ミズ・ミリアムの独白録

高秀恵子

第1話 少女時代

第一章 少女時代


 私は14歳で懐妊し、15歳の冬至の夜、すなわち12月25日に男の児を出産しました。この言葉の意味の深さを、どなたか理解できますか。


 私は12歳で成女式を挙げ、14歳で婚約しました。婚約者は全く誠実で信仰深い方です。当然、婚前交渉など絶対にしません。それなのに何故、私は妊娠したのでしょうか。


 あれは私が御本を読んでいたときのことでした。私は読書が大好きで、読むのは異邦人のような詩集や物語ではなく、もっぱら御本に限ります。特に好んで読んでいたのは「ヨブ記」でした。義人である主人公が、愛する子ども達に死なれ、家畜を全て失い、あまつさえ重い不治の皮膚病に苦しんで、妻に罵られても、信仰を止めない姿に驚き敬意をいだきました。が、それ以上に、議論をする主人公達に、主が「知識もないのに、言葉を重ねて、誰だ。神の経綸を暗くする者は」と発言される個所、特にこの部分が好きです。「神の経綸」という言葉を私はこれを読んで始めて知りました。神の経綸。主の御予定。

 私は律師の父を持ち、生母も継母も信仰深い人で、行ないに真心がこもっています。文字を読めて御本を暗記しても真実の信仰をしているのかと、私自身をいつも諫めて下さる御言葉です。そして私も「ヨブ記」の主人公のように、いかなるときも信仰に忠実に生きたいと願っています。

 そうしている間に私の前に光の塊が見えてきました。そこに天使がー神の御使いがー笑顔で現れておっしゃいます。

「おめでとう、恵まれた人よ。主はあなたとご一緒だ。恐れることはない。あなたは子を授かり、男の児が生まれる。その子にイエスと名付けよ」

 私は驚きました。震えました。未婚の私に男の児が私から生まれるなんて。

 私の全身は痛みました。御本にもある、地震というものが起き、平らな畑の地面が割れ、その中に突き落とされたような気分です。あるいはあの「ヨブ記」の主人公のように、自らの幸福の全てが剥がされ、先の見えない不幸に堕ちたのを感じました。

 こういう夢は長年、子どもに恵まれない夫婦が見るものです。私には婚約者がいても、まだ男の人を知りません。交わったことなどありません。なのにこんな夢を見るなんて。

 天使は続けていいます。

「神に出来ぬことはない」。

 私は恐ろしくてたまらなかったのですが、畏まって天使に

「私は主の召使、御言葉の通りになりますように」

 と申しました。天使は私を離れていきました。

 気がつくと元の部屋に私はいました。

 先程見たものは事実だったのでしょうか。

 私は不安になり、父や継母よりも隣町の律師の家のエリザへツおば様をすぐに訪ねにいきました。

 実はそのおば様のご夫君様も似たような夢を見たことのある方でしたから。


 私の生母は異邦人でした。アンヌという名です。この地よりも遥か北の地、ローマ帝国領内のブルターニュという所で最初の婚姻し出産しました。母の最初の夫はかなり裕福な商人でした。しかし子ども嫌いなその人は、生まれてきたのが後継ぎにもならない女の子だったので、母とその児を家から追い出しました。その女の子とは私の姉です。その女の子はマリという名でした。

 母は異教徒だったので異教徒の巡礼地を、その赤ん坊を抱いて連れ、喜捨を求めながらの旅をしました。私の母が私の父ヨアキムと出会ったのは海辺の街です。父はそのころ、民族離散後の異郷で暮らす同朋らが主の教えから離れないよう旅をしながら説法をしていました。

 父は乳飲み子を抱えても道に迷わず貞節に生きていた当時の母を見て、この人を自分の家に連れて帰り、家の女中として使わせようと考えていました。母の貞節は結婚証明書と離婚証明書が示していました。すなわち連れていた赤子マリが正しい夫婦の間に授かったことを示していました。

 母は、後の主人となる人の人柄を信じ、私達の民の言葉を覚え、やがて改宗して、私達とおなじ唯一の《神》を信じ行ないを改めました。

 母はとりわけ「始めに神が天地を創造された」の部分を読み聞かされたとき、涙を流して感動したと聞いています。これまで月の神や星の神をなんとなく信じていた母は、唯一の神がこの世の全てを創造されたとは。

