チサトの恋

@HAKUJYA

チサトの恋

編集長の見解と私の意見が食い違い、

説得と説明と疑問と反論。

その繰り返しで、へとへとになって帰ってきた。


実にささいな・・トリミングの差・・これで・・


ああ、まあ・・もういいや。


とにかく、私が一歩もゆずらず、印刷所にGOしたわけだ・・し・・


あれ?


私の部屋・・ブラインドが開いてる?


と、いうことは・・・・・。


また、あいつだ。


大急ぎで部屋の鍵・・・。


いや、待てよ・・・。


ドアノブをまわしてみる。


案の定・・・。


ドアに鍵もかけずに・・。


あがりこんで・・・。



あっ?あああああ・・・。


大事な事をおもいだした。


先週、上物のアウスレーゼをかいこんで・・


ヤバイ!!


玄関を開けた途端、

なに?この臭い。

どぶ川だって、こんな奇妙な臭いをさせてやしない・・。


犯人はあいつの・・この靴・・。


いやいや、こんなものにかまってるわけにはいかない・・。


部屋の中にはいってみると、あいつの姿がない。


「ちょっとお」

呼んで見たけど返事がない・・・?


え?


が~~~?


げ?


まさか・・。


今のは、いびき?


って・・・?


私はあわてて、ベッドルームにとびこんでいった・・。


きちゃない靴下がぬぎちらかされてて・・

なんか・・部屋にも異臭・・


え?


わ!!


わ・・・・・わたしのベッドに・・・


あいつがねてる~~~~~~~~~~~。


だのに、私も馬鹿だ。


きもちよくいびきをかいてる奴をおこすのも気の毒・・。


は~~~~。


くさ!!


あ!


ワイン・・・。


あわてて・・・キッチンにとんでいった私がみたものは、


ワインラックの中の空間。


げ?


それもまちがいなく、この間かったばかりの・・


涙がこぼれそう・・。


こうなったら、いじましさも手伝う。


奴はリビングのソファーで・・のんだに違いない。


まだ、残ってるだろう。


かすかな期待をもちながら、リビングのソファーのむこうの

ローテーブル・・・・。


あったよ・・。


空瓶が・・。


一人で一本そうなめにして、気分よく、

私のベッドにもぐりこんだ?


え?


上等じゃない・・・。


さっきのかわいらしい気使いなんかどっかにふっとんで、

ベッドルームにもどると、

きちゃない靴下の端をつまんで

奴の顔をはたいてやった。


「やめろよ・・あとでな・・ん・・」

なに?それ?

少々じゃおきないのは、わかってるけど、

今の科白、女?

おもしろいからたしかめてみた。

靴下でそっと奴の顔をなでまわす・・。


「俺・・・疲れてるんだ・・って」


はい?


さらに首筋・・あたりに靴下をすべらす・・。


「判ったよ・・ほら・・来いよ・・」

って、まだ、寝ぼけ半分で手をのばしてくる。


あんたの恋人もあんたに負けずおとらずくさいんだね。


そうつぶやいて、靴下を鼻のうえにのせてやった。


「チサト・・ほら・・」


げ?


なに?あたし?


あたしが、あんたの恋人?


あたしがくさい?


いや、くさいなんか、問題じゃない。


なんで、あたしの名前なんか呼ぶのよ・・。


かんべんしてよ~~~~~~。



「チサト・・ほら・・ここで・・しろよ」


へ?

なにを?


寝言に返事しちゃいけないってきくけど、このさい・・いいか・・。


「なにをするのよ」


「うんこ」


へ?


「うんこ?」


「はやくしないともらすぞ・・さっきから、おまえくさい・・」


ば・・・・ばかっ!!

くさいのはあんたの靴下のせい・・・。


なんの夢みてんのか・・。

キャラバンくんで、野営地に撮影しにいったゆめかな?

あそこは男ばっかりでトイレの囲いもなくって、

こまったもんね・・。


あたしは、奴をそのまま、ほったらかすことにして、

シャワーでもあびて・・・。

ソファーで寝るしかないか・・。


あいつをベッドからたたきだしたってくさくてねむれないし・・。


布団はクリーニングだな・・。


なんで、せめて、シャワーを先にあびてくんないかなあ・・・。


シャワーをあびて、冷蔵庫の中からビールをとりだして・・


はあ・・・・。


カマンベールの箱がない・・。


サラミソーセージも・・。


・・・。


ナッツ缶はソファーテーブル・・。


ないだろうな・・。多分。


しかたなく、ビールだけ・・。


くいっと一本あけて、着替えようとおもったら、

奴がおきてきた。


「うわ!!」

驚きたいのはこっちだ。


「うわ・・そんな恰好してても、色気ひとつねえ!!驚嘆すべき事実だ」


ご挨拶だねえ・・・。


「あんた・・頼むから、シャワーくらいあびてよ」


「うん・・今から行く・・」


はあ・・・って大きなため息をもらしてやった。

とたん、


「どうしたん?なんかあった?」


お見事。このずうずうしさととふてぶてしさ・・。

「別に」

「あ、そう?」

って、そのまま、シャワーあびにいってしまった。

心配する気さえないんだから・・と、

文句もでてこないのは、あてにしてないからだけど・・。


奴のことだ、また、弟ですって、管理人に鍵をあけさせたんだ。


いろいろ、カメラのことで、借りがあるから、

大目にみてるけど、ずうずうしいのも程がある。


でも、まあ、微妙なところではあるけど、姉さん気分にひたれるのは悪くはない。

それに奴の撮影技術もセンスも群ぬくものだし、

なによりも情熱がある。


正直言うと、そこだけは、手放しで尊敬している。


奴がシャワーをあびてる間にパジャマにきがえて、

もう一本ビールをあける。


頭の中で夕焼けのモスクと右端の子犬を連れた小さな女の子の

トリミングが浮かぶ。

編集長は小さすぎるから、カットしたほうが、いいという。

モスクの夕映えで充分すぎるほど冗舌だという。

点描になってしまうほどの女の子が、犬を連れて歩いてるのが味噌だというのに、引き下がらない。

生活のない風景は嫌いだ。と、いえば、

そんなものが理由になるか。って、いいかえされた。

ーモスク自体が生活の象徴であろう。

夕日という大自然の中、人間の作ったものにも平等に光をなげかけていく。

太陽信仰こそが、人類の歴史であり、今も変わらず、人々の営み、自然、人工物、すべてを包み込む。ー

だからこそ、犬を可愛がる余裕のある「ひととき・瞬間」を対比させたいんじゃないか。主張しすぎず、風景の中にとけこむ・・


あれ?

洗濯機の音?

げ?

あたしの・・・もの・・

乾燥までしていたはず・・。


あわてて、バスルームにはいっていったけど・・。


最悪・・・・。


奴は中も確かめず、こぎちゃないジャケットやパンツや・・なにもか、

つっこんだにちがいない。


「なんだ?覗きか」

バスタオルをまといつけていた奴があたしに言う科白がこれ。

あげく・・。

「お、遠慮なくみせてやろう。おまえ、男みたことないだろ」

馬鹿にした科白をはかれて、

「みあきてるわよ」

と、いいかえしてやったら、じゃあ、平気だな・・・って・・。

バスタオルをさ~~と、たくり上げだす。


まじ?

からかってるだけよね?

そこらへんがわからない奴だから、私は

バスタオルが奴の腰から消え去る前に

むきを変えようとした。


途端、

「あ?おまえ、本当は、こわいんだ?」

ば・・・ばかたれ!

あんたのものなんざ、怖いじゃなくて、きちゃない!!だけ。


「みたら、眼がくさる」

いいかえしてやったら、すこし、しゅんとした。


いやいや、こいつのことだ、だまされちゃいけない。


「そうかあ・・・。女の子はみんな・・うっとりするんだけどなあ・・」

それが、「シュン」の理由?

「あ、そっか、チサトはまだ、女じゃないんだな。やっぱし!!」

事実を言い当てられて、ひるみをみせちゃあ、そこにくらいつかれる。

「は?どれだけのもので、えらそういってんのよ。ぼうや!!」

とたんに奴はバスタオルをとりはらった。

「こ~~~~~んなの」

と、言ったあとの奴の馬鹿笑い。

「チサト、目ぇ、つむってちゃ見えないよ」

しっかり、未経験を暴露してしまったようなものだった。


ここは、女の武器で、反撃用意。

「そうよ・・あたしなんか・・・」

めそめそとうつむいて、しょぼしょぼと口の中で、つぶやいておく。


「あ・・・」

口ではえらそうを言ってるけど、こいつも実は女に慣れていない。

「あ・・チサト・・ごめん」

「いいの・・どうせ・・私・・魅力ない・・も・・の」

我ながら、迫真の演技。

「そ・・そんなこと・・ないよ・・。チサト、けっこう、いろっぽいし・・」

必死の慰めもどこか安っぽい。

「おっぱいなんか、小さいくせに、なんか、いろっぽいよ」

はい?

「やさ男みたいにみえるくらいなのに、変に色気あるし・・」

なぬ?

「後ろから、見たときなんか、ふるいつきたくなるし・・」

前からは見えんってかあ!!


むかっ腹たって、奴をなぐってやろうと我をわすれた。

うつむけた顔をあげると・・。


やられた!!


奴は最初から、きっちし、パンツはいてた。


まじ、おちょくられてる。


顔をあげて、パンツをみてる私ににたにた、笑いかけると


「残念でした~~~~~」


どうも、私の迫真の名演技もみやぶっていたようだ。


ん?


つ~~ことは、さっきの科白は、わざとか~~~~~~~!!


「チサト・・」

リビングに行ったあいつが呼ぶ。

「なによ」

「こっち来て、のまないか?」

は?あんた、まだ・・・・。

キチンのワインラックをながめる。

大丈夫、減ってない。

と、いうことは、また、取材旅行のお土産のウィスキーかなんか?


リビングにいくと、奴はリュックから、ウィスキー瓶をひっぱりだしてきていた。

お?

バルモア?


グラスをとりにいくと、早速、ストレートでいただく。

旨い物に弱いのはいいことかもしれない。


こいつの悪ふざけも、しっかり、水にながしてしまえる。


奴がまた、リュックの中をあさる。


だしてきたのが、ジャーキー。

自分のつまみもってるなら、ひとんちのものをあさる前にそっちをさきにくえ、と思いつつ、奴が袋の口をあけるのをおとなしく待ってるんだから

あたしもつくづく、犬の性分だと想う。

おあずけにおとなしく服従する犬のごとく、まちうける。


ジャーキーを齧りながら・・・ん?


なんだ、このジャーキー・・。


奴はまだ、リュックの中をあさっている。


「あ、今食ってるのがワニ。こっちが、カンガルーだな・・」


ん・・・。


目の前におかれたジャーキーの袋には、確かにカンガルーの絵がかいてある。


口をあけた袋では、ワニがちょんぎれていた。


はあ・・・。


「あんた、変わったものに目がないんだよね。忘れてた」

蝙蝠の木乃伊のブローチとか、渡された事があったっけ・・。

「あ?ああ・・。じゃなきゃ、チサトのとこにきやしないよ」

さらりといいのけたので、しばらく、気がつかなかった。


え?

変わったものに目がないから、チサトのところにくる・・。


つまり、私はげてもので、

こいつは、物好きか・・・。


ま、いいか・・・。そこそこにおいしいし・・。



ちびちび、飲みながら、今日のトリミングの話をする。


「まあな。チサトのいいたいことはわかるけどな・・。

どこに視点をおくかってのは、結局は記事によるからなあ・・」

「ん・・・」

「写真がメインなのか、記事がメインなのかって、とこの

配分もあるし、テーマにもよる・・」

「ん・・んん・・ん」

「商業カメラマンってのは、そこら辺の按分がわかった上で、自己主張するしかない。だから、俺だったら逆にもっと、女の子がいいアングルに入るまで待つ」

「う・・ん」

「女の子の服の色とか、連れてる犬とか、全体の配分をかんがえて、

テーマにそぐわなきゃあきらめて、別の方法を考える」

「別の方法って?」

「アンチテーゼだけどさ、太陽の恵みってのが、テーマだったら、

サングラスかけてる奴をうつしこむとかさ・・」

「あ?あはは・・・すごい発想だね」

「もちろん、主張しすぎないようにな・・」

「うん。うん。わかる・・」


こいつのすごさは、こういうところかもしれない。

主張しない主張ってことだ。


「だけどさ・・俺、最近、かんがえてるんだよな」

「は?あんたでも、考えることあるんだ」

せいぜい、おかえしにとおもったが、硬い口調できりかえされた。

「ああ。だから、まじめにきけよ」


ーは・・はいー

なぜだか、こいつは、まじめになると迫力がます。

近寄りがたいというか、

はりつめた男っぷりがでてきて、

とうてい、馬鹿いってる男と同じ人間に見えない。


「俺、何、撮ってるんだろうって、思いはじめてな」

え・・・・・・。

意味合いがつかめず、私は黙るしかなかった。




「どういうんだろうな。こう、写真撮ってるてのはさ、

一種、絵画みたいなもんなんだよな。

その手法によってさ、アブストラクトなものにするとしたってさ、

結局は絵画なんだよな」

こいつ・・何がいいたいんだろう。

黙って聞くしかない。

だから、黙る。

「取る側のテーマってのが、移しこまれてる写真ってさ、

絵画の領域から脱しえないって、気がするんだよな」

やっとここで、反論の余地がでてきた。

「そんなこといったって、カメラマンである以上、なんらかのテーマをもたない写真なんてあるわけないじゃない」

「そうなんだよ。チサトのいうとおりさ。だけど、そういう写真ってさ、

訴えるものが、薄いんだよな。対象がもってるものをただ、映しとっただけで、どこにカメラマンのテーマがあるか、判らない」

なにをいいたいのか、よくわからない、ってのが、本音だった。

「逆をかんがえるとわかるのが、ピューリッツア賞とかの写真だよな。

キャパとか、ユージン・スミスとかさ、写真が真実を訴えるわけだし、

逆にカメラマンが「訴えたいことがある」なんて、やったら、マズイっていっていいかな。

たとえばさ、キャパの撃たれる兵士の写真でさ、戦争反対です。って、テーマだっていったとするじゃないか。

すると、価値が逆転してしまうんだよな。

訴えるため兵士の死を撮ったのか?ってさ。人道的な感情が逆撫でされる。

だから、カメラマンのテーマってものが、みえない、いや、そんなものなど除外してしまうほどの写真というのが、本物の写真なんだよな。

写真そのものが、すべてを語る。

テーマがなんだとか?そんなものさえ寄せ付けない」

なんだか、すこし、言いたい事がわかってきた。


「つまり、商業カメラマンとしての限界みたいなものにつきあたってしまったんだよね」

「なにかさ、そこら辺の風景とったり、旅行雑誌の目的地見所・・

結局、娯楽の領域からだっしきれない。なにをとっても、綺麗だねっていう絵画にしあげて、目をたのしませてるだけといっていいかな」

「で?そんな仕事にあきあきしたから、キャパばりに撃たれる兵士でも撮りにいきたいって?でもそれじゃあ、あんたの自己満足のため、訴えるために撮る人道的な感情を逆撫でする行為ってことじゃないのかな?」

