「とある妖精の一日」3編(第33回)
小椋夏己
第1話
「トワの体調が悪いの」
昨夜、実家の母から親戚の法事のことで電話があったのだが、その時にそう言っていた。
「トワ」は私が小学校の時に拾った猫だ。
学校の帰り道、車でもはねられたらしく、血まみれでぼろぎれのようになって雨上がりの道に倒れていた。
「うわー怖い、猫死んでるー」
一緒に帰っていた友達がそう言って、私も一度は通り過ぎようとしたのだが、ぴくりとわずかに動いた気がした。
「やめときなよー死んでるって」
友達に引き止められたのだが、思い切って近寄ってみたら、やっぱりかすかに息をしていた。
「もうだめだって」
そうも言われたが、どうしてもほっておけず、持っていたタオルで包み、帰り道にある獣医に連れていったのだ。
先生も少し首をひねり、
「もしかしたら治療しても助からないかも知れないよ。それに動物は人間と違って健康保険がないから、治療費も高くなるよ」
そう言われたのだが、せっかく連れてきたのだからと家に電話をしたらすぐに母が飛んできてくれて、
「これも何かのご縁だし」
と、治療をしてもらうことになった。
治療の結果、右目と壊死した右前足はだめだったのだが、思った以上に経過はよく、結果として我が家の家族の一員となることになった。
「名前はトワ、永遠のとわって意味だよ」
「永遠」と書いて「とわ」と読むと知ったばかりの私は、新しい小さな家族がいつまでも元気でいてくれますように、その願いを込めてそう名付けたのだ。
トワは体は小さく、最初は子猫かと思ったのだが、多分2、3歳だろうとのことだった。
「メスだけど不妊手術も受けてるし、前に飼われていたのは間違いないね。地域猫だったら『さくらねこ』になってるだろうけど、耳がカットされてないから、おそらく迷子になったか捨てられたんだろう」
一応張り紙をして飼い主を探したけど名乗り出る人もなく、そのままうちの子になって、今年で15年になる。
その間に私は中学、高校、大学と学年を進め、3年前に就職で実家から離れることとなった。
「そう遠くないし、週末には帰ってくるからね」
トワの頭を撫でながらそうして独り立ちをし、週末にはちょこちょこと帰ってきていた。
トワは賢い猫だった。
大人しくて、人懐っこくて、前の飼い主にも大事にされていたのか、人を恐れることはしなかった。
「あんなケガするような目に合ったのに、トワは本当にいい子だね」
まだ小さかった私が学校帰ると、いつも3本の足で玄関まで駆けつけて、
「にゃあ」
と出迎えてくれていた。
それは家を出てからも同じ。
「あんたが帰ってくる気配がするとね、いっつも寝床から飛び出して玄関まで走っていくのよ。もうおばあちゃんなんだから、もうちょっとゆっくりしなさいって言うのにね」
母が呆れたようにそう言って笑うのを、トワはまた、
「にゃあ」
と鳴いて、軽くあしらっていたものだ。
そのトワの体調が良くない。
これまでも何度か病院にお世話になっているが、注射や点滴をしてもらったり、薬をもらったりしてその
「まあ、明日になったら病院に連れて行くわ」
「うん、お願い。今日は木曜日だからまた土曜日に帰るわ」
そう言って電話を切ったのだが、その夜、どうしてもどうしても心配で胸騒ぎがし、
「すみません、今朝起きたら熱があって……はい、ただの風邪だと思いますが、はい、申し訳ありません、今日は一日休ませていただきます。はい、週末ですし、少しゆっくりさせてもらいます」
私はついに仮病を使って仕事を休み、実家へと急いだ。
実家までは電車とバスを乗り継いで1時間半ほど。
通勤ラッシュの電車に揺られ、実家に着いたのは11時になる前だった。
「ただいま」
玄関を開けると、
「にゃあ」
いつものようにトワが出迎えに来てくれていた。
「トワ、なんだ、元気じゃない」
荷物を放り出すようにして抱き上げると、
「にゃあ」
いつもと違ってもう一言そう鳴くと、トワはそのまま目をつぶって全体重を私に預けてしまった。
「トワ?」
私がびっくりしてそう声をかけると、
「おかえり。お医者さんがね、もう今日1日か2日だろうって」
「え?」
「もう年だし、あっちこっち悪くて心臓も弱ってるって」
「え、でも、今もいつもみたいに。ねえ、トワ?」
声をかけるが反応がない。
かろうじて息はしているが、呼吸は弱く、そして早い。
「トワ?」
「ずっと寝床でぐったりしてたのに、あんたが帰ってくる気配がしたらいきなり立ち上がってね、玄関まで走っていったのでびっくりした」
「トワ……」
私はぐったりしているトワを抱きしめた。
そうしてそのまま、段々と心臓の音が弱くなっていくトワを抱きしめたまま夜を迎え、トワはゆっくりと虹の橋を渡っていった。
「トワ、ありがとう。最後の一日を一緒に過ごさせてくれて」
私はトワと過ごしたこの最後の一日を、その最後の声を忘れることはないだろう。
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