 父はその信仰の深さに感銘を受け、異邦人であってもこの女性と結婚したいと思うようになりました。しかし異邦人や異民族との結婚を私達の民族はよく思いません。

 そんなとき、隣村の律師の奥様が―エリザベツおば様のお母さまが―、自分の母方の親戚と、私の母となるアンヌの母方の親戚が血縁関係にあると証言したのです。こうして父と母は、無事に結ばれました。母アンヌが最初に産んだ子は、マリという異邦人風の名前から、ミリアムに改められました。

 父と母は一緒になりましたが40歳を過ぎても子どもに恵まれませんでした。

「ほら見たことか、異邦人がどんなに我々の主を拝んでも子どもなんて生まれないぞ」

 周囲の人はそう陰口を言いました。父は子どもが授かるよう、荒野で40日間断食をしたほどです。

 そんな母が44歳のとき、夢に天使があらわれました。

「恵まれた人よ。主はあなたとご一緒だ。恐れることはない。あなたは子を授かり、女の児が生まれる。名をミリアムと名付けよ」

 こうして生まれたのが私です。生母は私が9歳のとき亡くなりました。父は60歳を過ぎていましたが、間もなく再婚しました。継母も母と同じく信仰深く優しい人です。

 私が今、訪ねようとしている人は、私の母と自分達の母方親戚がつながっていると証言した婦人の娘です。やはり律師の妻で、この方は妊娠6か月になります。おば様は遠くの町の律師の家に嫁いだのですが、ご夫君様がおば様の生まれ育った町を気に入り、そちらの町に引っ越してきたのです。そのおば様も長い間、夫との間に子どもがなかったのですが、ある時、ご夫君様が夢で「恐れることはない、あなたの願いは聞き入れられた。あなたの妻は男の児を産むであろう。彼は決して強い酒や葡萄酒を飲まない。名をヨハネと名付けよ」。おば様に妊娠の兆候がその後現れました。


 おば様は私の話を聞いて、

「それは願望夢ですよ。あなたは自分の妹さんの幼さや、私が妊娠している様子を見て、自分も子どもが欲しくなったのでしょう。おませさんね」

 と笑い、私も気持ちが一気に楽になりました。私の妹は2つ3つの年頃で、本当にかわいらしく、私が今日出かけるときもよちよちと歩きながら部屋の中を漂う埃のようなものを見つけ、それを掴み私達に見せようとしてくれました。ちなみに妹の名前は私の名前と同じです。私の歳の離れた姉も、私と同じ名前、ミリアムなの。  

私は妹が、生まれてすぐの頃からはいはいをする頃、ようやく歩き始めて言葉をたくさん話す頃を全て見てきましたので、心の奥底で自分の子どもが欲しいと思うようになったのかもしれません。

 私とおば様は大笑いをしながら、大きなお腹を撫ぜました。おば様は大柄でしたので、生まれて来る児もおば様に似て大きいのでしょう。私の心の不安は一掃されました。


 私に受胎告知の夢の不安が現実に襲って来たのはそれから3カ月後のことです。私にはあるべき月経が来ませんし、つわりのような症状さえ起こってきました。一番心配したのが私の継母と父です。私は受胎告知の話をしました。

「それは深刻な問題だね」

 と父は言います。

「お前のお母さんが受胎告知を告げられた頃、私は妻と男女の関わりがあった。おば様の場合もそうだ。お前には婚約者がいる。あの人が婚前交渉などする筈がない。つまりお前が不義を犯したと、世の人は考えるだろう」

 私の婚約者は、30歳を過ぎた方で名をヨセフとおっしゃいます。実直で親切な、信仰深い方と聞いています。職業は指物師です。お相手の指物師は律師の娘を貰うなんてそれはもったいない話です、私はもう30歳を過ぎた年寄りですからと、一度は辞退しましたが、父がその人の人柄を深く見込んで、娘の信仰を導き娘をよりよく育ててくれるのは、同じ律師仲間よりもあなたのほうが素晴らしいと、父が頼み込んだのです。私は婚約者とは3回ほどしか顔を合わせていません。婚約者は、見た目は年齢より若く見える方でした。