奴にしては、めずらしく大きなため息をついた。


「だから、俺、何を撮ってるんだろうってさ・・」

はあ・・。

あたしは、こいつの言おうとしてることよりも、

こいつが抱え込んでる問題がきになった。

「あんたさ・・。それって、ようは、思い入れをなくしてしまったってことじゃない?」

「思いいれ?」

「そうじゃなけりゃ、あんた自身の存在が希薄になってんのよね」

「希薄?」

「あんたさ、類希な才能があるんだよね。だから、何でも、物になってしまって、撮れて当たり前。俺の才能でこなせないものは無い。あるとすれば、あんたがいったように写真自らすべてを語るもの。あんたが超えられないものをつきつけられて、あんたは初めて、壁にぶつかったわけよ。そして、楽にこなしてきたから、今まで、何をしてたんだろうって悩む」

事実でしかない。

「天才のもろさってのが、そこなのよね。努力して、掴んだものは自分のスキルになる。そのスキルが自分の対戦相手なわけだけど、あんたには、対戦相手が無い」

「俺・・・なんか、決定的にかけてるってこと・・か」

「だね」

一言で片付けられて、奴は頬杖をついた。

「思いいれ・・か」

「そうだね。あんたはサングラスとかテーマとかいうけどね、あたしは、女の子が夕日のモスクより、子犬に夢中だったのがよかったんだ。壮大な風景にさえ目もくれず、自分の「思いいれ」のあるものに夢中になれるってのがね、

壮大なものをしっかりふみしめて、なおかつ、自分の思いに夢中になれる。

それが生きてるってことに思えたんだ。だから、大きなモスクに小さすぎる女の子でも、女の子のほうが存在感が大きくなる。

その無機質と躍動の取り合わせを、感じ取ってくれる人間がいるかどうかなんか、どうでもいいんだ。あたしは、自分の思い入れを映しこむ。

それができるから、あたしは、自分に希薄さを感じない。

写真に何を感じてくれるか、テーマがあるか、そんなことどうでもいい。

あたしは、自分がどんな、まなざしをもつかだけしかないんだ」

いいおわってから、ぺろりと舌をだした。

「なんていってるけど、あたしもあんたの話をきいて、たった今そうだなって、自覚したんだけどね・・」


あたしの科白に奴が返した言葉にあたしは、あきれた。

「俺、アフリカにいってこようと思う・・」

「なに?難民キャンプにでもいこうって?」

図星だったんだろう。

口の中でごにょごにょ、なにかいってた。

「で、人道的テーマで撮ってみるって?」

「う・・うん」

切羽詰った天才はわらをも掴む思いなんだろう。

それも、こいつにとっては、いい経験になるかもしれない。

「で、それで、写真がすべてを語るものを撮れるわけ?」

止めてやめるような根性なら、やめたほうがいい。

あたしの口が酸っぱいを通り越して辛らつになってくる。

「そこで、ワクチンがまにあわず、死んでいく子供にシャッターを押す。

あんたにできる?」

「・・・・・」

「できるあんたなら、もう二度と、此処にこないでほしいわね」

「チサト?」

「自分の身の回りにあるものひとつの価値もみいだせない人間が

死に行く子供を映すなんてできゃしないよ。

できない人間がシャッターを押すなら、もう、2度と顔をみたくない」

「わかった・・・」

奴は立ち上がって荷物をまとめだした。

「それって、あたしの言うとおりって意味?」

「そうじゃないさ。でも、身の回りにあるものひとつの価値にさえ、気がついてない思われてるのが心外なだけ」

「でも、その通りじゃない?だから、アフリカまでいく・・」

「俺さ、自分がシャッター押せる人間か、そうじゃないのか。

押したとして、

そのままを映しこめるか、どうか、それさえ、今は判らないんだ。

だから、それをたしかめにいきたいのと・・・」

奴が言葉を切った。

「俺は、ちゃんと、価値にきがついてる」

洗濯機までいくと、奴は乾いた服をきはじめた。

きがえおわると、

リュックとカメラバッグをかつぎ、玄関にむかった。

「だから、俺はチサトに男ができてないって、ほっとしてる」

え?

捨て台詞だけが残って、奴がでていった。


今、奴がいった意味はどういうことなんだろう?


追いかけてたずねあわせたい気もしたが、やめた。

あたしだって、自分の言ったことに信念がある。

そして、奴自身が「なにか」を自分でみきわめるしかない。


写真がすべてを語るものをとれるかどうか、

それより以前に

奴はカメラマンに徹せる自分かどうかを見極めたいんだろう。


カメラマンに徹せる自分を見つけたときと

カメラマンに徹せ無い自分をみつけたときと、

いずれの場合にしろ、

あいつは自分をどう結論づけるんだろう?


そして、あたしは、奴をどういう目でみるんだろう。


ふと、ため息がもれる。


なんだっけ?


えっと、身近なものの価値がわかってるから、

あたしに男がいなくてほっとした?だったよな・・。


それはなんだ?


あたしがあ~~ぱ~~な生き方をしてないから、

まじめにいきてる女もいるんだってことかいな?



あんた?それ裏返したら、


あんたの周りには、ろくでもない女ばっかりいるんだってことになるじゃない。


で?


あたしくらいの人間が価値になる?


は~~~~~~。


レベル低い。


ましてや、あたしも、そんな気になる男がいないだけで、

これまた、ひっくりかえせば、もてないせいであり、

たまたま、もてないのも、重なって、男・・知らないわよ!!

あんたの言う通りよ。


たんなる偶然でしかない「男、知らない女」が、

価値になる?


笑いたくなる以前に、

あんたのレベル設定がなさけなくなる。


・・・・・・。


寝よ。


明日はぴゃ~ぴゃ~うるさい、幼稚園児相手にしなきゃいけないんだ。


幼稚園の入園パンフレットとポスターの写真・・・。


明日・・・晴れるといいな・・。


朝、目覚めると、即、幼稚園に出向。


奴はいつ、出かけるのだろうかとふと思う。


有給休暇が2週間ちかくあるだろう。


休日をはさむと、20日ちかい休みが取れる。


海外への取材旅行はもっぱらあいつが担当してるから、

あたしは、めったに海外なぞでかけられない。


場合によっちゃあ、あいつは、そのまま、次の拠点にむかうときがあるから、2~3ヶ月かえってこないなんてこともある。


しかし、休みもらえるんだろ・・?


待てよ。


あいつがいない間、あたしが穴埋めにつかわれる可能性もある?


ありえるなあ・・・。


外国もいいけど、行く場所によりけ・・り。


おっと、ここだ。


けっこう、でかい幼稚園。

まだクラスのなかにはいる時間じゃないんだろう。

遊具にもぶりついてる子がいる。


しつけが行き届いていて、車をおりたあたしをみつけて、「おはようございます」なんて、いう子がいるかとおもえば・・。


前言撤回。


「おお!!戦場カメラマンだ」

カメラを持ってりゃ、戦場カメラマンかよ?


まあ、ちびのいうことだが、当たっているともいえる。

こんなちびが山ほどいるんだろう。

まさに戦場だ。


遊具をつきぬけて、受付を捜す。


あれかな?


入園願書受付・・って看板がみえる。

年がら年中受け付けてる?

わけないか・・。


受付の中に入っていくと、カメラで察したんだろう。

どうぞと、応接室に通された。


やがて入ってきたのが園長?


かなり若い。それに女性。

若くなけりゃ驚かなかったんだと思うけど、

そこで、話がはじまった。


まずは、クライアントの意向を確かめなければ成らない。

幼稚園の教育・・・ん?保育?方針もポスターイメージを決めていく。

協調性とか重んじるなら、大きな行事とか、遠足に行く時とか?

まあ、こういう「みんなでなにかやる」ってのが素材になる。


名刺を渡し、園長先生からも、名刺をいただく。


園長先生の開口一発。

一番じゃない。まさに一発。

「あの、私、幼稚園制度には反対意見なのです」

へ?

って、あなた、園長でしょ?保育に情熱をかけてるとかならわかるけど・・。

まるっきり、反対のことをいいだした。

何がいいたいんだろう?


「本当は就学前までは地域でみんなで遊んだり、家族と一緒にすごすのが

一番だとおもうのです」

はあ・・・。

そんなこといったって、このご時世、親も働かなきゃくっていけないし、

核家族で、子供ひとり家においておくわけにいかなくて、

まわりもみんな幼稚園にいってしまったら、

ひとりぼっちになる・・し・・。

「ところが、保護者が職についていたり、諸事情で子供を幼稚園に預けなきゃいけない場合もあります。地域の子供たち同士で遊んでいくのが、良いとおもうのは、縦の関係があるからです。幼稚園は横の関係といっていいでしょうか、同じ年の子ばかりがいる」

そりゃ・・そうだけど・・。

「幼稚園では、3歳児・4歳児・5歳児をあずかるわけですが、

この子達が縦の関係がつくれないのですよね」

う・・ん。まあ、そうだよね。まだ、預けられてるわけだし・・

こ~~んなちびっ子がごっちゃくたになってたら、むつかしいだろうし・・。

「ただ、4歳児・5歳児なら、それは可能なんです」

はあ?

3歳児はだめ?

なんで?


「3歳児と4、5歳児の違いが、はっきり、わかるのが、「遊び」の時間ですね。3歳児はお友達と一緒に遊ばない事が多いのです。自分の好きなことをしているだけで、たとえば、砂場でトンネルを作る子、お花を見てる子というふうにそれぞれ勝手にあそんで、お友達はそこに誰かいるだけ。ところが、4歳児になると、砂山で誰かがトンネルを作り始めると、手伝いはじめたり、別のグループは、砂山をこわさないようにむこうであそびだしたり・・・。

ようは、社会性と協調性が確立するのです」

なんだか、なにがいいたいのか、わからなくなりながら、話を聞く。

「マウス実験がありますよね。そのマウスの一方は親マウスとそのまま一緒にして、もう一方はうまれてすぐに親から離して育てます。成人したあとにストレスを掛ける実験をします。親と一緒だったマウスはすぐに元気になるのですが、親と離したマウスは酷い場合ショックで死ぬことさえあるのです・・」

つまり・・なにがいいたい?

「ストレス、それが、幼稚園だとおもうわけです」

そ・・それをいっちゃあ・・・。

「もちろん、3歳まで親のところにいたわけですから、親と離れていたわけではありません。けれど、この親と離れるタイミングが、3歳では、むつかしいのではないかと思うのです。3歳児はお友達が居るだけでいいのです。別々のことをしていても、「居る」だけです。それは、4歳くらいまでの子供が親にたいしてもそうだといっても過言ではないのです。いつも、親が「居る」ことを確認して「安心感」をえている。それが、マウスの実験のように大人になってストレスを感じた時、それに耐える力が薄くなる。安心して育ってないのです。

その3歳児がお友達に対し、「擬似安心感」を得ようとしているわけで、

ここからすでに、ストレスと不安を作っているんじゃないかと思うわけです。

4歳児になったら、協調性がでてくる。これは、裏返したら、親を確認しなくてもよい自立心がめばえたからこそです。この時期からならば、縦の関係も作る事ができるわけです。

3歳児を預かる制度を撤収したところで、他の幼稚園が危惧をもたず3歳保育を行うのですから、なんらかの打開策はないかと参観日・親子行事をふやしたり、連絡ノートなど密にしたり・・」

なるほど・・・。

「簡単じゃないことです。参観日などは、子供が一緒に帰ると泣き出したり。せっかく先生になじんできたところに親が頻繁に顔をだせば、子供だって、親のそばにいたいわけですから・・」


つまり、この幼稚園の方針は今のことよりも、子供の将来、先の先を考えた保育方針だということなんだ。

は~~~。

その方針がみえるポスター・・。

ロゴがほしいな・・。

あ・・。

「お分かりいただけたでしょうか?」

頭の中にはひとつの案がうかんでた。


「しばらく、いろいろ、撮らせていただいてよろしいですか?」

尋ねた言葉に園長先生の顔がほころんだ。

「やっぱり、貴女におねがいしてよかった。

とおりいっぺんの写真をとっていくばかりの儲け主義のカメラマンにうんざりしていました。貴女のように方針にみあう写真をとろうとそう申し出てくださった方ははじめてです」

手を差しのべられ、大きな握手になって、それから、園内をいろいろ案内してもらって、行事などメモして、とりあえずその日はデスクに戻った。


そして、

「編集長」

昨日のごりおしがあるから、あたしもちょっと、低姿勢口調。

「あの?幼稚園の園長先生がーやっぱり、貴女にお願いしてよかったーと、いってたんですけど・・」

半分も聞かないうちに編集長はご機嫌な顔になる。

「そりゃ、いいことじゃないか。うん、がんばってくれ」

じゃなくて・・。

「やっぱりって・・なんか、誰かがあたしを薦めてくれたっていうことじゃないのかなって」

「ああ・・。それ、慎吾だ」

奴?


奴がなんで?


「幼稚園のほうが、おまえをなざししてきたんだよ。たずねたら、慎吾から紹介されたっていうから・・慎吾・・に・・あれ?」


黙り込んだあたしに編集長までが、黙り込む。

「なんだよ?」

やっと、出てきた言葉はあたしのだんまりへの質問・・だろうな。

「いえ、なんで、や・・慎吾があたしを薦めたのかとおもって・・」

「う~~ん。まあ、慎吾のほうに頼んだのが本当かもしれないな。

だが、受けられる状況じゃなくて、おまえにふった・・」

「受けられる状況じゃない?」

「ああ、なんでもおふくろさんが入院で、おやじさんもよくない。

面倒見れるものが無くて・・急遽・・実家にかえるとかでな。

とりあえず、2週間の有給休暇。

あとは、様子次第で・・ってことになって・・」

あきれた・・・。アフリカ行きの方便にまちがいない。

「それ、いつなんですか?」

「あん?」

「慎吾がいってきたの・・」

「ああ・・今朝だ。チサトには慎吾の分もやってもらわなきゃいけない事がでてくると思うから、話しておかなきゃと思って・・・」

いたところの出鼻をくじかれて、あとさきになったが、まあ、カバーを頼むというのが、編集中の言い分。


「まあ、いいですけど」

と、いうこの科白が編集長の癇にさわったらしい。

こってり、しぼりあげられて、

やっと、解放された。


しかし、奴め・・。

思ったが最後、実行力が伴うという部分は

ますます尊敬に値するが、

アフリカくんだりまで、でかけて、はたして

納得する写真がとれるんだろうか・・・。


まてよ・・?

幼稚園の写真はもっと前からのはなしだ・・。

と、いうことは、すでにアフリカ行きをきめて、

編集長に話しをつけていた?

チサトのほうが、適任ですとかあ?


つ~ことは、あいつ相当前から

悩んでいた?


と、いうことは、奴のいう価値というのは、

幼稚園の写真をとれるあたしという意味合いだったのか?


すでに「まなざし」を認めてるってことだったってことだったのか?


だから、あたしに相談だった?


と、考えると、


え~~~と、

あたし、何をいったんだっけ・・・。


奴にいったことを思い出してみると、

奴がこっちを認めていたことを踏みにじる言い方をしていたかもしれないとも思える。


だが、いずれにせよ、自分が実感して、自分がどうするかでしか、

答えは形にならない。


今頃は飛行機か?


ドゴール空港から、のりかえて・・・。


アフリカ・・・。


あいつ、ワクチンとか、接種していったのかな?

