重い空と高い空

八壁ゆかり

重い空と高い空

 よく『空が広い』という形容詞が良い意味で使用される。俺はそれに同意できない。

 今は東京に住んでいるが、実家は千葉の田園地域で、住宅地がばっさりと切られたかのように終わると、そこから隣駅まで田んぼが広がっている。もちろん、建物もない。あるとしてもビニールハウスくらいだ。小山や森があったりはするが、住宅地の目抜き通りを歩いて行くと、そこから先は田園しか見えない。俺は田園自体は好きだ。新緑の季節の絨毯のような深い緑の稲、秋に穂を垂れた姿、俺はそこで育ったから、いわばそれが原風景になっている。


 だが、空が絡むと話は変わる。

 田園からダイレクトに、青空が広がる。何しろ障害物がないから、空は低い位置から始まって制空権を独り占めする。それを『空が広いね』とうっとりと人々は言う。だが俺にとってはその空は重すぎるのだ。その青が。雲が。風が。

 空に、押し潰される。

 そんな妙な強迫観念に苛まれていた。



 一方で、『高い空』という言葉がある。

 俺はそれを知っている。若い頃三ヶ月、語学留学で訪れたニューヨークのマンハッタン、ロウワーサイドで、俺は確かに『高い空』を視認した。その時の胸の高鳴りは今もなおクリアに覚えている。

 真冬だった。

 英語学校では当時、建物内の喫煙が禁止されており、大きなビルに様々な会社や団体が入っていて、俺の学校もそのひとつだった。

 様々な人種や職種の人間が積み込まれたビルで、入り口にある灰皿にだけは多種多様な喫煙者がまるで暖を取るようにたむろしていた。

 煙を吐き出しながら空を見上げると、超高層ビルが視界のほとんどを覆った。

 だがその先には、確かに空があって、いくら手を伸ばしても届かない、『高い空』だった。

 俺はその空に惚れ込んだ。



 不思議なことに、同じように高層ビルが密集している東京ではその『高さ』を感じることができなかった。

 でも、それでいい。

 俺は高い空を

 手を伸ばしても届かないからこそ、俺は安堵し、圧力を感じることなく背筋を伸ばして立つことができる。

 どこに歩いて行くかは俺次第。

 いつかまた、あの高い空を見に行きたい。

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