「お前に本当に身に覚えがないとすると」

と、今度は叔父がいいました。

「誰かに襲われたのだろうか」

 しかし私は破瓜の痛みなど経験したことはありません。襲われるほど淫らな真似もしていません。

 叔父は続けます。

「異邦人の兵士の中には生娘に海綿に浸した眠り薬を嗅がせ、股間にオリーブ油を塗り、挿入しないでことを済ませる者もいるという噂だ。神や天使を信じないわけではないが、こういうこともあり得る」

 叔父のその言葉は意地悪気に私は感じました。

 父は

「ヨセフにどう言い訳をすればいいだろう」

と、老いた白髪の多い、こめかみに生えた髭を撫ぜながら悩んでいます。婚前に処女を失い他人の子を孕んだ娘など貰ってくれるはずがありません。妬心激しい人ならば私を石打の刑に向かわせるでしょう。死刑は私達を支配する異教徒の帝国によって禁止されていますが、死なない直前まで石打を行なわせることが多いのです。

「あなたは表に出ないようにしましょうね。生まれた子どもは私の子どもとして育てるから」

 継母はそう言いながらお腹に詰め物を入れる準備をしました。

 私は自分達の民族には、名誉殺人の習慣はありません。異民族の中には、娘や妻が不法な男女関係を持つと親族の男性が、その妻や娘を殺してしまう風習があるのです。一方では、私はこのまま生きていて仕合せになれるのかとも思いました。自分が産んだ児を弟と呼び、処女膜を出産で失うであろう私は一生結婚せずに、父や叔父や従兄の世話を受けてこの家で暮らすのですから。

 しかし夢で天使はこう言いました。

「おめでたき人よ」

 と。私が《弟》と呼ぶ、私の息子が何か主の御意志に沿うような善行をしてくれるものだと私は信じて、あの「ヨブ記」を思い出しながら、妊娠中の生活を送りました。


婚約者ヨセフから「今すぐに一緒になりたい」という知らせをうけたのは、私の15歳の誕生日を終えた頃、ちょうど仮庵の祭りのときでした。その頃には婚約者にも私が身籠ってしまったことは耳に入っていました。

 婚約者は言います。

「夢で見たんだ。『心配せずにあなたの妻となる女を家に迎えなさい。胎内に入っているものは聖霊によるものである。男の児が生まれる』と」

 そして聖霊は生まれる児につけるべき名前を告げたそうです。その名前は私が出会った天使が告げた名と同じイエスでした。

 私は驚きながらも夫に従いました。

 4本のポールが立てられ、夫の親族と私の親族だけで結婚の儀が行われました。四角形の簡単に作った天幕の中に私達夫婦だけが2人きりで入り、天幕の周囲を夫や私の親族が7周り、式が執り行われます。

天幕の中で膨れたお腹を見ながら、私は恥ずかしさと情けなさで泣きたい気持ちになりましたが、夫の心情を思い、私はなんとか微笑みました。子どもの頃、亡き母が断食のときに私の髪に油を塗ってくれたのを思い出したからです。

母は幼い私に「断食のときは、いかにも断食に耐えてますっていうような、辛い表情は見せてはいけませんよ。断食のときこそ、主に感謝し笑顔を作りましょう」。そう言って上等の香りのよい油を少しだけ髪に塗ってくれました。今本来なら断食中は化粧も沐浴も禁じられていましたが。母は私を慰めようとしたのです。私はそんな母の気持ちが嬉しくて断食が楽しみになりました。

そして今、私は辛くてたまらない気分です。ここで泣いたら夫はどんな気持ちになるでしょう。

私は夫に感謝をして精一杯笑顔を作り、夫の方を見ました。

すると夫は私にキッスをし、静かに手を握って下さいました。こうして婚儀は静かに終わりました。

以降、私は夫の家で暮らすことになりました。本来なら村中の人を呼んで1週間ほど行われる披露宴もなく、それはひっそりとした式でした。夫とは一緒になりましたが、夫は胎内の児を思い、私には一指もふれず禁欲を貫きました。