オーストラリアから帰国して、そのまま、あたしのところにころがりこんだとしか、思えない・・。


前言撤回。


猪突猛進の馬鹿だ。


いや、オーストラリアでワクチンとかうった?


ん?


あたしはなにを奴の心配してるんだ?


ふと感じた疑問の答えを探ることをやめて編集長をみた。


エアーズロックのおおきなポスターを広げてる。


傍によって、編集長のうしろからのポスターを眺めた。


「夕日・・のエアーズロック・・にみえるだろう?」


うん?


「ところが、これは、朝日なんだな。

にび色をしてるから、夕日に錯覚する・・」


え?

あたしはまじまじとそのポスターを覗き込む。


「こんなシャッターチャンスはまずない。慎吾のすごいところはここだな。

奴の前では、奇跡がおきる」

あるいは、カメラマンの資質というものはこういうものかもしれない。

チャンスを掴み取る運だけでなく、チャンスを起こす。

何度寝ぼけ眼で朝日に浮かぶエアーズロックに挑んだことだろう。


「だけど、ポスターにはそんな説明一言もはいらない。

あるいは、夕日とまちがわれてしまうかもしれない」

その公算のほうがおおきいだろう。

「慎吾にとって、どう、眺められるか、どう受け取られるかなんて、どうでもいいことで、どこまで、自分が被写体にこだわっていくかしかでない」

「それが、写真がすべてを語る」

「お?いいことをいうな。極めたものだけが、天才と呼ばれる」

すでに天才の範疇に入った男はそれでも、まだ、なにかを極めようとしている。


いつまでも、エアーズロックを眺めていても仕方が無い。


午後から、ビストロのランチを撮影しにいくことになっていたから、


事前に、ランチをたべておこうと思った。


ビストロの店内のムードもつかんでおきたかったし、


やはり、客層をみておくのが、一番良い。


さりげない配慮があると、客層がかわる。


窓際の鉢植えにオリーブの実がなっているイタリアンレストランは


中年層の女性の嗜好をくすぐるのだろうか?


落ち着いたタイプの客層が多いようにみえた。


店のつくりによっても、物静かに食事をとるムードと


会話が食事に華をそえる団欒のムードがあったりする。


物静か過ぎれば、光の差し込ませ方で明るい和やかなムードを強調させることもできる。


まあ、どっちにしろ、下見がてらにいってこなきゃならない。


時計をちらりと見上げる。


11時過ぎ・・。


今から、いけば、丁度よいか。


「次・・いってきます」


編集長に声をかけたら、


「あそこはな、エスプレッソが巧い」


「・・・・・・」


料理は・・どうなんだろうと?不安になりもするが、


編集長も下見にいったことは間違いない。


「こっちから、取材させてもらう以上はな・・」


にかっと笑ったけど


編集長は「押しがない」と思ったら、載せない人だから、


大丈夫なのは、間違いが無い。


ビストロで、たどりついて、みれば、


店先からなかなかのつくり。


もったないかと想うくらいの庭をつくり、


テラス風にしあげている。


テラスに面した窓は大きく開放感がある。


すこし街路より奥まっているから、通り行く人たちとは、


世界の区切りがつけられていて、


アメリカハナミズキがテラスの脇に枝をのばして、妙に優しい。


ビストロの世界の門番のようでもある。



奥の席に案内されて、ランチコースを注文する。


最初にやってきたのが、スープだったが、


皿の中に淡いオレンジと薄い紫の2色のスープ。


これは、これは。


まず、目で楽しませる。


なんのスープだろうと好奇心をひく。


綺麗に右と左に分かれている。


最新の注意で注ぎ込んだものだと想うとそれだけで嬉しくなる。


食べる前から、どちらからたべようか、


真ん中の場所をすくえば、二種類が口の中でブレンドされるだろう。


眺めているだけで楽しいところに口上がはじまる。


なになに?


オレンジ色がかぼちゃとにんじんのスープ


薄むらさきが、ジャガイモ・・?


紫芋じゃなくて?


え?紫キャベツ?


ほ~~~。


パッションフルーツを思わせる彩のくせに・・・。


さて、まずは、オレンジ色のスープ。


こりゃ、旨い・巧い。


ざらつきもないし、お互いの味を殺さず、素材の甘みがある・・・


薄むらさきいろ。


ひとくち、すする。


上品。じゃがいものくせのない味とキャベツ独特の青くささが、


ん?


ベースに紅茶をいれてる・・。


軽いほろ苦さがなんとも大人向き・・・。


スープから、この調子だった。


あとのものはといえば、


どれもこれも、斬新さと手の込んだものと、絶妙なマッチング。


サラダの上にチップのようにまかれたのが、自家製のスモークビーフ。


ドレッシングがトマトのみじん切りと刻んだパセリをあくぬきして、


たまねぎのすりおろしでなくて、かなり、細かく包丁でたたいたものを


ビネガーとヴァージンオイル?・・かすかなひきたての胡椒とこりゃあ・・岩塩か?


たまねぎがなじんでるから、何時間かねかせている。


シンプルなくせに・・・なに?この旨さ。


スズキのソテーに淡いオレンジクリーム。


ママレードソースの甘みをおさえた香草焼きのチキン。


パンも自家製。


無花果をまぜこんだ薄い紅色のプチフランス。


五穀をまぜた、ロール。


シンプルな普通のブレッド・・あ?絹のようなきめ細やかな肌・・。


バターとオリーブオイル。


そんなものつけるのももったいない。


そして、デザート。


エスプレッソとすこし、小さめにつくった自家製ミルクシャーベットとクリームブリュレ。



きがついたら、しっかり、客になってしまっていた。


3時から、いったん、店をしめるから、この時の撮影になるのだけど・・。


撮影するに、思い入れをもてる料理だったのが、嬉しい。


どうやって、この旨さと「あっ」をつたえようか・・。



3時からの撮影をおえて、デスクにかえってきたら、


もう6時近かった。


アップルにとりこんだものを編集長に見せる。


スモーク室のビーフを取り込んだものが一番良いという。


こりゃあ、特集くんでもいいなとか、ぶつぶつ、いっていたから、


別の記事がカットされるかもしれない。


とにかく、今日はこれでいい。に、して、帰宅。


アパートにたどり着くと、なぜか、奴がまた、居るきがしてくる。


神出鬼没を絵に描いたような奴だから、


昨日の今日で、


「やっぱ、やめた」


なんて・・


ことはない。


奴のくさい臭いがまだ、玄関先にのこっているが、


靴もない。


そういえば・・。


あたしのベッド・・・。



寝室に先にはいってみりゃ、まだ、くさい・・。


ベッドの横に奴の靴下がころがっていた。



なんだろ・・・・。



やけに、気がぬけたような・・。


物足りないのとも違う。



誰かが家に居る・・・なんてことがない生活に、突然の闖入者は、


あまりにも、存在感だけを残し去る。



元々、無かったはずのものがど~~んと占領してしまった空間は、


妙な臭いが残っているだけに、


残像が生々しすぎるのだろう。


コマ送りのストップモーションが、一瞬できえさった喪失感ににたものがある。



動き出そうとするものがもつ活力は、


ときに、じっと、とどまっている人間の心にうらやましさを与えてくる。



ひょっとして、


私も奴のように、自分を試し、確かめてみたいのかもしれない。




次の日、朝起きると、早速、幼稚園に飛んでいった。


3歳児なるものが、いかに、登園をぐずるものなのか、たしかめておきたかった。


あわよくば、慎吾のように奇跡がころがってくるかもしれないというたなぼたも期待していた。


駐車場に車をとめて、幼稚園の門の前まであるいていくと、


徒歩通園の子供がちらりほらりと門をくぐっていく。


保育士は、門の脇に並んで声をかけていたが、


教室がはじまるまでの間、遊具で遊ぼうと一目散の子供の背中に声をかけることになる。


そんな中、母親や父親、祖父母につれられて登園してくる子供もいる。


突然の泣き声は、母親にしがみついてぐずる子供のものだ。


見れば、3才だろうな、可愛いポニーテールの頭を若いお母さんの両足の間におしつけて、


ピーピー泣いている。


お母さんはかがみこむと女の子にはなしかけはじめた。


「お友達が遊ぼうって・・」


女の子はいやいやと首をふるとお母さんにもっとしがみつき、もっと泣き出す。


困った顔のお母さんはそれでも、女の子に説得をこころみる。


「うさちゃんがはっぱちょうだいっていってるよ」


ううん、ううん、と首をふるのが、彼女の答え。


うさちゃんってのは、きっと、園舎の前にある兎小屋の住人のことだろう。


かすかなためいきをついて、お母さんは、考え込む。


彼女にどう言えばいいのか、迷ったお母さんの顔からは


こんなことが、毎日つづいているのかは、よみとれなかった。


「里奈ちゃん・・」


たまりかねたのか、担当の保育士だろう。女の子の名前をよんだ。


とたんに女の子はお母さんの胸にしがみつく。


「うさちゃんが、おなかすいたよ~~~って、えんえんって、泣いてるよ」


保育士の言葉に女の子が保育士をちらりとみつめた。


「えん、えん・・って?」


女の子の発した言葉に保育士がすかさず答えを返す。


「里奈ちゃんがはっぱ、もってきてくれないよ~~~って、泣いてたよ」


女の子がその言葉にうつむいた。


「りなが・・はっぱ・・」


「うん。里奈ちゃん、まだかな~~~~って」


「う・・・」


迷った手がお母さんの胸元から離れていく。


「うさちゃん、おなかすいて、かわいそうだよ。あげようよ」


顎がこくりと頷きをみせると、女の子、いや里奈ちゃんは、保育士をみあげた。


里奈ちゃんの前に保育士がさしのべた手がある。


里奈ちゃんはその手に自分の手をのばした。



絶妙。まじ、絶妙。


そして、あたしも。


おそろしいもんだね。


カメラマンの習性が身についている。


慎吾よろしく、そのシャッターチャンスをあまさずとりつくしていたんだから。



そして、この里奈ちゃんが母親の胸から保育士に手をさしのべている写真を園長にみせた。


肖像権の了承をえられたら、ぜひ、ポスターに使いたいとのことになった。


保護者が安心して子供を任せられる。


酷い時には、親の都合もあるのだろう。出勤時間とか?


ー泣き叫び後追いする子供を無理やり、おさえつけて預からざるをえない場合もある。


できれば、ぐずる子供には、保護者も子供に言い含める時間的余裕をもってほしい。ー


そう、いいながら園長は、その写真に預ける側の覚悟も預かる側の覚悟もそして、当の子供の不安と期待、すべてが集約されているという。


「子供が自らの意志で登園する。ここが大事なんですよ」


多くは語らず、園長は私の写真にGOをかけてくれた。



とうぶん、かかるだろうと思っていたポスターはシャッターチャンスに恵まれ


肖像権のことさえ、許可がおりれば、あとは、パンフレット写真だけ。


これは、年間行事も折りこむつもりだから、あわてなくてもよい。


編集長もその写真をみながら、ニヤリと笑った。


「さすが、チサトだな」


はい?


「やっぱ、女性ならではの視線だな」


はぁ・・・


「慎吾がお前を薦めた訳がここか・・・」


ふむ?


「慎吾ってのは・・人を見る目も確からしいな」


あとは、編集長の高笑いになってしまったが、あたしは編集長の科白になにか、ひっかかるところがあった。


人を見る目・・・。


慎吾がいっていた「価値に気がついてる。だから、チサトに男がいなくてほっとしてる」ってのは、もう少し違う意味かもしれない・・と。


「編集長。あの、全然関係ないんですが・・質問していいですか?」


「お前なあ。なにがどう全然関係ないのかもさっぱり判らなくて、質問され、それに答えられない回答だった時、俺は答えられないんですか?って、詰問されるのも良しとするという大きな条件をつけてるってことになるの、おまえ、判ってる?」


む・・・。なるほど、くそ用心深いじゃないか。


「じゃあ、答えられない場合は、それも編集長の見解ということで・・」


「つまり、ご意見を賜りたいと、こういうことだ?」


「ええ。丁寧にいえば、そうなります」


精一杯の皮肉をこめたつもりだが、あっさりと流された。


「お前が俺の意見を聞きたいというのなら、俺は精一杯、考えるよ」


お・・・。そこまで、おおげさなもんじゃないのだが・・。



昼食に近い時間にもなっていた。


続きはランチでも食べながらということになって、近くのボックスタイプのパスタ店にくりだすことになった。


パスタが来るまでの間に手短に尋ね、手短に答えが返ってくるとふんで、


注文を終えるとまもなしに、


慎吾の科白をきりだしてみた。



編集長は、一瞬、ぽかんとした顔をみせた。


もちろん、シャッターチャンスよろしく、その表情を私がみのがすわけがない。



「あの?」


そう尋ねるだけで、編集長も自分の表情の理由をはなさなければいけないとさっしがついたようだ。


「いや・・。飯くいながら・・ってんじゃなくてさ、せっかちにたずねなきゃいけない、話がそれか・・と、おもってさ」


「あ?そうじゃないですよ。たいした話じゃないから、さっと、たずねてみようかな?って、おもっただけで・・・」


「急いてるって、わけじゃないのかもしれないけど、う~~~ん・・・」


編集長はなにを思うか、頭をぽりぽり、かきながら、あとの言葉をつまらせた。


「回答なし?って、ことですか?」


「いや、うん、まあ・・・どういっていいのかなあ」


「回答はあるけど、うまく表現できない?」


編集長という職業への沽券とプライドをつつく言い方をして、様子をみてみる。


「いや・・・。まあ、俺がいっちまっていいのかな?ってのが、あるんだけどさ・・。


まあ、たいした話じゃないって、お前が思うところにすでに、お前には慎吾のいいたい事がわからないんだろうなって思ってさ」


たしょう、ひっかかる言葉をふくんでいるが、実際、慎吾の言いたい事がわからないから、編集長にたずねているのが、事実だ。


「つまり、慎吾から実際に聞けと、いうことですか?」


「う~~~~~ん」


なんなんだろう?えらく、もったいつけてしまっている。


でも、編集長は、慎吾の言う意味合いをわかっているのは、間違いがない。


しばらく、沈黙がつづいて、編集長はグラスの水をのみほした。


空になったグラスをおくと、編集長は腕をくんだ。


「あのさ、グラスが空になったらさ、ウェイターはさ、それとなくさっして、水を注ぎにくるわけだ。つまり、慎吾がお前にもとめてるものは、何もいわずとも、水を注いでくれるってことなわけさ。だからな、俺がお前に、-慎吾は水を注いで欲しいと思ってるーと、こういってしまってさ、お前がそれをしなきゃ、慎吾はがっかりするし、してくれても、人にいわれてしたんじゃ、お前の気持ちじゃないわけだよな」


「はい?」


「だからさ、慎吾がお前になにをしてほしいかをお前が自分でつかまなきゃいけないわけだ」


「いや、ちょっと、待ってください。すでに、私は慎吾のしてほしいことをしてたってことになりませんか?まあ、皮肉にも、きこえなくもないんですが・・。いや、実際男いないし・・。


と、いうか、私が男を作らない・・・いや、正確にはもてないだけですが・・・。


それが、慎吾のしてほしいということにあてはまりませんか?」


目も当てられないという風な困った顔で編集長は私をみつめた。


「だからさ、それ、どういう意味か、おまえ、わかんない?」


「判らないから、尋ねているんですよ。話がどうどうめぐりで、おまけに私が尋ねてることをなんで、編集長にたずねられなきゃならないのか・・」


聞くだけ無駄だったかと、ため息が漏れると、編集長が口をぐっと結んだ。


この癖はよくわかってる。


言いたくないことを言う覚悟をきめる時の癖だ。


「お前、自分の事になると、鈍すぎるんだよ。慎吾はお前に惚れてるんだよ」


「・・・・・・・・」


私の口からまったく、言葉がでてこない。


奴が私に惚れてる?


