「空に架かる橋」

@HAKUJYA

空に架かる橋

***プロト/「空に架かる橋」***



私がこの病院にきて、もう、3ヶ月が経つ。

ココに来た当初、ここは戦地から、程遠く、

前戦から、やむなく撤退してきた兵士の手当てがおもな勤務だった。


なのに、今、病院は戦地ととなりあわせになりつつある。

世界協定だけはまもられ、核兵器や細菌兵器などをつかわないかわりに、

文字通り、戦地は肉弾戦の修羅場とかし、

いつのまにか、破壊されてはいけないはずの

病院も砲弾を受け

建物の片側からは青空がくっきり見える有様になっている。


診察室の直ぐ隣の治療室・処置室までベッドが運び込まれ、

今はそこが病室になっている。

患者の多くは戦地から、離脱してきた兵士ばかりだけど、

みんな、傷病がいえたら、前戦に戻ることになる。

その中で源次郎さんという70過ぎたおじいさんだけが

一般市民ということになるんだけど、

源次郎さんは政府の勧告を無視して、

この地に住み続けた人なんだ。


でも、砲撃を受け源次郎さんの家屋は倒壊した。

迂回作戦で敵兵を襲撃するために

この地をとおった、1部隊によって、源次郎さんは

倒壊した建物の下でうめいている所をすくいだされ、

ここにつれてこられた。


部隊はここで、暫く休息すると

何人かの傷病兵をおいて、

戦地にむかっていった。

いくら、平和協定で病院への攻撃を禁止されていたって、

闘える状態の1部隊がここにいれば敵兵だって、

病院ごとふっ飛ばしたくなるだろう。


それを考慮して、部隊は水といくばくかの薬品を補給するに

限度と思われる15分を休息として、

ここにたちよると、

直ぐにでていってしまった。

そして、

残された兵士と源次郎さんの手当てが私達の仕事として追加された。

***空に架かる橋。/その2***


ココにいるスタッフは医師が2名と

あたし達看護士が3名。

ほんの3ヶ月前にココに派遣される事になったんだけど、

千秋だけは、志願してここにきた。

と、いうのも、外科担当である露木先生が

ココに来ることになったせい。


つまり、千秋ははためからみたら、俗にいうおっかけ・・・?

っていうことになるんだろうけど

あたしからみたら、非常に難解なおっかけということになるかな。


と、いうのも、

千秋は露木先生の「仁術」を崇拝しているのであって、

下衆な色や欲はない。

尊敬の一文字なのよという。

尊敬だけで、

うら若き乙女が戦地にちかい病院に

ついてこれるわけがない。

それはやっぱり恋愛だよと言うんだけど

千秋は

「崇高な師弟愛を侮辱する気?」

って、むきになって怒るばかりで、

やけに熱っぽい尊敬のまなざしを

露木先生に向けているだけで、

随分幸せそうだから、

あたしも不必要にくどい事もいいたくないし、

何も望まず傍に居るだけでいいっていう愛もあるのかもしれないって

半分うらやましく千秋を認めているってとこなんだ。


もう一人の同僚は明美っていう。

あたしとおなじで、

どこに居たってかまわないかな?

なんてのが、いつも心の底にあったから、

派遣看護士を募ったとき

明美もあたしも志願はしなかったけど、

断るりゆうもなく、

ほかの看護士達が

やれ、家族が子供がと戦地近くに

いけない理由をならべたてて、

抜擢を回避する事に努めていたのに、

私達は何の断る理由ももってなかった。


政府からその病院に要請された頭数だけは、

書類が選考されるだろう。

当然、戦地近くに赴く事を悪いとせぬ、私達が

選ばれてしまうだろうとよそくはしていたが、

やはり、そのとおりになった。

***空に架かる橋/その3****


明美の事を少し話そうと思う。

明美は・・・。

そうだね、千秋とちがって、目下恋愛道、驀進中ってとこだね。

相手?

それがあたしの一番、心にひっかかること。

明美の相手は

この病院の入院患者。

哲司って言う名前だけど、

哲司は連隊から、ココに搬送されてきた男なんだ。

怪我なんかじゃないんだ。

虫垂炎が腹膜炎を併発させて、

担架でかつぎこまれてきて、

けが人の手術ばかりだった露木先生に

「いやあ。平和な病気だ。ひさしぶりだなあ」

なんて、変な事を言わせちゃった人なんだ。


千秋がなんだか、嬉しそうだったのはきのせいかもしれないけど・・・。


その哲司と明美はいつのまにか、恋仲になっていたんだ。

でも、哲司は病がいえたら、また前戦基地に戻る人。

それは、ひょっとしたら、哲司との永遠の別れになるかもしれないって事。

明美はいっそ、ってわらったよ。

「いっそ、重い病になっていれば故郷にかえることができる」

明美の笑いが皮肉に悲しくて、あたしはそっと涙をふいたっけ。

そう、哲司が生きて故郷に戻れる可能性なんて、ほとんど無いってこと。

戦地にいかずにすむなら、病でしぬかもしれない。

健康な身体であれば、戦地にもどらなきゃいけない。

「明日も知れない恋ってあるんだよねえ」

明美はポケットを探ると

「でもね」

と、小さな丸い金具をみせてくれた。

「なによ?それ?」

あたしがたずねたら、明美のほほがバラ色に輝いたように見えた。

「婚約指輪かな?」

明美はおかしそうに笑った。

「なにいってんのよ?これが?」

まあるいリング状の金具の先にピンがついている。

病室のベッドの横のカーテンリングににてなくもない。

「これ・・・手榴弾のピンなの」

明美の種明かしにあたしは、えっと?たずねかえした。

「哲司はね、これで、命拾いしたんだって・・・。

哲司のお守りみたいなものなんだ」

「なるほどね」

哲司の命を救った手榴弾は何人の敵兵をふっ飛ばしたか、判らないけど、

哲司は自分のを救った手榴弾のピンをおまもりにしちゃったんだね。

そのお守りを

明美にあげるってことは、哲司のプロポーズってことなんだ。


「だけど・・」

あたしは、実に女の子らしい事を聞いたものだと思う。

「だけど、ペアリングじゃないんだよね」

同じ指輪を指にはめるってことはできないわけだ。

「ううん・・・」

明美は首をふって、はなしてくれた。

「哲司は手榴弾をもうひとつもってるの」

危ない実弾があるピンをぬけない、リング。

「それをぬいたら、また、いのちびろいして・・・

明美の所にかえってこようかなって・・・」

ペアリングができあがるさって、哲司はわらったけど、

それが、プロポーズだと、わかったんだっていった。

返事をしようとすまいと、

もう少ししたら、二人ははなればなれになる、

こんなピンリングで証をたてるよりさきに、

二人がお互いをむすびつけずにおけなかったことを

あたしも、

入院患者も皆しってることだった。


深夜の哲司のベッドでひめやかな吐息がもれる。

おしころして、愛を語れない二人に

きがつかぬふりをして、皆、二人の恋をみ守っていた。

こんな時代だもの。

こんな時だもの。

今しかないふたりだもの。

明日の別れが永遠のわかれになるかもしれない。


だから、皆・・・黙って二人を祈った。

今。

そのときが

二人がしあわせであることに・・。

***空に架かる橋。/その4***

そして、もう一人の医師。

佐々木先生。

彼はもう60歳い近い年齢だから、この病院でのポストは、

院長ってことになる。

スタッフが総勢5名で院長って呼ばれるのも妙だろうけど、

この病院自体はかなりおおきい。


食料の保管庫も

薬品のストックも充分だし、

手術中に停電なんてことになっても自家発電機器にリターンできる。

最新設備が整っていると言う事で、この病院が

バックアップ基地として、えらばれたんだけど・・・。


一番おどろくことは、

地下室にフォルマリン浴槽があるということかもしれない。

食料・薬などの追加搬入に

2週間に一度トラックがやってくる。

帰りの便で

この病院の治療でおいつかないものや、

もう、戦線に復帰できない人間は

つれかえってもらえるんだけど、

フォルマリンの中に保管?した、亡骸も

そのときに一緒に連れ帰ってゆくことになる。


そのフォルマリン浴槽の部屋を佐々木先生は

よく、のぞきにいく。


治療が追いつかず

空に帰った人の無念な思いに

呼ばれるかのように先生は足を運ぶ。


フォルマリンで白くふやけた皮膚。

まといつけるものなく、

浴槽にふわりとうかび、よどむ悲しみ。


先生がじゅうぶん手をつくしても、

助けられない人間がいる。

これは仕方が無いんだと思うけど・・・。

千秋の話では、

先生は昨年の暮れに奥様をなくされているそうだ。


だから、亡くなったものたちの無念さが

いっそうこたえるんだろうといってた。


その佐々木先生が露木先生と

私達をよびあつめた。

***空に架かる橋。/その5***


佐々木先生に呼ばれた私達は玄関の脇にある

個室に入った。

ここは、患者さんの家族に入院手続きなどを

説明したりする、いわば、応接室なんだけど、

今は本来の目的でつかえるわけもなく、

医師というか、男性陣の私室になっている。

と、いっても、

ほとんど治療室に立てこもりの状態で

先生二人がココで並んで睡眠をとるなんてことはない。

まあ、そんなことは今かんけいのないことだけど、

話し場所として、ここを選んだのは

単に患者に話がつつぬけにならないという部屋の

位置によることでしかない。


「しってのとおり・・・」

いいながら、

佐々木先生はかすかに、明美をみたようなきがした。

「搬入トラックが随分おくれている・・」

そうなんだ。

佐々木先生の言うように搬入トラックは

予定の日にちより5日もおくれているのに、まだきてない。


でも、薬品も食料の備蓄も問題がなかったから、さほど、きにせずにすんでいたし、

倒壊した家の下敷きになりながらも、右腕骨折と額のかすり傷だけですんだ、源次郎さんを

説得するのに私達はやっきになっていた。

ココから撤退してくれというのに、

源次郎さんは「てつだいをするから」と、片手を三角巾につらせたまま、

こまごました用事をしてくれる。

その源次郎さんを説得するのに、搬入トラックの遅滞はある意味好都合だったから。


「けれど・・・」

佐々木先生は今度こそシッカリと明美を見た。

「もう、搬入トラックは来ない」

佐々木先生の言葉に

え?っと息をのんだのはみな同じだった。

すぐさま佐々木先生はつけくわえた。

「搬入の必要がなくなるんだ。

今朝、政府から撤退命令がはいったんだ」

つまり・・・。

それは・・・。

あたしは、やっと佐々木先生が明美を見た意味がわかった。

やってくるトラックは搬入でなく、私達をむかえにくるということだ。

そして、それは、

治療を続ける人間を新たな安全な病院にうつすためにつれかえるということと・・・。

哲司・・・・。

哲司はもう・・・前戦に戻れる所まで回復している。

その口をぬぐって哲司を連れ戻す事が可能かどうか?

ううん。

それより先に哲司は自分から前戦にもどるだろう。


つまり・・。それは・・・。

明美と哲司の別離を意味する。

「3日後に・・・トラックをよこすとのことだ」


あと、3日。

3日後。

哲司と明美の二人の時間は終わる。


明美がくすりと笑っていった。

「これじゃあ、源次郎さんもここにいられないわね。

説得しなくても、よくなったじゃない」

明美の強がりでしかないのはわかっているし、

皆の気持を引き立てようとしているのもわかった。


だけど。

明美・・・・?

あたしの心配がわかったんだろう。

明美は小さな声でいった。

「初めからわかってたことだよ」


どの道、離れ離れになるしかない哲司との恋。


「まだ・・・。眼の前でしなれちゃうより・・・いいかもしれないよ。お互いにね」

命の危機は同じ。

いつかそういってたのに、

明美は危険に命をさらさずにすむ場所に戻る。


同じ立場じゃなくなる事も運命からも二人の別れを宣告されているように思えた。

それが、明美には一番つらかったんじゃないのだろうか?

「の・・残るなんて・・・いわないよね?」

あたしは、思わず明美に尋ねてしまった。


「馬鹿ね。そんなことしたら、源次郎さんだって

ココに残るっていいだすわよ」

明美の行動一つに源次郎さんの命もかかっているんだ。

明美は馬鹿じゃない。

自分の感情のままにおぼれてしまいたいのを

ぐっとこらえてる。


あたしはこのとき源次郎さんが

明美を救い出すために

本部に連れ戻すために

神様がつかわしてくれた「はからい人」におもえて、

心底源次郎さんに感謝したんだ。


でも・・・。

戦いは私達や政府がいうよりも

もっと、深刻な状況になっていたんだ。


それを知る事になる。

そのときになってはじめて、

搬入のトラックが遅れていた事の重大さをしることになったんだ。

***空に架かる橋/その6***


夜からの雨が

木立に辺りそとはしとしとという音をたてている。

レトルト食品を温めただけの食事を皆にくばりおわると、

仮眠ベッドに横たわったあたしの耳にかすかな銃声の音がきこえた。

「ちかくなってきたね」

隣のベッドに身体を横たえた明美はベッドの中で息をころしている。

「大丈夫よ・・・ここは」

病院への攻撃は禁止されている。

だけど、実際のところ、不可抗力にせよ、

病院は砲撃をうけて、片屋根をふっとばされている。

「わかってるよ」

明美は小さく息をはいた。

「第一・・・銃弾の音・・・だもの」

仮に間違っての攻撃があっても自動小銃くらいじゃ、病院はこわれやしない。

「そうだね・・」

明美がふっと、ため息をついた。

そうだよね。

自動小銃がねらうのは、

建物じゃなくて、人間だ。

明美の不安は哲司にむすびついてゆく。


明美はユックリとベッドからおきあがった。

「いくの?」

哲司の所へ・・・?


「う・・うん」

まだ、皆ねちゃいないだろう。

まして、銃撃の音が夜闇から、ひびいてくる。

ベッドに身体こそよこたえているだろうけど、

耳はきっと小さな音さえ逃さない覚醒をたもっているだろう。


「もう・・・皆しってるから・・・」

3日後にここを撤退する。

そのニュースは夕食の前に佐々木先生の口から、

みなに伝えられた。


「そうだね」

明美が哲司と一緒にいられる時間はほとんど無い。

皆、それも理解している。


「皆にあまえるけど・・」

明美はこの恋に最後まで浸りこむ事にしたようだ。

そうすることで、明美は

哲司との恋を昇華させようとしているんだ。


「そうだね・・・。かわいがっておもらいよ・・・」

あたしも、明美が思い通りにすることを祈るだけ。

野卑なあたしのせりふに明美は少してれた。

「ばか・・」

そういったけど、

「いってくる」

あたしにつげると、ベッドをすりぬけていった。


夜の闇の中、

人の命を奪うために放たれた銃撃の音を耳の端に止めながら、

哲司と明美は精一杯今をいきるんだろう。

二人で生きている証に酔いながら、

二人は命をかがやかせるんだろう。


「そうだよね・・。かわいがっておもらいよ」

それだけしか、共有できないふたりだから。

精一杯愛を奏でるしかない。

それだけしかないから・・。


二人の性をひとつにとけあわすことしか、

それだけしかできないから・・・。


そうだよね・・・。

ココが、ここが、戦場じゃなければ・・。

あたしの喉の奥でひりついてくる叫びをこらえて、

出来るだけ、静かに

あたしは二人を祈った。


「いっといで・・・」


残された時間は短い。

***空に架かる橋/その7***


朝には雨がやんでいた。

遠くから銃弾の音が散漫にひびいてくる。

あたしは東さんの包帯を替えながら、

その音の意味をかんがえていた。

銃の音は病院の後方の山向こうからきこえるきがする。

そして、緩慢な発砲。


これは、部隊が後退をしいられているということではないだろうか?