 

そんな夫が「ベツレヘムへ行こう」と言い出したのは結婚まもなくのことでした。ベツレヘムは私達が暮らす街より歩いて半月ほどの場所になります。

夫は御本の一節を指さし、「我々夫婦のことが予言されている」というのです。その一節とは『見よおとめが身重になって男の児を産む』の部分です。

私は戸惑いました。おとめとは、未婚の娘を、処女であることを意味すると同時に、ただ単に子どもが産める年齢の若い女性をも意味する言葉だったからです。それだけではありません。夫や私の夢に出て来た名前と、御本に登場するその児の名前が違うのです。私や夫の夢に現れた天使が告げた名前イエスの意味は『主と共に』です。しかし御本にある名前はインマヌエル『神が私たちと共におられる』という意味を持ちます。

 夫はさらに続けます。

「我が一族は王家の末裔なんだ、傍系だけど—。我が民族最初の民から数えて14代で我らの最も偉大なる王ダビデが誕生し、そこから数えて14代で我々はバビロン捕囚の身となった。そしてそこから数えて14代の男児がやがて我々の救世主になるんだ。生まれる場所は王が若き日を過ごしたベツレヘムだ」

 こういう預言は御本には書かれていませんが、町や村の人の間の噂にありました。夫はまるで町や村の人のようにその噂を真実のごとく言いましたので、私はさらに戸惑いました。

 でも夫の気持ちは痛いほど私にはよく分かりました。夫は信じたかったのです。御本の預言よりも人々の噂よりも私の誠実と潔白を。

「行きましょう。ベツレヘムへ。預言を成就させましょう。そのためなら私は何でもします」

 私は夫にそう返事をしました。幸い路銀ならば夫も私も質素な生活を好み倹約していましたから一応あります。私達は家長や姑達の許しを得て旅支度をしました。

 

 身重の私を連れての旅は苦渋を伴いました。私達は安息日に休む以外にもう1日、2~3日歩くと夫は私のために休息の日を儲けました。そんな日は私は木陰や天幕の下で夫を待ちながら過ごしました。夫は路銀を稼ぐため。日雇いの労働者となり大工や石工に混じって肉体労働をしました。

 そういう日ほど、私は我が身が女であることを呪いました。私は女だから、妊婦だから働けません。女が働いて収入を得る道は限られています。娼婦になるか、どこかの家の乳母や女中になることぐらいしかないのです。

 そして私は夫にあげるものはなにもないのです。この身が2つに分かれて夫と真に夫婦になっても、私の処女膜は出産で破れてしまうでしょう。処女が男性にとって一番の名器と言われていますので、真摯な夫は私が死んで次の妻を迎えるまで処女を知らずに生きていくのです。

 旅を続けるうちにベツレヘムに近づきました。私達夫婦と同じように、自分の家系を王家の末裔だと信じベツレヘムから戻る若夫婦も数多く見かけました。とりわけ女の児を授かった夫婦の落胆ぶりは一目で分かりました。

 男児を抱いている夫婦は我が子が救世主となることを信じ、民族の解放と独立に期待をかけていました。私達は異教徒の帝国からの独立と解放を望んでいたのです。

 私達は唯一の《神》を信じ、律法を守りました。その見返りに《神》は私達民族に《救世主》を送り出し、その救世主の力により、悪魔に率いられた国々を倒し、私達民族のため、永遠に平和で繁栄した国が与えられ、救世主が新たに王になると信じられています。このことは御本にもはっきりと記されています。

 帝国の支配下にあるこの時代、誰もが救世主の親になりたいと、そして男の方なら自身が救世主になれればなりたいと望んでいました。


 旅の間、夫が私を大切にしているのがひしひしと分かりました。夫は誰に対しても親切で腰が低く、旅ですれ違った人々に、その場にあった親切を施していましたが、私に対しては他人と違った情がこもっているのが私にはもったいなく思いました。夫は私を「信仰深い篤実な女性だ」とおっしゃっていますがそれは違います。私が信仰深く見えるのは、生母や継母、そして父の信仰に導かれてのことです。