まあ、言うに事欠いて、よくも・・・・・ん?


編集長、やけに真顔すぎた・・・。


「それな、慎吾のプロポーズだったんだよ。お前、見事に肩すかしをくらわせて、鼻もひっかけない、眼中にもない、って、態度とったんだろ?


それでか・・。それで、慎吾は休暇とったんだな・・」


え?は?いやいや、休暇は別件だけど・・。


しかし・・。


プロポーズ?


笑いがこみ上げてくるのをこらえたのは、編集長をこけにしてしまうと思ったからだけど、


男同士ってのは、そういう風に思うのか、


はたまた、すでに外見である、お互いの性別をあてはめてしまって、ありがちな男と女の顛末という推論をしたがるものなのか、


結局、判らずじまいなんだなと思ったところに、パスタがやってきた。


「俺もな、慎吾の好みがお前なのかと、どうも、腑におちないところがあってな。俺がそう思うくらいだから、お前自身、もっと、ぴんとこないんだろうけどさ、ちっと、慎吾のことをまじめに考えてみてやらないか?」


目が点になる以前に、ここでも、慎吾のいうところが、プロポーズだと思えない理由がならびたてられてしまった。


「確かに・・私、女として、魅力ないの、わかっていますし、慎吾にも、何度かはっきり、言われてますから、まあ、その、どう考えても、プロポーズだとは、思えないんですよね」


明太子パスタをフォークにからめはじめながら、編集長はぽつりとつぶやいた。


「慎吾のこと、男と思ってないからだろ?」




昼食のあと、照明器具の写真をとりにいった。

そして、昼間の相談ごとにはいっさいふれないままの編集長からのGOサインで、家に帰ってきたけれど、編集長が、あえて、もう、なにもいわなかったぶんだけ、


あたしには、あの科白が、胸に大きくつっかえてしまっていた。


ー慎吾を男として、みていないー


ずばり、その通りだと思う。


慎吾を男として、みていたら、きっと、あの慎吾の科白をもっと、意味深なものにうけとめられていたのかもしれない。


むろん、あたしが、そのことに、鬱々した気分をあじわっているわけじゃない。


編集長のいうところの意味合いが、やけにおもたっくるしいせいだ。


あたしが、ちっとも、女らしくないのは、いいかえれば、


男を男として、意識できないからだろう。


編集長がいう意味はそういうことだ。


女らしくないから、もてないんじゃなくて、


男を男として、意識する「女」の部分が欠けているから、女らしくないといっていると、取っても良いと、思う。


そのなにか、欠如した、根本部分をずばりと指摘された気がする。


もちろん、「男」を意識するという意味合いは、妙な色ぼけ女を指すんじゃない。


男本来がもつ、男だけがもつ、資質を魅力と捉えないあたしがいるということだ。


何故だろう?


そこにいきあたるから、妙に気分がおちる。


これといった、コンプレックスがあるわけじゃないけれど、


どこかで、中性的というか、男や、女という性別にこだわらないカメラ目線をもちたかった。


と、いうことに思い当たる。


それも、何故だろう?


「性別」を超えたものを目指すという裏側は、性別により、「超えられないもの」があることを、厭うせいだろう。


あたしは、自分が女であることを嫌がってるのかもしれない・・・。


ーだからかな?・・・-


だから、慎吾のことを男として見たくない。


それは、いいかえれば、自分が「女」であることをつきつけられてしまうから・・?



あたしは、そこを、避けていた・・のかな?



それを、ずばりと、突かれた気がして、気分があがらない?



慎吾を、男として・・見つめる・・?・・・


ふと、沸いてきた答えにあたしは、愕然とした。



きっと、自分が「女」として、生きていくくらいの気持ちになるのなら、


そんな、気持ちにさせた相手を、失くしてしまったら、きっと、生きていられなくなる。



だから?


それが、怖くて、あたしは、「女」になんかならない。


そう考えたんだろうか?



だから、男を男として、意識しないことで、


かろうじて、自分を保っていたのかな?



だと、したら、あたし・・・・。



滅茶苦茶・・弱い人間ってことに・・なる・・か。



そうなのかもしれない。


あたしは、男に依存した生き方でなく、「自分」でありたいと思ってるんだろうな。


「女」だから、チサトが好きなのでなくて、


チサトの生き様ごと、好きになって・・?


え?


だとしたら・・。


慎吾の言う「価値」というのは、そのこと?


編集長の言うとおり、慎吾の言うとおり、


ちっとも、女らしくないあたしなわけなんだから、


それでも、それが、プロポーズであるのなら、


チサトという存在そのもの、生き様そのものを、価値だと認めてるってこと?



わからなくなってきたことを、いつまでも、考えたって仮想論理でしかない。



そう考え付くと、あたしは、奴の置いていったバルモアをグラスにそそぎこんで、


ちびちびと、一人きりの酒宴をひろげることにした。



慎吾のことは、どうでもいい・・や。


あたしが、どうするか・・・。


あたしが、どう思うか・・。


そこが、軸。


軸に触れるのか、どうか。


そこだけをみておけばいいや・・。


この時点で、あたしは、はっきりと、慎吾を「男」としてみていないと、結論づけるしかなかった。



奴が、難民キャンプに旅発ってから、5日がすぎていた。


2週間で、思う写真が撮れるものだろうか?


って、思う。


たった、10日ほどの滞在で、難民キャンプのなにがわかるというのだろう?


ただの異邦人でしかない一個のカメラマンが、表面上の出来事をとらえるだけにすぎなくなるだろう。


だいたい、目的というか、ポリシーというか、テーマというか。


そんな目線をもたないってのは、棚からぼた餅がおちてきたら、そこで、ぼた餅を食いたい自分か確かめてみようなんていうのに、等しい。


その根性が気に食わない。


ふと・・・。あたしの思考がとまる。


仮想でしかないことを考えるのは嫌いだけど、あたしだったら、


どういう目線をもつだろうと思ったんだ。


それは、幼稚園の園長の言葉もあったと思う。


仕事を生活にしていこうとする中、なにかしらのポリシーをもっている。


ビストロのシェフだってそうだ。


とにかく、金を儲けりゃ良い、事をこなしていけば良いってだけじゃない。


そう、カメラに映しこむカメラマンの視線というポリシー。


慎吾は、それを見つけられなくなっている。


じゃあ、あたしは?


慎吾と同じ立場になった時、どういうポリシーを映しこむだろう?


そんな、命ぎりぎりの被写体と向かい合うことなど、考えようともしなかったあたしに、


答えは、でてくるわけがない。


やはり、仮想問題。


想定外の状況をどうするかなんて、考えたって答えなんかでるわけがない。


だいたい、とっさの時、いざとなった時、自分がどうするか、どう考えるなんか、誰にも、わかるわけがない。


こうしたい、ああしたいとおもっていたって、いざとなったら、ああもできない、こうもできない自分を知らされるだけになるかもしれないし、


逆に思わぬ自分を知らされるかもしれない。


グラスの底溜まりのバルモアをくいっと、あおると、あたしは、仮定答弁をつつきまわすのは、やめた。


だけど、次の日、仮定答弁でなく、現実問題として考えなきゃいけなくなる事態がはじまるなんて、これっぽっちも、予想だにしていなかった。


たまの休みも部屋の掃除と洗濯と模様替えで、おわってしまい、


夏向けにかえた、淡い緑のカーテンが、いかにも、涼しげではある。


奴の靴下をどうするか、捨てるか洗うか、随分迷ったあげく、勇気をふりしぼり、洗っておいたものを、どこに片つけるか、迷っている。


まさか、あたしの箪笥になぞ、しまうわけにはいかない。


結局、なんだかんだいって、奴の面倒をみてるってことになるけど、


奴の科白同様、どうすりゃいいか、考えつかない悩みがついてくるのが、一番、面倒だ。


夕食にパスタをゆであげながら、ふと、気がつく。


だいたい、奴の靴下ひとつを洗うのに、せいぜい、迷うような、あたしが、奴と一緒にくらせるわけがない。


そんな人間によもや、プロポーズだとしたって、答えは歴然としてる。


そうそう。そうなんだから・・・・。


と、一人、うなずいているのに、ふいに、部屋が広く感じられる。


奴がいたら、せまっくるしくて、くさくて、きちゃなくて、うるさくて、あたしのこと、おちょくってばかりで・・・・。


でも、奴がでていってしまうと、パスタをおいたテーブルのむこうに、奴の残像がうかぶ。


存在感が消え去るまで、1週間近くかかってしまうのは、奴の強烈な個性のせいと・・・。


一人暮らしが長すぎた・・かな?


そろそろ、潮時なのかな?


いつまでも、独身ってわけにはいかなくて・・。


見合い・・・でも、しようか?


奴とも、しっかり、線引きしなきゃいけない時期になってるんだ。


奴だって、ぼつぼつ、嫁さん・・みつけなきゃいけない・・って、時期なんだろう。


だから、編集長が、男と女という視覚で物をいいだすんだ。


つまり、妙に親しい間柄をいつまでも続けていちゃいけない、って、ことだよな。


けじめ、つけて・・。


それぞれの人生を歩んでいかなきゃいけないわけで・・。


この先・・奴は・・・・。


どこの誰かもわからない男が影絵で脳裏にうかぶ。


誰かとともに暮らしはじめたあたしを気遣い・・・。


そして、奴は来なくなる・・。



ふと、沸いた想像なのに、なにか、急にひどく、寂しくなってしまったのは、


いつまでも、優しい関係のままの二人じゃいけないんだってことを認めたせいかもしれない。


いやがおうでも、奴は「男」であり


あたしは「女」なんだ。


それを、どこかで、度外視していた。


それは、きっと、決別しかないこの先を少しでも見えないところにおいやって、


姉さん気分をあじわっていたかっったせいだ。


そのすれすれの均衡を壊そうとしてるのが、奴なのかもしれない。


決別という形でなく、度外視を外したうえで、この先も、曖昧で穏やかな優しい関係が続くように・・・。


奴の中で、それが、価値だということなのだろうか?



疑問符だけになってしまったあたしは、やっぱり、奴は靴下と同様だと、結論することにした。


そのまま、あたしの久しぶりの休日はなにごともなく、平穏無事におわる筈だった。


ソファーテーブルの端においた、携帯のコールにでなければ。


「もし?」

もちろん、着信音でその相手が編集長だってわかってる。

着信の音楽はご丁寧に「天国と地獄」にしている。

携帯にまで、かかってくる用件は、往々にして地獄沙汰であるため、

精一杯の皮肉ではあるが、まかり間違っても当の編集長がすぐ傍に居る時に携帯にかけてくるなんてことはないので、編集長にこの皮肉をつきつけることはない。


「おお、チサト・・あのな」

やだね。こんな時間におまけに、もったいぶった言い方。

「あのさ・・。まあ、俺も考えに考えたんだけど、このさい、やむをえないし、まあ、おまえも少林寺の腕は確かだし、急ぎだし、あの・・」

つまり、女であるあたしを行かせるには、ためらう場所であり、

慎吾をいかせるのが良いのだけど、両親の病気・余命危うしという事情が事情だけに、呼び戻すわけにも行かない。

「はい。はい。で、どこに、なにを撮りにいけと?」


「う・・・うん・・。それがな・・」


「言い渋らなきゃならない場所ですか?怪しいお仕事の現場写真とかあ?」

「いや、それなら・・俺がいってもいい・・」

はい?

「冗談だよ」

判ってますけど・・。こっちも冗談だし・・・。

「あのな・・国境無き医師団って、しってるよな?」

もちろんではある。

「つまり、それですか?」

「うん。なにか、協力できることがあるのなら、協力しようという気持ちになるような写真をとってほしいという、実に曖昧なテーマなんだ。寄付金を募集とか、スタッフを募集とか、命題がはっきりしているのならいいんだけど、写真をみた人に自分のできることをかんがえさせる。って、いう、心的アクションをもよおさせる・・・」

「考えるだけでもいいってことですか?」

「つづめて、いってしまえば、そうなる」

「ふ~~~ん」

自発的協力ってことになるか。

心理的底上げおよび危機意識を引き出すことを目的とする・・か。


「で、場所、あの難民キャンプの・・」

はい?


「おまえの体術でも、避けられないものがあるとおもう」


「地雷ですか?」


「う・・・」


「無理はしてほしくないが、できれば、その写真をものにしてほしい、というわけですね?」


「そうなる・・」


慎吾と同じ立場になるとはおもっていなかったが、

あたしの意地がうごめきだしていた。

慎吾のやってることは、なにもかも自分で、命題さえも自分でみつけなきゃならない。


あたしがその慎吾に対して思うことは、

「それは、アマチュアの延長でしかない」ってことだ。


プロである以上、金を貰う。

クライアントは金を払う。

一般大衆や自分が納得する以前に、クライアントが、

大枚をはたく価値を見出すものをとる。

そこが、プロとアマの違いだ。


いやな言い方だが、金は大きな価値尺度である。


自己満足の世界でいくら、手足を広げても、限度がある。


あたしの底に、奇妙な慎吾への怒り。

慎吾の生き方への批判が生じても居た。


「わかりました」


重大な決定をあっというまに、それも、携帯付くでおわらせてしまうと、あとは、細かな決定と打ち合わせだけになる。


「ところで、お前、ワクチン・・」

「うってます。こういうこともあろうかというのは、想定内です」

「・・・プロの待ちうけ態勢か・・チサトらしいな・・」

え?

「じゃあ、明日、デスクで・・」

携帯が切れたけど、あたしの耳には、編集長の一言が残った。


ープロ・・チサトらしい・・-

少なくとも編集長はあたしをプロとしてみている。


それは、ひょっとすると、慎吾を天才とみていながら、

プロとはみていないということになるのかもしれない・・。


朝出社すれば、編集長の鼻にぬけるため息。


「なんですかあ!!出鼻をくじくような、そのため息!!」

朝の挨拶より、先に文句のひとつもいいたくなる。


「まあな。俺はね、個人的にいえば、慎吾にやらせたかったわけだ」


なんだ?

昨夜の科白はこちらの早とちりってこと?


「私じゃ、役不足ですか?それって、やっぱ、女目線ってか、

どこか、グローバルになりきれないのが、女ってことで・・」

ぐちゃぐちゃと質問が詰問にかわっていきそうになるのを、

編集長の手の平がとめた。


ぐっと、つきだされた手のひらをみつめれば、

それが、「黙れ」という合図だとわかる。


「そうじゃないよ。お前なら、撮れて当たり前なんだよ」


「へ?」

我ながらまのぬけた声をもらしてしまったものだと想うが、

編集長はその「へ?」の裏の感情も読み取っていたようだ。


「撮れて当たり前のものに、撮らせても・・なあ?

慎吾はな、なんていうんだろう。

抜けきってないってのかなあ?

迷いってのかなあ?

