とある海の見える丘で

タキトゥス

第1話

その日の海はいつも通り青かった。10年前、僕は君を見送った。あの日、海で遊んでいた頃が脳裏に浮かぶ。好きと言ったけれどそれ以上のことは言えなかった。君の決断を汚すようなことをしたくはなかったから。


海の神に生贄を捧げるあの行事。そう、ウクゴミトヒがそろそろ始まる季節になった。今年も候補の子供を探すのに苦労しているようだった。前回は、君が自分から名乗り出て、皆んなの命を救った英雄だと僕は思う。


しかし、村の人たちは自分達の生活の為に生贄になってくれたことに対して感謝しているように思えるあたり、僕と村人たちとの間には大きな確執があるのだろう。


今となっては誰の子供をウクゴミトヒに出すのかと言い争っていた。その様子によって気分が悪くなって村の集会から飛び出してきたところだった。


雨が滝のように降り、今にもこの村の丘が崩れるのではないかと心配した。きっとこの村の争いに神様が嫌気に差したのだろう。


この村には、二人の神様が存在する。

一人は海の女神のミツタワ、そして対極的に存在している山の男神のミツマヤが祠に祀られている。対極的に存在してるとはいえ仲が悪いというわけではないのだが、なぜかミツマヤは女性を嫌い、ミツタワは男性を嫌うという言い伝えがある。


現にウクゴミトヒは基本的に女子の方が好まれている。だからウクゴミトヒの当日には、生贄の子供とミツタワに使える巫女のみでしか取り計らわないのである。


しかし、この風習自体無くそうという動き自体はちらほらある。友達の大地もその一人だ。彼は丘の祠を管理している神主だ。そして先祖代々、大地の家系はミツマヤと会話することができる。


彼がミツマヤと話したことによると、ウクゴミトヒ自体はやめさせる事は出来るが、その条件はすごく厳しいものだった。


一つ目は、青年の命を必要とすること。

ウクゴミトヒとは対照的に男の命が必要だ。

二つ目は、村そのものを無くすこと。

ミツタワの機嫌が悪くなるから魚が取れなくなりこの村を維持できなくなる。またミツタワの怒りが原因で津波や台風の被害が例年より甚大になるからである。


それを聞いた時、僕はゾッとした。

今まで美恵のお墓に通っていたが、村が無くなってしまっては彼女に会えなくなってしまう。そして村が無くなることは余りにも条件としては厳しい。村人はこの村から出ていくことに賛成はしないだろう。何故ならこの風習によって生活が成り立っていたのだから。


いったん僕はこの風習を存続させてもいいか、無くすべきか分からなくなってしまった。


雨は止まずにだんだんと酷くなっていった。議論は一向に終わっていないに違いない。誰だって自分の子供を犠牲にはしたくないのだから。それでも生活を守りたいのだろう。


一旦、村人たちとウクゴミトヒをこのまま続けるのか止めるのか話し合おうと思った。しかし、村が無くなるという条件は村人たちは受け入れてはくれないだろう。


第一に村は閉鎖された状況で外の世界の人達と交流を絶った今、どこに移住できるだろうか?今の生活を捨ててまで移動するとは思えない。


また村を捨てることを僕自身も躊躇っていた。僕自身がウクゴミトヒを無くすために命を出すこと自体惜しくない。美恵は僕が死ぬことを悲しむだろう。でも美恵だって村を守ろうとしたのだから僕がみんなを守りたい気持ちを理解してくれるだろう。