発砲を繰り返しながら部隊が山の中に逃げ込んでいる。


つまり・・・。

それは、この病院がもう、敵の陣地の中にのみこまれたということになるんじゃないのだろうか?


そのとき、東さんがぽそりとつぶやいた。

「片足だけじゃあ・・もう、どうにもなりゃしねえなあ」

東さんも部隊の後勢をさっしている。

部隊に戻って参戦して味方を支援したいのだろう。

だけど、既に参戦できる身体でもなく、

本部に帰還するしかない東さんに武器も必要ないと

武器さえもたされちゃいない。


とおくで、また、鈍い爆発音がひびいた。

東さんは

「やっぱりな」

と、つぶやいた。

あたしには、よくわからなかった。

だけど、その爆発音は今まできいたことのある武器の発するものじゃないのだけはわかった。

「撤退してるんだよ。そこらじゅうに地雷をしきながら、あとずさりしてるんだ」

聞いた事の無い爆発音の正体は地雷の音だと東さんがいう。


「敵の誰かが地雷をふんじまったんだろう」

東さんはおいつめられてゆく部隊をおもってか、

それっきり黙ってしまった。

包帯を替え終えるとあたしは次の患者のところにいく。

東さんは、窓のそと、

晴れた青い空をみつめていた。

あたしは励ます言葉も

慰める言葉も見つけられず東さんをみてるだけだった。


今闘ってる兵士のことをかんがえたとて

東さんはここにいるだけしかできない。

あと、二日、トラックが早く来れば良いとあたしは、おもった。


だけど、この朝にきいた地雷の爆発音が

あたし達の運命をおおきくかえる元になっていたなんて、

おもいもしなかったんだ。

***空に架かる橋/その8***


参戦なぞできるはずもない東さんでさえああだったから、

あたしは、当然、哲司のことが気になっていた。

目の端でさっきから哲司を盗み見しているんだけど、

明美が哲司になにか、話しかけていた。

しばらくすると、

哲司は自分の服にきがえだして、

たった一つの武器である自動小銃をベッドの上においた。


ああ。哲司は部隊にもどるんだ。


明美は?

明美は哲司の傍をはなれると、

あたしの傍をすり抜けざまに伝言をよこしてくれた。

「哲司の出発の準備をしてくる」


あたしは明美に返す言葉を見つけられなかった。

多分哲司も朝の地雷の音で部隊の状態を判断できたんだ。

そして、部隊と連絡を取ったに違いない。

いつのまにか、あたしは哲司の傍にちかづいていた。

「いくのね?」

「ああ「

哲司がひどくぶっきらぼうにこたえたのは、

少しでもココにいたくなる自分をおさえつけるためだったんだろう。

「あんた達をみおくってから、部隊にもどろうとおもってたんだけどな・・・。

そうもいかなくなっちまったよ」

「そうなの・・・」

ひきとめちゃいけないんだ。

ほんの少しでもひきとめちゃいけないんだ。

明美でさえ笑っておくりだそうとしているんだ。

頭じゃそういってるのに

あたしの心はこういうんだ。

その明美のためにももうすこしだけでも、最後の二人の時間を作ってあげたい。


「ねえ。お昼。思い切り豪勢なものにするから・・・。

そ・・それをたべてからにしようよ・・・」

不覚にも涙がこぼれちゃうじゃないかあ。

「ん・・」

「もう、どうせ、ココの食料もすててゆくしかないんだもん・・。ね」

今すぐにでも出発したそうな哲司が明美が出て行った扉をみつめていた。

「そうだな・・・。最後だな・・」

明美との食事が最後になるということだけじゃない。

哲司にとってもひょっとすると最後の食事になるかもしれない。

ココを一歩外に出れば哲司は一兵にすぎなくなる、。

敵兵はもう直ぐちかくまできているだろう。

哲司が無事に部隊にたどり着ける保証は無い。

仮にたどりつけたって・・・。


「そうだな・・・」

哲司は時計をみつめた。

「そうしよう」


あたしはあわてて、明美の行っただろう部屋にはしっていった。

「明美。哲司の為にご馳走をつくろうよ・・・」

明美の後姿を見つけてそういったとき、

明美はないていたんだ。


哲司の前で涙一つ見せず気丈に振舞った明美が

肩を震わせてないていたんだ。

「明美・・・」

心配そうな声に明美はちょっとふきだして、背中をむけたまま、てを上げてオッケーサインをつくってみせた。


そして、あたし達はレトルト食品をかきあつめて、ラベルを確かめて

(ご馳走)を吟味しだしたんだ。


だけど・・・。

あたしが哲司を引き止めなければ

すくなくとも

明美の眼の前で

哲司がしぬことはなかったんだ。

***空に架かる橋。/その9***


昼食を終えると哲司は

「いってきます」

と、ちょっと、そこら辺に旅行にでも行くように

簡単に出発をつげた。

立ち上がった哲司を見送るために明美も哲司のあとをついていった。


それが、哲司の生きてる姿を見る最後になったんだ。


玄関先での長い抱擁のあと、

明美は哲司の瞳の中に笑顔を残そうと

つとめたことだろう。


だけど、そのあと・・・。

玄関を出た哲司は鍛え抜かれたスナイパーのたった一発の銃弾に

頭を打ち抜かれ

明美の眼の前で地面にくずれおちた。


即死だった。


哲司に取りすがる明美の看護服は哲司の血に染まり、

明美の傍に近づいた、影は

明美にむけて、威嚇の銃筒をむけた。


明美の傍らを何人かの兵士がすりぬけてゆくと、

そいつらは、あたし達のところへやってきた。


武器など持たない患者も先生もあたし達も

ただ、大人しく、てをあげるしかなかったけど、

兵士達は私達に銃口をむけつづけていた。


なんで?


あたしの疑問は奴らの片言でりかいできた。


奴らは

撤退するあたし達の国の兵士の

地雷作戦に深追いをあきらめ、

地図を広げ、

この病院を拠点にすることにしたんだ。


病院を拠点にする。

これは条約違反じゃないか・・・。

だけど・・・。

そんなことが今彼らに通じるはずもない。


そして・・・。

奴らはこの病院をめざしてきた。

そこに、哲司がいたんだ。

軍服を着た男は彼らにとって「敵」でしかない。

おまけに哲司は「武器」をもっていた。


殺されるより先に殺してしまえば、

身の安全は確保できる。

彼らの死への恐れは

哲司を見逃す事をゆるさなかったんだ。


そして・・・。

彼らがこの病院に迂回したわけはまだあった。

地雷の爆破に巻き込まれた

兵士の手当て。


これも彼らの目的だった。


そのもっとも悲惨な地雷の被害者とあたしのかかわりが、

明美を千秋をも「悲惨」に

まきこんでゆくことになる。


だけど・・・。今、

明美・・・。

あたしは、玄関先で哲司を抱きかかえる

明美の傍にどんなにいってやりたかっただろう・・・。

空に架かる橋。/その10

あたしの目の前を血だらけの少年兵を背負った兵士が

通り過ぎた。

銃口を向けていた男はあたしと佐々木先生にこっちにこいと合図をすると、

少年を背負った男の後をついてゆけというようだった。

佐々木先生は

もうわかっていたんだろう。

背負われた少年の太ももの先は

両足とも・・・無かった。

診察室に入ると少年は

佐々木先生の仮眠ベッドにも使われていた

診察ベッドによこたえられた。

佐々木先生は少年をみつめていたけど・・。

少年を背負っていた男にむきなおると、

「無理だ」

と、首を振りながら告げた。

男は一瞬悲しい顔をしたけど、

「オペラチオン」

と、佐々木先生にいう。

手術をしてやってくれと言うんだ。

佐々木先生は

男の顔をみつめた。

男は同じ言葉を繰り返すだけだった。

時に無駄と判りながら、

患者を手術する事がある。

それは、

患者を治すためじゃない。

患者に近しい人間の心を

宥め、納得させるための手術ということもある。

最善を尽くしたという

宥めが近親者をすくってゆく。

近親者の心を治療する手術。

兵士がこの先をいきぬいてゆくにも、

悲しい悔いに縛られるのは酷なことだろう。

それは、又、男が少年の立場に立ったとき

仲間がそのときに出来る最善を尽くしてくれると言う保証でもある。

「判った。傷口の縫合しかできない。

だけど、命は・・・いつ、消えても不思議じゃない」

佐々木先生の言葉を男は理解しているようだった。

そして、あたしと佐々木先生が手術室に入る事になったんだけど・・。

手術の間、

露木先生は

もっとも惨い時間を味わう事になったんだ。

そして、明美も・・。

空に架かる橋。/その11

佐々木先生が少年への手術にのぞんだのは、

やはり、先生が医者だからだ。

医者の眼の前にいる、けが人には、敵もみかたもない。

万に一つも助からないと判っていても、

佐々木先生は

少年の身体の傷を縫合してゆく。

それが彼を取り巻くものの心の手術にもなる。

先生はけが人や病人を治療するだけの

医者じゃない。

そんなでかくて、深い心で医療に従事する

先生だったのに、

やっぱり、ココは戦場でしかなかったんだ。

先生の仁の心は

この手術の後に無残に打ち下れて行く事に

なるなんて・・。

誰も考えはしなかっただろう。

だけど、

よく、かんがえてみれば・・・・。

戦時下だと言う事を良く、考えてみれば・・。

すぐ、かんがえつくことを

一番判っていたのは、

この病院に収容されていた患者本人だったろう。

いくらけが人といえども、十人以上の

男がいて、

自国を追い詰めて行く敵兵をまえにして、

一矢報いずに大人しく、捕虜になっているだろうか?

その考えを敵兵から見つめてみる。

危なかしい患者をいつも誰かが

みはりつづけておく。

夜もおちおちねられやしない。

どこかに閉じ込めたって、

元は兵士だった患者は、

隙をねらい、チャンスをうかがい

反撃に身をうつす。

こんな不安をわざわざ、同じ屋根の下で

抱えるなんて、

馬鹿もいいところだろう?

不安は根から消滅させるに限る。

奴らは戦時下においての

非常に正しい選択をしただけにすぎない。

佐々木先生の仁術なんか、

なんのおまじないにもなりもしなかった。

だって、あたしが手術室から出たとき

患者は・・・・。

皆・・・ころされていたんだ。

だけど、そんなことなんか、知るわけもないあたしと佐々木先生は

少年のささくれた骨を削りなおし

太ももの肉にメスをいれ、

肉をずらして、骨をくるんでやっていたんだ。

そして・・・。

あたしは、やっぱり、明美の傍に早くいってやりたいって、

そればかり思ってたんだ。

空に架かる橋/その12

患者がどうやって殺されたか。

あたしがこのことを知るのは、明美からなんだけど、

その明美もあたしが手術室に入ってる間に

「殺された」んだ。

変な言い方だね。明美はチャンと生きてるよ。

だけど、あたしには、そうとしかいえない。

それをこれから話してみる。

哲司に取りすがったまま、明美は

何にもかんがえられなかったんだ。

もし、哲司が部隊にもどった上で死んだとしたら、

哲司の死は明美に知らされる事が無い。

だから、明美のなかでは、

哲司は「どこかでいきてる」

あるいは、

「どこかでいきてるかもしれない」

って、おもいつづけていられたんだ。

なのに、眼の前でおきた哲司の死。

だけど、明美は哲司の死をどうしても、容認できない。

眼の前の屍骸は哲司なのだ。

だけど、それを見てる明美は

明美なのだろうか?

「あたしは本当にあたし?」

明美は哲司の死を認めないために

自分の意識と精神を崩壊させようとしていたんだ。

ただ、愛しかった人をその胸にだいている。

この事実だけを明美のすべてにしてしまおうとしていたんだ。

なのに・・。

現実はいつも、覚醒を持ち込んでくる。

明美の傍に立っていた男は

明美に触手を伸ばし始めたんだ。

明美の看護服のすそを銃の先でめくり上げると

男はズボンのベルトをゆるめて、

こういったんだ。

「その男は、この銃でうってやった。

お前はオレの銃で撃ってやる」

哲司の命を奪ったものが銃ならば、

明美の愛を、心を奪うものも銃なのだろう。

明美は男からの暴行で

哲司と。哲司との愛を、いっぺんに

亡くしてしまおうと思ったんだ。

そう。明美はこのとき「死んだ」んだ。

男の銃にうたれ、明美は哲司と同じように

同じ男にころされたんだ。

愛が音をたてて、こわれてゆき、

明美の中を

男の『銃』だけが反復してゆく。

明美はこの時、哲司に殉じてゆく、

身体のうなりをきいた。

「哲司・・」

明美の身体は哲司をおいもとめている。

その覚醒が

哲司の死を認識させる。

明美はこの時・・・自分の死にざまを決め始めていたんだ。

空に架かる橋/その13

佐々木先生とあたしが手術室をでて、

少年を診察室のベッドに連れて行くとき

あたしは不思議な光景をみた。

診察室にまで運び込まれたベッドの上で、銃口を向けられていた

患者は誰一人いない。

部屋の壁の隅に

患者が着ていた服だけが山になってつまれていた。

ちらりと、目の端でみとめただけだったけど、

下着まであった。

患者は素っ裸にされて、

どこにつれさられたというんだろう?

千秋も露木先生も居ない。

明美は?

明美はまだ、哲司をだきかかえたままなのだろうか?

もし、そうなら・・・。

あたしは、敵兵のわずかな温情に感謝するしかない。

患者は?

露木先生は?

千秋は?

頭の中に沸いてくる不安は

診察室に入ったときに

明確な事実になって

目に飛び込んできた。

少年の身体をベッドにうつしながら、

あたしは診察室から、処置室を

伺ってみてた。

何本かの注射・・。

が、殺菌庫から、だされている。

そして、薬品庫。

劇薬の部類にはいる

薬品を保管してある

扉が少し開いている。

これは・・・。

どういうこと?

恐ろしい事実から、目を離そうと、あたしは薬品保管庫から

視線をずらした。

あたしの目の中で

佐々木先生が真っ青な顔になっている。

佐々木先生も

気が付いたんだ。

そして、それが何をいみするか・・・。

敵兵が行った断行が

どういうことであるか、

フォルマリン室によく足を運んだ佐々木先生は

直ぐに考え付いたんだ。

弾丸の無駄使いもしたくない。

まして、戦いが終わった後に

傷病兵を銃で抹殺したとなれば、

戦後裁判に掛けられたときに、

いいわけがたたない。

形は・・・。

患者達の自殺?

こういいつくろうため。

そして、

彼らに死をぶつけてくるかもしれない患者の反撃を

消滅させるため。

露木先生はフォルマリン室で

素っ裸になった患者に

「死の注射」をうたされているんだ。

多分、薬品庫から、持ち出されたのはカリ系の薬品。

きっと、千秋が

薬品を注射瓶に補充して、

露木先生に渡す役目だろう。

倒れた患者をフォルマリン浴槽に投げ入れる。

服を脱がせたのはそのためだろう。

服のままなげこんだのでは、

死者への手厚さがかけていると、

裁判で、自殺説が疑問視されるだろう。

そこまで生き残った後の身の保全を

かんがえる?