成長が止まってるというか、あいつの可能性が、まだまだ、狭っ苦しい処にいるんだよな。

お前の言い方で言えばグローバルじゃないというのかな。

確かに世界を股にかけるだけの技術も感性ももってるんだけどな。

掘り下げるものに、欠けてる。

それは、慎吾が本当に人を愛するってことができる自分にきがついてないせいだろうって俺は思ってた。

だからな、お前に対して。特別な感情をもちはじめてくれてるなら、

それは、どういう結果であろうが、慎吾の肥やしになる・・って、

まあ、そう思ったりもしてたわけだ」

「はあ」

な~んで、慎吾の愛情なるものと、慎吾の成長が同じ、括弧の中に同居するのか、よく、わからないまま、この場はうなづいておいた。


「俺なあ、今回の仕事な、慎吾の迷いを吹っ切れるんじゃないかと想ってさ・・」

私は少なからず、編集長はだてに編集長をやってるわけじゃないと想った。

慎吾の「迷い」を、編集長はきがついていた。

そして、はからずも、二人の男はその迷いを払拭する答えが

難民キャンプにあると感じていた。


あわやで、すでに慎吾は難民キャンプに居ます。心配なさらなくてもいいですよ。と、いいかけそうになる口を塞ぐと、

「両親の面倒をみにいくことも、もっと、大事なんじゃないんですか?」


私の返答に編集長はデスクのむこう、窓から見える空をみつめた。

少し遠いまなざしのまま

「そうだな」

と、うなづくと、やっと、今後の日程に話がかわっていった。


私が難民キャンプなる場所に、たどり着いたのは、

慎吾が旅立ってから、10日たっていた。

嫌な予感がなかったわけじゃない。

ひょっとして、その場所は慎吾がたどり着いた場所ではないか?

という。

そういう予測だった。


キャンプまで、ジープにのっていった。

迎えにでてくれた看護士に簡単な挨拶をかわすと、私のことは事前報告があったようで、そそくさと寝場所に案内された。

-        -

言葉がでてこなかった。

これも予測していたが、わずかばかりの囲いのあるテントの一隅。

それでも、それなりにはからってくれてるんだろう。

やせ細った体の女と子供ばかりがひしめいていた。


「手術などは、あそこで・・」

私をテントに案内してくれた看護士が、テントから離れた古ぼけた建物をゆびさした。

「大きな手術はできません。と、いっても、もっぱら外科手術がおもですが・・」


ーああ・・・地雷・・かー

外科手術の大半がそうなのだろう。


「此処は掘りぬきの井戸があって・・・」

看護士はさみしそうに笑った。

「それだけの理由で居住地が決まるんですよ」


看護士は、青い瞳だった。ブロンドの髪を無造作にたばね、

自分が誰であるかを区分けするために白い看護服をはおっていた。

青い瞳は海をおもいおこさせ、貴重な水の恵みに程遠いこの場所にいるのが、似つかわしくないようにも、ふさわしいようにも思えた。


水の恵みのように、あまたの人々の心をささえ、うるおしていく看護士の青い瞳に映った難民をキャッチアイ手法でとってみようか、と、ふと、想った。


「食事は・・みんなと同じものを・・。みんなでつくっていますから、あなたもてつだってください」


もう一つむこう、井戸の近くのテントをゆびさした。


「その横で、スタッフが常駐しています」

そのテントをすかしてみた私の心臓がどきどきと驚きの音を私に伝えてきていた。


ー予感的中・・まさかの・・・慎吾がいるじゃないか・・・-


手短に看護士に説明すると、彼女はにこりと笑ってうなづいた。


私はテントをぬけだすと、慎吾の元にはしっていった。


呼びかける私の姿に軽く手をふってみせる慎吾にかすかな疑問を感じた。


なんで、驚かないんだ?


看護士も妙ににこやかだったし?


慎吾の前につったつと、途端に掛けられた言葉が疑問をさらに肯定した。


「やあ、来たな」


それ?私が来るのを判っていた?


「なんで?」


私の疑問に慎吾は呆れた顔を見せた。


「なんで、お前がきても、俺が驚かないかってか?」


図星である。


「お前・・・馬鹿じゃない?」


これだ、これ。相変わらず、こっちをこけにする態度。


でも、たいてい、慎吾の言う通り、私が馬鹿なせいではある。


「ど~~せ、馬鹿ですよ。馬鹿だから、教えてもらわなきゃわかりませ~~~~~ん」


「たく、だから、女は駄目なんだよな。目先の事態でしか、物事を判断しない。


つまり、感情的物事に流される」


「は?ご挨拶だねえ」


「だって、そうだろう。俺が此処にいて、カメラマンをもうひとり、必要とするか?」


「ん?」


「当然、俺に写真を撮ってくれという話がくるだろう?」


いわれてみりゃ、その通りだ。


「ところが、俺は、此処にきてるのは内緒なわけだ。そこで、俺はお前を推薦するしかない。で、会社がらみに話がいっても、お前しかいないわけだから、お前が来る」


なるほど。


「お前さあ、もっと、深く読むことできねえかなあ?」


はい?


「悪うございましたね」


「だからさあ、感情的判断しかできないって、いわれるんだよ。何で驚かないんだ?って、その感情だけしかないんだよ」


はあ・・・。


「他にどんな感情をもてと?」


「判断だよ。必要なのは、判断。おまえさあ、俺が写真撮ってくれといわれる。それを断って他のカメラマンを推薦して、それが、通じるって、どういうことか、判る?」


「そりゃあ、それなりの信用と、カメラワークの技術力とか?そんなものを認められてるから・・あ?」


「判った?」


「つまり、あんた、納得いく写真を物にできたってことで、その写真がみんなを納得させるものだったって、ことで・・・」


「う~~ん。まあ、そこまでいってないんだけど・・まあ、そこそこに・・」


少なからず私はほっとしてた。


死にいく子供をとるなんてことを、この現場でやれない慎吾がいるってことになる。


そんな写真を見て、みんなが納得はしないだろう・・。


「で?どんな写真?」


「俺、まだ、納得できる写真はとれてないんだよな。ちょっと、取ってみたのが、お前とさっき一緒にいた看護士のブルーアイに映りこんだ母子を・・・ん?」


私はさっき思ったそのままのキャッチアイを慎吾に先をこされていると判って、妙な顔になってしまったんだと思う。


その私の思いを慎吾が読み取っていた。


「お前なら・・どんな風にとるんだろうな・・って、そう思ったんだ」


「それで、その構図?」


「ん。俺さ、お前の存在が此処に来て、なおさら、大きなものになってるって、きがついたよ」


「ライバル?ってかあ?あたしがあんたのライバルになれるわけないじゃんか」


「そうじゃないよ。おまえならどう撮るかってさ。それイコールお前は俺に無いものをもってるんだよな」


「無いわけないよ。無かったらいくら、あたしだったらどう撮るかって、かんがえてもでてくるわけがない。まじ、キャッチアイはあたしもさっき、思ったところだったし・・」


「う~~~ん。どういっていいのかな。起爆剤ってのかなあ。トリガーってのかなあ」


「なるほどね」


「で、俺は此処に来て、お前だったらどう撮るんだろうって、その亡霊みたいなものにとりつかれちまってさ。これ、俺、おかしいじゃないかってそう、思い始めてさ。俺は俺。お前はお前のわけじゃんか。なのに・・・いわば、俺はおまえになろうとしていた。そんなジレンマみたいなのを抱えてる時に、写真をとってくれないかって、話がきたんだ。で、俺は・・つまり、その・・」


妙にいいにくそうな慎吾は、たいてい、懺悔がからむ。


「お前ならどう撮るだろうは、お前にまかせりゃいいことだと思ったんだ。俺が俺の写真をとるためにも、俺の中の「お前だったら」をとりのぞきたいという思いがあった」


「つ・・つまり・・・」


慎吾が何をいいたいかわかった私だと慎吾にも察しがついた。


途端


「ごめんな。あの、俺・・」


「つまり、あんたはあたしをここにひっぱりこんだ。あんたの力量不足のせいで、あたしを此処に来るように仕組んだ・・・こういうことだ?」


「そ・・その通りだけど・・力量不足はないだろう?」


「事実でしょうに」


「違うな。俺にとって、お前の存在がでかすぎるだけだ」


「だからあ、あたしくらいが、大きい存在になるってことイコールあんたの器が小さいってことじゃない?」


「チサト・・あのなあ・・お前・・どうして、そういう風にとるんだよ。それって、感情的判断すぎるんだよ」


「はい?じゃあ、どういう風にとればいいわけよ?馬鹿だから判りませ~~~~ん。教えてくださ~~い」


慎吾に通じない言葉は、慎吾側に通じないだけのわけがあるんだろうと思う。


だけど、二度目の感情的判断の科白は、つまり、お前馬鹿じゃないにってことになるわけで、わたしもいささか、気分を害していた。


だから、かなり、ふざけた言い方を繰り返した。


一度目はあるいは、親しい仲の軽くふざけた言い方だったが、二度目の言い方には、私の毒がはいっていた。


馬鹿相手に話しているんだから、あんたももっと、わかりやすく説明しろというのと


慎吾の言う意味合いをもっとグローバルにうけとめれないらしい自分を二度も突きつけられたことにより、「女目線から、ぬけでないカメラマン」とこきおろされた気もしていた。


一方で、チサトだったらどう撮るか・・の同じキャッチアイも女目線でしかなく、


慎吾は女目線も使いこなすカメラマンであるという才能の違いをすでに歴然と見せ付けられていて、それもそれで、惨敗だった。


そのこっちの気分的落ち込みをけどらせないようにするのと、私なりに公約・公平な意見をのべようと努力した結果が「感情的判断」でしかないと言われるのにも応えた。


だが、慎吾のほうは、もっと、むっとしていた。


「もういいよ。俺の言いたいことがお前に通じないのは、お前が悪いんじゃなくて、俺の言い方が悪いんだ」


「なに?それ?」


男のくせに女々しい皮肉たっぷりじゃないか。


「ん・・・」


慎吾は少しの間口を閉じた。


「俺の言い方が悪かったよ。俺はチサトがどんな写真を撮るか、見てみたかったんだ。俺は確かに器小さいよ。でも、そんなことなんかどうでもいいことで、俺はチサトの写真を見たい。それだけだよ」


慎吾の言い分に気を良くしたという言い方は違うが、そこまで、請われりゃ、これ以上、いう事も無いと思った。


だが、慎吾はこの時、本当に言いたいことをストレートにいえなかったのだ。


慎吾が私への好意をはっきりしめしたつもりでいながら、すべて、私がそのままにうけとめず、慎吾にすれば、伝わっていないのか、遠まわしに断られているのか掴みきれず


はっきりと、プロポーズして、それさえ、相手にされなかったら、男として、鼻にもかけられていないという事実を決定的に認めるしかなくなる。


私を失うかもしれないことを恐れ、慎吾ははっきりとプロポーズを口にすることが出来ずにいた。


私がそれにきがつくのは、職場に戻り、例のごとく、私の部屋に不法侵入した慎吾に一枚の写真を手渡された時だった。


小さなため息がまじり、慎吾はポケットの煙草をひっぱりだす。


「そろそろ、底をつく。貴重品だ」


苦笑でため息をかみころして、煙草に火をつける。


「俺な・・。元々、行き詰まりを感じたのは、お前のせいなんだよな」


意外な告白に、私もまた煙草をとりだした。


慎吾の様子があまりにも、殊勝にみえた。


いつも自信たっぷりの慎吾がやけにはかなげにみえ、


私もしらふで話をきけそうになかったが、さすがに酒はない。


酒の代わりの煙草で、妙な気配をかわしながら、


慎吾が先をしゃべりだすのを待つことにした。


「なんだよ?食ってかかってこないのかよ?」


慎吾は私をからかいながら、自分が満身創痍をさらけだしてるとしっかり自覚させられてもいた。


「俺な。おまえを超えることもできない男なのかとおもってさ」


慎吾は此処で微妙に言葉を選んだ。


超えることのできない「カメラマン」でなく、「男」だといいあらわした。


「お前は、女目線とか、そんな風にいうけどな、そんなものを超越してるってことにきがついてないんだよな。なんていうのかな、人生ごとカメラに収めてしまう。俺には、それが、できない。そんな俺じゃ、おまえの・・」


慎吾は、そこで、言葉をとめた。


「だから、判れよ!!」


しゅんとうなだれた子犬が急に噛み付いてきた時、自分の落ち度を探す。


何をしてしまったんだろう。


痛いところにふれてしまったのだろうか?


怖がらせてしまったのだろうか?


そんなものに似た気分が充満して、慎吾の言いたい事がわからない自分を妙にせめてしまう。その戸惑いをさっしたのだろう。慎吾のほうが、降りた。


「いいよ。俺・・・。とにかく、お前じゃ撮れない写真をとってみせる」


つまり、先のキャッチアイなど、「チサトでもとれる写真」として、撮ってしまったということになる。


「その時に、話すよ」


だけど、慎吾が、此処にいられるのは、もう、4,5日だろう。


「あと、4,5日で・・」


撮れるものならば、とっくに撮れているだろう。


その言葉の裏に意味にきがついて、私は言葉を止めた。


今までに撮れなかったものが、あと、4,5日でとれるわけがない。


つまり、-お前じゃ撮れない写真をとれるわけがないーと、いってるのに等しいと。


だが、慎吾はその言葉をさらりといなした。


「何年かけても、撮るさ。どうしても、超えなきゃ手にいれられないものがあるんだから・・」


手にいれたいもの。


超えなきゃ手に入れられないもの。


それが、私であると気がつかないまま、超えなきゃ手に入れられないという慎吾のカメラマンとしての意地に妥協を許さない本来の慎吾をみつけていた。


それから、テントに戻って、機材を確認する。


周りを見渡せば、浅黒い肌に大きな黒い瞳の母子が、やけに目につく。


子供を護るために、住み慣れた土地を離れ、キャンプにたどり着いた。


戻るあてのない住処を離れ、自分こそが母屋だと、心に刻んだ母親の瞳の奥に


強い光を感じる。


その光をとらえることができるだろうか?


迷う心に返事を捜しているより先に私はシャッターをおしていた。


ーマジ、カメラマン根性というか、習性だね、こうなったらー


心より先に手はカメラをかまえ、目は構図をきめ、指はシャッターをおしてしまう。


慎吾の言う、人生を撮ってしまうというのは、こういうことかもしれない。


相手の人生をカメラにおさめるということばかりでなく、


自分自身がカメラと一体になってしまう。


すなわち、カメラの中に自分の人生がとりこまれている。


こういうことかもしれない。


ーふぅぅー


口をとがらせた先から、小さなため息がもれる。


ーおそらく、私の人生はカメラなしでは、なりたたないんだろうー


それもまた、慎吾の言う通りなのだろう。


でも・・・。


それを、逆に慎吾にあてはめてみれば、慎吾にとっては、カメラなしでもなりたつ人生ってことになるのだろうか?


慎吾の言う「お前のせい」はそういうことだろうか?


いわば、カメラと一体化した私。


それに比べると、どこかで、慎吾は計算づく、あるいは、天才的な閃きで、写真を撮っている。


慎吾にとって、カメラが、表現のひとつ、道具でしかなく、カメラと一体化した私(で、あるならば)を見て、カメラにとってもらってるという借り物意識にきがつかされてしまったということだろうか?


