第44話 切欠と転機
「いいえ。楽しいものって感じじゃないですね。なんせ不戦地帯で、国境です。そのうえ、折り合いの悪い国同士を隔ててるんで
「そういう事だったか。そいつもきっと誰にも邪魔されない場所を求めて、そこに行き着いたんだな」
「そう……だったんだと思います。でも、ある日を境に、めっきりアイツを見かけなくなって……」
人魚の男は、ふーっと大きくため息をつきました。自責の念に駆られているようで浮かない顔をしています。
「お前はそれを自分たちのせいだと思ってる、と。考えすぎじゃねえか?」
「…………見たんです。公園に入る手前で、引き返していったところを。公園でアイツを見たのは、それっきりでした」
「それ以来、そいつとはずっと会ってないのか」
癖毛の男の問いかけに、人魚の男は躊躇うように視線を彷徨わせたあと、ぎゅっと両目を瞑って白状しました。
「会ってはないです。……けど、一方的に見かけた事なら。そのときは上を目指してたんで、どこに行くのかなぁって気になって、こっそりあとをつけちゃいました。僕、これでもかなり気にしてたんです。居場所をひとつ奪っちゃったんじゃないかって……」
「居場所くらい他にもあるだろ。ひとつ失った程度じゃ、困る事もねえと思うが」
「困る困らないっていうより……王族って、ただでさえ人目を気にしなくちゃいけないじゃないですか。自分の家だって城だから、常に家族以外のひとも出入りしてます。同じ国に住む者同士、気安い仲ではあっても、最低限保つべき品位も威厳もあるんです。なのに、一人きりになれる時間なんてほとんどなくて……。名目上の私室だって、簡易的に区切られただけのスペースで、完全に人目につかないわけじゃありません。だから、リラックスできる場所なんて本当に限られてきます。末席とはいえ、僕だって『そう』だから、わかってたはずなのに! 軽率な行動でアイツの居心地のいい場所を……僕は…………」
自分で自分を強く抱き締める人魚の男の千恨万悔はいつまでも止みそうにありません。そろそろなにか言葉を掛けるべきかと癖毛の男が迷っていると、急に人魚は調子を変え、きっぱりと言い切りました。彼は吹っ切れたようにも開き直ったようにも見えます。
「だから、安心したかったんです。あの公園以外にもアイツがくつろげる場所があるんだって事を確かめずにはいられなかった。アイツのためじゃなく、あくまで僕のために」
「そいつが帰ってったのを見ちまった日から、責任と罪悪感と感じ続けてたんだな。それで、どうだった。尾行は成功したのか」
「はい。急いでたみたいだったんで、追いつかないように気にする必要もなかったですしね」
「辿り着いた先で、お前はなにを見たんだ?」
「アイツは人間の女の子と会ってました。女の人、だったのかな。遠くからだったんで、はっきりとは見えませんでしたけど。大きくて面白い形の岩の前に並んで座って、楽しそうに話してました。それを見て、アイツにはやっぱり敵わないなぁ……って痛感したんです。でも、その敗北感って全然嫌なものじゃなくて、むしろ『敵ながら天晴れ』って思うくらいでしたね」
金色の鱗を持つ人魚は、隣国に生まれた一人の人魚を賞賛します。彼が好敵手を認めている事実を表明するのは、実はこのときが初めてでした。
「どうしてだ? その敗北感はなにに対してのものだ。お前だって、話そうと思えば誰とだって話せそうだが……女性と接するのは苦手だったとか?」
「そういうわけじゃないですね。相手が誰でも話せはします。同性異性も老若男女も問わず。言葉が通じるなら、魚たちでも、あなたたち人間のひとでも。でも……いまと同じ感じのコミュニケーションは取れてなかったと思いますよ」
人魚の男は在りし日の自分を回想し、その横っ面を張りたい衝動が込み上げてくるのを感じました。いまは深く恥じ入り、反省しているとはいえ、目を覚ますのが早いに越した事はないでしょう。
「僕はそれまで、隣の国の人魚だけじゃなく、人間の事も見下してました。なんにも知らないくせに、吹き込まれる悪意に満ちた情報をただ妄信してきました。情報なんて言えるものじゃなくて、根も葉もない噂の数々を。でも、人間のひととも友好的に話すアイツを見て気が変わりました。このままじゃダメだって思ったんです。僕も変わりたいって初めて思えたんです……。決めつける前にちゃんと知らなくちゃ、そのためには実際に会って話してみなくちゃ、って。全部、アイツのおかげなんです」
「そいつはお前の好敵手かと思ってたが、恩人だったんだな」
「そうなんですよ。それからは……っていうか、そのときですね。アイツに対する見方が変わったのは。打ち負かすべき相手じゃなくて、尊敬して学ぶべき相手なんだなぁって。最初から、僕はずっと負けてたんです。挑むまでもなく。恥ずかしいなぁ……」
癖毛の男に向かって潔く敗北宣言をした人魚の男ですが、その実、彼は恩人である人魚の事で頭がいっぱいでした。どうにかして彼とコンタクトを取る方法はないだろうか。過去の過ちをひと言詫び、願わくは親交を深められないだろうか……と。
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