本の中の君に、脇役から愛を込めて

裕福な貴族

物語を紡ぐ脇役

『人が死ぬ時はいつか。それは人に忘れられた時だ』


 誰もが知っているような有名な漫画のセリフにこんなものがある。確かに感動的な名言だが、俺はこれに異議を唱えたい。

 いったい何故かって? それは――




「人から認知されない方が辛いだろ……」


 ハァ、と小さく溜息を吐く。目の前にまるで塔のように積み重ねられた大量の本を見上げながら、俺は憂鬱な気持ちで呟いた。

 この巨大な本の山に囲まれていると、自分の惨めさがより際立つ。


「こんなとこまで来て、俺は一体何やってるんだか」


 俺はゆっくりと辺りを見渡す。そこには様々な人が思い思いに本の山を眺めている。中には女子高生と思われる集団が仲良く並んで自撮りをしている。いわゆる映え~と言うやつか。そんな中、俺は絶賛ネガティブモード発動中というわけだが。


 角川武蔵野ミュージアム、本棚劇場。

 せっかく有休を取ってまで仕事を休みここまで来たものの、結局何も楽しめず己の惨めさを痛感するくらいなら、昼間から家で酒を喰らってた方がまだ気分転換になったかもしれないというのに。

 心の中でそう思いながら、俺は再び本の山へと視線を向ける。

 この数ある本の中の一冊。そのたった一冊の本になるために、俺は今まで努力してきた。いや、努力と言ったら烏滸おこがましいか。執着、惰性。そういった言葉の方が正しいような気がしてくる。


「夢、だったな」


 小説家を志したのは、高校生の時だっただろうか。自分の中で何かが変わるような、そんな衝撃的な作品と出会い、自分もいつかこんな作品を書いてみたいと夢見てきた。

 最初は物語を書くだけで楽しかった。自分の頭の中の世界が具現化されていく喜び、想像上のキャラクターたちが命を宿して動いた時の感動。そんな青い感情に突き動かされて、ただ夢中に物語を紡いでいた。

 そんな少年も大人になり、現実にも主役と脇役がいて自分は脇役の一人に過ぎないと気付いた。それでも認めたくなくて、ただ必死に前を見続けた。前しか見たくなかった。振り返ってしまったら、立ち止まってしまったら、二度と立ち直れないような気がしたから。

 それもついこの間までの話。過去最高の出来だと自信を持ってコンテストに応募した作品は、最後まで日の目を浴びることは無かった。


「まもなく、本棚劇場にてプロジェクションマッピングを開始いたします」


 耳に飛び込んできたアナウンスに我に返る。気付けば先程よりも多くの人間が集まり、プロジェクションマッピングを今か今かと楽しみに待っているではないか。

 これを見たら帰ろう。そう心に決め、端っこの誰にも見られず邪魔にならない場所まで移動し、壁に少し寄りかかりながら腕組みをする。

 以前も見たことがある内容であるし、今さら目を輝かせながら見るようなものでもない。そう思いながら開始を静かに待つ。


 そして徐々に明かりが暗くなり、間もなくプロジェクションマッピングが始まる。内容は確か、本の紹介だっただろうか。以前見たのと同じだったらだいぶ退屈な時間になるな。そう思っていた。

 しかし様子がおかしい。

 いくらなんでも、

 停電かと思いしばらく待っていたが、いくら経っても回復しない。それどころかスタッフの対応も何も無い。


「すいません、大丈夫ですか?」


 流石に心配になり声をかけるが返事は無い。


「あのー、すいませーん!」


 先程よりもさらに大きな声で呼んでみるが、返事が返ってくる素振りすらない。いや、おかしいのはそれだけではない。人の気配が感じられない。先程まで今か今かと待ちわびていたはずの他の客すらも、誰も声を出さない。


「だ、誰か!? いませんか――」

「はいはーい」


 若干のパニック状態になりそうになりながら叫ぶように声をかけると、耳触りの良い可憐な声が聞こえてきた。その瞬間辺りが急に明るくなり、その眩しさに思わず目を細める。

 しばらくして目を開けると、そこには制服を着た一人の可愛らしい女子高生が立っていた。


「き、君は?」


 思わず問い掛けると、少女は驚いたように目を瞬かせたあとに、罰が悪そうに口を開く。


「あちゃー覚えてないか。まぁそうだよね~」


 意味深な言葉を吐く少女に訳も分からず目を白黒させるが、そんな場合ではないと我に返る。


「他の客は一体どこに行ったんだ!? 君、何か知ってるかい!?」

「まーまーそう慌てなさんな。いったん深呼吸して、落ち着こうよ。ね?」


 目の前の少女の年齢に似つかわしくない落ち着きっぷりに思わずたじろぐ。状況は未だに理解できないが、確かに大人が冷静さを欠くのは良くない。ましてや女子高生の前で格好悪い姿は見せられない。俺は胸に大きく息を吸い、ゆっくりと吐き出す。冷たい空気が喉を通って出ていくと、心なしか頭も冷静になってきた気がする。