奴らは自分達に死が近寄ってくるのが、

おそろしくてしかたがなくて、

患者を抹殺しているのに。

あたしの頭の中で、

露木先生の言葉がぐるぐる、回っている。

「人を殺させるため、自分を殺すために患者を治療するのか?」

その、先生が自ら

患者に死を与える役目を負わされている。

千秋は・・。

どんな思いで先生に注射器を渡しているんだ。

あたしは・・・。

ものすごく悪い夢をみてるんだ。

きっと、そう・・。

きっと・・。

空に架かる橋/その14

「いつまでも、こうしちゃいられないな」

明美の身体を嘗め尽くす役得を終えると、

男は明美の手をつかんで、

立ち上がらせた。

中にはいれと男にうながされた明美は

プログラムの実行を掛けられた

ロボットみたいにだった。

男の銃に威嚇されているわけでもなく、

明美が男の言葉にしたがったのは、

中に居る、あたし達のことがきになったからにちがいない。

銃口の先を歩く明美が診察室の

扉を開けた。

明美の眼にうつしだされたのは裸の患者達。

だけど、その人数はここに居た人数じゃない。

明美の見ている前で

二人の素裸の患者が兵士の銃に促されあゆみだしてゆく。

どこへ?

地下室への扉があけられ患者はその扉の向こうに追いやられる。

こんなとき程、明美の頭のよさが悲しくなる。

明美はその場所に千秋もあたしも、先生二人が居ない事を

その瞳で確認していた。

「ど・・どうして・・?」

明美は敵兵の行動を察したんだ。

銃口を向けていた男は明美の呟きをチャント聞いていた。

「役に立つものはころしゃあしないよ」

役に立つもの・・・。

この場合、医療に従事するあたし達の無事をいみするのだろうか?

「フォルマリン室に・・・つれていってるのね?」

それがどういういみであるか。

明美は察している。

男は明美の言葉に答えようとせず、

殺戮の組織の始めからの細胞のように

部隊の命令を把握している。

明美に

「お前は役に立つ・・・ころしゃしない」

と、一時の身の保全を確証だてる。

「次」

明美の後ろの突然の声に

明美が振り向いた。

その場所には

源次郎さんがたっていたんだ。

患者をフォルマリン室に送り出した兵士は

先の兵士と交代すると、

次の患者を抹殺の部屋につれてゆく。

明美は・・・・。

「まって・・」

精一杯の懇願がこもった声だった。

「まって・・・。そ・・そのひとは、民間人よ。兵士じゃない」

明美に応えた男の声は静かだった。

「だけどな・・・彼も・・役にたちゃあしない。

それどころか・・・いつなんどき、我々をおびやかすかわからない」

「どういう・・・こと」

「いつ、寝首をかられるか・・・この不安をちょうけしにしていい程・・・彼は役にたちゃしない」

不安?

不安をつみとるため・・・?

そのために民間人の

こんなよぼよぼのおじいさんまで、

フォルマリン浴槽に・・・?

男は明美にいった。

「おまえもいきのびていたければ、自分の役目に忠実になるしかないってことだ」

明美が男の言葉に不思議な顔をしたのは・・・。

男の言うように

生き延びたい自分なぞ居なかったせいだった。

空に架かる橋。/その15

源次郎さんが歩みだすとあわてて明美は後を追いすがった。

明美に銃を向けてた男は明美の行動を黙認していた。

明美の無駄をあざわらうか、

明美の気のすむようにさせると決めたか、

あるいは、明美の生死さえ自由に出来る余裕のせいか。

ドアをあけて、廊下を過ぎ地下室へのエレベータにのせられながら、

明美は源次郎さんに銃を向けている兵士を説得し続けた。

「彼は民間人なのだ。彼は老人なのだ」

だけど、兵士はなんの言葉も発そうとしない。

「源次郎さんは炊事も出来る。貴方達の身の回りの世話をできる。

役に立つ」

源次郎さんの存在理由をまくしたて始めた明美に

やっと、兵士がこたえた。

「炊事はわれわれがする。それに、彼が例えば食事の中に毒を

しこまないと・・・。そういう考えがないといいきれるかな」

それは、ありえるだろう。

確かにありえるだろう。

「だ・・だけど、それならば・・。あたしだって、あたしだって・・・」

明美だってその考えがあるといって、

何故、一緒に殺さない?

そんなことで、源次郎さんを、老人を、民間人を、殺す理由になりゃしない。

兵士は明美の血だらけの服を見ながら

かすかに笑った。

「あなたは、役にたつ。今もいきている」

「あたしが・・あたしが・・毒を盛ってやる・・・そういっても?」

兵士は先を歩みながら

同じ言葉を繰り返した。

「食事は我々がつくる」

だったら、源次郎さんだって、毒をもりゃあしないじゃないか。

「おねがい・・。彼はこの戦争には関係のない人なの・・」

説得がどこかで堂々巡りになる。

明美は懇願するしかない。

「おね・・がい」

明美がまだ、言葉をつなげようとするのを、さえぎったのは

源次郎さんだったんだ。

「明美ちゃん・・もう・・いいんだよ・・」

「な・・なんで?源次郎さんは関係ないじゃない。

こんなの理不尽だよ。おかしいよ。なんで、源次郎さんは・・・」

なんで、一言も言わず、押し付けられる死をうけいれようとするんだよ?

「この土地に残った時から、わしは覚悟しておったよ。

むしろ・・。この土地で死ねるなら、本望だよ・・」

馬鹿なことを・・。

馬鹿なことを・・。

だけど、いくら覚悟していたってこんな死に方なんか・・・あったもんじゃないよ。

「それよりな・・。明美ちゃん」

源次郎さんが明美に何かを頼もうとしている。

最後の頼みを聞いてあげる事しか出来ないんだと

明美は源次郎さんを見つめ返した。

「あんたは・・生きなきゃいけないよ。

どんなことがあっても、

何があっても、いきなきゃいけないよ」

血だらけの明美の服。

玄関先の発砲の音から

明美が診察室に帰ってくるまでの時間の空白。

その間に明美になにがあったか、

源次郎さんは、きがついていたんだ。

「戦争なんだ。どんな事があってもしかたがないんだ。

だけどな・・・。それにまけちゃあいけない。戦争にまけて死んじゃいけない」

源次郎さんは?

戦争に負けて死ぬんじゃないんだね?

「わしは、むしろ、敵のなにかの役にたってまで、いきていたくはない」

源次郎さんは少し微笑んだ。

「老人のわがままじゃ、好きなように思ってしなせてくれ。

だけどな、

明美ちゃん。おまえさんは、

たとえ、どんなに利用されようとも、けして・・・。

しんじゃいけない」

精一杯のメッセージを明美にわたすと

源次郎さんはフォルマリン室のドアの中に

消えていったんだ。

空に架かる橋。/その16

明美の説得がうけいれられるわけもなく、

源次郎さんがフォルマリン室に入っても、

兵士はやはり源次郎さんに威嚇を続けていた。

注射を打ってる露木先生の傍らにも、

兵士は立っているだろう。

静かで、物音一つしない。

だけど、暫くすると、

フォルマリン浴槽の蓋を開ける音が

聞こえてくる。

源次郎さんが

たおれると威嚇の必要がなくなった兵士は

前の患者をつれてきた男と一緒に

源次郎さんの前に入って

既に事切れ床に崩れた患者の身体を

フォルマリン浴槽に運ぶ。

その役目がすむと始めに部屋の中に居た男は

次の患者を連れにいく。

たおれた患者を何故すぐさま

フォルマリン浴槽にいれないか?

まだ生体反応があるせいだ。

口から泡を吹き

身体は小刻みに痙攣し、

瞳は血走り大きく見開かれる。

流石に兵士も

生きてる身体をフォルマリン浴槽に入れるのは

気味がわるかったのかもしれない。


小人数に分けてフォルマリン室に

患者を連れて行くのも、

患者の反抗を恐れるからだ。

そうなったら、銃で打ち殺すしかなくなる。

無駄弾は使いたくないのが兵士だ。

たった一発の弾丸の有無に自分の生死が

関わってくる。

命の次に大事なのは弾丸なのだ。

その弾丸を一発でも無駄に使わせてしまいたい。

たった一発の弾丸の有無で

仲間の兵士が打たれずにすむかもしれない。

たった一人の反抗でも

銃弾は何発無駄になることだろう。

患者達、皆、こんなことを考え付く。

だけど、それをしなかったのは、

東さんの一言があったからだ。

だから、

源次郎さんの後に呼ばれた男も

死を前にひどく優しかった。

「明美ちゃん。元気でな」

なんでもない顔をして、彼もまた、ホルマリン室にはいっていったんだ

空に架かる橋。/その17

明美に簡単にさよならを告げて

ホルマリン室に入っていった患者の

胸のなかでは、

東さんの言葉が何度もくりかえされていたんだ。

「俺達は簡単にしんでしまえるけど、

先生や千秋ちゃんはもっと、つらいんだ」

俺達は死んでしまえばそれで、すむけれど、

死を与えた側はこの先ずっと、苦しむ。

「だから、みっともなく、ないたり、わめいたりするんじゃない」

東さんは、まだ、こうもいった。

「それに、俺達は敵にころされるんじゃない。

いいか?これは最後の治療だ。

俺達は・・・敵に殺される無念をあじあわなくてすむんだ。

それが先生がくれる最高の治療だ」

東さんは一番最初に自ら服を脱ぎだしたんだ。

敵兵におどかされながら、露木先生と千秋が

治療室に何かをとりに入ったときから、

東さんは、

敵兵の患者への処置がどういうことか、わかっていたんだ。

そして東さんが一番最初に敵の処置をうけるときめたのは、

ホルマリン室に向かわされた先生に

「先生がしてくれる事は俺達への救いなのだ」

と、告げなければならないと考えたからだ。

先生が敵兵に反抗したら、

先生もころされてしまうだろう。

それを回避するためにも、先生に「これでいいんだ」と、思ってもらいたいと

東さんはかんがえたんだ。

皆、東さんの気持がわかった。

だから、

自分に出来る精一杯の気丈さをつくろうことで、

死に際の花を咲かせるんだときめたんだ。

「先生がしてくれる事は俺達への救いなのだ」

東さんの言葉を聞くと先生は

深く頭を下げた。

「先生は生きなきゃいけないんだ」

東さんは最後にそういったけど、

先生は注射を打つと決めたときから、

「君達だけをしなせはしない。僕もあとからいく」

そう決めていたんだ。

そう、きめなきゃ、

注射なんか打てるわけが無かったんだ。

空に架かる橋。/その18

死を覚悟した人間というのは

まさか、この人が死に向かっているなんて、

かけら一つも思わせないことが出来るらしい。

東さんは覚悟をきめていたし、

先生もおなじだったろう。

だけど、千秋は?

東さんが腕をつきだすと、先生は

千秋に後ろを見てなさいと声をかけた。

千秋はそのときになって、

やっと、この負荷を露木先生一人に

おわせちゃいけないって、

おもいなおしたんだ。

先生が人をころすしかないなら、

あたしも一緒に殺す。

あたしも同じ罪を背負い、

あたしも一緒にその痛みに知る。

千秋は先生にいいえと、首を振ると

東さんの手首をつかんだ。

そして、千秋はいつもの注射のように

アルコールで着針点を消毒しはじめたんだ。

このときだったんだ。

東さんは、くすりとわらったんだ。

千秋はきがつきもしなかったけど、

先生も少しわらったのは、

東さんの笑いの意味がわかったからだ。

ーもう、消毒なんか、する必要がないんだけどねー

東さんはそれがおかしくて、笑ったんだ。

でも、それを千秋に伝えたら、千秋はきっと何も出来なくなってしまう。

いつもの通り、身体を動かしているけれど、

それは千秋の主体意思じゃない。

単なる慣性。

でも、そのおかげで、東さんは

ーまるで、予防注射だなー

って、思えたんだ。

きっと、次の患者も

わらわせてくれるだろう。

だから、東さんは何も言わなかったんだ。

死を前にして、いつもどおり笑えるのが

不思議なことだけど、

こんな風に冷静に計算をしながら、

人を見つめている。


死を覚悟した人間というのは

まさか、この人が死に向かっているなんて、

かけら一つも思わせないことが出来るらしい。

あたしが思ったとおりだった。

最後の患者がホルマリン浴槽に沈められると、

診察室に戻るように指示する兵士に

先生は

「一人にさせてくれないか?」と、頼んでいたんだ。

千秋は先生を見つめた。

まさか、まさか?って。

千秋の不安を先生は読みとる。

「手間をとらせはしない。直ぐ戻るから

君はかえっていなさい」

千秋が先生の言葉に従うより先に

兵士の銃が千秋の腹部におしつけられて、

「お前は診察室に戻れ」と、命令していた。

「君になにか、あっちゃいけない。

その男のいうとおりに、君はもういきなさい」

露木先生はもう一度同じことをいった。

「君になにかあっちゃいけない」

「先生?」

「大丈夫だよ。皆にお別れをいったら、

ココを締めて出てくるよ」

先生の傍らにはやっぱり兵士が

へばりついたまま、銃口を合わせている。

先生がなにか・・・。

例えば・・・自殺?

そんなことをしそうになったら、

兵士がはばむだろう。

医者を死なせちゃ助けてくれる人間が居なくなる。

千秋は自分の考えすぎだと首を振ると、

銃におどされながら、

へやをでていった。

だけど・・・。

兵士にとって、

医者だって、自分の命を脅かす存在に過ぎなかったんだ。

先生はとっくにそんなことわかっていたんだ。

だから、

千秋が部屋を出て行くと

兵士に向かって

「すまないね。手間をかけさせちゃいけないね」

と、いうと、先生も自ら服を脱ぎだしたんだ。

先生も自分に注射を打ったら、そのあとは

ホルマリン浴槽にいれてくれと、いう、意思表示をみせたのに、

兵士は黙ってそれを見ていた。

初めから定められた筋書きを旨く演じる役者に

監督がカットをいれないのとおなじように・・・。

空に架かる橋。/その19

最後の患者が部屋に入り、

ホルマリン浴槽の蓋があく音がすると、

明美は足を踏み出した。

明美がエレベータに向かい始めてるのを

兵士は推しとどめた。

「どこへいく。勝手な行動はゆるさない」

銃口が明美にむけられても

明美はへいきなかおをしていた。

「撃つなら撃ちなさい」

兵士の威嚇は威嚇だけでしかないと

よみとったのか、

本当にうたれてもいいと、

おもっていたのかもしれない。

妙な気迫にけおされた兵士は

明美の足取りをおいはじめた。

「どこへいく?またないか?」

だけど、明美は兵士の言葉を聴こうとしなかった。

明美を押しとどめる事も出来ず兵士は

ただ、制止の言葉をかけながら、明美の後を追っていた。

一階のフロアに戻り、明美は診察室の扉をあけた。

診察室の中にあたしと佐々木先生が居るのをたしかめると、

明美はまだ、あゆんでいった。

その明美を見ていた

哲司を撃ち殺した兵士が

何かをさっしたのだろう。

後をついて歩く兵士に

「オレがみておく」

と、明美の監視を交代したんだ。

明美をむさぼった男は

すくなからず、明美への情をもったのかもしれない。

情を持った女の行動が男には読み取れたのかもしれない。

明美はそとにでると、

庭の隅にある物置小屋を目指した。

そこには庭箒やスコップなどが入れてある。

明美はスコップを手に取ると

庭の隅を目指して歩いた。

外に倒れたままの哲司のなきがらを

土に埋めてやる気だったんだ。

「やっぱりな」

男はつぶやいて、

自分もスコップをもって、明美の

後をおった。

だけど・・。

明美はその男の手なぞ

かりたくもなかっただろう・・・。


空に架かる橋。/その20

佐々木先生とあたしは

診察室のベッドに横たえた

少年兵をみつめていた。

少年はこのまま意識が戻らず死んでしまうかもしれない。

意識が戻っても

やってくる死を受止めるだけ。

意識が戻らないまま、死んで行くほうが

幸せなのかもしれない。

いずれにせよ、先生とあたしは

彼の生き死にに関わらず

患者への最善を尽くすだけだろう。

いつの間にか彼の周りには兵士達があつまりだしていた。

彼は皆に愛されていたんだろう。

で、なければ、

助かるみこみもない彼をココまで連れてきもしないだろう。

兵士の一人があたしに尋ねてきた。

佐々木先生は

動かぬ彫刻のようにじっと黙り身じろぎ一つしてない。

露木先生の負わされた職務を思う佐々木先生が

茫然自失の様を呈するのは無理がない。

「もって、3日・・・その間に意識が戻るかどうか・・・」

あたしは残酷な事実を告げるしかない。

兵士は

「何もいい事が無くて・・こんな所でしぬしかないのか・・」

と、顔を覆った。

少年には少年の人生があったんだ。

だけど・・・。

あたしは笑えて来る。

こいつらは、今、自分の命を脅かすかも知れないものを始末してきたんだ。

あたし達の仲間に平気で死を押し付けたくせに

少年の死に涙を流す?

