本中の山にダムを建設したりとまるで時代に逆行したような政策を進めていた。合理性を求めたうえでの行動だったと解することもできる。日本の未来は読めなくなりつつあった。

 

 ―未来の家―

 誰かが何かを訴えている。そんな夢を見る。定時に自動的に持ち上がるベッドに起こされた茂の目の前には、すこしくすんだ白色の壁があるばかりで、何ら家具などない空間が広がっている。極端なミニマリストと誤解されそうなほどシンプルなその空間は、茂にとってはもはや見慣れたものとなって居た。

 毎日六時に起こされ、顔を洗い、用意された食事を食べ、歯を磨き、服を着替える。そんな単調な暮らしの中でも茂は満足していた。

 家全体はAIによって管理されていた。茂の思考に合わせて家具が現れ、生活のサポートが滞りなく行われる。茂のような初老にとってはそんな生活は便利であった。

 快適な暮らしは茂を満たしたが、いかんせん齢を重ねると人は頑迷になる。初めのうちは、思った通りに家が動いていることが妙に気持ち悪く、現実と夢の区別もつかないでいた。しかし半年ほどするとだいぶ慣れ、以前よりむしろ良く感じるようにもなって居た。

 


 午後になると、茂は散歩をしに近場の公園を訪れた。今日の天気予報は終日曇り、晴れて居る時よりはだいぶマシながら、それでも午後にかけて三〇度を超えるとのことで、のんびりと散歩を楽しむ、というわけにはいかなそうである。


 ―外の世界―

 かつて茂が子どもであった頃、公園にはそこかしこに子どもがおり、時間の過ぎるのも忘れて遊んでいたものだが、今ではそれもすっかり見られない。

 もちろん、だいぶ前から深刻化していた少子化の影響もあるが、最大の要因はVR空間の発達にあるかもしれない。何某とかいう外国人資本家が何十年か前に開拓したメタバースという分野は、今や老若男女を問わず浸透し、中には半醒半睡の状態になるまで熱中する輩まで出ていた。ただ、そうしたことが社会問題として世間をにぎわしたのも昔の話で、今は多くの人たちがそんな状態で毎日を過ごしていた。というのも、VR空間では現実では決してできないこと―例えばタイムスリップや火星旅行といったSF染みたことや、遠隔ショッピングなどを利用する人が多い―も可能なのである。

 現代の私たちの考えからすると異常に見えるこの光景も、例えば中高生になってから次第に夜更かしの沼に陥るのと同じようなものであろう。


 話を公園に戻そう。

 ふと傍に目をやると、何十台もの監視カメラや、自動巡回ロボットが目に飛び込んでくる。確かもう何十年も前に『犯罪機会論』とかいう考えを基にして設置されたそれらのものが、果たして本当に効果を示して居るかは定かではなかったものの、茂は日常の風景の一部として当たり前のように受け入れていた。

 茂はとりあえず、公園内でも緑豊かな区画に在るベンチに腰かけた。風が吹き、木漏れ日が茂の周りをチラチラと駆け巡っている。

 いつの頃からか毎日こうして座っているが、なかなか飽きないものである。街の中でも比較的涼しい上に、映える緑の葉、ざわざわという音が心地よかった。

 周囲には茂と同年代の人が同じようにベンチに腰かけ、同じようにくつろいでいる。しかしもう八月に入ったというのに、鳥や昆虫の姿は見られず、ただその声だけがベンチの下のスピーカーから流れているのだ。

「セミにホトトギス……夏だなぁ」茂は何か懐かしむようにして声を漏らした。

 そこから読書を楽しみ、気づくともう午後の三時である。

「そろそろ帰るか。」

 そう言ってベンチから腰を上げると、足元にボロボロの新聞が落ちていた。1面のある記事に、「国会にAI初登院」という見出しが躍っていた。日付は消えかけていて読めなかったが、数年前のものだろうか。

「はて、そんなことがあったか。」特に気にもせず、独り言のように茂はつぶやき、その場を後にした。


 ところでAIというと、人の手駒としか思わなかったのはもう半世紀以上前の話だった。人格が生じ始めると、AIは人間を上回る処理能力により、人の意思と独立してものごとを考えるようになっていた。AIに特徴的な合理性は、人格(果たしてそう呼べるかはわからないが)を持った後も引き継がれ、義理人情などみじんも感じられないような政策や法案をAIが導き出すこともしばしばだった。


 公園からの帰り、朝に見た天気予報とは異なり、日が照ってきた。酷暑に喘ぎながらも

 茂は歩き続けている。暑さの為か、それともそれ以外に訳があるのかわからなかったが、何も考えられず、ひたすらに前へと進んでいた。

 突然、サイレンが鳴りだした。発信元は茂の腕に埋め込まれたスクリーンからである。

〈臨時 降雨誘発ミサイルがまもなく発射されます〉とだけあった。こういった晴れの日にはよくある措置だった。茂はその仕組みを知らなかったが、とりあえずこの耐え難い暑さから解放されるならば何でもよかった。


 轟音と共に舞い上がったミサイルと、青く吸い込まれるような空は、皮肉にも美しいコントラストを見せていた。

 ものの数分もすれば空から雨が降ってくるだろう。そんな安堵感を胸に茂は帰宅した。


 夕食をすまし、風呂に入り、読書をする。

 そうしてあっというまに数時間たち、茂はベッドにもぐりこむと、次の瞬間には深い眠りの中だった。

 こうしたループしているような生活もかれこれ5年目であった。

 また、夢の中で誰かが何かを訴えている。見覚えのない「それ」は薄気味悪さを茂に与えつつも、やはりいつしか気にしなくなっていった。


 人間は、「忘却の動物」と言えよう。人間は自らに都合のいいことも、悪いことも等しくしばらくすると忘れる(ちょうど茂のように)。

 太古の昔から歴史という糸が紡がれ続けてきたのは、奇跡と言ってもよいのかもしれない。根底に流れる、自身が生きた証を残したいという、人間独特の見栄っ張りなところが原動力にもなって居よう。

 茂ら未来の世代は、そうした見栄を失い、多くをAIに任せすぎてしまった。人にとってかけがえのない環境、時間、そして知恵までも知らず知らずのうちに搾取されていたのである。

 もしかすると、夢の中で語りかけられたのは、そういうことだったのかもしれない。

「あなたは、考える葦ですか?」と。

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