それは、間違いなく、カメラが自分の外側、道具にすぎなくなってるということだろう。


私は、おそらく、カメラを自分の一部にしている。手足をとりはなせないのと同じように・・。


それが、慎吾の迷いのはじまりだったのかもしれない。


そして、計算づく、天才的閃きで、技術的に「チサトが撮るだろう写真」を物にすることはできたのだろうけど、慎吾の目標はそこじゃない。


カメラと一体化した慎吾を造る。


それが、「チサトには撮れない写真」ということになるんだろう。


確かにそうだろう。


慎吾がカメラと一体化したのなら、それは、慎吾、それ以外の何者でもない。


ーだけど・・・ー


じゃあ、私が撮ったものは、チサトそれ以外のものでないのだとしたら、慎吾が「チサトが撮るだろう写真」を撮ったなら、私の写真はチサトそれ以外のものでないわけでなくなる。


矛盾につきあたって、私はもう一度考え直す。


ー超える。そう言ったあとで、手にいれたいものがあるといったけ・・・-


誰にもゆずれない、誰にも超えられないものは、たったひとつ。


ーカメラ目線・まなざしー


そう。思いいれって、奴だ。


誰にわからなくても良い。自分だけが、わかれば良い。とらずにおけなくて、思いいれをこめられるもの・・。


ふと、編集長の言葉がよみがえってきていた。


ー慎吾は愛を知らないー


そんな意味合いだったろうか。


それは、私にいわせれば、被写体への思いいれだ。


思いいれがあればこそ、被写体への愛が映しこまれる。


ーつまり・・・ー


慎吾は天才すぎて、被写体への思いいれ薄い状況でも写真を物にしてこれた。


被写体への愛情・・・。


難しい命題かもしれない。


それは、人(物)への愛情・まなざしという「自分」の感受性だから。


今、例えば、さっきの写真の母子にたいしてもそうだろう。


住み慣れた土地をはなれ、この先の不安より、子供を護ろうという母親だ。という風に感受する自分がいるわけだ。


ーこの感受性は人それぞれだし・・・・・ー


私はいやなことにつきあたってしまった。


慎吾は自分の感受性がうすっぺらだと思ったのではないかということ。


相手の人生を感じる自分という自分の人生、すなわち感受性。


今まで育ってきた環境や経験、色んな物事から感受性が広がっていくけれど


たとえば、先の母子に対して感じるような思いを慎吾は感じ取れないのかもしれない。


ーそれを超えようとしているわけ?ー


つまり?


私の感受性、私の人間性を超えた慎吾になろうとしていて、それを、カメラにおさめたいってこと?


わきでたまま、思いをたぐってみたものの、私は首をふることになる。


ー私ごときを超えようって、やっぱり、ハードル低すぎる・・-


それとも、私って、本当はすごいカメラマンってことなのか?


ありえないとも、どうでもいいこととも、思え、一人笑いを口に含めると私のカメラを覗き込んでる小さな女の子にきがついた。


カメラをかまえると、にこりと笑う。瞳の奥に光が入り込み、純粋で綺麗だ。


母親の愛に充たされた子供はこんなにも澄んだ瞳をしているものかと思った。


もちろん、これも、シャッターをおしていた。



日本と違って、湿度が低く、木陰や建物の中にはいってしまえば、


暑さをかんじないし、少々、身体を動かしても汗が落ちるなんて事が無い。


暑いのは、日差しでしかないわけで、あたしはテントの中で横になって、眠っても


充分睡眠がとれた。


取材旅行は元々、嫌いじゃないし、どこでも、寝れるという図太さがなけりゃ、カメラマンなんて、職業はやっていけやしない。


そんな、あたしだったから、目がさめたのも、随分、陽が登っていた頃だった。


食事を作る約束があったと、あわてて、口をゆすぎ、調理場所にかけつけてみれば、


慎吾も約束の一員だったのか、大きな鍋と格闘しているところにでくわした。


「よお。相変わらず、だな」


そうそう、あたしは、どちらかというと、寝覚めが悪い。


半分、ねぼけた顔がまだ、残っているに違いない。


「よく、寝れたのか」


妙に優しい言葉は、あたしの神経をなで上げる。


そんなに心配されるほど、やわな女じゃないからこそ、こんなとこにまで、派遣されるわけじゃないか。


「大丈夫よ。あんたの靴下が無いだけで、充分、眠れたわよ」


そうそう。あの靴下のことをあたしは、まだ、根に持っている。


「あ?ああ・・」


思い当たったんだろう。でも、しかめっつらが、ひどく、ゆがんで見えた。


「なによ?」


そんな顔するわけがわからない。


「いや・・・。俺と一緒にくらせ・・」


いいかけた言葉を飲み込んだ慎吾だったけど、あたしの耳にはちゃんと届いてた。


「はあ?な~~んで、あんたと一緒にくらさなきゃいけないわけよ。大体、靴下一つで、眠れなくなる程、あんたは、臭い!!そこから・・」


慎吾の顔がひどく、翳って見えた。


「俺さ・・取材から、かえってさ・・一番最初にチサトんとこにいったからさ・・」


誰よりも何よりも、あたしの傍に早く行きたかった。


チサトをかんじとりたくて・・。


その意味合いがあたしには、わからなくてその言葉もあたしのしゃくに障った。


「そうそう。そうやって、あんたはあたしを女性扱いしないわけよ。礼儀知らずっていうんじゃなくてね。そこらへんが、逆にあたしも、あんたを異性だなんておもわないですんでるところだから、まあ、かまわないっていえば、かまわないんだけどさ。でも、わざわざ、馬鹿にした言い方をしてほしくもないわけよ」


「いつ、俺がチサトを馬鹿にしたわけさ。俺はそんなことしてない」


「はあ?あたしにそれをいわせるわけ?


いいわよ。


なんだっけ、胸が小さくて、男にしかみえなくて?え?充分、靴下で、あんたがあたしを女扱いしていないことはよくわかってるっていうのに、まだ、いわなきゃいけない?」


「チサト?」


慎吾がー俺は面食らってますーって、顔であたしを見てた。


「なによ?」


「いや・・・。チサトがそういうふうに思ってたなんて・・俺・・判ってなかったなって・・」


「別に神妙な声ださなくてもいいわよ。あたしもあんたのこと男だなんておもってるわけじゃないから、お互い様なんだし。でも、まあ・・・・ああ、ちょっと、まぜなきゃ、こげちゃうよ・・」


「あ?うん・・」


大きなへらで鍋のなかをかきまぜて、慎吾は素直に謝った。


「ご免。無神経だったよ。だけど、俺はチサトのこと、女じゃないなんておもってないし、いや、それどころか、俺にとっては、唯一、あの、なんていうか、ほら、・・女なんだよな」


「はい。はい。とってつけてでも、言ってくれる努力はかいます」


「そうじゃなくてさ、チサト・・俺さ・・」


慎吾の手元がとまるのを注意しようとするより先だった。


看護士やスタッフがあわただしい気配とともにキャンプの入り口にたむろしはじめていた。


「なに?」


慎吾の顔色もいくぶんか、緊張している。


「多分・・・搬送されてくるんだ」


「え?なにが?」


この場所で、看護士がまちうけるものがなにかなんて、馬鹿なことをたずねたものだけど、


それくらい、キャンプの中は平和な空気にみちていたし、慎吾という存在がまた、平和な気分を増長させていたとも思う。


「地雷をふんだんだと思う・・」


「あ・・」


手術ってことになるのか。


あたしは、看護士がぬけた場所にはいり、つくりかけの食事をしあげると、


みんなに配りはじめた。


古ぼけた建物に怪我人が何人か運び込まれるのが、テントの間からちらちら見える。


そのときに、慎吾がぼつりとつぶやいた。


「多い・・いつも、こんなには、搬送されてこない」


怪我人の多さが、テントの中にも、妙な緊迫感をつくりだし、不安に静まり返っていた。


その静けさが、テントの中の奇妙な声をうかびあがらせていた。


「え?」


奇妙な声はうめき声だったが、その声の主にいきあたったあたしのほうが、うめいた。


あたしの目の中に大きなおなかの女の人がいる。


「お産?」


え?


お産は病気じゃないとは、思うけど・・・。


あたしは看護士を呼びに古ぼけた建物にかけこんでいった。


阿鼻叫喚というのは、こういうのをいうんだろう。


駆け込んだ建物の中は、搬送された怪我人の血の臭いがふんぷんとしていて、


手術の用意とうめき声と・・・。


地雷をふんだとおぼしき怪我人の惨状も、その人数に対応できる医師がたりていないことで、いっそう、悲惨にみえた。


怪我の程度から、手術の順番をきめるのか、看護士が怪我部位を確認しながら、なにか、語りかけている。


意識が混濁している怪我人を最初に手術室に運び込むようだった。


「あの・・」


最初にであった看護士をみつけると、私はちかよっていった。


「なに?」


こんな時にわざわざ、といかけるんだから、なにかあるとはわかっていながら、語尾がきつい。


「あの、テントの中の女性が陣痛がはじまっているみたいなんですけど」


看護士はあっという顔を一瞬みせたが、それは、判っていたことが、こんな時にかさなってしまったことに対して、究極の選択を固めたせいで、奇妙に冷静で、憮然としたものにかわっていた。


「お産は病気じゃない。治療はできない」


これだ。英語圏内の人間はすぐ結論だけを言う。


ましてや、私がぶつぶつ、考えていたことと同じ科白がかえってくるなんておもってもいなかった。


「じゃあ、どうすればいいんですか?」


「この状況で、そっちにまで手がまわるわけがないでしょ」


「で・・でも・・」


「だいいち、医者がいなきゃ、お産できないわけ?タクシーの中で出産になって、運転手が助産したり、自宅出産だってあったりするわけじゃない。それは、昔は当たり前だったわけよ。太古の昔に医者がいたわけ?」


「そ・・りゃ、そうだけど・・」


「まわりに経産婦もいるんだし、手がすいたら・・」


様子を見に行くという約束がはたせそうにない。と、彼女は言葉を止めた。


「あなた。携帯もっていたわよね?」


はあ?


「それで、助産のマニュアルを伝えるから・・」


え?え?えええええええええええええええ?


「それ、私があの?私が助産婦になれと?」


「いやなら、黙って見守っているしかない。それだけ」


次の作業にとりかかるために、彼女がその場をはなれかけていた。


「私。当然、医師の資格とか、助産婦の資格とか・・」


「タクシーの運転手もそう言ってたかしら?」


「あの?資格がないものが・・そんなことを」


「だったら、黙って待っていなさい」


しばしの沈黙の間に私がかんがえたことは、たったひとつだった。


タクシーの運ちゃんができたことを、私ができないか?


ましてや、サポートがあるというのに・・。


「判りました。出来る限りのことはします」


言うとやにわに彼女の携帯を渡された。


ナンバー交換をすると、私はテントに戻り、彼女は手術室の中に入っていた。


まじ?まじ?


できるかどうかも判らないのに、


それ以前にどうして良いかもわからないのに・・。


テントに戻ると女性の姿はなく、どうやら、他のみんなで、応急処置用のテントに運び入れたようである。


慌てふためいているのは私だけのようで、テントの中の女性達は医師たちの様子で、手術室を使えないことは元より、看護士の助産も無理だと判断していたようだった。


テントの外にでて、干されている看護服をみつけると、さいわい、乾いていて、私はとりあえずそれをはおることにした。


次は・・。


まず、手指の消毒だろう・・と、手を洗い、応急処置テントにはいって、消毒アルコールを探した。


アルコールをさがしながら、ふと、迷う。


確かTVの手術の場面では、ヨードかなにかを手にぬって


それから、ぴっちぴっちのゴムの手袋をはめてなかったっけ?


アルコールなんかでいいのかな?


と、この期に及んで何も知らない自分に迷いだす。


そんな、あたしをひっぱったのが、先にテントに妊婦を運び込んだ女性のひとりだった。


テントのむこうを指差して、見せる。


見れば、隅のほうで、湯をわかしている。


二本の指をだして、ちょきちょき・・と、うごめかせてみせる。


どうやら、はさみを熱湯消毒しているらしいと理解できた。


あたしが、カメラマンだってことは、十分承知のはずなのに


助産もできるとおもわせてしまったのだろう。


彼女たちができる手伝いをするつもりらしく、


いきむための添え場のない診察ベッドの傍には3人が待機していた。


産湯の湯をわかすものやら、


メスを湯からひっぱりあげてるものやら・・・。


しずまりかえった診察室の中に妊婦のうめき声がきこえはじめていた。


そして、最初にあたしを引っ張った女性がヨードらしきものにピンセットではさんだガーゼを浸していた。


あたしは、両腕をだして、それをぬってもらって、やっと、ぴっちぴっちの手袋をはめおえて


妊婦のそばによっていった。


それから、どうすればいいのだろう・・・?


あたしのポケットにはいった携帯を傍にいた女性にひっぱりだしてもらって


看護師にコールをいれてもらった。


スピーカーにかえてもらうと、看護師の声が響いてきた。


「準備OK?」


「ええ、妊婦の前にたっている」


「そう。じゃあ、子宮口がどれくらい開いてるか?


子供がどこまで、降りてきているか、確かめて


あ?破水してる?」


「え?」


どうやって?破水?


とにかく・・その場所をみてみるしかないだろう。


「破水・・してるみたい・・


あと、赤ちゃんの頭が・・みえる・・」


それが、どういう状態なのか、


この先、どうすればいいのかもわからない。


「うん、わかった」


看護師はたったそれだけ返事すると電話をきった。


どういうことなんだろう?


どうすればいいんだろう?


TVでみかけるひーひーふーだっけ?


周りの女たちはよくわからない言葉で妊婦になにかいっている。


ひとりが、妊婦のおなかに手をあてていた。


陣痛の間隔をはかっているんだとわかると彼女たちが


陣痛の波にあわせて、いっせいに声をかけていることにきがついた。


子供をうみだすための波にあわせて、いきむようにいえばいいんだとわかった。


今のあたしには、それしかできない。


「はい!!いきんで!!」


周りの女性たちの声の中に混じりだしたあたしの声に妊婦は安心しだしたように見えた。


そんなことを何回かくりかえしていると


あたしの傍らの台に消毒をおえたメスとか鋏とかなんだかわからないものがおかれはじめた。


ーまさか?それをあたしがつかう?


メス?それをつかわなきゃいけないほど、切迫してる状態ということ?-


迷うどころじゃない。


なのに、そのメスとか鋏をもってきた女性は


腰をつきだして、子宮口あたりを切れというしぐさを見せ始める。


こ・・・これは、いよいよ、あぶないってこと?


どこをどう切ればいいかもわからない、あたしはメスをもったまま


頭の中がまっしろけになっていた。


たぶん、子供がでてくるのに、負担をかけないように入り口を広げてやるという事なんだというのは理解できる。


理解できるけど・・・


真っ白になった頭の中で時間がとまったような、


どんどんすぎていくような、


まるで、白実夢をみているような・・


それでも、あたしはこのまま放置していてはいけないんだと


メスを持った手を彼女の入り口・・いや、この場合は出口だろうけど


近づけていった。


そのとき、だった。


あたしの手に誰かの手がそえられた。


「そう、ここ」


「45度くらいに・・うん」


そえられた手に誘導されてあたしは、メスをいれていた。


それは、恐怖といっていいかもしれない。


人を切るなんて、医者か異常者しかいないだろう?


