丹精も込め方次第(短編集)

はねかわ

喰いざかり 喰われたがり

花畑

 人の立ち入らない山がある。過去何百という人が、その山で自らの命を絶ったからだ。

 いつしか心霊スポットとして有名になったが、それ以前から、地元にはこの山にまつわる噂が囁かれていた。



 それは『タチトビ山に登ったら最後、二度と下りては来られなくなる』という、何とも安っぽい怪談話だ。


 聞くところによると、如何やら行きに通った道が帰りには影も形も消えてしまっているらしい。そのまま下りられず迷っていると、成仏できなかった怨霊たちに仲間だと思われてあの世に連れていかれる。その際には心臓を貪られて殺されてしまうらしい。



 毎年、夏休みに暇を持て余した高校生の集団が挑戦に来るが、九割は登りもせず入り口で引き返し、休み明けに堂々と見栄を張る。

 残りの一割は単独で挑みに来る。そういう子ほど、ちゃんと戻ってこない。



 当然、これらは全て根も葉もない噂に過ぎず、誰一人として信じる者はいない。しかし、誰もがこの根も葉もない噂を疑い、影も形もない恐怖に怯えている。

 自殺の名所であることと、無意識に紐づけしてしまっているせいで意味もなく怯えているのだろうが、好奇心を手にした人々はそれに気付かない。




『タチトビ山に捨ててしまうよ』




 大人達にとって、これほど子どもが素直になる決まり文句はない。この地に住む子どもにとって、タチトビ山に捨てられる以上に怖いことはない。みんなが山を怖がり、みんなが山を嫌った。




 そんな呪われた山だが、実はもう一つ噂がある。

 それは、一つも道順を間違えず正しく登れれば、一面に白百合と瑠璃茉莉が咲き誇る”正しい頂上”に辿り着くというものだ。



 もちろん、その真偽は不明。気になって衛星画像を調べたこともあるが、花畑らしき場所は何処にも見当たらなかった。

 そも、こんな荒れ果てた山に綺麗な花が咲くわけない。噂を知る誰もがそう思っている。



 きっと、中二男子達の作り話が、尾ひれを付けて広まってしまっただけだろう。そう思う人がほとんどで、真実だと信じる人なんて、一人もいなかった。




 正しい頂上に辿り着いた、私を除いては。




 ──────────………




「ほんとに、ホントにあったんだ……」



 悪ふざけのつもりだった。学校も、塾も、家族も。身の回りの全部が嫌になったから、二度と帰れなくなってもいいと短絡的に思って、タチトビ山に登った。



 ただ、登る直前に正しい頂上の噂を思い出して、せっかくなら試してみたいと思った。心霊の噂を調べている内に、花畑の情報も少なからず見聞きした。



 コの字を描くように山道を曲がり、最初の分かれ道を右に行く。そこから十分、ひたすらまっすぐ歩く。その間に時計を見てはいけない。見たら迷い続けることになる。


 上手くいくと、十分後に崩れかけの桟橋が現れる。手前から三つ目の板を壊して真下の岩に飛び降りると、岩肌に三角形の入り口が見える。中に入って岩肌に従って暗闇を進み続ける。運が良ければ、その先で花畑に辿り着く。