 例えば私は安息を日が嫌いでした。安息日には水を井戸から汲むことも火を熾すことも禁じられ、とりわけ冬は冷たい料理を食べなければなりません。生母も継母も安息日の前日には2日分の料理を作って下さいました。そして家族例えば私は安息日が嫌いでした。安息日には火を起この食べる分とは別にシチューを大鍋に、安息日に仕事のない日雇い労働者のために、道端に特別な炉を、料理が冷めないよう工夫をこらして用意しました。安息日の私の住み家の前には、日雇い労働者の男達や夫のいない母子が列を作ってそのシチューの施しに預かりました。生母も継母も、特に善行をしたという顔をせず、まるで右手が行った善行を左手に悟られないように、普段通りの顔や態度を取っていました。

「安息日は奴隷も働いてはいけないのよ。家畜も休ませなくちゃいけないのよ」

と、生母も継母も言いました。それでも私は安息日の冬の冷たい食べ物が嫌いで、安息日に労働を控えて1日中のことを考えなくてはならないのが苦行に思えました。

 私達の民族は《神》の御名を唱えることを禁じています。ですから御本には《神》の名は、わざと読みにくい綴りで書かれていました。

 生母も継母も精一杯、私にいろいろなことを教えて下さいました。その1つが安息日のお魚の料理です。川魚の皮や頭を丁寧に身から外し、身は骨を取って野菜類と混ぜすり身にします。その後に魚のすり身を魚の形に戻し、先に取った魚の頭や皮ですり身を包みます。安息日に魚の骨を取る労働をしなくてもいいために工夫された料理です。生母も継母も、安息日以外の日に手が不自由なお客さまがお見えになるときにも、この料理を作りました。私も見覚え手伝ううちに、この魚料理が得意になりました。

 元異邦人だった生母は私に、私達の民族は思い上がって偉ぶっていると私に囁いたことがあります。《神》が、主が、私達を守って下さるのは私達が弱い民族で、いつも異民族の侵略と支配を受けているので、情け深い主は私達の民族を特別にかばって下さるのです。なのに私達は主の恩寵を忘れて、選民意識が強いと言ったのです。このことは私の父も同意しました。ですから私は偉ぶったり奢った態度を取らず、いつも控えめに言葉は柔らかくするよう躾けられました。

 私は一時期、神殿の聖女として—言ってみれば神殿での女中見習いのようなことをしていたのですが—、今の私があるのは父と生母と継母のおかげだと私は感じています。

 そして父が選んだ夫もまた、信仰深くへりくだった方でした。夫の一族には強い酒はもちろん葡萄酒さえ飲まず、絶えず祈っていたため膝が駱駝の皮膚のように固まった方さえいるほどです。私達夫婦の旅は、夫の優しさと誠実さ、そして遠くで見守っている父や継母の思い、さらに死んで灰となり土になった生母の生前の姿に支えられ、穏やかで楽しいものとなりました。


 ベツレヘムに着いたのは12月でした。最初は宿屋に泊まっていましたが、冬至、すなわち異教徒の祭りの日が近づくにつれて街の様子が変わってきました。

 宿屋はどこも満杯です。私達夫婦以外にもベツレヘムで救世主を産みたいと願う夫婦がたくさんいました。しかし夫の実家はベツレヘムにはすでになく、私達は旅館泊まりが続きました。

 そして冬至の前日から陣痛が始まりました。そうなると宿屋は私達を泊まらせてくれません。出産による血の穢れを嫌ったためで、このことは御本や律法にもはっきりと出産の穢れを避けることが書かれています。

 夫は私達夫婦のための泊り場所を探してくれました。そうして見つかったのが、篤実な家族の方が馬小屋代わりに使っていた洞窟でした。


私は下半身を裸にし、股間を広げました。思えばこんなに股を開いたのは生まれて初めてのことです。陣痛は間隔を開けてやって来ては痛さを増してきます。暖と灯りを取るための火を、洞窟の持ち主の夫人が時々見に来て下さいましたが。それ以外は周りに誰もいません。

 律法ではお産は近親者の女性が立ち会うことになっています。私の民族には職業的な産婆はいません。15歳の私は、全く1人で子どもを産むのです。もちろん夫の立ち合いも禁じられています。