「あ、ありがとう。大人が情けない姿を見せてしまって申し訳ない……」

「良いって事よ!」


 少女は屈託のない笑顔で快活に笑い飛ばす。

 その様子に、どこか既視感を感じる。いや、姿じゃない。立ち振る舞いや言葉遣い。その全てが、この少女とは何故か初対面と感じさせない。


「君、どこかで会ったことある?」

「さー、どうだろ? これを見れば思い出すんじゃないかな!」


 そう言って少女が指を鳴らすと、部屋の明かりがどんどんと暗くなっていく。先程のような真っ暗ではなく、ちょうどいい暗さになったところで、音楽と共に映像が流れる。


「プロジェクションマッピング……?」


 こんな状況で今さら何を。そう思ったが、映像に映っているものに思わず目を奪われる。そこには一台のパソコンが映し出されていた。何の変哲もない、普通のパソコン。よく調べものに使ったり小説を書いたり、誰でも、俺でも持っている普通のパソコン……。

 そこまで考え、ハッと息を吞む。

 映像はどんどんとパソコンに近付き、そしてひとりでに画面が開かれる。モニターに映し出されたのは、よく使っている小説投稿サイト。そしてそこに映し出されているものは。


「これは……。ついこの間の、コンテストに応募した時の作品だ」


 それは自分が夢をあきらめるきっかけとなった作品。寝る間も惜しんで書き上げた、自分の夢と希望を乗せて運び、そして沈んだ方舟。

 チカチカと明かりを灯す液晶の中に、残酷に書かれた0という数字が虚しく映し出されていた。


「どうすれば世間に受けるのか? 大衆受けを考え抜いた結果、まさかの見向きもされないという現実。いやぁ~、悲しかったよねぇこの時は」

「何故それを……?」


 少女の語る言葉は、その全てが正しかった。何を書けばいいのか分からなくなり、とにかく数字が稼げればいいと思った。恥も外聞もなく、ただ世間に求められている作品を書いたつもりだった。

 失敗した原因は明らかだ。自分が書きたい作品を書かなかったから、気持ちの乗らない文章を書いたから、その文章からは熱が感じられない。生き生きとしたキャラクターの躍動も、胸を打つ感動の展開も。

 この作品を薄っぺらい張りぼてにしてしまったのは。他ならない俺だ。俺が中途半端な気持ちで筆を握ったから。俺が諦め悪く、夢なんて見たから。



「そうだ。こんな現実を知るくらいなら、初めから書かなければよかったんだ」



 拳を固く握り、下唇を強く嚙み締める。自分の惨めさが胸の内からこみ上げてくる。


「俺は主役じゃなかったから、俺はただの脇役だから。夢を見ちゃいけなかったんだッ!」

「それは……」

「だってそうだろう!? 人から評価されなきゃ、書いてる意味がないじゃないか! 認知されなきゃ、書いてても楽しくなんかない……」


 俺は膝をつき、頭を抱えてうずくまる。傍から見れば、ただの癇癪かんしゃくを起こして泣きわめく子供のように映るだろう。それでも、これが俺の本心だった。評価もされず、認知もされず。それでも物語を紡ぎ続ける。それがどれほどの苦痛か。

 きっとここで立ち上がることが出来る人こそ、夢を掴むことが出来るのだろう。そういう人は決まって、物語の主人公のように前を向いて歩くんだ。だから俺は。


「俺みたいな脇役は、物語を書く資格なんてな――」

「そんなことないッ!」


 ハッと前を向くと、そこにはボロボロと涙を流しながら悔しそうに顔を歪める少女の姿があった。


「君は……」

「物語を書く資格がない!? 馬鹿なこと言わないでよ! 主役だからとか、脇役だからだとか、そんなの関係ないッ! あなたが書いた物語も、キャラクターも、あなたが生み出した唯一無二の作品でしょ!? もっと胸を張ってよ!」


 少女が涙を流しながら大きな声で叫ぶ。その言葉が、胸を突き破りそうな程に強く響き渡る。


「……思い出して。あなたが最初に書いていた時に、何を思っていたのか」


 そう言うと同時に、本棚の壁という壁に映像が映し出される。否、もはや映像と呼んでいいのか分からない程の幻想的な光景。老若男女が様々な世界で楽しく笑い、喜び、時に悲しみ涙を流す姿。

 それは自分が書きたかった、生きた物語の姿だった。


「あなたは最初、こんな風に自分の書いた物語が生きて欲しいと願ってた。そこに主役、脇役なんて関係ない」


 その姿にはやはりどこか見覚えがあって。

 俺は思わず懐かしい気分になると同時に、口を開く。


「やっぱり君は、俺が最初に書いた……」

「迷ったときは振り返って。いつでも私達が見守っているからっ!」


 少女は屈託のない笑顔を浮かべる。本棚の住人達も、優しく微笑んでいた。

 そのまま俺は夢の中に沈んでいくように、意識が暗くなり――






「……ハッ!?」


 目を覚まし、慌てて辺りを見渡す。気が付けば俺は外のベンチに座っていた。辺りはすっかりと暗くなり、閉館のアナウンスが流れている。

 あれは本当に夢だったのだろうか。

 もし本当にそうだったとしても、この胸の高鳴りは、噓じゃない。


「……もう一度書くか」


 彼女が教えてくれた。

 脇役でもいい。評価されなくてもいい。

 ただ物語を書きたかったあの頃みたいに、俺はこれからも紡ぎ続ける。




 本の中の君を、二度と忘れないように。

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本の中の君に、脇役から愛を込めて 裕福な貴族 @Yu-huku_Kizoku

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