命に、人生に、

その重みに敵も味方も在りはしない。

なのに、己の不安を取り払うために

平気で殺戮を繰りかえした。

あたしも・・。

あたしもいっそ、わらってやろうか?

「敵が一人しんだわ。たのしいたら、ありゃしない」

だけど・・・。

命はもっと荘厳だ。

あたしはもちろん、

誰かの手で自由に操れるものなんかじゃないはずだ。

それが敵であろうが、味方であろうが・・・。


空に架かる橋。/その21

明美が銃を構えた兵士を

御付の者のように、

つれ従えて治療室に入ってきた。

明美が出てきたのは地下室からのドア。

あたしは明美の顔色を見つめるしかなかった。

血だらけの服は乾き始め

血の色も死色をみせている。

哲司の死を見届けた明美が

次に見たもの・・・。

明美の顔色も乾いた死色の血のように

いきて居る人のものじゃない。

なんで、こんなにいっぺんに

残酷で、悲しく弱い人間の心を

さらけださせさせなきゃならないのだろう?

なんで、あたし達がそれをみせつけられなきゃいけないのか?

この世に神様が居るなら・・・。

あたしはきいてみたい。

なんで、人間同士を争わせるのか?

なんで、人間をこんなに弱く作ってしまったのか?

明美について歩いていた兵士が

別の兵士と交代すると、

彼はこっちに歩んできた。

土の色のような少年の顔をみつめると、

彼は治療の邪魔にならない場所を選んで

座り込んだ。

少年の顔を見つめていた彼の瞳が暗く落ち込んで行く。

彼もまた、死を隣り合わせにここまで生き抜いてきた。

何人もの命と引き換えに

生き抜くしかない彼の悲しいよどみが瞳の中で

鈍い疲れを訴え始めている。

部隊長と思われる男が

彼に声を掛けた。

「あいたベッドがあるだろう・・。仮眠を取って来い」

ひと時夢の中に身体を横たえたって、

現実は何もかわりはしないけど、

精神の疲労は眠りが癒してくれるだろう。

「はい」

短く返事をすると

くつろげる環境を整えた安心感がいっそう彼の疲労を自覚させる。

彼は目の端でさっきまで患者が身体を横たえていたベッドを

見つめる。

この場所においてさえ

ベッドの位置の安全性を見定めているのだ。

部屋の隅、窓からも入り口からも

死角になっているベッドを彼は選んだ。

暫くすると、

外に出た明美だろう?

土を掘るスコップの音があたしの耳に届いてきた。

「傍に来ないで。あんたになんか・・てつだってほしくない。

なんで、あんたなんかに・・」

明美の悲痛な叫び声が

哀れに耳に届いた。


空に架かる橋。/その22

明美は近寄ってきた男に悲鳴のような声を上げて、

兵士の行動を阻んだ。

明美の唯一のサンクチュアリなのだ。

哲司を眠らせる場所を

敵に、

ましてや、哲司を撃った男に、

明美を汚した男に、

なんで、触れさせなきゃいけないんだ。

明美が一人で土を掘るのを男は黙って見ていた。

明美は気が付かないふりをしていたけど、

雑木もまばらな、

隠れる場所も無い庭の隅に

男は武器も構えずつったっていたんだ。

敵が居れば、こんな的中率のいい標的などないということになる。

(1%とだけお前の男と同じ条件さ)

運のいい奴だけが生き残る。

男の覚悟はそんな考えでなりたっていたようだけど、

すくなくとも、

恋人をなくした明美へのせめてもの謝罪だったのかもしれない。

男にも、恋人が居たのかもしれない。

だけど、

ココは、戦場。

そんな優しい思いを持ったら自滅するだけ。

「あんた・・・。しんでもいいの?」

明美は土を掘りながら

男に尋ねていた。

「敵か?きやしないよ・・・」

地雷を敷きまくって撤退していったんだ。

99%こっちには来ない。

むしろ、新しい布陣をしくに躍起になって場所を探しているだろう。

男はそう読んだ。

「そう・・。どっちにしろ・・」

明美は言いかけた言葉を止めた。

そう、どっちにしたって、

アンタを殺すのはあたし。

喉の奥の決心を確実に実行する機会を

つぶしたくはない。

「逃げはしないから、銃でもかまえていたら?

敵が来ないとはかぎらなくてよ」

「撃たれてるなら、もう、とっくにうたれてるさ」

確かにそうかもしれない。

「そうね・・・」

あたしがこいつを殺せるなら、それでいい。

明美は再び、黙りこくると

土を掘ることに専念しだした。

だけど・・。

明美が土を掘り終えた後こそが、悲しかった。

明美は哲司の身体を運ぶ事が出来なかったんだ。

生命のうせた身体は

根が生えたように重く、

明美が哲司を引き摺ってみても、

びくとも動かなかったんだ。

「ね・・ね・・哲司。いこうよ。あそこでゆっくり、ねむろうよ」

明美が哲司にして上げられる最後の献身は

哲司を土のなかで静かに眠らせてあげる事だけだった。

なのに、どんなに哲司に問いかけたって

哲司の身体を動かす事は出来なかったんだ。

哲司の崩れて行く身体を支えながら

明美は泣いた。

男が明美の横から哲司の身体をささえた。

「どうしようもないだろう?」

自動小銃を傍らに置き男は哲司を

墓穴に運ぶことを選んだ。

明美はみじめにあきらめるしかなかった。

一番触れられたくない男に

哲司をささえてもらって、

哲司を土の中に埋め終えたんだ。

明美の弔いがおわり、

明美の心残りはなくなり、

庭の隅に哲司が身体の分だけの土が盛り上げられた

墓が出来た。

明美はソット手を合わせると、

なにか、哲司につぶやいたけど、

すぐさま、たちあがると

見事なほどあっさりと

病院の中に戻っていった。

明美は男より先に戻ってきたんだから、

哲司が横たわっていた場所に置いた男の銃を奪い、

男を撃つことが出来ただろう。

だけど、

明美はそれをしなかった。

だから、あたしもまさか、

明美があんな壮絶な死に様をこのときに

既に決心してたんだなんて思いもしなかったんだ。


空に架かる橋。/その23

千秋はいったん、診察室にもどってきたけれど、

ぬぎ捨てられた衣服をリネン室に運び入れるために、

兵士と再び一緒にドアの外に出て行った。

ストレッチャーに衣服を積み上げ、

玄関側のドアをぬけていった。

千秋はそのまま、

兵士に色々と部屋の案内をさせられることになる。

食事を作る場所。

浴室。

食料保管庫。

ホルマリン室の存在をさっさと掌握する兵士が

千秋の案内が必要なのだろうか?と、不思議な気がする。

だけど、千秋は命ぜられるままに

リネン室の袋の中に服を押し込めた。

ここが、まだ、平和だったときは

クリーニングの業者が

この大きな袋にシーツや

患者の服。看護服をいれて、

3日に一度はもっていってくれていた。

その名残の袋はのこっていたけど、

あたし達は

患者の服をシーツを小さな洗濯機で

あらって、少しでも快適にすごしてもらおうとした。

浴室だって、そうだ。

充分に風呂に入らせてあげる事はできなかった。

でも、毎日、タオルを蒸して、清拭だけは、かかさなかった。

浴槽に入れない患者が大部分だったけど、シャワーを浴びれる日は楽しみだった。

食事を作る場所。

食事はレトルトや冷凍食品ばかりだったけど、

せめて・・。

せめてもと、あたし達は食器をかきあつめ、

もりつけて、トレーに載せて運んだ。

深い皿鉢がなくて、

平皿にこぼれそうなシチューに苦戦しながら、

皆の所にもって行ったこともある。

食べ終われば、

皿をあらわなきゃならない。

夜中に痛みを訴える患者も居る。

あたし達は不眠不休に近い状態だった。

それでも、少しでもあじけない入院生活に色をそえたくて、

皿を洗わなきゃならない労働もこなしてきた。

千秋はその場所を案内し

器具の使用方法を兵士の目に見せてやりながら、

心のそこでどんなにかなしんだだろう。

こんなに手をつくして、

本来戻るべき場所に返してやろうとした患者は

戻るべき場所に帰ることがかなわなかった。

搬入トラックがもっと、早く来ていれば、

患者達は全員、生き延びる事が出来たんだ。

死に至るしかなかった要因をあげつらえば、

いくらでも、出てくる。

運がわるかった。

そういう運命だったと言うには

余りにも、

色んな思いがそこらじゅうにしきつめられていた。


空に架かる橋。/その24

明美の悲しい声が外からひびいてきたけれど、

コレが怪我の功名?になるということもあるんだ。

少年兵はその声を混沌の中で聞いていたんだ。

男の声なら、少年の意識は波立たなかっただろう。

戦場で聞こえるはずも無い女性の声が、少年の

意識の中で疑問をしょうじさせたのだ。

そういういいかたしかできないけど、

?と感じ始めた少年の脳が彼を覚醒に導きはじめたんだ。

少年の意識の回復は

最初にあたしにむけられた。

うっすらと、瞳を開けた少年は

ちいさく、あたしにたずねたんだ。

「エンジェル?」

死んじゃったと思ったんだろうね。

「違うよ。ナースだよ」

そうこたえた途端少年のひとみが大きくみひらかれた。

少年の傍に集まっていた兵士達もいっせいに

少年の傍につめよったんだ。

「おうい。元気かあ?」

少年を見つめる兵士たちの瞳にも

喜びがあふれかえる。

少年はその瞳で自分の命が途切れてない事を悟ったんだ。

「先生?・・・」

あたしは先生を呼んだ。

先生は少年のそばによってくると、

「大丈夫だよ」

と、いったんだ。

手の尽くしようがないのが真実だ。

でも、

少年の心を支えるしかない。

「はい」

少年は小さくうなづいて、

すがるような瞳を先生に向けながら、

そっと、・・・

そっと・・・。

手を足のほうに伸ばしていったんだ。

足の先にはなにもない。

その現実を改めて認識しようとする少年にとって、

地雷の事故も、ひょっとして夢だったのかもしれないと

考えていたのかもしれない。

少年の手が太ももの先に何も無い事を教えると同時に

先生は

「命があるほうが不思議な状態だったんだよ」

と、つげた。

命を拾いなおしたんだと思いなおした少年は

こうこたえたんだ。

「ありがとう。ダンスを踊れなくなったのは残念だけど、

ダンスを見ることが出来るのですよね」

先生は

「そうだよ」

と、こたえると、

「がんばって、傷を治そう。今はいい義足もある。

君の努力次第でははしることだって、

ダンスだってできる」

と、つけくわえた。

いきていればこそ。

少年の瞳に涙のしずくが湧き上がるのをみると、

先生は少年を覗きこむ兵士達に

その場所をゆずり、

地下室の扉から兵士が一人で戻ってくるのをじっと見ていた。

兵士が先生の近くに来ると、先生は兵士に尋ねた。

「私がカルテをかかなければ・・いけないのだろうね」

先生のいうのは、抹殺された患者の事だ。

患者の自殺。

露木先生の自殺幇助。

そのカルテをかかなければならないのだろう?

その問いのうしろには、

露木先生が書くことができないのだろう?と、いう恐ろしい事実確認が含まれていたんだ。


空に架かる橋。/その25

やがて、千秋は診察室にもどってきた。

千秋は真っ先に私達の所にかけよってくると、

少年の意識回復を知った。

だけど、千秋もその回復が命が尽きる前の

一瞬のきらめきでしかない事を直ぐに見て取った。

死に向かう生でありとて、

最後まで生きていたいという

生命がなせる奇跡のわざといっていいかもしれない。

できるだけ、平静に千秋は

「きがついたのね」

と、少年に声をかけると、

処置室を覗き込んだ。

露木先生がそこに居る事を確かめたかったんだ。

だけど、

露木先生は居ない。

千秋の瞳は少年の周りに集まった兵士達を

確かめている。

露木先生の傍に最後に残った兵士を探しているのだ。

千秋の瞳がその兵士を見つけると、

千秋の喉から、小さな声が洩れた。

「あっ」

露木先生を一人、ホルマリン室において、兵士がココに戻ってくるわけが無い。

「ね?露木先生は?」

おそるおそるあたしにたずねた千秋の声が震えている。

先生はココに戻ってきていないのか?

兵士が見張りを交代したのか?

それとも、先生は他の用事をしているのか?

あたしが、応えようとすると、

佐々木先生がさえぎった。

佐々木先生だって、

千秋の露木先生への特別な感情を知っている。

「まだ、ホルマリン室にいるようだね。様子をみてこよう」

佐々木先生が、

歩き出すと兵士が追いかけていった。

だけど、先生となにか、話していた兵士は直ぐにここに戻ってきた。

監視の兵士がつくこともなく、

先生が一人で行動できるのを見ると、

千秋はほっと、胸を撫で下ろした。

露木先生はホルマリン室で

一人になりたかったんだろう。

監視の兵士がここに居ても

不思議じゃないんだと

千秋は思ったんだ。

患者にカリ注射をうち

眼の前で死体がホルマリン浴槽に投げ込まれる。

先生がそのすまなさに

ホルマリン室を直ぐに立ち去る事など出来るはずが無い。

皆にさようならをいったら、戻ってくる。

先生はそういったんだ。

千秋は先生の約束を待つことしか出来なかった。

精神が異常に興奮している。

それさえ気が付かせないほど、

皆、心の平衡をなくしていた。

それはあたし達だけでなく、

敵兵も含め、皆そうだった。

身体は精神を心を癒そうと、ひっしになっていた。

そんな中で少年の覚醒が

緊張の糸を解きほぐしてくれていた。

少年の傍でうとうとと眠りだす兵士も居た。

千秋も

地獄を見た記憶をうずめたがる睡魔に

おそわれはじめていた。

「千秋。仮眠室にいっておいで」

あたしに声を掛けられると、

千秋は立ち上がった。

「露木先生は、佐々木先生が連れてきてくれるよ」

あたしの掛けた言葉に安心できたのだろうか?