 私は壁にもたれて座った状態で子どもが出て来るのを待ちました。陣痛はますます強くなって来ます。継母や姑から教わったように呼吸をしました。子宮口がだんだん開いていくのが分かりました。私はひたすら心の中で「主よ、主よ」と唱えました。

 日没が終わり新しい日が始まる頃、陣痛はいっそう激しくなり、子宮口がいっそう大きく開いて来ました。まもなく我が子が生まれるのです。

 子どもは私以外の女の力を借りず、1人で生まれなければなりません。破水し、やがて産道が動き、子どもが出て来るのを感じました。ようやく子どもの頭の先が出て来るのが見えました。私は一層いきみました。我が子よ、自力で出ておいでと願いました。でも子どもの顔が出て来ないのです。やがて顔が出て来てちいさな体躯が現れるのを感じました。子どもは勢いよく泣き始めました。

 しかし私の腹痛は止まりません。後産が、胎盤が、股間から出なくてはならないのです。私は身を動かすことも出来ず、後産が出て来るのを待ちました。その間は子どもは臍の緒をつけたまま、裸の状態です。烈しく泣く児どもを看てくれる人はいません。

出産の心得は周りの女の人達から聞いてはいましたが、こんなことなら誰か女性の近親者を旅に同行させればよかったと悔みました。でもこれは、仕方ないことです。女達だって家では忙しいのです。

 赤ちゃんの泣き声を聞きながら後産が出るのを待っていました。するとすらりとした感覚が股間を走ります。と同時にいいようのない快感が、私の頭の中にぱあっと広がりました。

 姑や継母から、胎盤が身体から出るときほどの快感は他にないと聞かされていましたが、本当でした。出産は苦痛が多いけれど、この後産の快楽のため、また子どもを産んでもよいと思えるのです。

 自由の身になった私は、赤ちゃんに近づきました。臍を切り赤ちゃんを予め用意していたオリーブ油で拭き清め、大麻と羊毛で織った襁褓と産着でくるみました。もうその時にはすっかり夜になっていました。

 生まれたのは男の児です。

 奇跡の児。無介助で生まれ、この世に出てから後産が終わるまで、ずっと独りで居続けたのですから。

 そのときです。私は見慣れぬ若い男性達が私達親子を見つめているのに気が付きました。

年の頃は13~18歳ぐらいか、風貌から宿無しの羊飼いと分かりました。皆、女の秘密の部分を見た好奇心で満たされた面立ちをしています。私は夫よりも先に見知らぬ男達に我が子を見られたのが恥ずかしくてたまらず、傍の飼い葉桶に子どもを隠しました。

「お女中」

 と、その少年の1人は言いました。

「その児を殺しちゃ駄目だよ。この児は僕達の英雄になるんだ。救世主になるかも」

「どうして?」

 と私は尋ねました。この少年は金持ちの主人に孕まされ、捨てられた女が出産したのだと思っているのでしょう。

「今の世の中を一番よく知っているのは僕達のような貧乏人なんだ。この児こそ《救世主》になるんだ」

 私の胸の中には再び喜びで満ち溢れました。

こうして、この児を産んでよかったと、心から思えました。

 

 夜が明けてから、私は夫のいる宿屋へ向かいました。夫は男の児であることを喜びました。「預言は成就された」と夫はつぶやきました。

 赤ちゃんは生まれてから1週間が大変です。姑や継母から聞かされたことですが、皮膚の色が黄色っぽくなります。いわゆる黄疸です。そして黒い便を出します。皺だらけで首も座っておらず頼り気ない感じで、もし悪鬼が赤ん坊と鬼を取り換えても気がつかないでしょう。私は赤ちゃんに初乳を与えました。

 出産後も女の身には痛みが続きます。あれだけ大きくなっていた子宮と皮膚が縮むので、その痛さもまた辛いものです。

 生まれて6日後には、男の児は《割礼》の儀式を受けなければなりません。これは主なる《神》との契約を結ぶためです。女は人間として不完全なので割礼をしません。夫は大事に赤ちゃんを抱えて、割礼師の所へ行きました。


