第5話

 ■■■



 柚須さんのありがたい説教をしこたま聞いてそろそろ今日も行くかと玄関に向かう途中、ふと子供部屋から物音が聞こえた。


 いつもならとうに寝ている時間だというのに、断続的に聞こえる微かな紙擦れの音と唸り声にドアをノックする。


「入るよ。うわ」


 思わず立ち止まった部屋の中には丸まった紙が大量に転がっていた。


「うさ」


 机に向かって何かを書き殴ってはくしゃくしゃと乱暴に丸めて放り投げる背中に声をかけると、黒髪を揺らして少女が振り向いた。


「あ。あーちゃん」


「憂稀、久凪は?」


「おてがみ、おわったからおやすみって」


「手紙?」


「うん」


「ふぅん」


 舌足らずな言葉に頷く。


「で、お前はなにやってんの?」


 滅多に出てこないのに出てきたと思ったら紙屑かみくずを大量生産してるとか。


「うさも、おてがみ」


 手に持ったクレヨンを見せびらかす憂稀の膝にはさっき渡した小さな紙袋が大事そうに置かれていた。


「うさ、プレゼントはじめて。ありがとうのおてがみ、かいたらいいよって、くおーが」


「久凪がそう言ったのか」


「うん」


 へぇ。


 机の上を覗き込むと久凪が書いたと思われる手紙が広げて置いてあり、憂稀が描いていたのであろう肌色に塗り潰された丸が紙にでかでかと描かれていた。


 もしかして。


「……これは初仮、を描こうとしてるのか?」


「っわかる!?」


「おっと」


 勢いよく振り向いた憂稀に思わず仰け反る。


「あーちゃん、わかる?」


 不安に揺れる黒い瞳に内心唸る。


 正直ただの勘だったのだが、想像以上の反応が返ってきてしまった。


 くしゃくしゃに丸められた紙をひとつ拾い上げて広げる。


「うさ、えほんのひとにしたらいいとおもったの。でもちがったら、ありがとうもちがくなっちゃうでしょ」


 広げた紙には試行錯誤したらしい色々な初仮もどきが描かれていた。


 ブロンドの髪をなびかせたヒトガタ。


 頭に王冠を載せてカールした髭のヒトガタ。


 長い髪で下半身が魚のヒトガタ。


 確かにどれも初仮とは程遠い、見当違いの人物像だ。


 まぁ、初仮のことだから何を渡しても喜びそうな気はするが、それでは憂稀が納得できないんだろう。


 いくら気持ちが大事だとは言っても、渡す本人が納得してやらなければ意味が無い。


「そもそも、うさはなんで絵を描こうと思ったのさ」


 こういったものは特に苦手なはずなのに。


「……うさ、くおーみたいに、じょうずにかけないもの」


「うん?久凪みたいにっていうと?」


 もじもじと手を遊ばせながら憂稀が呟く。


「おんなじのにしたら、うさのいらないってなっちゃうでしょ」


「ははぁ、それで絵にしようと思ったのか」


「ん」


 知らない間に随分と久凪に対して対抗意識が芽生えていたらしい。


「俺もなんか手伝おうか」


「だめ」


「え、なんで?」


「うさがやるの」


 それで手詰まりしてたというのに妙なところで強情だな。


 しかし憂稀のこの反応はなんとも新鮮なので、ひとつ真剣に考えてみる。


「じゃあ俺が初仮の形を教える。で、うさが描くってのはどう?」


「ほんと?」


「本当」


「くおーにないしょで?」


 あまり意味はないような気がするがそこは譲れないのか。


「そうだな。俺とうさの秘密だ」


 にんまりと笑った憂稀がクレヨンを握る。


「あーちゃん、ありがと!」


 ■■■


 一通り教えた初仮の外見を参考に苦戦しながら描き上げていく憂稀をひとしきり眺めて、よし、と立ち上がる。


「あーちゃん、もういくの?」


「うん」


 手を止めて見上げる憂稀の頭を撫でる。


「あんまり油売ってるとどやされちゃうしね」


「ふぅん」


 口を尖らせた憂稀が不満げに頷く。


「朝には帰ってくるって。あんまり夜更かししちゃ駄目だぞ。明日学校だろ」


「……ん」


「じゃあ行ってくる。絵、完成したら初仮呼ぼうな」


「ねぇ、あーちゃん」


「うん?」


 ドアノブに手をかけた時、憂稀がクレヨンを走らせながらぽつりと呟いた。


「あーちゃん、おにごっこしてるんでしょ」


「おにごっこ?……ああ、まぁそうね。狼男を探してる」


「うさね、しってるよ。あーちゃんのおにごっこ、もうすぐおわるの。ないしょでみた」


「え」


 ゆっくり振り向いた憂稀と目が合う。


「おおかみさん、ゼロになるよ」


 ■■■


 憂稀のとんでもない発言に目眩を覚えつつ、深夜の街を練り歩く。


 満月でもないというのに、今宵は随分と獣臭い。


 その臭いに誘われるように気の赴くままどんどん細く汚れていく路地を進む。


 野犬が増えているというのはどうやら本当らしく、鼻を地面に擦るように鳴らしながら痩せた犬がとぼとぼと歩いていた。


 俺に気付いた犬は、ひゅーんと悲痛な鳴き声を上げてゆったりと尾を揺らす。


 一昔前ならいざ知らず、今のご時世路上に食べるものなど落ちているはずも無い。


 かろうじて生き延びているのはどこかの誰かが食料を恵んでやっているからだろう。


「寄るなよ。お前にやるようなものは────」


 すり寄る犬をしっし、とあしらおうとしてふと思い立つ。


「ちょっとちょっと」


 痩せこけた犬に手招きしてしゃがみ込む。


「お前、この辺結構詳しい?人を探してるんだ」


 目の前に座ってじっと見上げていた犬が小首を傾げる。


「俺の言ってること分かる?協力できるなら飯は買ってきてやる。腹減ってんだろ」


 ゆったりと尾を振り始めた犬がおふ、と小さく鳴いて笑う。何でも試してみるもんだ。


「俺が探してるのはこいつだ。お前、知ってる?」


 狼男の写真に鼻を寄せてじっと見ていた犬が俺を見上げる。


 その目にはさっきまでの弱々しい犬のものではない確かな意思が宿っていた。


「よし。こいつがいそうなところ教えて。今日会えるならその方がいい。──と」


 立ち上がって歩き出そうとした足を止める。


 期待したような目の犬と目が合う。


「先に飯買ってからにしよう。その代わり一晩付き合ってもらうぞ」

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