ただ村が無くなるという条件は村の人たちの生活を犠牲にすることでもある。殆どの人は村に対して思い入れがある。


一度、話し合っている集会の元に向かおうとした。

足が鉛を身につけているようで前進まない。きっと話したところで村人たちに責められるに違いない。もし反対されれば僕の居場所はない。


そうしているうちに僕は村人の集会を行っている公民館に着いた。まだ明かりはついていて、話し合っていた。外まで声が聞こえてくる。


ドアを開けるとみんなは議論に集中していて、入ってきたことに気が付いてはいなかった。僕は一人で放置されているようだった。


「皆さん、一度落ち着いて下さい」

その時入ってきたことに気づいたのだろうか。

一瞬静まり返った。僕の方に皆が集中した。

緊張して声が出ない。


重い口をようやく開いた。

「ウクゴミトヒ自体をもうやめませんか?誰だって自分達の子供を犠牲にしたくはないでしょう。それなら辞めませんか?」

村人はキョトンとしていた。急にウクゴミトヒを止めると言われれば誰しも驚くだろう。


少し時間が過ぎて声がちらほらと聞こえた。

一人の村人が不機嫌そうに手を上げた。

きっと反対されるに違いない。


「止めるって言ったて、ここの村の人たちは魚を取ることで生きている。辞めたらここの村の人たちは魚が取れずに飢え死にしてしまうぞ」


ウクゴミトヒは生贄を出すことで魚が取れるようになる行事なので至極当然な意見だった。反論しようにも村を無くすとはいえなかった。2,3分は過ぎただろうか?


僕が黙っていると後ろから足音がしてドアを開ける音が聞こえた。後ろを振り返ると大地が入ってきた。


「皆さん夜分に失礼します。その心配はありません。ウクゴミトヒを止める条件は二つあります。一つ目は青年の命を捧げること。二つ目は村を捨てることです」


一瞬、騒めいた。


「村の皆さんには移住してもらいます。私が遠くの村の方々に村の人たちが移住する旨と仕事を与えてほしいということを話しておきました。彼らは承諾してくれました」


一人の村人が頷いた。

「過疎化が進んだらこの村はいつかはウクゴミトヒはできなくなるんだ。そう考えればこの風習と村は無くなる運命だったんだ。そして移住さえすれば子供を犠牲にしなくて済む」


一部の村人は不満そうにしていたが、薄々ほとんどの人はウクゴミトヒ自体できなくなることは理解していたようだ。それでも続けていたのはやはり風習が外に知られるのを恐れていたのだろう。殺人が外の世界に知られるのは都合が悪い。


「遠くの村にの方々には台風の被害で村の大部分が損壊したと説明しておいたのでウクゴミトヒが知られることはないでしょう」

大地がここまで準備していたとは知らなかった。

よく大地が管理する神社に訪ねていたが、度々留守にしていた理由を今になって理解した。


皆は納得したように頷いた。


しかし、皆は疑問に思ったのだろう。誰が生贄になるのか。村の青年は限られているから。

「それで、誰が生贄になるんだ?村の青年は殆どいないだろ?誰もやりたがらないはずだ」

一人の村人が尋ねた。


「僕が生贄になります。提案したのは僕ですから、ケジメは自分でつけます」

咄嗟に声が出た。

これ以上ウクゴミトヒの犠牲を出したくは無かったからこれで良かったんだ。


雨がぴたりと止んだ。まるで争いが止んだように


全員の村人が僕の意見に賛成した。ウクゴミトヒで生贄を出すことに慣れていたのかすんなりと僕の意見を受け入れてくれた。ウクゴミトヒ自体を止めるということで今日の議論は終わった。


賛成してくれて心の蟠りが無くなってホッとした。

皆が帰路に着いたとき一つ頭に疑問が浮かんだ。

条件については知っていたがどのようにしてウクゴミトヒを終わらせるかの方法は知らなかった。大地に詳細を聞きそびれた。


待っているとちょうど大地が公民館から出てきた。

「ちょっと話がある。今から神社で話をしないか?」

大地は僕に神社に来るように言った。

大地が管理している神社はここからそう遠くはない場所にあった。丘を少し登ったところにある。


歩いていると地面の蒸し暑さが伝わってきた。

梅雨がそろそろ明ける頃だったから暑い。

紫陽花は少し萎んでいて生気を失って見える。


大地は神社の鍵を開けると僕を神社に招き入れた。

ちゃんと管理されていて中は綺麗になっていた。

「急に呼び出してすまない。ウクゴミトヒを止める儀式は今日執り行わないといけないんだ。ミツマヤは期限を今日までと言ってきたんだ。隠してすまないが3つ目の条件もある」