千秋は

「そうだね」

と、うなづき、

「ごめんね」

と、あやまった。

自分だけが仮眠を取る事が申し訳ないというのだけど、

千秋を眠らせないといけないとあたしは必死だった。

千秋の目つきはどこか、宙を舞っていた。

これ以上張り詰めた状況でおきていたら、

このこはくるってしまう。

あたしはそう思ったからだ。


空に架かる橋/その26

佐々木先生がホルマリン室に下りていった。

千秋は仮眠室に入っていった。

もう直ぐ明美もココに戻ってくるだろう。

あたしは少年の傍で、彼を見守っていた。

少年の最後が直ぐ傍まできていた。

その少年の最後の生の躍動が

始まる。

その躍動が千秋を

明美を蹂躙に導くきっかけになるなんてあたしは思いもしなかった。

あたしは、ただ、少年の命のきらめきを受止めてあげたかっただけ。

あたしはナースなんだ。

ナースは時に安らかな死を患者に与えるために最善を尽くす。

あたしは人間として

一人の人間として

彼の死を導き、

彼の生を全うしてあげたかった。

これから話すことは

理解の範疇を超えてるかもしれない。

だけど、あたしは彼の命を、思いを、受止めてあげたかっただけなんだ。

空に架かる橋/その27

少年の意識が再び混濁して行く。

少年はあたしを呼ぶ。

「エンジェル・カム・ヒヤア・

アイム・スティル・ヒヤア」

僕はココに居るよ。

ねえ、ココに来て。

少年の怖れは死にいく恐れ。

彼は怖くて、

怖くて、あたしを呼ぶ。

「ココに居るよ」

何よりも確かななものは、言葉じゃ伝わらない。

あたしは彼の手を握り締めたんだ。

いくばくか彼の精神は落ち着きを取り戻し、

あたしの手をさするようになぜると、

あたしの存在を確認できたようだった。

あたしの後ろに並んだ兵士達は

固唾をのんで

彼を見守っている。

そのとき。

彼の手術を要請した兵士が

彼の服を解きだした。

何を?

あたしが兵士を制止するより先に

彼の懇願の言葉が

「頼む」とあたしの耳に届き

少年の生を訴える下半身の一部の直立が

さらけだされていた。

死を前に

命を生み出して行く

生殖行動の基本が

命を主張していた。

生きていたいんだと。

生きているんだと。

彼の本能が

精一杯叫んでいたんだ。


空に架かる橋/その28

兵士の言う「頼む」という言葉の意味合いが、

何を意味するか直ぐに判る。

少年の最後の命の躍動をただ、見つめるのは

あまりに忍びない。

さりとて、

彼の無骨な指が彼の欲求をなだめたとて、

それは、ただの処理でしかない。

彼の命を受止めてあげる事は

女であるあたしじゃないと出来ない。

あたしだから、

女だから、できる。

外面的判断はそういうことだろう。

だけど、あたしの中には奇妙な感情が

湧き上がってきていたんだ。

見知らぬ少年。

それも敵。

あたしの仲間を殺しまくった敵の仲間。

にくむべきだろう?

あたしは拒否するべきだろう?

だけど、あたしの眼の前に居るのは

死におびえるちっぽけな男の子。

あたしは最初

彼の性器にそっと手をふれた。

意識は混濁して、

彼はうわごとのように

エンジェルとあたしをよぶだけなのに、

彼の性器はあたしの手の中でぴくんと動き

生きてる事を

はっきり主張していたんだ。

できるだけ、そっと彼の傷の痛みに

影響を及ぼさないように

あたしは彼のものを愛撫した。

だけど、彼の先から透明な粘液が

染み出してくる。

もっと、確かで確実な交わりを欲しがる

彼のものを

あたしは手でさわっているだけのことが、

彼への侮辱にさえ思えた。

だけど・・。

彼の身体をあたし自身でつつんでやることは

無理だ。

彼の身体はあたしの重みを支えきれるわけは無い。

そう思ったとき

あたしは、何の迷いも無く、

彼のものに顔をよせ、

そっと、それを口に含んだ。

女の身体の粘液や温かさにほどとおいかもしれないけれど、

一番、それに似通ったもので彼を受止めてやりたいと

あたしは必死だったんだ。


空に架かる橋/その29

身体は不思議だ。

少年の意識は混濁し

思いも心も感情もいまや、定かじゃない。

だけど彼のその部分は生きる事を求め、

温みを欲しがる。

その、身体の不思議な訴えは

あたしにもおきていた。

身体には

個人の感情や

こだわりや、そんなものに

動じないもっと大きな希求があるとしか思えない。

そう・・・。

あたしの女性である部分は

あたしの思惑をこえ、

彼を包んでやりたいと訴えだしていたんだ。

もちろん、あたしは彼の生きようとする姿を目の当たりにして、

不埒な性的欲求や興奮なんて感情はあろうはずも無かった。

それなのに、

あたしのその部分は

彼を生をいとしみ、

彼を包んでやりたいと

泣くかのように

濡れそぼっていたんだ。

身体はもっと

もっと大きな心を具有しているとしか思え無かった。

空に架かる橋/その30

「エンジェル・・・もう・・・いい」

少年の命の火が尽きた事を

告げる兵士の声が

あたしの耳元でささやかれた。

嘘だ。

あたしの口の中の物体はまだ、硬直し、

体温が広がってきている。

嘘だ。

まだ、彼は生きてる。

生きようとしている。

あたしは納得できないまま、

彼の最後の命の残像を

確かめている。

「エンジェル・・・」

少年が呼んだようにあたしを呼んでいた兵士は

あたしの体の変化に気が付いていた。

兵士は

あたしの下着の隙間に

指をいれ、あたしの身体が

泣いているのを確かめた。

あたしの身体が少年を本当にうけとめてやろうとしていたんだと

悟ると

兵士は

「ありがとう」

と、そういったんだ。

身体を結びつける事だけがセックスじゃない。

心が彼を求め

彼を包もうと思う。

そんな慈しみを本当にもってくれたんだと兵士は

少年の最後にあたしがもった思いに

あたしの体の反応に頭を下げたんだ。

そして・・・。

少年の命を包み込んでやれなかった

あたしの身体の無念をなぐさめてやりたかったのだろう。

兵士は

自分の生殖器をズボンの外にさらけ出すと

あたしの下着をずりさげて、

あたしのその場所にあてがっていった。

レイプ?

ううん?

そんなものじゃない。けして、そんなものじゃない。

あたしには、兵士の気持がよく判った。

時に身体でしか、うずめられない悲しみがある。

兵士のものが

緩やかにうごきだしたとき、

あたしは

やっと、

少年の死をうけとめ、

あたしは・・・。

少年の生を口の中から開放した。

あとから、あとから、とめどない涙があふれかえり、

それを慰めるかのような、

宥めるかのような兵士の優しいうごきにあたしはすがっていったんだ。


空に架かる橋/31

居並ぶ兵士達の眼の前にあるのは、

「生」と「死」

少年の身体は死という様相をうかびあげてゆく。

兵士達の中に浮かぶのは

「畏れ」

自分にもやってくるだろう死が現実に

まざまざと横たわっている。

見たくないと瞳を伏せても

自分に降りかかってくる死の重みは

他人事じゃない。

その一方で生きてる事を

謳歌するかのような男と女の営みが目の前にある。

生きてる事を確かめたい。

快楽の刹那は

生きている頂点。

誰もが、みな確実な命の証に酔いたがる。

兵士達は

当然、

順番を待つ。

あたしの身体で知らされる命の歓喜を

てにいれるために。

だけど・・・。

そのうち、きがつく。

女はあたしだけじゃないと。

触手が伸びて行くのは

渇望に近い。

あたしは次の男にだかれながら、

千秋の悲しい悲鳴をきいた。

馬鹿・・・。

性でしか、生きてる事を確かめられないかわいそうな

男に何をされたって

嘆く必要は無いじゃないか。

馬鹿・・・。

男達は皆悲しい。

今を生きる事に必死になるしかない。

哀れで

哀れで・・・仕方が無い。

そんな男に何かされたと嘆く

千秋の心が悲しい。

なんで・・・。

なんで・・。

つつんでやれない?

そんなことを思うあたしがおかしい?

皆・・・。死ぬ事が怖くて、無様な姿をさらけだしているんだ。

その心がかなしいだろ?

ね?

あたしはあたしを抱く男を精一杯抱きしめてあげる。

コレがさいごかもしれないじゃない?

あたしがいなけりゃ、

彼はひとり、ふるえてるだけじゃない?

ねえ?

あたし・・おかしい?


空に架かる橋。/その32

哲司の弔いを済ませ、

診察室に戻ってきた明美は

その瞳と、

その耳で

悲しい事実を知る事になる。


診察室の床に転がされたあたしの周りに

兵士達は群がり

その真ん中であたしの中に兵士の肉の棒がつきこまれている。


診察室の奥に作られている4畳半の畳の部屋は

いつも、私達の仮眠場所になっていたけど、

そこからは千秋の悲しい叫び声が

間断なく聞こえてくる。


明美のその瞳で

その耳で

あたし達になにがあったのかしらされている。


そして、明美も又

自分の身に何が起きるか、諦めとともに、

悟っていた。


悟った明美の心の中の思いが

小さな呟きになっていた。


「役に立つ・・・」


ホルマリン室の前で

兵士は明美に言った。


そう、あのときの言葉だ。

あのとき・・・。


*****

「ど・・どうして・・?」

明美は敵兵の行動を察したんだ。

銃口を向けていた男は明美の呟きをチャント聞いていた。

「役に立つものはころしゃあしないよ」

役に立つもの・・・。

この場合、医療に従事するあたし達の無事をいみするのだろうか?

「フォルマリン室に・・・つれていってるのね?」

それがどういういみであるか。

明美は察している。


男は明美の言葉に答えようとせず、

殺戮の組織の始めからの細胞のように

部隊の命令を把握している。

明美に

「お前は役に立つ・・・ころしゃしない」

と、一時の身の保全を確証だてる。


「次」

明美の後ろの突然の声に

明美が振り向いた。

その場所には

源次郎さんがたっていたんだ。


患者をフォルマリン室に送り出した兵士は

先の兵士と交代すると、

次の患者を抹殺の部屋につれてゆく。


明美は・・・・。

「まって・・」

精一杯の懇願がこもった声だった。

「まって・・・。そ・・そのひとは、民間人よ。兵士じゃない」


明美に応えた男の声は静かだった。

「だけどな・・・彼も・・役にたちゃあしない。

それどころか・・・いつなんどき、我々をおびやかすかわからない」

「どういう・・・こと」

「いつ、寝首をかられるか・・・この不安をちょうけしにしていい程・・・彼は役にたちゃしない」

不安?

不安をつみとるため・・・?

そのために民間人の

こんなよぼよぼのおじいさんまで、

フォルマリン浴槽に・・・?


男は明美にいった。

「おまえもいきのびていたければ、自分の役目に忠実になるしかないってことだ」

     

******


・・・・・。

あたしも明美も今になってこの男のいう、

「役に立つ。自分の役目」が、なんであるか、やっとわかったんだ。


女である事が役に立つ。

女だから生き延びていられる。


明美はいま、間違いなく源次郎さんの言葉を

思い返している。

「敵の役に立っていきていたくない」

それは、又、明美の心の底の言葉そのものだったんだ。


そして、明美は今哲司の心残りと

明美の心残りを

綺麗に消滅させるための一歩を

踏み出したんだ。


空に架かる橋。/その33

明美は大きな声で叫んだんだ。

「はい!そんなとこで待ちぼうけをくらってないで、こっちへおいで!!」

明美?

正気?

正気だよね?

あ・・あんたのことだから・・・。

すこしでも、

あたしにまとわり付く男を

千秋を泣き叫ばせてる男を

へらしてやろうとおもったんだろ?

自分だけ、

同じ目にあわないでいるのが、

すまないっておもったんだろ?

それがほんの少しの猶予しかないとしても、

自分だけが・・・。って。

同じ目にあってみせてやるって。

こんなこと、なんでもない。

へっちゃらさって、

街中で餓えた女が男をナンパするみたく、

なんてこっちゃないさ。

なんでもないことさ。

そんな風に平然と

明美はさけんだんだ。

その声は千秋に届いた。

届いたに決まってる。

だって、

千秋の声がしずまったもの。

「ほら、はやく・・おいでよお」

明美は自分をふりかえった兵士達の

視線が身体に降り注がれていくのを確かめている。

「嫌がる女にナニしてみたって、たのしくないでしょ?」

獣に豹変し

本能のままにふるまうことでしか命を確認出来ないのは、

本当は悲しい。

兵士の燃え滾り、あおられる心の底にうずめ隠した

引け目とうしろめたさをぬぐいとるような、

明美の言葉がつづく。

「あたしが・・・愛してあげるよう」

奥の部屋から出て来た兵士も居た。

明美に近づき始めた兵士の数を確認すると、

明美は突然、もと来たドアに向かってあゆみだした。

「こっちへ、いらっしゃい!そこで・・・ゆっくりと・・」

明美の突然の変化に

虚を疲れたのは

あたしよりも、

ずっと明美のそばにいた、

哲司を撃った男だったろう。

「おまえ?」

あの死んだ男を・・・あいしていたんじゃないのか?

そのお前が?

なんで、自分から?

男から不思議な目つきを奪い去るのは、

小さな嫉妬のほむらだったのかもしれない。

最初に明美を味わった男は

明美に近づいてくる仲間を意識する。

その意識は

男にささやきかける。

「この女は共有物だ。

本当の共有物になってしまう前に

みんなの物になってしまう前に

最初にだいてしまえ」

すくなくとも、

使いまわされた女じゃない

明美を抱くことができることだけが、

わずかにめばえた支配欲と独占欲を

満たす事が出来る

最上の方法だったいえよう。

歩き始めた明美に

追いすがると

男は明美の肩に手をまわした。

後ろから付いてきだした

何人かの兵士達に

「オレが最初だ」

と、宣言するためにも、

明美への求愛行動のためにも、

明美の受け入れを確約するためにも・・・。


空に架かる橋。/その34

明美は選んだ部屋にむかってあるいていく。

診察室をでると、玄関とは、反対側にある通路の奥には

搬入物資や食品を運び入れるためのうらぐちがある。

その裏口の近くにリネン室があるんだ。

明美はリネン室のドアを開いたんだ。

クリーニング業者にだすはずのものが

袋にはいったまま、リネン室に並んでいる。

それは、見方を変えれば

ちょっとした、アブノーマルなベッドのようだ。

明美は男の手をすり抜けると

袋の上に身体をなげだした。

すぐさまに自分の看護服を

丁寧にめくりあげると、

下着をその手でずりさげていった。

あっけにとられていたのは、

哲司を撃った男のほうだ。

だけど、明美はお構いなしに

男をさそいだした。

「ほら・・」

日に当たることの無い太ももの白さの奥にあるものを

むき出しにするかのように

さらけだしてみせると、

男の戸惑いは

欲望に変質して行く。

挑みかかってくる男を

受止めながら、

明美はドアをみつめていた。

最後の男が入ってくると、

「それ以上、お相手はできそうもなくてよ。

ドアをしめて、

鍵をかけてくれたほうがよくってよ」

明美についてきた男達だけを

淫猥な約束どおりに

たっぷり、愛してあげるとほのめかしてみせた。

明美には男の物をあっさり飲み込むしたたりがあった。

何の遮断もなく

明美の中に侵入した男は

はやくもあがってくる明美の快楽の声をきく。

「哲司・・・」

明美が・・・・うめく。

明美を抱いている男は、

明美に快楽を与える男は、

明美の身体に哲司をよみがえらせてくる。

「なるほどな・・・。オレは当て馬かよ・・」

明美の心を男はそう読んだ。

明美はただ、哲司を感じ取りたかっただけなのだ。

夢中になるひと時に

身体を焦がす時の中に、

明美の身体が哲司と一体化する。

それしか、明美が哲司を現実に

受止めて行く術が無かったんだ。

「だけどな・・・。当て馬のほうが上等だってこともあるんだぜ」

男はかけらほどの悔しさをねじ伏せるために

明美の中への振幅を繰り返して行く。

そのとき、明美が笑った。

あたしがアンタだけのものになるわけがない・・。

アンタだけの感覚によいはしない。

それを

あかすためだろうか?