 手順を順番どおりの行っても、最後は運によって左右されるのかと、パソコンに向かって文句を言ったことを思い出す。

 でも、二度と帰れなくなって良いと思って山に登った身としては、失敗して欲しかった。むしろ、失敗した方が成功とまで言える。

 だから、ちゃんと来てしまった私は運が悪い。おかげで生き残ってしまった。自虐の笑みを浮かべながら、足元いっぱいに咲く花を踏みしめる。



 登っている時は雨だったのに、花畑の空は嫌になるほど快晴で、青が何処までも続いていた。



 どちらが上でどちらが下か。油断すると一瞬で分からなくなって、混乱してしまう。重力を念頭に括りつけながら、花畑を進んで行く。

 空と一緒で、花畑にも終わりが見えない。同じ場所をずっとぐるぐる回っているのではないかと錯覚しそうになる。いまのところ、踏みつけた花が前から来る様子はない。



「まあ、どれだけ綺麗な花見たところで、心が晴れることはないけどね…」


『おや、それはもったいない。此方こちの庭園を見れるなんて、一生に一度だけなものだよ?』



 どこからともなく聞こえた声に、外聞もなく飛び跳ねて驚く。すぐに背後を見るが、人の姿は無い。

 円を描くように周囲も確認するが、花畑が何処までも続いているだけで、人も、人以外の動物の姿も見当たらない。



『せっかく客人が来てくれたんだ。おもてなしをさせておくれよ』



 聞き覚えのない声に警戒心が増すのは、生物としての本能だと思う。おもてなしとは言っていたが、余裕のある話し方は、隙を与えて喰うために良い人を演じているようにも思えた。



「そうなったところで、なんの問題もないけどさ……」



 喰われるなら寧ろ好都合。もし、今後タチトビ山が燃えるようなことがあった時。

 戻らなかった私が遺骨で発見されたらと思うと気分が悪くなる。色んな柵が嫌になって此処に来たのに、死んでからまた世間の目に晒されるのは御免だ。



 それなら、是非とも食べてもらいたい。可能であれば骨ごと食べてもらいたい。死ぬ瞬間は怖いだろうし、生きたまま食べられたら痛いだろうけど、それで完全に姿を消せるなら、安いものだろう。



 恐竜のようなバケモノを想像しながら、紫白の花畑を進んで行く。

 案内板なんてものはないし、踏み慣らされた獣道があるわけでもない。スマホも役に立たないだろうし、自分の勘だけを頼りに方向を決めるしかない。



 まあ、スマホはここに来る途中でドブ沼に捨ててきちゃったから、役に立つとか、そういう以前の問題なのだけれど。



 微かな追い風に従って暫く歩いていると、花畑に謎の膨らみが現れた。ポッコリとした得体のしれない何かの登場に私は反射的に歩くのを止めて、一歩下がる。



 渦を巻くように、迂回しながら少しずつ膨らみに近づく。真っ白い図体はかまくらのようにも見えるが、かまくらにしては平べったく、雪を固めたにしては表面にムラがない。入り口の見当たらないソレに近づけば近づくほど、そのキメの細やかさに目を奪われる。



 いったい、これは何なのだろう。シルクみたいな質のいい素材なのだろうか。それとも、雪みたいに自然物が熱によって形を変えたとか? 花以外何もないのに、どうやって……



「待ちかねたよ客人! さぁ! 是非に及ばずとも語らおうじゃないか!!」



 恐る恐る触れようとした瞬間、先ほど聞こえた声と共に、真っ白い何かがひっくり変える。




 現れたのは、背の高い女性。この世の者とは思えぬほど色白く、澄んだ女性。




 腰ほどまで伸びた、透けるような白髪。ぱっちりとした二重の瞼に潜む、瞳孔の小さな白銀の瞳からは、妖狐のような怪しさが零れている。

 胴体の二倍ほどありそうな長い脚と、肌に張り付くようなデザインのワンピース。漆黒のそれの上に、青いラインの入った純白のローブを羽織る姿は妖精のようであり、花畑に住まう魔女のようでもあった。




「さぁ、言葉を紡ごう! 感性を分かち合おう! 此方こちに答えられることならば何でもこたえようぞ……どうしたんだい? そんなに眼をぱちくりさせて。もしや、さっそく見惚れてしまったかい?」



