有題 — 琥珀
筑駒文藝部
有題
2031年8月15日、僕は死んだ。
セミの鳴き声の煩い、蒸し暑い夏の日だった。
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グラウンドで倒れた僕は意識を失い、そのまま死んだそうだ。
そして僕は今、よく分からない世界にいた。
なんかどこか見覚えのあるような、ないような。
僕は床に寝転んでいた。
いや、天井に寝ころんでいた。
この世界では天井が床なのだ。
起きると、目の前に見知らぬ少女がいた。
彼女は、寂しそうで、悔しそうで、そして少し楽しそうな顔をしていた。
ここはどこ?
と僕は訊ねる。
彼女は、優しくて、どこか冷たい声で答えてくれた。
「ここは死後の世界だ。君は死んだからここに来たのだ。」
死後の世界なんて、アニメでしか見たことがなかった。あるはずがないと思っていた。
いや、それより僕は死んでいないと思っていた。きっと後遺症の類だろうと思っていた。
だから僕は何も信じられなかった。
訳のわかってない僕を気にせずに彼女は続ける。
「ここは全てが逆になっている。時間も、場所も、そして概念も。」
だから僕は天井に横たわっていたのか。
「だから僕らは今、水の中にいる。」
言われるまで気づいていなかった。
そうか。重力も全て逆になっているのか。
彼女は、まるでデスゲームの主催者のように嗤いながらこう言った。
「君はまだ生きたいか?」
僕は驚いた。
僕は死んだはずだ。
生きれるはずがない、そう思っていた。
彼女はそれを見透かしたように言った。
「君はまだ生き返れる。なぜなら、気を失ってから死ぬまで、時間がかかっているからだ。」
なぜそれを知っているのかも分からないが、僕は訊ねた。
また生きれるんですか?
彼女はまたデスゲームの嗤いをする。
「そうだ。君は生きることが出来る。」
僕はとても嬉しかった。僕にはやりたいことも、やらなきゃならないことも一杯あった。
だから僕は生きたかった。
生きなきゃならないのだ。
僕を生き返らせてください!
正直、僕は期待していた。
すぐに生き返って、出来ることがあるのだ。
でもそううまくいくはずはなかった。
「何を言ってるんだ?」
だから、現世に戻しt…
「条件があるに決まってんだろう?条件!そんな簡単に戻れると思うか?」
逆再生していく蝉の声とともに彼女の言葉が反響する。この世界では音も逆方向へと進んでいく。
それはまるでマイクがハウリングを起こしているようだった。
5秒ほどの重い沈黙の後、見計らったかのように答える。
「簡単だ。君が死ぬまでに、いや、気絶するまでに君の体に戻ること、それが条件や。」
この世界では時間が逆再生しているということは僕は今頃グラウンドにいて、いや、病院にいて、グラウンドに運ばれるだろう。
体がここまですっきりしてるということは、僕が気絶してからここに来るまで少なくとも6時間はあるだろう。ここからグラウンドまでは徒歩10分。余裕だ。
外に出るまでは、そう思っていた。
そんなはずはなかった。
あれから4時間位が経った。
まだ半分ほどしか進めていない。
君もよく考えてみてほしい。
重力も、息を吸う場所も、何もかもが逆の世界を。
移動だけでも多大な労力と時間を要する。
殆どの移動は手の力に頼るため、僕の手の疲れは尋常じゃない。
水でしか息を吸えないため、息を吸うところも限られる。
そんな状態では移動すらままならないのだ。
というか彼女、早すぎる。僕が15分かけて移動した木々を30秒もかけずに渡っていった。
本当に彼女のことはよくわからない。
君も一度死んでみて体験してみてほしい。
いや、そんなことを言っている場合ではない。
というか、そもそもグラウンドには天井、この世界でいうところの床がない。
つまりどういうことかというと、自分の体がグラウンドに来てしまうとそれはもう実質的な詰みである。なんとしてもグラウンドにつく前に、どこかで自分の体に飛び込まなくてはならない。
きっと残り時間も少ないだろう。
急がなくては。
あれからどれだけたっただろうか。僕達はグラウンド脇の建物の中にいた。
木々を、電柱を、家々を伝ってここまでやってきたが体はもう限界に達していた。
だが、あと少し。自分の体に飛び込むだけだ。
彼女の計算によって、あるタイミングでこの部屋を飛び出すつもりだった。
救急車が来るタイミングだ。
様々な音が耳から抜けていく中、ふとある音が、僕の耳を抜けた。
一度は耳にしたことがあるであろう、そうあの音だ。
ドップラー効果の音。
ぼくはこの音が来たらすぐに車に向かって飛び出すつもりだった。
そのはずだった。
一瞬判断が遅れてしまったのである。
それはなぜか。
今考えれば簡単な話だ。
普通の世界では高い音から鳴るはず。
しかし、この世界では時間の進行が逆になる。
つまり音が抜けていく順番も逆、低い音の方から鳴るのだ。
僕はそのことに気づけていなかった。
いや、それもほんの誤差だった。
本当なら、これぐらいの誤差であれば、なんとか丁度よく救急車に体当たりできるはずだった。
自分の体に入れるはずだった。
だが、彼女が僕の手を掴んだ。
僕の体は一瞬静止し、そしてふと体が軽くなったかと思うと、僕の体は救急車を掠め、そして上へ上へと落ちていった。
僕の体は宙を舞った。
遠のく意識の中ふと下を見ると、彼女はどこか嬉しそうで、そして少し寂しそうな顔をして笑っていた。
そんな気がした。
そして僕は、永い永い眠りについた。
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2031年8月15日、僕は生きていた。
セミの鳴き声の煩い、蒸し暑い夏の日だった。
有題 — 琥珀 筑駒文藝部 @tk_bungei
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