明美は身体をねじると周りの兵士にいった。

「ほら、みてごらん・・。あんた達のもの・・だよ」

無理にねじられた明美の身体への

愛撫に男も身体の位置をかえざるをえない。

その格好は

結合される局部を見せ付ける事になる

男の振幅で

明美のその部分からあふれる粘液は白く混濁している。

明美の肉が絡みつき

ひきにきにくい男の物がさらに怒張してゆく。

暗示を掛けられた兵士達は

大人しく順番を待つ。

順番が間違いなくやってくる

と、言ってる

女の潤いと肉のあえぎを、

ききながら、

眼の前の接合をのぞきこんでいた。

だけど・・・。

明美?

一体、何のためにそこまで自分を

いじめなきゃならないの?


空に架かる橋。/その35

明美・・・。

あたしは

このときの明美がなにもかも

計算づくのうえで、

行動をおこしてるなんて、

思いもしなかった。

明美が

わざわざ、リネン室へはいったのも、

最後の男に鍵をかけさせたのも、

下着を自分からぬいでみせたことも、

自分の性交渉を男達に見せ付けたのも、

なにもかも、

明美の目論見どおりに

事を進めるためでしかない。

あたしは・・・。

語りたくない。

こんなことは

出来るなら、話したくない。

明美はそのとき

この世への未練一つも残さずに逝けた。

ううん、むしろ、

明美の死の瞬間はこの世での幸せの頂点に立っていた。

だけど、そんなことが・・・。

死が、

死だけが、

明美を幸せにするなんて、

そんなこと・・しか・・・。

そんなことしか、

ないなんて・・・。

それでよかったんだ。

明美は精一杯生き抜いたんだというしかないなんて・・・。

いいたくないけど、

いわなきゃ。

いわなきゃ・・・。

こんなことをいわなきゃならないなんて・・・・。

なんか、おかしいよ。

間違ってるよ。

でも、きいて・・。

今から話す。


空に架かる橋。/その36

明美はわざと看護服を脱がなかったんだ。

それは、

明美が看護服のポケットの中に

自分の大切なものをいれていたからなんだ。

だから、明美はわざと自分から下着をぬいだんだ。

そうすれば、

ポケットの中のものを離さずに持っていられるから。

その大事なものを明美は

自分を抱く男に見せてやるんだ。

それが、

哲司への忠誠の証だったから。

男は見せられたものがなんであるか、直ぐに判った。

だって、男は兵士だもの、

直ぐにわかる。

「哲司がくれたの。婚約指輪の代わりよ」

明美は手榴弾のピンをみせた。

そして、明美は男に

「ごめんね」

と、謝ったんだ。

その侘びの言葉の意味を男が理解するのに、

さして、時間はかからなかった。

「あたしね・・。片一方しかない婚約指輪なんて、かなしかったのよ」

ああ、あたしが言った事だよね。

ペアリングじゃないんだよね。

って。

明美はたとえ、手榴弾のピンリングでも哲司とおそろいのものを持ちたかったんだ。

ましてや、それが、婚約指輪なら

ふたつで一つ。

「でもね、ほら・・・」

明美はポケットの中に手を入れて

もう一つのピンリングを引っ張り出してきたんだ。

「ね?ペア、リングになったのよ。これをもって、あたしは、哲司のところにいくの」

「そして、あたしは、今、哲司が残した無念もはらせるの」

男には明美の言葉は謎だったろう。

だけど、明美のポケットの中では

哲司の手榴弾が

爆発の時を刻みだしていたんだ。

明美がいつ、哲司の服の中から、手榴弾を取り出したのかは判らない。

だけど、明美はその手榴弾に哲司の思いをみたんだ。

きっと、哲司は敵にこの手榴弾を投げつけてやりたかっただろう。

強大な威力のある武器をもちながら、

手を伸ばす事も出来ず

哲司は狙撃された。

心残りだったろう。

悔しかったろう。

哲司の思いを晴らしてやる。

明美はそう決めたんだ。

そのために明美は自分をおとりにしたんだ。

哲司の思いを晴らしてやる。

これはその手榴弾にしか出来ない事だった。

だから、明美はあの時

敵兵の武器になど目もくれなかったんだ。

哲司のあとをおうときめたのは、

いつだったか、それも判らない。

自分の死と共に哲司の無念を晴らすチャンスが、余りにも

早く転がり込んできた。

明美は「役に立つ」という言葉で自分の計画に

確信を得たに違いないんだ。

逆も真なり。

敵にとって、役に立つ女の身体は

明美にとっても、利用価値のある餌だった。

死に方が決まると明美は死に場所を決めた。

あたし達を爆破に巻き込むようなことがあってはならない。

かといって、敵に計画がばれるような、疑念を持たせる場所はいけない。

そして、確実に敵をおびき寄せる。

周到な計画をわずかな時間に組み立て、

明美は男を欲しがる淫婦を演じ、

見事に観客をだましきった。

・・・・。

爆発はすさまじく

診察室もゆれた。

皆、あわてて爆発のあった部屋に駆けつけたんだ。

ドアには鍵がかかってる。

頑丈な扉がわずかにゆがんでいる。

仮に命を取り留めたものが居ても

簡単に助け出せる事が出来ないように

明美はここまで、周到だったんだ。

明美の身体が木っ端微塵になって、

天井に壁に男達の肉片と共にへばりついているだろう。

あたしは・・・。

わずかでもいい。

「明美」を哲司と一緒に眠らせてやりたかった。

ドアが開けられると

兵士達は中をのぞきこんだ。

はじかれるようにうしろにさがると、

「ドクターを」

そう叫んだ。


空に架かる橋。/その37

ドアがあけられると、

その中は・・・。

職業柄、死体は見慣れてる。

無残な怪我人だって、

何度も見てる。

だけど、

たった一発の手榴弾が

至近距離で爆発すると

こうも、肉体を微塵にするかと、

あたしは、思うだけだった。

明美の身体を捜すことは

とても、むつかしいことに

おもえた。

でも、人の心は不思議だね。

あたしは

明美が居ただろう場所に目を凝らしてみたんだ。

そこに、明美の手首の先が見えたんだ。

シッカリ、何かを握り締めたままの

綺麗に白い手首。

あたしは、明美の手を開いて見なくても、

明美が

ペア・リングを握り締めていると判った。

最後の明美の思い・・・。

「これで、哲司の所にいけるよ」

「天国でいっしょになるよ」

「だって、ホラ・・リングもそろったんだよ」

明美の手の中から

明美の声がするようだった。

幸せな思いで死んだんだよと、

あたしに知らせるためにも

最後まで、

爆撃で手を吹き飛ばされても、

リングを握り締めていてくれたんだ。

心を意思を疎通できなくなった

ちぎれた手首はそれでも、

心を離すことがなかった。

人の身体は不思議だね。

あたしは、明美の身体を

それ以上、見つけることが出来なかった。

頭骨さえ、粉みじんにくだけていたというのに、

手首がリングを

つかんで、

手の形を残していたのは

奇跡としかいえない状態だったんだ。

明美の心が

ひきおこした、

奇跡。

それは

このリングを

哲司のもとにとどけてほしいという、

心がうみだしたものだろう。

あたしは、明美の一部であった

手首を拾い上げると、

哲司の埋められた場所に向かった。

あたしのうしろで、

兵士達が命を取り留めたものがいないか、

袋から、とびちった、

クリーニングするはずだったぬのきれを

かきわけては誰かの名前をよんでいたけど・・・。

あたしは、

生き延びているかもしれない命の

存在より先に

明美の願いを聞き届けてやりたかった。


千秋を蹂躙していた男は

爆発の音を聞くと

千秋を放して

爆発のあった場所にむかっていった。


千秋の傍に居た男達もみな、そうした。


千秋はひとり、とりのこされたまま、

爆発の音のいみするものと、

自分の身体に起こった変化を

かんがえていた。


陵辱?

暴行?

レイプ?


自分はなんにも変わりはしない。

なのに・・・。


この・・悲しみはなに?


千秋はほんのつかの間でも

自分だけの悲しみに浸りたかっただろう。


だけど・・。

あの爆発はどういうこと?


千秋の腿の内側にへばりつく、

血の跡はかわきはじめ、

千秋の心は

いやな予感という現実を

探り始める。


いやな予感はときにすぐ、

その予感の的中を知らせる。


爆発を確かめに行った兵士が戻ってきたのは、

佐々木先生を探すためだった。

「「ドクターは?どこだ?」と、

たずねた兵士の顔は

余りにも悲壮だ。


「なに?なにがあったの?」

千秋がやっとそれだけを尋ねると、

「看護婦が・・・まさか、手榴弾をもってやがるなんて・・」

と、千秋を見たんだ。

**おまえもまさか?

心の底では俺達の命をねらってるだけなのか?**

兵士が弱く、情けない心をさらけ出すことのできる相手は

(女)だけだったんだろう。

その気持をわかって欲しいというのは

余りにも身勝手すぎるかもしれない。

だけど、

身体をあわせた女への情が

勝手に女を神話に高める。

やむを立てず

生きてる事を確かめる男の行為を

女はやがて

心でなく

その身体で理解するのだと。

男がその行為をせずにおけないほどに

切迫している。

女は男に希求される己の身体の

価値をその身体に知らされる。

女には、

そういう力がある。

男を救う力がある。

女はそれを理解し

その肉体を男に与えつくす。


まるで。聖母のように荘厳な慈しみの情を

女は身体に会得させる。


兵士の感情はそういうことだ・・。


「あ・・それは・・」

看護婦って明美の事?


明美のこと?


明美の事?


ドクターが必要なのは誰?


明美はどうなってるの?


あ、


あ、


あたしは・・・。


なにもかも・・・うしなってゆくの?


佐々木先生?


先生?


せんせい・・。


千秋の中に露木先生の存在確認がまだ出来てない事実が湧き上がる。


まって・・。


佐々木先生は多分、ホルマリン室。


露木先生と一緒のはず・・・。


千秋は急に立ち上がると

佐々木先生を

露木先生を

よんでこなきゃとおもったんだ。


空に架かる橋。/その39

千秋のあとをついていった兵士は

千秋の行く先がホルマリン室だと

見当が付いたのだろう。

千秋を縫うように

おいこすと、エレベータの

ドアの中にすべりこんだ。

千秋が直ぐに追いついてくるのをみこして、

ドアがしまってゆく。

一刻の猶予もおしむ様子と

兵士の顔。

千秋とて、兵士に何があったと聞きただすのは

おそろしかったろうが、

兵士の口はつむがれていた。

何かを語るのは、ドクターにだけだと

事の切迫をみせつけられれば、

いっそうのこと、きくのは、こわかろう。

エレベータが止まると

兵士は走り出す。

ホルマリン室にはいった兵士は

神妙にしたてな口調で先生を呼んだ。

「すぐきてくれ。生存者がいるんだ」

ホルマリン室のデスクで書き物をしていた佐々木先生は

ゆっくりとたちあがった。

「どういうことだね?」

兵士は怪訝な顔をした。

「爆発にきがつかなかったというのか?」

佐々木先生が気が付くわけが無い。

この地下室には停電時の非常発電装置もある。

病院の中枢ともいえる電気の設備は

耐震構造で網羅された地下室につくられていたんだ。

ホルマリン室もその恩恵をうけている。

地上で起きた事など

先生にわかるわけが無かったんだ。

兵士は手短に事情を話した。

看護婦がリネン室で手榴弾を爆発させた。

十人以上の兵士が爆発にまきこまれた。

その中のひとり・・。

運がよかったというのか、

わるかったというのか・・。

壁にたたきつけられた兵士だったが、

クリーニングの袋がクッションになった。

サンドイッチ状態で袋ごと壁にたたきつけられた。

だが・・。

頭骨を壁にうちつけている。

内臓も外傷はなさそうだが、

爆発の風圧か、壁にたたきつけられたせいか?

内臓破裂?と脳挫傷?

「あ・・・あけみ?」

あとから追いついてきた千秋はこんどこそ、

兵士の説明をはっきりと、耳にした。

「千秋君・・」

はいってきた千秋をみた佐々木先生は

つなぐ言葉をうしなっていた。

膝辺りにかすれた血が見える。

それが

怪我による、血でないのは、すぐわかる。

そう・・。

かわいそうに・・・。

千秋はヴァージンだったんだ。

くわえて、

千秋の顔つきや

看護服の異様なしわのつきぐあいで、

千秋の身に何が起きたかわかる。

この理解は佐々木先生の中で

そのまま明美にも移される。

哲司君を失った明美君は、傷心のまま。

その身体にもキズを付けられたのだろう。

そして、明美君は多分哲司君の手榴弾をもちだしていたんだろう。

「だから、早く・・きてくれ・・」

兵士がやけにしたてに出るのは、やましさのせいだ。

佐々木先生の仲間をさっさところしておいて、

自分の仲間を助けろと命令する。

佐々木先生は敵兵の身勝手さに、

自分の仲間を助けるふりをして、

ころしてしまうかもしれない。

だいたい、露木先生の事も

それがこわくて、見ぬふりをしたんだ。

だけど、佐々木先生はそんな卑怯で姑息で

人理に落ちるまねなんかするわけが無い。

先生はそのとき、はっきりといったんだ

「断る。

いや、僕では救えない」

なにを?

今、なんていった?

兵士はほんの短い黙考のなかから、

自分の態度をきめた。

「いけ!!」

兵士の口から出た言葉は

命令に変わり、

兵士の銃は再び先生につきつけられた。

無言の威圧。

行かなければ撃つ。

お前を殺す。

銃を突きつけた兵士に先生は一言でかえした。

「撃つならうちなさい」

ぎょっとした顔の兵士は

佐々木先生を動かす方法を考える。

考えついた兵士が

今度は千秋に銃口を向けたんだ。

「おまえがいかないなら、この女を撃ち殺す」

兵士も必死だったんだ。


空に架かる橋。/その40

佐々木先生は兵士が銃を千秋に向けると、

黙って立ち上がって

ホルマリン室をでていった。

兵士はそれでも、用心深く

千秋に銃をむけたまま、

先生のあとを追おうとしたんだ。

顎でしゃくるように

千秋に行けと命令する。

すると、先に行った筈の佐々木先生が

ドアを押し開いて言った。

「看護婦に構ってる間に私がどこにいってもいいのかね?」

「な・・なんだと?」

千秋は佐々木先生の策略に気が付いたのだろう。

兵士に命令されても、

動こうとしなかった。

看護婦を盾に取るから

先生が仕方なく動いたんだ。

千秋を盾に男はリネン室に先生をつれてゆこうとしたが、

だけど、そのたてが動かない。

「畜生。今は・・みのがしてやるだけだ。

いいか、お前がリネン室にいかなきゃ

あとからだってこいつをころしてやる」

兵士はあらためて、脅しの形を変えると、

先生のあとをついて、いくことにした。

「わかってますよ。それが、貴方達のやりくちだ」

佐々木先生はリネン室にいくことで、

とりあえず、千秋の危機を回避することができるとわかると、

千秋を呼んだ。

「10分おくれて、もどってきたまえ」

声を架けると先生は歩き出し、

兵士も先生の痕を付いた。

その10分の間に先生は

リネン室の患者を診て

仲間に結果を知らせる。

手術ということになれば、後から来る看護婦も必要だと兵士は考えるだろう。

「なぜ、一緒に来いといわない」

佐々木先生の看護婦への時間の区切りが疑問でもある。

「君達が彼女になにをした?

銃で脅され、人の命をたすけなきゃならないかね?