大地は頭を下げてきた。急に三つ目の条件が存在する言われて驚いた


「3つ目の条件って?」

「それはこの儀式で生贄の魂は消失してしまう。つまりこの世を漂うことも輪廻転生することも許されない。」


今の僕はそのようなことも恐れなかった。ただ美恵は僕が存在しなくなることを悲しむだろう。

少し沈黙が続いた。僕から口が動いた。

「わかった。今からでもウクゴミトヒを止める儀式をやってもらっても構わない。僕は美恵に勇気をもらった。彼女が皆を守ったように僕も皆を守らないといけない。」


「今からこの儀式について説明する。この儀式はミツマヤを身体に憑依させて、君との対話で執り行う。ミツマヤに儀式で生贄としての価値があるのか判断する為に」

そういうと大地は神酒を飲んだ。

僕の周りに二重の線や誰も理解できない独特な文字を周りに書いた。


すると大地は人が変わったように僕の前に立った。

「君は、何故自分を犠牲にしてウクゴミトヒを止めたいんだ?他の村人はそんなことすら思っていなかっただろうに」

ミツマヤに憑依されたであろう大地が僕に話しかけた。


「昔、僕には好きな人がいました。彼女は皆がウクゴミトヒで死ぬのを防ぐために生贄になりました。それで僕は生贄になる必要はなかった。ただ美恵が死んだこの世界に生きるぐらいなら、ウクゴミトヒの犠牲を出さない為に僕が犠牲になろうと思いました。」 

神様の前で話すのは緊張したが、自分の言いたいことを言った。


「いい度胸だな。君は生贄としての資格はあるだろう。だが本当にそれでいいのか?魂が消失することは君の存在がなくなることだぞ」

輪廻転生しようがきっと美恵とは会えないだろう。

「それで良いです。僕がこれ以上生きて辛い思いをするなら誰かを守る方が光栄です」


「わかった。最後に君の好きだという少女にもう一度合わせてやろう。今から海に行くが良い。そこに美恵はいる」

「あっ、ありがとうございます」

動揺した。美恵とは10年も会っていなかった。神社を飛び出し僕は美恵に会う為に海へ向かった。10年後の僕を美恵は分かってくれるだろうか?心配になりながらも美恵は多分分かってくれると思いながら歩く。走っている最中に涙が溢れた。

やっと海に着いて辺りを見渡すと波打ち際に女の子が座っていた。

見覚えのある後ろ姿だった。

「みっ、美恵!」

思わず叫んでしまった。

振り向いた彼女の顔は大人びていて、美しい顔立ちをしていた。

「えっ、どうして海斗がここにいるの?」


彼女は不思議そうな顔をしていた。

「今回は君みたいかウクゴミトヒの犠牲者を増やさないために僕がウクゴミトヒを終わらせるんだ。そのために僕が生贄になることになったんだ」

「どういうこと?」

「ウクゴミトヒの生贄になる条件は僕みたいなウクゴミトヒを終わらせる勇気を持つ者なんだ。だから僕が生贄になってウクゴミトヒを終わらせることにしたんだ」

美恵は少し考えたあとこう言った。

「みんなの為にウクゴミトヒを終わらせてくれるの?嬉しいけど私は海斗が死んじゃったらたら悲しいよ」

美恵の言葉を聞いてまた泣きそうになった。

僕がウクゴミトヒを止める理由を知って美恵は嬉しかったらしい。

「そうだったね。ごめん」

「謝らないで、海斗は間違ってない。でもその前にお願いがあるの」

「何?」

「少しだけ目を瞑っていてくれないかな?ちょっと恥ずかしいから」

僕は言われた通りに目を閉じた。

「もう開けてもいいよ」

目を開けると目の前に美恵がいた。

「ずっと会いたかった」

「僕も」

そう言うと僕たちはキスをした。

「海斗、今まで言えなかったけど好きです。付き合ってください」

「うん、こちらこそよろしくお願いします」

僕が告白を受け入れた瞬間に僕の意識は消えてしまった。

気がつくと僕とミツマヤは神社の中にいた。

「おめでとう。これでウクゴミトヒは終わりだ」

「良かったな。お前さん」

ミツマヤが大地の身体から出ていった。

大地は眠っている。

「そろそろ、僕も消えるころかな」

身体が徐々に消えてゆくのを感じた。

すっと魂が浮いているように感じた。燃え尽きるように。


結局、ウクゴミトヒは無くなり村は放棄されることになった。大地は村人たちを誘導して他の村へと移り住んでいった。きっとウクゴミトヒの犠牲者やウクゴミトヒのことは忘れられるのだろう。


〜とある天文台にて〜

満天の星が見える日のこと。

「所長、発見した星の名前は何にするつもりなんですか?」

「そうだな、sacrificeにしようと思う」

「サクリファイスですか?どういう意味なんです?」

「他の物のために命を捧げるという意味さ」

「良い名前ですね」

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