あたしの意識は完璧にとんでしまっていて


ただ、呆然とつったっていたに違いなかった。


突然の赤ん坊の声で我にかえってみれば、


看護師が赤ん坊をとりあげていたし、


さっき、手をそえてくれた声の主はいなかった。


声は男の人だった。


たぶん、医師?


看護師は手早く、子供を産湯であらい、あらいざらしのバスタオルにくるむと


あたしに渡した。


「おかあさんにみせてあげて」


と、いいそえて。


ふにゃふにゃでやわらかな赤ん坊をうけとると


あたしの瞳から涙があふれてきていた。


涙のまま、おかあさんのそばにちかよっていくと


おかあさんはそっとあかんぼうのほほにふれた。


看護師は小さな声で


「チサト・・女の子だよ」


と、おしえてくれた。


きっと、つうじるはずもないけど


あたしはおかあさんに同じことをいった。


「女の子だよ・・おめでとう」と。


結局、あたしはなんにもできなかった。


できなかったけど・・


赤ん坊の重さがずっしりと手の中にあって


良かった。


無事にうまれてくれて、良かった。


って、もう、ただそれだけだった。




*会陰切開は医師でないとできません。


ここは架空の物語という事でご容赦を*


☆☆


おかあさんと赤ん坊を休ませてあげる個室なんていう上等なものはなく、


元居たテントに二人を運び入れた。


狭いテントの片隅を二人の居場所にしてあげようと


女たちは場所をつくっていた。


子供たちは赤ん坊をみたくてしかたがない。


そばにいかないのよ、静かにしなきゃだめよと母親に叱られて、


くるくるの瞳だけが赤ん坊に注がれている。


あたしも同じ。


おっぱいをのみながら、ねむってしまう赤ん坊のほっぺたを


おかあさんがやさしくつつくと、ちいさな口がちゅくちゅくとうごくけど


また、すぐねむってしまう。


きっと、おっぱいをのむのでさえ、


赤ん坊には重労働なんだろう。


なんて、かわいくて


なんて一生懸命にいきるんだろう。


そして、おかあさんは赤ん坊をだいたまま


横になろうともしない。


こうやって、大事に護って生きていくんだ。


あたしはカメラをむけることさえ忘れて


二人の姿を見つめ続けていた。


いつのまにか、身体をよこたえ


あたしは寝入っていた。


極度の緊張がほぐれたんだろうね。


夕方近くになって、看護師に起こされるまで


ねいっていたことにきがつくことはなかった。


「チサト、もう夕食だよ」


にこやかに、かつ、あきれた声だった。


「あれ?」


自分が寝てしまったことにきがつかされながら


そっと母子をみる。


おかあさんはあいかわらず、赤ちゃんをだいたまますわっていたけど


せもたれになるものをよせあつめてもらえていたおかげで


楽な姿勢で眠っているようにみえた。


「器用なもんだねえ」


おもわず、つぶやいてしまう。


あたしなら、赤ちゃんをだいたまま眠るなんて器用なことはできないだろう。


看護師はくすくす笑いながら


「母親だもん。でも、チサトも器用だったよ」と、いう。


「器用?」


「うん。彼女のおなかをおしてあげたり・・」


「へ?」


「足首あたりをさすってあげたり・・あれ、指圧?」


「え?はあ?」


ぜんぜん覚えがない・・けど、かすかな思いが残っている。


彼女の足首あたりが血のめぐりがわるかったのか、ひどく冷たくなっていたのがきになっていた。


「無我夢中でやってたんだろうね。だからかあ。なるほどね」


これが、慎吾相手だったら、あたしはとっくにきれてるね。


自分で言って、自分で納得してるだけなら、声にだしていうな~~って。


「あのね。チサト」


看護師が妙にやさしくなった気がしてたけど


その理由がわかった。


「あなた、すごい人よね」


はあ?夢遊病者のごときときの行動をさすのか、よくわからないから黙って聞いていた。


「あなたが一生懸命になってくれてるのをみて、彼女はずいぶん心強くおもったみたいなの。


それで、子供にあなたと同じ名前をつけたいって。


優しくて、一生懸命な子供になるようにって」


へ?


あたしの頭の中はそりゃあ、良くないよって想ってる。


女の子らしくなくなっちゃうぞって


だのに、看護師はまだしゃべり続けていた。


「それに、あなたは素敵な恋人がいるし、それもやっぱり、貴方の人柄なのよねえ」


ちょ?ちょっと?ちょっと待って・・・


恋人って・・・なに?それ?


慎吾のことをそう思ったのはなんとなく察しがつくけど


素敵?


奴のどこをみて、素敵といえるんだ?


「あなたのピンチだとおもったんでしょうね。手術室までやってきて


チサトが・・って」


なぬ?


つまり、あたしの様子をみかねて、助けを求めにいってくれたということだ・・。


みっともない、たよりない、おろおろぶりをみせてしまったんだ。


なんだか、しょぼい自分だなあって、我ながらなさけなくなってくる。


「本当、一生懸命だったよ。チサトが困ってる。すぐきてほしいって


本来なら無視するとこだったんだけど


あんまり一生懸命だから・・ちょっとだけ、先生にきてもらって」


ああ・・・それで、・・・。


「慎吾は本当にチサトのことを大切におもってるわ」


見かねてというより、


本当はそういうことなのかもしれないとなぜだか素直にその言葉にうなづけたのは


一生懸命、おっぱいをすってる赤ん坊をみたせいかもしれない。


本当に必要なもののために一生懸命になる。


理屈じゃなくて、体感したっていうのに近い。


そのせいかもしれない。


夕食はビーンズスープ。


くばられた一杯のスープは、悲しいくらい。


豆がどこにあるのか、さがしまわらなきゃいけない。


それでも、わずかしかないのに、


女たちは、わずかの豆を掬ってお母さんの器に入れてあげてる。


おかちゃんのおっぱいのために、少しでも多くたべさせてあげたいと


みんな、あたりまえのようにスプーンにのせた豆をおかあさんにもっていってあげてた。


あたしといったら、これまた、涙がぼろぼろこぼれて


こんな、絶好のシャッターチャンスをのがしてしまう。


なんだか、慎吾のいってたことが少し、みえてくるような気がする。


写真そのものが語る・・その前に、カメラマンはその感動から


一歩はなれてファインダーを覗くことができるだろうか?


感動や衝撃が大きければ大きいほど


人はだれもが、きっと、その場に立ち尽くすだけになる。


その感動や衝撃から離れて


カメラに手をのばすことなど、できはしない。


だけど、そこをあえて・・


我にかえる。


それは、とても難しいことであり、


結果的に自分の心に感じたものと比べれば


写真はわずかな映像しか残せない。


それでも、それが、わかっていて


感動の中にたたずまず、


カメラに手をのばしていく。


それは、あるいは、感動のほうからみれば、


部外者の行為になろう。


あえて、孤独な部外者になる・・・・。


慎吾は、そこに違和感をかんじていたのかもしれない。


感動から、外れた部外者が、感動を映しこめるだろうか?


本当に感動したら、ただただ、立ち尽くすだけになる。


カメラにおさめられるということは


おさめきれる「感動」でしかないという矛盾につきあたってしまったのだろう。


ふううとため息がでてくる。


確かにあたしも、何度もシャッターチャンスを逃している。


あえて・・・部外者になる勇気?


それが、キャパであり、ユージン・スミスなのかもしれない。


つまり、カメラマンというのは、


孤独を当たり前にしていかなきゃならないのかもしれない。


でも、そんなの、人間として、どこか、おかしいという気がする。


カメラほうり捨てて、わんわん泣いてしまうそんな人間じゃないと


本当の写真は撮れないんじゃないだろうか?


でも、それじゃあ、写真はとれない。


・・・・。


なんだか、写真1枚とるのに、ものすごい人生経験とか


まなざしとか、被写体にたいする愛情とか?そんなものをすでにもってないと


撮れないのかもしれない。


なんだっけ・・


今回の依頼・・


写真を見た人が、自分もおもわず手をさしのべたくなる


そんな写真・・・。


さっきの場面なんか、絶対そうだったろう。


わずかしかない豆をわけあたえようとする同じ難民をみて


元気でステーキにくらいついてる場合じゃないと想うだろう。


そういう心の変革をおこさせる写真をとりそこねてしまった


あたしだったけど、


心の中にともったものを、


やっぱり、写真にはうつしきれなかっただろうとおもう。


次の日、さすがのあたしもぐっすりねむりこけてるわけにはいかない。


どうこう考えてみたって、


あたしはプロのカメラマンのはず・・なんだから。


依頼された仕事はやりこなさなきゃならない。


でも、こんな調子では妥協の産物になるかもしれないな・・と


ひとりごとをつぶやきながら


テントの外に出た。


タオルをひっかけて蛇口に口をつけてる慎吾がいた。


あたしもそこに用事がある。


ちょっと、昨日のこともあるから、きまずいような、


てれくさいような、


弱みにぎられたような


へ~~んに複雑な気分ではあったけど


慎吾からこそこそ逃げるような態度はとりたくない。


「よお」


あたしにきがついた慎吾はいつもの通り。


「おはよ」


「おう」


あたしも、看護師からの話を元に慎吾をつつきまわしたくはない。


だって、それ、卑怯なきがする。


すっぱぬきを盾に物をいうなんて、男の風上・・ん?


女の沽券にかかわる。


慎吾の暗黙の行動をお互いに知らぬ顔をすると、何を話していいやら、わからない。


「あのさ、俺、日本に帰るわ」


え?


なんだって?


いつも、こいつは奇襲攻撃だ。


「て、ことは、いい写真が取れたってこと?」


いっとくけど、この台詞には毒がある。


どうせ、手術室のまえのけが人を被写体にした。


あたしは、そう想ったから


「よく、撮れたね」


と、思い切り皮肉をこめた。


だのに、慎吾は


「会心の作」


と、なんだか、非常~~~にすっきりした顔をしてる。


なんだか、判らないけど


慎吾の迷いをふっきることができたのなら


それはそれで、いいかな。


と、想った。


「チサトがかえってきたら、みせてやるよ」


と、もったいぶるは、


えらそうで、おしつけがましい。


「そういうときは、みてくださいっていうものよ」


「うん」


いつもならぬ、素直さぶりに


どうやら、慎吾は本当に会心の作を物にしたのだと思えた。


「じゃ、明日からは、俺がいなくなるからな」


当たり前じゃないか。


日本に戻ったあんたと


キャンプにいるあんたと


二人いたら、大変じゃないか。


「チサト、寂しくなるだろうけど、泣くなよ」


はあああ?


前言撤回。こいつは、ちっとも、素直じゃない。


そう、やっと、あたしにわかった。


こいつ、自分の気持ちをあたしにあてはめてるんだ。と。


さびしくなるのは、慎吾のほうなんだ。



テントに戻って、カメラを引っ張り出しながら


慎吾は、何をとったんだろうと想う。


妙にすっきりした顔が、


思い出されて


怪我人とか?そんな悲惨な状態を撮ったんじゃない。と、思えてくる。


なにか、そんな中でふと、心やすまるような


う~~ん たとえば、看護師だな。


あのお姉さん・・ぴしっときついけど


逆に言えば、本心でぶつかってゆくからだって考えられる。


甘えを許さないけど、


人の心を見抜けるというか・・・。


慎吾のことをほめるわけじゃないけど


必死ってのを見抜くというか・・・。


その彼女が怪我人に・・どう言うんだろ?


がんばって、とか、もうちょっとだから我慢しなさい。とか


そんな言葉じゃない気がするなあ。


たとえば、不安でいっぱいの怪我人の手を自らの手でつつんであげるとか・・・。


なんか、ドラマチックで、絵になるなあと自分の想像に満足しながら


ふっと、あたしは、気がついた。


あたしは、感動を撮ろうとしていると。


むろん、心が動かされないものにピントをあわせていくということもありえないんだろうけど。


なにか、ドラマチックなシチュエーションを求めている。


それって、たとえば、パパラッチに似てなくもない。


野次馬根性で、人の不幸や幸せをスクープしてるのと、


ちっとも変わらない。


感動という名前の幸せやら不幸という名の衝撃やら


そんなものじゃないと、心が動かない。


もっと、厳密に言えば


感動的じゃないものは、価値がない。と、いうことになる。


この世に価値がないものなどあるわけがなく


ありきたりで、平凡な物事に価値を見出せなくなっている


感動症候群・・感動シンドロームとも


感受性が麻痺・・もっといえば、不感症になってるということだ。


これは、やばいんじゃないか?


カメラマン特有の職業病?


あたしは、この場におよんで、スランプにおちいりかけている。


と、きがついた。


慎吾どころじゃない。


この状態をのりきるためと


クライアントの依頼をこなすためには


テーマとか、思いいれとか、


そんなものじゃなくて、


ただ、目に映るものをそのままに撮るしかない。


その中から、テーマにあうものをチョイスするしかない。


カメラを始めたころ、そうやって、何百枚も写真をとっていたけど


いま、ここで、スタート地点に戻ることになるなんて思いもしなかった。


あたしは、


半分、やけになっていたかもしれない。


とにかく、取り捲るしかない。


と。



次の日も、朝から、シャッターをおとしまくっているあたしに


慎吾がきがついた。


「おう」


まったく、もっと、なにか、しゃべれないんだろうか?


「ああ?もう出発?」


「うん」


慎吾が、なんだか心配そうな顔つきをみせた。


奴もカメラマンだ。


あたしの状態に感ずいたのかもしれない。


「ごめんな。チサト」


突如、あやまられてしまうと、馬鹿なりにいろいろ考える。


それは、どういう意味だろう?


慎吾が会心作を物にしたということが


あたしによからぬ影響をあたえたと、慎吾は想ったのだろうか?


「ごめんって、なに?」


いささか、つっけんどんになっていると自分でもわかっている。


「ん。先にあやまっておく」


はい?はい?


え?またも人をけむにまく気?


「なによ、先にあやまるって、これから、よからぬことをしようって?」


「うん」


うん、って。うん、って・・何を考えてるんだ、こいつ?


「じゃ、俺、行くから」


慎吾はテントに荷物をとりに戻って行ったし


向こうには慎吾を飛行場までおくるつもりのジープが待機してる。


見事にしりきれとんぼをつくってくれたものだと想う。


時間が無いことを、盾にして


いいほど、こっちに波風たてて・・・。


でも、そんなことに、かかわっている閑はない。


昼食の手伝いまで、目一杯、写真をとって


昼からは少し、見直してみよう。


そう決めて、写真を撮り続け


慎吾がジープに飛び乗ったのもきがつかずにいた。




そして、昼食をおえて、カメラのプレビューを覗き込もうとしたときだった。


あたしは、ここが、日本で、自分の家かと錯覚した。


ポケットから、編集長のテーマ曲「天国と地獄」が流れてきてる。


そうだ、その一発の電話が元で、今、キャンプにいるんだ。


と、錯覚をなだめすかせると


電話に出た。




その電話の内容。


「おい?チサトか?」


あんた、どこに電話してきてんのよ、と、ねじこみたくなる。


「はい?」


「おお。チサトだな。いやあ、せっかく、キャンプにいってもらったんだけどな。


もう、いいから、帰って来い」


なんじゃ、そりゃ?