彼女の意志で協力してほしいだけだよ」

たんに銃をつきつけられることから、千秋を

逃してやりたいと思った佐々木先生だった。

「お前は・・・自分の意志でやるわけじゃないといいたいのか?」

「そういうことじゃない」

先生が応えた言葉の深みは

男にわかろう筈が無い。

額面どおりにうけとめていた。

だけど、先生は

ー自分の意志でやるのでなく、自分の意志でやらないのだーと、いってたんだ。

だけど、

先生が千秋のことをかんがえて決めた10分の差が

千秋にとって、

もっとも、深い悲しみをつれてくることになったんだ。


空に架かる橋。/その41

千秋はホルマリン室にとどまると、じっと、たちつくしていた。

さっき。

そんな気もする。

遠い昔。

そんな気もする。

この場所で皆が死を選んでいった。

生きてるあたしは、

暴行されて、

まだ、おめおめと生きている。

明美は死んだ・・。

明美もきっと、自分から、死を選んだんだろう。

佐々木先生もなにか、

心に決めたものが在る。

それを通すためにいきるつもりだろう。

たとえ、しんでしまっても、

先生がなにかを通しきったら、

それはいきつづけているってことだろう。

あたしは・・

泣き叫ぶことしかできず、

おびえることしかできない。

こんな生き方は嫌だなって思う。

思うけど、

じゃあ、生きるのをやめて・・・

?・・

なに?

心で思いをめぐらしていた、千秋の思考が止まった。

千秋はさっき佐々木先生が座っていたあたりをぼんやり見てたんだ。

そこには、綺麗に折りたたまれた服があった。

服の上には腕時計。

その服は白衣だ。

時計は見覚えがある。

自分の記憶が間違いだと否定したがるのは何故?

だけど、その白衣の下には

服の持ち主を隠すかのように

シャツやズボンが折りたたまれている。

そのシャツの柄だって

きっと、記憶違いだ。

胸の動機が激しくなる。

判っていた気がする。

わかっていた気がするから、

探すのが怖くて

頭の中から、

先生を探すって回路の回線を切っていた気がする。

なのに、

どうして、みえちゃうんだろ?

どうして、みつけちゃうんだろ?

なんで、露木先生の服がココにあるの?

どうして、露木先生があらわれないのか、

その答えをみせつけなきゃ・・・

なんないの?

み・・。

みたくない・・・。

千秋の現実否定は

つかの間の失神を生み出す。

千秋の精神は受止めきれない事実で飽和し、

意識をちぎることで、

回復を図ろうとする。

だけど、

覚醒すれば、

千秋は

夢じゃない事をもっと、深く認識させられる。

混沌から這い上がった

千秋が

たったひとつのことしか、

欲しくない自分に気が付く。

明美の死の直後。

あたしは、千秋の存在も失う事になるんだ。

でも、千秋のただ一つの思いは、

それで、かなったってことだ。


皆、自ら死を掴み取って行く。

あたしは、

哲司の胸に

明美の腕を預けると、

もう一度、土をかけなおしていた。

そのとき、

あたしの傍に近寄ってきた兵士がいたんだ。


空に架かる橋。/その42

千秋は倒れ落ちた床から、身を起こすと

先生の服を見にいった。

「先生・・」

約束したじゃない?

すぐ戻るっていったじゃない?

先生が最後に触っていた注射器が

服の傍に並べてあった。

きっと、先生は自分を・・・。

最後にコレをうったんだ。

それをココに置いたのは佐々木先生だろう。

露木先生に関連するものをここにおいて

佐々木先生は何をおもっていたんだろう・・・。

机の上には何もかかれてないカルテがある。

佐々木先生はカルテを書くといって

ココに降りてきたんだろう。

白いカルテを前に

佐々木先生は

そこに露木先生の名前をかきいれようとしたのだろうか?

千秋はカルテを何枚かめくってみた。

患者達の今までの治療記録。

だけど、その続きはやっぱり書かれてない。

そのカルテの中に千秋は佐々木先生のメモを見つけたんだ。


死は怖いものじゃない。

本当に怖いものは

「思い」を残す事だ。

私は今までこの職務において、

思いを残してきていた。

誰かの命を救う。

誰かの身体を回復させる。

生きて行くための身体の術を支えなおす事が

役に立つ事だと考えていた。

だが、それがうまくいかない。

私の中で無念が降り積もっていた。

だが、

今、命が当たり前のように消滅され、

ホルマリン浴槽には

命無き物体が浮かぶ。

人はいつか死ぬ。

命はいつか途切れる。

ならば、いきていた意味はどこにいく。

思いを残さない生き方をするしかない。

身体の治療は、この世に生きていくための

延命法でしかない。

本当にいきぬくということは、

本当に死ぬという事は、

思いを残さない事だろう。


千秋は佐々木先生のメモを

よみかえすと、

うわごとのようにつぶやいた。

「延命したとて・・思いが救われてなきゃ・・・、生きていない」

思いが救われる・・・・。

千秋の思いを救うのは千秋自身だ。

千秋はこのあと、すぐ、「思いをすくうために」死を選び取ってしまうんだ。


空に架かる橋。/その43

千秋の精神は正常な判断をうしなっていた。

ううん。

正常な判断ができたとて・・・。

千秋のこの先に残されたものを判断してみたら、

それは、**正常な状況**ではない。

千秋はこの先も兵士達の蹂躙をうけとめさせられるだろう。

それが生きてる事?

身体も

心も

死んで・・・。

男達の道具にされて・・・。

それが生きてる事?

千秋は机の前を離れると

ホルマリン浴槽に向かっていった。

蓋を開けると、すぐそこに、

やはり、

露木先生がいた。

「先生・・・」

あたし・・・、綺麗な身体じゃなくなってしまったんだよ。

それでも、やっぱり、先生が好きだなんて、いえないかな?

「先生・・」

声を掛けても、手を伸ばしてみても、千秋に応えてくるものは何も無い。

「だけど、そんなこと・・はじめから、のぞんでいやしないわ」

ココに来ると決めたときから、

露木先生を好きになったときから

「ただ・・・傍にいたかっただけ・・」

先生がどうなろうと、

あたしがこんな身体になろうと、

「ね・・。せんせい、傍にいてもいいよね・・」

千秋はホルマリン浴槽のふちに腰掛け、

カリの溶液を注射器に吸い上げると

注射器を手に持った。

意識をなくして倒れこんだあとに、

ちゃんと先生の傍にいけるように、

ちゃんと、ホルマリン浴槽の中に

沈み落ちれるように

身体をかたむけながら、

千秋は自分の腕に注射を打ち込んだ。

「先生・・ねっ?・・いいよね」

注射器がホルマリン浴槽の中にしずみこむと、

やがて、

千秋の身体もホルマリン浴槽の中におちこんでいったんだ。


空に架かる橋。/その44

佐々木先生がリネン室にはいってくると、

まるで、死体のような兵士をみた。

足がちぎれ、

腕もない、

息をしているだけの身体はまだ、損傷をうけている。

頭部がさけ、兵士が類推したとおり、脳挫傷。

確かに腹部こそキズをうけてないが、

構造に与えられた衝撃は

破裂、破損をおこさせているだろう。

「ドクター」

兵士のひとりがたずねる。

たすからないのか?

たすけられないのか?

佐々木先生にたずねることが、満に一つの可能性がないと、

判断できるのは、

医師である、佐々木先生だけだ。

「無理だ」

先生の抑揚のない声だけが

静かにリネン室に響いた。

「たしかにか?」

佐々木先生が兵士の身体に触れもせず、

言い放った言葉は納得できない。

「私は彼をすくえない」

プロがいうことだ。

医者が言う事だ。

本当なのだろう。

兵士は深いため息をつくと、

佐々木先生に

頼んだ。

「助からないなら、薬で楽にしてやってくれないか?」

兵士のいう「楽」とは、どういうことだろう?

モルヒネなどの麻薬で身体の痛みを緩和してやってくれということか?

カリ注射で痛みを感じる身体とのつながりをなくせということか?

「彼はいきようとしている。最後までその苦しみをみてやったら、どうだね?」

やはり・・・。たすからないんだ。

兵士は何気ない言葉の中に含まれた宣告を受止める。

佐々木先生のいうとおりだ。

見ているのがつらいだろうからと、手術をしてみても、結局はたすからないものは

助からない。

「彼の苦しみを見つめて行く事からにげないことだけしか、してやれることはない」

「・・・・」

「彼には、自分で死ぬ権利があろう。君達の気分で彼をころすことはできない」

その言葉は兵士達の心をえぐる。

自分達の気分で?

君達は僕の仲間をころしまくったじゃないか?

いまも、

仲間でさえ、自分達の気分を宥めるために、

殺す?

手術をさせてみるのも、同じ。

自分達の気分を宥めたいだけ。

千秋君にした事も同じ。

自分達の気分を宥めたいだけ。

それでは、思いはすくわれない。

「僕は君達を治療する事はできない」

先生の言葉に

彼、でなく、

君達と付けられた。

心を

精神を

病んでいるのは、

病人は君達だと先生はいい、

その病気は

救いようの無い病だという。

あるいは、兵士側からきけば、

人として、最低の人間だとおとしめられ、

そんな人間には治療の価値もないと、

いいはなたれていた。


空に架かる橋。/その45

佐々木先生の言葉は兵士達の臓腑をえぐる。

無抵抗の人間の命を奪い、

今の享楽を得るために

女を犯し、

露木先生を惧れ

死へ導いた。

いま、また、自分達がつらいから、

仲間をらくにさせろという。

身勝手をへいきで、おしつけ、

自分達の狂いを助長させ、

いたみさえかんじないのか?

人間ならば、すくいもしよう。

治療もできよう。

その悪魔にも劣る心は腐って膿をはなつ。

「私は君達をすくうことはできない。

治療は身体をなおすだけ。

君達が病んでいることは、

この先戦争が終結したときに、

君達を一生くるしめてゆくだろう」

思いがついて、離れない。

思いという病巣は

けして、完治しない。

「これ以上、君達の病巣をひろげたくはない」

仁理に落ちる行動は

すべて、死を恐れるところから始まっている。

それを間違いだと指摘することは

兵士達に逃げ場をなくさせるだけだ。

「許せないということか・・・」

先生の後ろに立っていた兵士がつぶやいた。

戦闘に参加するということは、

死への片道切符を手にすることだ。

その切符を持つ事は冥府行きの列車にのるということだ。

その切符を持ったものでなければ

判らない怖れがある。

恐れから、逃れるために

起こした行動をせめる権利が誰にあるだろう?

「確かに貴方は我々をすくうことはできない」

兵士は佐々木先生に銃を向けた。

恐れから逃げる行動を

せめられて、

ただでさえ、希薄な存在価値が薄らいで行く。

「我々は確かにまちがっている」

だけど、

それをせめることは、

我々の生きている事さえ否定し、

許さない事だ。

我々はこんなにも追い詰められ愚か者になり、

それでも、生に執着したがる。

それが、いけないことなのか?

許せない事か・・・。

余りにも惨めな心の声。

「生きている価値がないか?

我々は・・・」

佐々木先生は力なく笑った。

「君達をひととき救えるのは「性」だけなのだろうね。

だけど、残念ながら・・僕は・・・女じゃない」

ひと時の命のきらめきに没頭する事だけが、

何もかもをわすれさせてくれる、

無我の時間なのだろう。

そんなことでしか、

そんなことだけが、

死への惧れをはじく。

「身体の治療など・・・無駄なことだ・・・」

君達はむしけらのように哀れに死を恐れ、

本能にひたりこむことでしか、救われない。

それもひとときの・・。

「ドクター。これ以上、我々をくるしめないでくれないか?」

兵士の銃の引き金にユックリ指があてがわれていった。

だけど・・・。

それをとめるものは、誰もいなかった。

悲しい生き様をいかに悲しいといいつのられても、

兵士達はどうする事も出来ない。

それをあばいてみて、

なんになるという?

この先、いつ死ぬか、わからない命を

みじめにするだけ・・。

兵士は佐々木先生に銃口をむけた。

先生は

「又・・・キズがひろがってゆくだけなのに・・」

と、つぶやいた。

「君達をすくえないどころか・・・」

初めて銃がうたれることになったのは、

佐々木先生が示した事のせいだろう。

兵士にとって、

佐々木先生の言葉は一番恐ろしい敵だったんだ。


空に架かる橋。/その46

千秋がホルマリン室から帰ってこず、

千秋まで、死んでしまった事を

発見したのは、

リネン室の肉片をホルマリン室に

運び入れた兵士達だった。

佐々木先生の最後のメッセージが

千秋の死体から、こみ上げてくる。

自分達をぬぐってくれる女性を

死に追い詰めたのだと

死体は無言で語る。

兵士達の間の空間には何の言葉もでてこない。

ただ、無言で肉片の埋葬を繰り返す。

佐々木先生の遺体はどうする?

兵士達は一瞬戸惑った。

軍法会議にのせられたら・・・。

だが、

佐々木先生を撃った兵士は、

「ホルマリン浴槽に・・」

と、命じた。

申し開きができるとかんがえたんじゃない。

彼も千秋の無言の威圧にこそ

うちのめされていたんだ。

どうせ、たすかりゃしない。

軍法会議にかけらられるまで、

いきのこれはしない。

彼は自分のしでかした事が

それ相当のリベンジをもたらしてくると

覚悟したのかもしれないし、

千秋の死体が訴える抗議にうちのめされ、

せめても、事実をもみ消さない事で、応えてやろうとしたのかもしれない。

「彼は?」

虫の息の彼。

彼を救うものはいまは、もう、誰も居ない。

医者がいないなら、

せめて、看護婦。

こうおもった心のそこに

見せ付けられた、看護婦の死。

「もう一人・・・いたな・・・」

看護婦をよんでみたとて、無理かもしれない。

治療なんかできないし、

なによりも、治療の意志ももってないだろう。

「女でしかないか・・・」

女としての役目でしか役に立たないだろう。

それが彼には無理な事であり、

無駄な事である。

だが、それよりも、

なによりも、その考えが、

思いが一人の看護婦を死体にかえた。

それをつきつけられ、

あくことなく、女を追うか?

惨めな煩悶をつきつけてくるのは、

佐々木先生の死体の見開かれたままの瞳だ。

「生きようとしている彼をみつめてやることだけが、

彼にしてやれることだ」

佐々木先生の言葉が兵士の脳裏をたたく。

「最後をみとってやろう」

つぶやくようなうめき声で

命令を下すと

彼は

最後の生き残りの女の姿が無い事に

不安をいだいた。

「どこかで・・・彼女も・・・しんでいるのか?」

他の兵士が彼の不安を打ち消してやりたいと思ったのは

せめても彼らに希望があると思いたかったからだろう。

「看護婦は外に・・・。

リックが見張りに・・いってます」

兵士によってあたしの生存はつげられた。

「そうか」

応えた彼の言葉に安堵があった。

彼は罪が増えてないと思ったのだろう。


空に架かる橋。/その47

昼過ぎに響いた一発の銃声から、

何時間たったのだろう。

明美と哲司の墓土を夕日の柔らかな光が

なであげ、

空はやがて、茜の色。

まるで、泣いているように見える。

あたしは手を合わせ

二人を祈った。

深夜のベッドで愛をつむいでた二人を

祈ったように

この世の人でなくなっても

やっぱり、

二人で居れるように、祈った。

祈るあたしの背後から、

人がにじり寄ってくる気配を感じた。

兵士の一人でしかないだろう。

あたしはゆっくりふりむいて、

彼をみた。

銃を構えもせず、

歩み寄ってくるその肩はひどく、力ない。

あたしの所に近寄ってくるというより、

惰性で歩み続けているようにみえる。

無理も無い。

彼は仲間をいっぺんになくしたんだ。

戦闘態勢にあったって、

こんなにいっぺんに仲間を失う事はありえないだろう。

ましてや、

生きていることを確認したいがための行動が

死にむすびついた。

明美をおいつめた見返りが

こんな形にでるなんて。

生きていたいと思った人間こそが、

落とし穴にはめられて。

明美は見事だと思う。

兵士達は心の底に渇望があった。

無理やり、千秋を犯して、

どこに、心のうさが晴れよう?

