うつろな夜に
片喰 一歌
少女の独白
第1話 すべてのはじまり
わたしには、あなたの愛の
けれど、わたしはみんなの事を愛しているあなたを愛していた。国を。海を。……わたしの住む陸までをも、彼は愛していた。想っていた。
わたしは、あなたのようには生きられない。だって、わたしの愛の基盤は急拵え。土台はあなたとおばあちゃん、二人だけ。
……贅沢なのは、わかってる。二人とも全力でわたしを慈しんでくれた。生きていていいのだと、ここにいていいのだと、示してくれた。
おばあちゃんの死後、わたしは彼女の屋敷や遺産等すべてを譲り受けた。
元々、見放された区域。そこの最後の住人なんて、政府は見向きもしなかった。いまほど政府の無能さをありがたく思った事はない。
管理の対極。取り締まりを強化しても無限に湧き出る無法者たちに手を焼いたのだろう。世界でも類を見ない放任主義の国家、それがわたしの生まれた国の実態だった。
就職後、すぐに居住区制度が廃止されたときは面食らったが、そもそもよくあんな人権侵害も甚だしい制度が罷り通っていたものだ。
国家の運営体制とあまりに嚙み合わないそれを疑問に思い、居住区のみを徹底的に管理していた理由について考えた事があるが、おそらく、身体の不自由な国民を守るという目的があったのではないか。
正しい方法だったとはとても思えないが、自分で自分の身を守る事も難しい彼らを確実に守るために、決められた場所に住まわせ、健康な者たちに世話させていた……というのが実情だろう。
だが、そうであるなら、なおのこと理解しがたい。どうして無法者たちが自由を許され、無辜の民たちはより一層不自由に生きなければいけないのか。
わたしは気に食わなかった。腐った大人しかいないのか、この国の上層部には。終わっている。まだ続いているのが空恐ろしいと思うほどに、未来がない。きっと世界全体を見ても、そう変わりはない。みな一様に斜陽。終着駅は目と鼻の先。
気に食わないといえば、わたしたちの給金がやけに高額だった事もそうだ。公職扱いだったと知ったのは、随分あとになってからの事。
施設の職員が取り計らってくれたに違いない。そうでなければ、厚遇を受けられる身分ではない。そこは素直に感謝している。素性も知れない身無し子にそこまで親切にしてくれる人間には、そう出会えるものではない。
でも、そのお金で生きられた自分の事は嫌いだ。本当は。
わたしには、なにもなかった。
故郷に帰るなんて二度とごめんだ。肉親の情も知らない。財産も友人もゼロ。正真正銘、身ひとつでこの街に来たのだ。
晴れていても霧の深い陰鬱な小村。それでも、漁村として長く栄えた歴史があるのだと、その親切な職員は言っていた。彼の斡旋ならば悪い事にはならないだろうと、わたしは次の止まり木を二つ返事で定めた。
もう一生、そこから出る事は叶わないかもしれなくても構わなかった。入れてもらえる鳥籠があるのがどれほど有難い事か、わたしは知っている。
重苦しい雰囲気の、廃棄された倉庫街をひと目見たときは流石に気が塞いだものだが、そこを抜けたときの感動はきっと、死んでも忘れられないと思う。
海だ。海があった。わたしの人生にも、この惑星で最も巨大な水たまりは存在したらしい。
初めて見た海は美しくて、生きてきた世界の狭さを思い知らされた。
でも、ちっとも嫌ではなかった。
わたしが知らなかっただけで、ずっと決めつけていただけで、こんな世界にもきっと守るべきものはある。目の前に広がった、胸打つ風景のように。あの、名前くらいしか知らない職員の彼のように。
わたしの狭い視野では、低い教養では、沢山は見つけられないかもしれない。
それでも、諦めるにはまだ早すぎる。
だって、いままで目標はおろか、夢ひとつ抱いた事もないのだから。
たったひとつでも構わない。わたしも、なにか……生まれてこられてよかったと思わせてくれるものに出会えたなら、どんなにか幸せだろう。
そうでないのなら、あの町を飛び出した意味なんてない。
大した事ない総移動距離。たぶん、こんなのを冒険と呼べるのは、幼子か、それ以外なら井の中の蛙だけだ。
けれど、立派な旅なのだ。宝探しの大冒険に出たつもりで、わたしはこの村に来た。海を越えては行けないけれど、一世一代の船出に漕ぎ出した。気分だけは、近頃急増中の名も無き海賊。その一人。
もう、最初の宝なら発見済み。それも、きっと……いつまでもなくなったりはしない景色。誰にも買えないし、売る事もできない、とっておきの宝を。
毎日、眺めに来よう。持ち帰る事ができないのなら、わたしが直接来ればいい。そんな動機から、日課の海通いが始まった。
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