クロイノ

夜月心音

私はクロイノ

「ふぁあ」

 彼女の声で私は今日も起きた。私にとってこの声は目覚まし時計と言ってもいいだろう。それくらい、心地よいような、だけども、なにか起きなければいけないような、そんな音なのだ。私も体を起こすと、彼女はこちらを見て、少し目を細めた。

「メガネどこだろう」

 ズリズリと彼女は布団から這い出ながら、少し先にあるデスクの上に手を乗せ、何回か手をずらし、メガネをとった。この作業にいつも私はヒヤヒヤするのだが、きっと彼女は知らないのだろう。

 彼女は、実はすごい人なのだ。小学校からずっと一緒だったけど、中学も高校も偏差値の高いところへ。大学は医学部に入り、しっかりと難しいとこも文句の1つも言わずにやり遂げて、現在は医師として働いている。と、いうか、彼女にとっては、きっとそれはなんて事ないくらい、簡単なことだったのだろう。

そして、彼女はうまくいくと決まって私に報告してくるのだ。


「私、できたよ!」


 と。それが嬉しくて私も応援をたくさんしている。たくさんしてたくさんして、いつの間にか私は彼女のことが好きになっていた。

 それを彼女に伝えるにはまだ早いと思う気持ちと、もうすぐかもしれないという焦る気持ちが入り混じり、毎日を過ごしている。

 何を焦ってるかっていうと、彼女は恋をしているのだ。相手は同じ勤務先の看護師の男性。そんな人よりも私といた方が数100倍幸せになれるというのに、なぜ彼女は私を選ばないのだろう。

 そんなこと考えていると、彼女が

「いってきまーす」

 と声を出したので、待って! っと私も返事をして追いかけた。追いかけて彼女の横に並ぶ。

「よし! 今日こそ田中くんに連絡先聞く!」

 そう意気込む彼女は、少し嬉しそうに、また緊張したような面持ちだった。

 私といる方が幸せだよ。と言っても彼女は聞かぬふりをして、私はただ顔を下に落とした。


 いつかは来るだろうと思っていた事が、今日やっと訪れてしまった。

仕事の休憩時間中、彼女はついに田中くんに声をかけたのだった。田中くんがいい人なのは私も知ってる。でも私が1番じゃなくちゃダメなの。そう思うものの、横で嬉しそうに田中くんと話す彼女を止められるわけもなく、ただ、眺めていた。

 これから先どうなるのだろうか。もしかしたら私は必要なくなって捨てられてしまうかもしれない。それとも、彼女の心の拠り所になれるだろうか。なれる自信はないけれど、もっと彼女に近づき、そして彼女に話しかけたい。同性だってなんだって構わない。そう思うけれど、横にいる幸せそうな彼女を見て、やはり邪魔してはいけないような、私では不釣り合いなようなそんな気がしてならなかった。

 ひと通り話が終わったようで、彼女は嬉しそうに、そして愛おしそうに、田中くんの連絡先を眺めていた。

「ベロニカ、うまくいったよ。いつもありがとう……」

 彼女の掠れるような、また、愛おしそうな声に少し心がちくりとした。

 

帰り道、彼女は早速田中くんにメッセージを送り、返事が来るたびに、私に報告してきていて、とても可愛かった。何回もよかったね。可愛いよ。と、繰り返したのだけれど、彼女は上の空、まるで私がいないかのように扱っていて、少し心が痛んだ。どうしたら、彼女は私を見てくれるのだろうか、どうしたら彼女はそっと手を差し述べてくれるのだろうか。

 そして、ふと思いつく。


彼女の前に姿を現したらどうだろうか、と。


 それに対して私はすごくわくわくした。喜んでくれるに違いない。きっと、私のこと受け入れてくれる——。

 やると決まったら、2人きりの時、そうだ、彼女が家に帰った時、そして、寝る前とかどうだろう。まあ、いつもそばにいるのだから、そんなに驚きはしないだろう。


「ただいま〜」

 彼女の少しだけ疲れの入ったような、だけど少しだけ眠気の入ったような、嬉しさもこもったような、そんな言葉が部屋に響いた。

 そして、いつもと違い、何もせず布団へ飛び込んだ。あれ、と思う。

「やった! 田中くんの連絡先ゲット! これでやっと私、田中くんと家でも話せるんだあ」

 え、また田中くんのこと?

 いつもなら、絶対に田中くんのことがあっても、お風呂とかご飯とか、そういうのやるでしょ。そこまで連絡先を教えてもらうことが嬉しいの?

 わからない。

 わからない。

「ベロニカのおかげだよ〜! 本当に! よかった!」

 私のおかげじゃない。私は大好きな彼女のことを幸せにするためにいる。だから、私は彼女とずっと一緒にいる。だから、私は今日、彼女に姿を見て欲しかった。

 なのに、田中くんのことが、私のおかげだというのか? 私は、知らぬ間に彼女の幸せになると思っていたのか? 田中くんという人間と彼女が近づくことを。


 いや、違う。


「ベロニカ〜、本当にあり……ひっ」


 彼女の声が止まる。

 私は姿を現した。

「ベ、ベロニカ、な、の」

「なんで、そんな——」

 彼女の言葉は続かなかった。


 そこには、白衣を着た女性と、黒いものがただただ静かにしていた。

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クロイノ 夜月心音 @Koharu99___

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