 割礼を終えた夜、私達夫婦は不思議な体験をしました。

 宿屋に見知らぬ3人の異邦人が訪ねて来たのです。3人は《東方の3博士》と名乗りました。

 その3人の学者の風貌は、私が未だかつて見たことのない髪の色と肌の色を持っていました。

 1人は青年で肌も髪も真っ黒なのです。こういう異邦人が居ると聞いたことはありますが、実際に見たのは初めてです。

 もう1人の異邦人は、肌は白く瞳が青い色をしています。金色の髪を持ち、中年ぐらいに見えました。

 最後の1人は、とても変わった容貌をしていました。肌の色は私の少ない語彙では表現の仕様がありません。白とも褐色とも違った、言い表せようのない色をしています。髪は白髪交じりの黒で目は細く全体に平べったい顔つきです。年齢は……老人のようでした。

 3人の博士は私達夫婦が産んだ児どものお祝いに来たのだと言います。

「おめでたき人よ。救世主が生まれましたね」

 3人の内の1人がそう言います。沢山の夫婦からこのベツレヘムで子どもを産みましたが、私達の子どもが救世主になるのでしょうか。

 3人はそれぞれに宝箱から秘宝品を私達に見せました。黄金と乳香と没薬です。乳香と没薬は貴重な樹から得られる樹液から作られた薬品です。3人の説明によると黄金は青年期を、乳香は壮年時代を、そして没薬は老年時代を表すそうです。

「私達の息子が、本当に救世主になるのですか」

 夫が尋ねました。

 3人の内の一番歳を取った者が答えます。

「これは預言ではなく、予言ですが」

 奇妙な肌の色をした老人が続けて言います。。

「息子さんは救世主になろうとしますが、あなた方の民族の王にはなれません。しかし時の支配者になります。2000年後も、世界中であなた方の息子さんの誕生日が12月25日に祝われます」

 息子の誕生祝。そんな年齢になっても息子は生きているのでしょうか。

「あなた方の息子さんが、救世主であることを大人は信じませんが、子どもは信じます。そんな子どものために世界中の篤志家達が赤い羊織物に白い毛皮の付いた服を着て、子どもさんに贈り物を送ります。まあ、子どもさん相手だからちょうど靴下に入るだけのお菓子や玩具程度のものですが」

 今度は黒い肌をした人が言います。

「人々は永遠に平和で満ち足りた世界を望んでいます。そのためには1人々々が、この世を良くする気持ちを持たないと佳き世の中は生まれません。息子さんの誕生日は、そのことを子ども達に教える日でもあるのです」

「2000年後、私達の祖国はどうなりますか」

 夫が尋ねました。白い肌に青い目を持つ人が答えます。

「まだ完全な平和は手に入れていません。あなた方民族には試練や苦痛が続くでしょう。しかしあなた方民族は信仰を捨てません。例えば牛肉料理を食べた後に飲む、カフェという飲み物には牛乳を入れません。その代わりソイという豆から取れたミルクを入れて飲みます」

 私には何の話だか分かりません。2000年経っても私達の独立した王国が未だ訪れていないとは。

「この3つの宝物はパピルスに包んでお渡しします。これらを入れる宝箱は、お父さまが寄木細工で作られるといいでしょう。いつか息子さんの人生に役立つはずです」

 変わった肌の色をした、平たい顔の中年の男性がそう言いました。3人は、それだけを言い残すと宿から去って行きました。

 この奇妙な体験が事実であることは、夜が明け、朝になっても3つの宝物が消えないことが示していました。

「家に帰ると立派な箱を作るぞ。最高の木材で寄木細工をしよう」

 夫は張り切っていました。


 そんな私達ですが、今度は恐ろしい噂を耳にしました。

 なんと今の王ヘロデが、生まれて来た救世主が自分達の王位を脅かす者として、ベツレヘムとその周囲にいる2歳以下の男の児を皆殺しにしているというのです。

 夫はこの噂を耳にして言いました。

「エジプトへ逃げようかな」

 不思議なことが続く私達の児ども。

 一体、どうやって育てればいいのでしょうか。

 私には《神の経綸》が、主の御予定が、全く分かりません。


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