行けの帰って来いのと、人をこま扱いにしてくれて・・ん?


「慎吾がな、すごい写真をとってきたんだよ。それを使うから・・」


へ?


あ、あいつ、空港から編集局のパソコンに写真データを送信したんだ・・。


あ?


やっと、慎吾の「ごめん」の意味が理解できたけど・・・。


あたしは、


編集長に「わかりました」というのが、精一杯で電話をきった。


「おい?チサト?怒ったのか?いや、おまえにかぎって」


電話口に編集長の言葉がのこったけど


じっさい、あたしは怒っている。


だしぬかれたって、気持ちと


実家に帰ってるはずの慎吾が撮れるわけのない写真なのに


そんなことさえふっとばすほどの、会心作で


おまけに、あっさり、慎吾の写真を使う?


自分の状態もまさにスランプ状態で


私もとってます。それと見比べてからどっちを使うか決めてくださいといえない状態であることも


たとえ、とっていても、見比べてみるまでもないと判断してる編集長であることが応えた。


怒りにならない怒りは、自分にむけられて


たとえようもなく、惨めだった。


なんで、こんなに、それも、突如、スランプになってしまったのか、


自分でもわからない。


ただ、ひとつの救いはスランプのまま、これ以上悪あがきの写真をとらなくて良くなったことだろう。


帰国命令がでたと看護師に伝えると、


「あら?」とびっくりしてた。


されは、彼女もまた、私が写真をとりきれてないことを察していたからに違いない。


「う~~ん。そうかあ・・」


と、彼女はうなづくしかない。


まさか、引き止めてここにいろというわけにもいかないから


当たり前のことだけど


やっぱり、感ずいていたんだ。


「写真・・とれてたんじゃないの?」


余計な詮索になるとわかっているのだろう。


とれてないんでしょ?と、ずばりと聞いてこなかった。


「うん」


情けない顔をさらけてしまったんだろう


「チサト!チサトはもっと素敵なことをやってきてるじゃない」


と、いいだす。


おいでと彼女があたしの手をひっぱると


テントの中にはいっていった。


そして、あのおかあさんの傍にあたしをひっぱっていった。


看護師とおかあさんはなにか、片言でわからない会話をかわしていたけど


おかあさんは立ち上がるとあたしに腕の中の赤ん坊をそっとさしだした。


「だっこしてあげて、って」


お母さんの言葉を彼女が通訳してくれていた。


ほんの二日ほど前のことなのに


もう赤ん坊はしっかり育っている気がした。


こんなに重たかったかなと想っていると


「チサト。チサトですって」


あ?


本当におかあさんは私の名前を赤ん坊につけてくれていたんだ。


「チサトはもう帰らなきゃいけなくなったって


伝えたの」


あかさんはすぐなにか、いった。


「ありがとう。って、いってるのよ」


あ・・


あたしは・・不覚にも涙を落としてしまった。


赤ん坊・・ううん、チサトをおかあさんに渡そうとすると


看護師が


「ちょっと、まって。そのまま。チサトのカメラかしてくれる?」


かまわないけど・・・


そして、看護師は、チサトとチサトとおかあさんの3人一緒の記念写真をとってくれた。




その写真を今、あたしは、飛行機の中で見てる。


写真って、こうあるべきなんだって想う。


チサトという生命の誕生の秘話を隠しながら


一瞬をきれいにきりとっている。


ずぶの素人でしかない看護師だけど


記念にと、写真をとってくれた思いもありがたい。


「ちいちゃん、おおきくな~れ」


再びあうことはないかもしれないけど


一つの命にかかわれたことが


こんなにも、胸をあつくする。


あたしのちっぽけなみじめさも


慎吾への憤りも一瞬でとかしてしまう。


おかあさんの言葉とちいちゃんの姿。


一生懸命・・


慎吾だって、一生懸命だったんだとおもったら


編集長に認められるほどの会心作


やっぱり、見てみたいと想った。


想ったけど、ちょっと、考えてる。


ああいった手前、


こっちから、「見せろ」とはいえない。


奴に頭を下げるのも癪だし・・・


・・・見せてくださいというべきよ・・・


ちいちゃんとおかあさんの写真がそういったきがした。


一生懸命を見るには


当たり前の態度かもしれない。


それで、あたしは、飛行機の中で言い慣れない言葉を練習することにした。


ーお願いがあるんですけど、慎吾さんのー


だめだ・・奴に・・さん、なんてつかったことはない。


こっちもぎこちないが


奴だって、面食らう。あげく、大笑いしておちょくりだすにきまってる。


ー慎吾、写真見せてくれる?-


これじゃあ、まんま、「見せてくださいというべきじゃないのか?」って反撃チャンスをわたすみたいなものだ・・・


ーえ~と、写真見せてやるっていってたじゃないー


だめだ・・。


ー写真、みせてくださいー


う~~ん。


まず、その言葉使いどうしたん?って、いわれそう。


もう一回、言う。


ー写真、見せてくださいー


なんか、いわれそうだな。俺様の実力をやっと認めたかとか・・


俺様のご機嫌をとって・・


ーはいぜひともー


だめだ。考えてるだけで、自分でも笑えてくる。


こんなややこしいことしなくても、編集長にみせてもらたほうが早い?


いや、奴のことだ。


帰ってきたら、みせてやる。と、いったんだから


編集長にもストップかけてる。


ーチサトには、俺からみせますとか、なんとかいってー


有言実行タイプの慎吾を我ながらよくわかってる。


判ってるからこそ、手のうちようがないか。


考えても無駄なことを考えてるあたしも、閑人だったと


もう一度、プレビューのチサトを覗き込んだ。


「ちいちゃん、また、あえるかな」


そっとつぶやいて、プレビューを閉じて


あたしは仮眠をとることにした。


検閲をくぐりぬけて、やっと、日本の土をふみしめたのは


もう午後4時をすぎていた。


これは、もうまっすぐ家にかえることにしようと


編集長に電話をいれておいた。


電車にゆられて、駅をでたら


さすがに、暗くなってる。


これは、タクシーで帰るしかないなと乗車場にならぶと


看護師の言葉がよみがえってくる。


ータクシーのドライバーだって、資格がどうのこうのいってたかしらー


そうそう。


その通りだ。


堅苦しい考えより、やらずにおけない。


その気持ちだけなんだ。


テーマがどうの。思い入れがどーの。


そんなものじゃない。


シャッターをおさずにおけない。


その気持ちに従うだけでいいんだ。


やっと、元のチサトにもどってきたと自分でも思う。


元のチサトにもどってきたのはいいけど


タクシーからもみえる、あたしの部屋の明かり。


奴もあいかわらず、元の慎吾でしかないかと苦笑になる。


ドアのノブをまわせば、相変わらずだ。


写真をみせてくれだのどうだのもふっとんでしまう。


玄関の中にはいりこんで、まっさきに文句を言う。


「慎吾、あんた何度言ったら、ドアの鍵、しめてくれるの!!」


あたしの文句なんか、ちっとも耳にはいってないんだろう。


「おう。チサト、お帰り!!」


あんまりうれしそうにいうもんだから、つい、あたしも


「ただいま、帰りました」


って、言ってしまってから気がついた。


待て。ここはあたしん家だぞ。なんで、家主然として


あんたが、おかえりなんだよ。


おまけに・・当たり前のようにはいりこんでるってことに


釈明ひとつないんだから。


どうも、こいつを相手にすると、こっちのペースが乱れる。


常識が常識じゃなくなって


常識ってのを説明しても・・つうじ・・な・・ん?・ん?んん?


慎吾はあたしの荷物をとりあげると先にたって奥にはいっていく。


もう、まったく、マイペースなんだから・・と、


あとから、くっついていくんだから


どっちが家主か・・


「チサト、そこに座って」


な~~んで、あんたに命令されなきゃいけない。と、おもいながら


素直にソファに座るあたしも、どっか、おかしい。


「これ・・」


でっかい、写真。


ポスター版じゃないか。


だけど、中表にして、つまんでるから、中が見えない。


「俺、チサトじゃ取れない写真とるっていったろ」


そう言ってたな。


「撮ったよ」


ふむ。それを早速ポスター版にしたということは?


「ロゴいれようと思ってさ」


ふむ。


「でもさ、そのロゴ考え付いたら、俺はチサトに撮れない写真は撮れたけど


やっぱ、チサトには、勝てないなって」


はあ?まだ、そんなこといってんだ、こいつ。


「俺、チサトのこと、大好きだ」


はい?え?・・は・・い・・うん


「だから、勝てないのも、うれしい」


何がなんだかわからない。


慎吾はロゴをいいながら、写真をひらいた。


ー彼女は戦場カメラマンだったー


その言葉とともにひらかれた写真には


チサトを・・ちいちゃんを抱いておかあさんにみせているあたしが映っていた。                        


確かに、あたしには映せない写真ではある。


第一、あたしがあたしを映すことは不可能だ。


だけど、もちろん、そういう意味じゃない。


まず、一番にあげられるのは、


被写体への愛情。


あたしが、いろんなことを知っている当事者だから


バックグラウンドにしきつめられているものが判っているから


そう感じるというわけじゃない。


しいて言えば、あの看護師が最後に写真を撮ってくれたのに似ている。


プロだからアマチュアだからとかいうんじゃなくて


その一瞬をきりとって、もってていてほしい。


と、いう点でいえば、


慎吾が撮った場面こそ、看護師が映したかった写真だろう。


だが、おしむらく、彼女も写真をとってる立場じゃなかった。


次に思うのはロゴ。


彼女は戦場カメラマンだった。


本来、写真をとるのが使命のはずのカメラマンが


「自分も出来る限りの援助をしたいとカメラを置いた」


傍観者であることより


協力者であることを選んだ。


それは、クライアントの要望をかなえている。


そして、もうひとつ。


それは、慎吾がはなしたこと。


「俺さ・・キャパやユージン・スミスが平気でカメラをかまえられる気持ちがわからなかった。

でもな。おまえの姿をうつしてしまってる俺に気がついたとき


キャパもユージン・スミスも底のところは同じだって思ったんだ。


キャパも兵士を助けたいって思っただろう。かけよって抱き起こして


生きろってさ。


ユージン・スミスもいっしょだとおもう。


がんばれ、がんばって、川をわたって生き抜くんだって


だけど、このひとりを


この一時をすくったって


撃たれる兵士や川を渡らなきゃならない親子はなくならないんだ。


戦争をなくさなきゃ、どうにもなんないんだ。


だから・・」


慎吾の瞳から涙があふれた。


どんなにか、手をさしのべたいだろうに


その場だけでなく、そんなことが起きてしまう元凶をなくさなきゃいけない。


これ以上、こんなことがくりかえされちゃあいけないんだ。


そのためにも、伝えなきゃいけない。


人々の心をゆりうごかし、世論を動かし


平和をとりもどす。


自分にできる精一杯で、世の中を動かそうとしたんだ。」


あたしは、黙って慎吾の話を聞いていた。


「俺なあ、お前がそういう場面にたったら、お前もそうするんだって思ったよ。


そして、あんな状態で出産なんてことになったら


お前、まよわず、母子をたすけようってしてたよな。


自分にできるかできないかなんて、ちっともかんがえもせずさ・・


自分の精一杯を平気でやっていく姿みててさ。


俺は、これを伝えなきゃいけない。って


例えて言えば、お前が打たれる兵士さ。


俺はそれをつたえなきゃいけないって。


だから、俺はそんな場面にたったら、間違いなくシャッターを押す」


慎吾のなかに、はっきりと指標と使命が根付いていた。


「うん」


答えたけど、あたしはそれしかいえなかった。


「チサト・・ありがとな」


そして、慎吾が伸ばしてきた腕にあたしは


ごく自然に身をあずけることができた。


翌日になって・・


あたしは迷った。


「慎吾・・ああ、あの一緒に出社するのは・・」


ちょっと、やばくない?


「いいさ。きにしなくて」


慎吾は気にならないらしい。


そうだな。途中で顔あわせたってことにしておけばいいか・・と


たかをくくると二人で会社に向かった。


編集長は帰社したあたしにご満悦って、呈ででむかえてくれて


編集長室にあたしをよびつけた。


「納得しただろ?」


って、突然言う。


つまり、それは慎吾が昨日、あたしに写真をみせていることを知っているということになる。


慎吾のやつ、編集長にどういって、来たのか知らないけど


変にかんぐられるのも嫌だなとおもいつつ


しょうがないから


「ええ、納得しました」


って、答えたら


「おまえは、納得したか?」


って、聞いてくる。ん?なんだ?このニュアンス?


「はあ?」


納得したってさっきいったじゃないか?


なのに、わざわざ、お前は・・って


それ?編集長はなにか、納得できない部分があるっていうことになる?


「編集長はどこか疑問を感じるということですか?」


被写体があたしだったのが、まずかったか?


もっと、べっぴんかかわいい人だったら


文句なしってとこだろうか?


「いや、なに、俺はおまえらが納得したんならいいんだけどな」


ん?またまた、むつかしい言い方じゃないか。


「あ、あの写真みたら、慎吾のだしぬきだとか、そんな気持ちふっとびますよ」


「写真が語るってか?」


ふむと腕をくんで、思い切って言葉をはきだすようにみえた。


「じゃあ、おまえら、ふたりも写真が語るとおりってことだな?」


それ?どういう意味だろう。


「俺はまちがいなく、慎吾はおまえに惚れてると思ったよ」


はあ?


「まあ、あの写真みて、おまえが慎吾の気持ちにきがつかないとは思えないし」


むむ?何を言い出すつもりだ?編集長?


「普通、女だったら、なんだ、その、ほら、その気持ちにほだされちまうっていうか」


うむむ?これはなにかききだしたいってことだ、と、あたしはやっときがついた。


「なんだ、ほれ・それ、そこだ」


なに、その、わけのわからない、指示言葉の羅列。


「わけわかんないです。編集長、はっきりいってくださいよ」


まさか、しっかり、編集長の術にはまってるなんておもいもしなかった。


「つまり、おまえら、うまいこと、ねんごろになったのかと」


はい?ねんごろ?


「ねんごろってなんですか?」


言葉が通じないってのはやっかいなものだけど


編集長はもっと困ったようだった。


「つまり~~~、おまえらHしちゃう仲になったのかって、きいたんだよ。


だけど、今までの会話から考えるとそうじゃないな。


まったく、女の「お」の字もでてこない。


たく、あの写真みて、慎吾の気持ちにほだされねえなんて、


おまえ、やっぱ、「女」じゃねえな」


最後の言葉が余分だった。


かちんときて、思わず、いいかえしてしまった。


「昨日、しっかり、「女」になりましたけど!!」


し・・しまった・・・


プライベートじゃないかあ・・。


編集長はわざとだ。


ぽかんと口をあけてたけど、やがて


「そうか。だったら、慎吾のこと、頼むな。あいつは、本当にお前に惚れてるよ。

そんな男めったにでてくるもんじゃない。大事にしろ」


異論はある。


めったになんて、まるっきりあたしには魅力がないってことにもなるじゃないかとおもったけど


やっぱ、編集長のいうとおりだ。


「はい」


すなおにこたえたら、


編集長がぽつり、と、もらした。


「良かった」


うん。確かに、あたしもそう思う。


                           終

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チサトの恋 @HAKUJYA

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