 人差し指を頬にあて、得意げに微笑む姿に怒りが湧く。何が見惚れるだ。呼んでもないのに飛び出されたらびっくりするに決まってるわ。

 どうしてそこに少女漫画的な胸キュンラブストーリーが生まれると思った。劇的な出会いは創作でも胃もたれするのに、現実で起こってしまっては敵わない。



「いきなり人が飛び出してきたのにリアクションしない人はいません。みんな大なり小なり驚きます。今度やってあげましょうか?」



「ふふん、お気遣い感謝するよ。いつか機会があったらぜひともお願いしよう」



 魔女は嬉しそうに言葉を返し、腰を抜かした私に手を差し延べる。全人類の味方ですと言わんばかりの笑顔のせいで、怪しさより胡散臭さが勝る。



 ハロウィンのジョークグッズみたいなの仕込んでて、触った途端に落としたりしないだろうな。

 疑いながら、あとは握るだけという位置まで腕を伸ばす。今のところ悪戯されそうな感じはない。指を曲げ、掴もうとしたところで、魔女の不自然さに気付いた私は、反射的に腕を引っ込めた。



 魔女の手には、一切の線が入っていなかった。手相は愚か、関節部の皺もなければ指紋もない。ガラスのようだけど、より繊細で、触れただけで壊れてしまいそうな細い指に、雫のような爪が付いているだけ。



 美麗であり、明媚であり、見目麗しい。どんな美しさを表現する言葉も、この指先であれば纏えるし、見劣りすることはないだろう。次第によっては言葉の方が足らなくなることだって有り得ると思える。初対面にも疑い深い私でさえ、自信を持ってそう言える。



 言えるからこそ、欲しがるより引き離したい。こんな綺麗が過ぎる物に、自分の手で触れたくない。例え手袋を持ち合わせていても、この気持ちは変わらないだろう。

 誰がどう見ても理想的。理想的すぎるから妬むよりも悍ましい。人間のように、規格がバラバラで出来の悪い部分がないことが酷く怖い。



 出来損ないの真逆。あまりにも出来過ぎている。人型をした人外。意味の分からない文章が、頭の中で木霊した。



「どうしたんだい? 虫などはついていないと思うのだが…。もしやシャイガールなのかい? 安心したまへよ。此方こちのような美麗極まったお姉さんの手を握る時は、百戦錬磨の老紳士だって緊張するものさ!」



「別に、緊張はしてないです……ただ手に皺も痕も無いのが、不気味だなって思っただけです」



 食らった豆鉄砲の球を飲み込めず、魔女は顔をしかめたが、すぐに笑顔に戻る。



 眼に飛び込んで来そうなほど真っすぐに向けられた視線に、身体を動きが縛られる。目を反らしたら最後、大切な何かが、音も立てずに壊れてしまいそうだった。



「ふーむ、なるほど。どうやら君は、此方の想像以上に他者をよく観察しているのだね。現に今も、立ち上がるより先に、見た目から私の情報を得ようとしている」



 得意げに分析を披露する魔女。心当たりも自覚もないが、この人が何かを語ると、何でも鵜呑みしてしまいそうになる。

 カリスマ性とはまた違う、他人を巻き込む掌握を、そのまま感覚として味わう。



「疑り深い子も、崩し甲斐があって面白いのだけれど、ねェ……」




 ローブの袖を揺らして、魔女は延ばしていた手を引き顎に添える。

 考える素振りさえも画になってしまう。誰の為かも分からぬまま、見られることだけに特化された造りは、一種の芸術のようにも思えるが、仮にこのヒトが美術館にいたら、それだけで他の作品の存在意義が失われてしまう。魔女以外の全てが凡作以下と評される。



 見た目は同じ女なのに、魔女の事を女だと言いたくない。たまたま被った皮が人間の女のだったってだけで、こいつは、もっと別の何かだ。



「そうだね。うん、それがいい。少女、もしよければなんだが……」



 思考を終えた魔女は素早くしゃがむと、腰を抜かしたまま動けにない私の頬に手をあてる。

 程よく冷たい手の平は沁み込むように肌の隙間を埋め、根を張ったように強く吸い付く。



 逃げられない。気圧され背中をつけて倒れると、花畑が急に棺桶のように思えてくる。

 頬に触れたまま、真上から私を見下ろす魔女。依然として変わらない表情に怯える私の顔が、白銀の瞳に映っていた。



「よければ、此方こちを喰ってはくれないだろうか」



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