「抱いてあげる」

明美の言葉。

きっと、これは嘘じゃない。

明美の本心だと思う。

心のくすみも、

悲しいもがきも、じれんまも、

その言葉に救われる。

だから、兵士は明美の思いに吸い寄せられた。

明美の所に多くの兵士がつめよっていったんだ。

だけど、その結果は見事すぎた。

近寄ってくる兵士・・・。

人の命を救うはずの看護婦を

人の命を奪う者に仕立て上げた痛みを底に隠しながら、

多くの仲間を失った痛みを引き摺り歩く。

たとえ、それが自分達のまいた種であっても、

悲しみと焦燥は

兵士の足取りに重く、影を映していた。


空に架かる橋。/その48

近寄ってきた兵士は

まず、最初に自分の名前を名乗った。

それはブラックリストに名前を書きいれる

査察官を前にあがいてもしかたないと

素直に本名をつげるかのようだった。

リック・デイバーと名乗った男は

そのあとすぐ、あたしのまねをして、

墓土の前にしゃがみ、

手をあわせた。

「リック?」

ああ、彼は悔いているのだ。

リックがうなだれたまま、手を合わせているのを

みていたあたしの口から出た言葉は

謝罪といってよかろうか?

「ごめんね・・。明美を許して・・・」

明美もきっと、そうおもっていただろう。

明美だって、きっと・・・。

あたしの言葉をきいたリックは

顔をあげて、

あたしをじっと見つめていた。

あたしの言った言葉が意外すぎたのだろう。

なにをいったのか、

どういう意味なのか

理解するまで、

リックはじっと、あたしをみつめていたけど、

とつぜん、

首を降り始めた。

「ううん・・・ちがう」

どうせめられても、

どうなじられても、

ののしられ、

おそれられても、

不思議でないリックに

掛けられた言葉がリックを

いためつけてゆく。

懺悔というものに近いのかもしれない。

リックはぽつり、ぽつりと、

自分の事をはなしだした。

「僕は・・・下っ端で、

命令にはさからえなくて・・・

でも、

あんなひどいこと・・・を。

僕は、

なにひとつ、抗議もせず、

それでいいかのように、

ホルマリン室に・・・」

自分のしでかした事の呵責。

殺人への無抵抗な加担。

リックの言葉の羅列は

彼の心の乱れ、そのもの。

「そして・・。

抵抗一つしない人を

僕達はほうむり、

君達を・・・」

リックはその事の表現に

とまどった。

犯した。

乱暴した。

暴行した。

嬲った。

どの言葉をつきつけても、

君達と指し示す女性への行動はむごい事実だろう。

「うん・・」

あたしはリックがいえない言葉が何をさすのか、

判るよとうなづいてみせた。

「僕達は間違ってる。

そして、それをわかってながら、

僕はなにひとつ、いわず、

君をみてるだけだった。

僕はおろかで、卑怯な弱虫だ」

自分の心の痛みにたえかね

リックは顔をおおった。

覆った手の奥から、

自分をせめる悲しい声がもれてきていた。

あたしは、

リックの肩に手を乗せるといったんだ。

「間違っちゃいないよ」

言葉が示すのは、

うつろな慰めにも見える。

だけど、

リックは顔を上げて

あたしをみつめた。

あたしは、もう一度同じ事を言ったんだ。

「間違っちゃいないよ」

リックの肩が震えたのは

あたしの言葉のせいだ。

リックは

あたしの言葉に、絶望の淵を

引き返す道しるべをみたんだ。


空に架かる橋。/その49

人が人を裁く権利など

だれにも無いだろう。

それとおなじように、

あたしが、

リックの犯した罪を赦す権利もないだろう。

だけど、赦す。

赦さない以前に

あたしは、敵兵が行った断行を

罪だとは、おもえなかったんだ。

「まちがっちゃいない」

その言葉にリックは

事実をさぐろうとする。

赦すといってくれるのか?

その罪をとわないと、

君がいってくれるのか?

それは、本当なのか?

あたしの言葉ひとつで、

罪が消えるわけは無い。

だけど、

罪にきずつく心を

いやせるだろう。

「本心でいうのか?

なぜ?」

仲間を殺され、

同僚を死にみちびかれ、

瀕死の少年に救いの手を差し伸べた

君を平気で犯し・・。

君は

「僕が怖い?」

だから、優しいふりをとりつくろってくれる?

そこまで、

僕も君をおいつめている?

「馬鹿ね・・・」

あたしは、本当に無造作だったと思う。

リックの身体をよせつけると、

だきしめていたんだ。

「誰だって生きていたいにきまってるじゃない。

一生懸命生きようとしただけじゃない」

「生きるためなら・・・」

なにをしてもいいというのかい?

リックがといただそうとする言葉を

あたしは唇でふさいだ。

言葉でいくらいっても、

わかりゃしない。

あたしに敵意は無く、

恐れもなく、

あたしは、

生きようとする貴方達を

とっくの昔に赦しているんだ。

「あなただって・・いきていたいんだ・・」

リックのズボンの上から

あたしは彼をまさぐり、

リックを納得させる。

存在を主張し始めた物は

彼を説得しはじめる。

だれだって、生きてることを謳歌したい。

それが、悪いことだろうか?

それが罪だろうか?

罪があるとしたら、

それをうけとめてあげれない方かもしれない。

明美は守るべき人が居たからね。

でも、あたしは、

あたしだけは、

うけとめてあげるから・・・。

だから・・。

リック。

貴方の心をさけばしてあげていいんだよ。

生きていたい。

ねえ?

何も間違っちゃいないよ。


空に架かる橋。/その50

あたし達はさかる。

敵でもない。

男と女でもない。

その部分の快楽をただ、追従してゆく。

そのひとときは

あたし達に生きているという。

(気持いいよ・・)

平和であれば

当たり前のように

手に入れられた快楽は

いま、

貴重な宝物のように

光り輝く。

心の底も無い。

今はただ、二人が

二人だからこそ

生み出す事の出来る

不思議な共鳴におぼれる。

頭の中に沸いてくるのは

快楽の一点。

それを追う。

あたし達は

自分の身体を可愛がってあげる。

それしかない。

そのことしかない。

戦争も無い。

愛情もない。

ただ、肉体への愛撫をあたえつづけることが、

ひと時の頂点。

小さな快楽はやがて大きな波を生む。

「だめだよ・・いっちゃいそうだよ」

リックに応えて行く身体は

確かに生きてる感覚を味あわせてくれる。

あたし達の永遠は

いつまでもつづくかのように、

その波をひき、

又押し寄せてくる。

なにもない。

ただ、身体に浮かび上がってくる狂おしい波。

なにもない。

あるのは、ただ、それだけ。

あたし達はあくこともなく、

いつまでも二人が与えられる快楽に

浸りこんでいくように思えた。

だけど・・・。

一発の銃声。

あたしは・・・それが佐々木先生を打ったものだと直感し、

リックは現実に戻る。

「あ・・・」

あたしはリックにすがりつく。

また、誰かが死んだ。

リックはあたしを見ることが出来ない。

あたしをみることができないまま、

あたしの身体を抱きしめた。

「ごめん」

そうしかいえない。

誰かが死んだ。

銃を使えるものと

銃を撃たれるもの。

その図式の応えは直ぐ出る。

「ごめん・・」

どんなに苦しんでも

殺戮は平気で牙をむき出してゆく。

あたしはリックを離し、

リックもあたしを離し、

彼はもとどおりの現実に戻ってゆく。

「たしかめにいこう」

リックはやっと言葉を変えた。

そう、確かめる事しか出来ない。

あたしが、出来る事は確かめる事だけ。

その死体から、

悔いの色が放出されて無い事を

たしかめられたらいいと・・・

あたしは立ち上がった。

リックは小さく

あたしに

「ありがとう」

と告げると

今度はシッカリ、銃を構えて

あたしを病院の中にゆうどうしはじめていた


空に架かる橋。/その51

どうして、こうも、兵士達は死者を

我目に触れないようにすることをいそぐのだろう?

あたしがリネン室にたどり着いたときには

銃を撃たれただろう佐々木先生の姿も無く、

傍に居たんじゃないかと思う千秋も居ない。

無言のまま肉塊をストレッチャーに

積み込み、兵士達はホルマリン室に向かう。

露木先生がずっと姿を現さないことにも

嫌な予感をおぼえながら、

あたしはストレッチャーの後ろを着いて歩いた。

リックがあたしの後ろを歩むのは、

せめてものなぐさめのつもりだろうか?

リックにはなにもかも、

どうなっているか、

想像できていたのだろう。

あたしが着いていった先の

ホルマリン室のホルマリン浴槽。

その中に佐々木先生が居た。

それだけじゃない。

露木先生も裸身のまま浮かび

その傍らに千秋。

三人を取り巻く

菊の花のような赤い肉片。

皆・・・死んじゃったんだ。

露木先生が死んだのは

自分の意志だろう。

何故か、そんな気がする。

だって、自分の患者をに死を与え

先生が平気な顔をして生きちゃ居られないって・・。

千秋もきっと・・・。

露木先生を追ったんだろう。

納得できない死を説得するわけがある。

だけど・・・。

佐々木先生は?

こめかみのむこう側までに貫通しただろう銃痕が語るものは何?

先生を、

佐々木先生は?

死んだんじゃなくて、

ころされたんだ。

「先生はなんて?」

最後になんていったの?

なんていってしまったの?

銃でうたなきゃいけなくなるような、

自分でつかみ取れる死じゃない形で

なんで、

なんで、

ころされたの?

あたしの質問に応える兵士は居ない。

あたしは・・・。

そのとき、

机の上におかれたメモに気がついたんだ。

ただ、それを読む。

佐々木先生が不幸な死でなかった形跡がないか?

佐々木先生は

いまわのきわになにをいったんだろう?

それに結びつくものをさぐるために

あたしは先生のメモを読む。

見なれた堅苦しい律儀でまじめな字。

融通の利かない

一本気な性格。

ココに来ると決めた時の

佐々木先生・・・そのまま。

ココに来れば

間違いなく不本意な死、

不本意な治療に心が泣く。

未来のある有望な医師を

理不尽がまかり通る戦場へ

よせつけないために、

佐々木先生は自分から志願した。

だけど、

一人じゃ・・。と、

政府の要請に露木先生が手をあげた。

その露木先生を守るためにも

佐々木先生は頑張ってきていたと思う。

その露木先生の死を確認した佐々木先生が残したメモ。

佐々木先生の心の中にあったものは

なんだろう?

生き抜くことなぞ、思っていなかっただろう。

だって、

そうじゃなけりゃ、こんな所に来ない。

佐々木先生は

この間奥さんをなくしているんだ。

千秋が言ってた事だ。

先生は

初めから

死んでもいい覚悟でココにきていたのかもしれない。

ううん。

奥さんの所に行くまで、

自分のままに

生き抜こうとしたのかもしれない。

何もかも、

闇の中。

死者はけして、口を開こうとしない。

あたしは

佐々木先生の顔がひどく

穏やかに見えたことだけを

救いにして

ホルマリン室を出た。


空に架かる橋。/その52

無言。

無言。

無言のまま、

兵士は肉塊を運ぶ。

最後に死んだばかりの

青年がはこばれてきた。

彼を取り巻いていたものが

最後に彼を運んだのだろう。

生きていた兵士だったのだろう。

無残な胴体。

佐々木先生だって、

治しようが無い。

佐々木先生はきっと、治療を

ことわったんだろう。

どうしようもない。

身体を救うことも出来なければ、

思いを救う事も出来ない。

あの、メモの通りだろう?

佐々木先生が選んだことに、

兵士が自分達を見たんだろう。

むしけらのように死ぬしかない。

佐々木先生が突きつけた

死の宣告は

彼にだけでなく、

周りの人間を打ちのめしたんだろう。

その言葉を言った佐々木先生は・・。

助かるはずも無い少年兵を手術した先生は

同胞である、露木先生へ死をつかませた事を

一番、にくんだだろう。

報復というのとは違う。

人として当たり前の善意が

そのまま受止められない

曲がり曲がった兵士の

死への恐怖へ

抗議したかったんじゃないか?

思いを残さない生き方。

それさえ出来れば、

後は、何も怖くない。

先生にはそう抗議する事こそが

自分自身に思いを残さないことだったのかもしれない。

作業を終えた兵士達は

診察室に戻り

各自勝手な場所に座り

眠りを求め始める。

部隊長は生き残った人数を確認し

小さくため息をついた。

あたしは

うなだれ膝を抱えて眠ろうとする

兵士を見つめていた。

ベッドという安楽な場所に横たわろうとしない

彼らの心の底を思う。

そういえば・・・。

大勢の仲間が居る安心感に

ベッドに横たわりに行った兵士は?

彼が選んだベッドには彼の姿が無かった。

明美の声に目を覚まし、

彼も明美を追ったのだろう。

死は直ぐ隣り合わせにあって、

眠りさえ

それは油断という事でしかなく、

焦燥と後悔と、悲しみと不安を胸に抱きながら

兵士達は眠りをむさぼろうとする。

一時の無我がココにもあるのだろう。

あたしは力なく打ちひしがれた兵士を

見つめながら、

一つの事を思った。

人が生きてゆくに、必要不可欠なこと。

この一つは皆手に入れ始め

文字通り眠ろうとしていた。

眠る事で

精神をときほぐすしかないか。

あるいは、

精神が限界に達し、

眠りを要求するか。

人が限界状態に成る。

コレを癒す方法・・・。

あたしは眠りに逃げ込む兵士にもう一つの回復を

もたらそうと決めていた。

「リック・・・手伝って・・・」

あたしの後ろでずっと傍に居ようとしてくれるリックにあたしは

声を掛けた。


空に架かる橋。/その53

あたしの後ろをリックが歩く。

部隊長はあたしをみて、よびとめた。

あたしは、リックと二人ですることを

話した。

「そうだな・・・」

部隊長はまだ、やるべき任務を

終えてないことを思い出していた。

患者を一掃し

おちついたら、最初に

やるべきだった任務は

ネットワークに侵入することだった。

その任務をかく乱させ

部隊の統一を乱れさせたのは、

女が、ここに居たせいだ。

皆規律を忘れ

本能のままに行動する自由を

えた錯覚に陥らせるほど

女の身体と性への欲求は

魅惑すぎた。

その魅惑にもっとも深くおぼれた人間が

本当に溺れ死んだ。

冷静さを欠き、

統一を失った部隊にあたしが申し出た事は

規則正しい秩序と、規律に戻って行くきっかけにもなる。

「よろしく、頼む」

部隊長は不思議な顔をしながら、

もうひとつ、あたしに言った。

「なぜ・・・。君は我々に協力してくれるのかね?

自ら薦んで・・・」

「自分のためです」

短く応えた言葉を

彼はわが身の保身のためと

受け取ったのかもしれない。

協力すれば、

いかしてもらえる。

そんな意味合いに取ったのかもしれない。

だけど、あたしは

自分のためにそれをする。

いきてゆくためには、それ自体が必要だから。

もうひとつある。

いまのあたしは・・・。

なにか、してなきゃ、どうかなりそうだったから。

自分の悲しみに足をとられたら、

あたしは這い上がれない。

あたしは、千秋や明美や先生や患者達が

死んでいった事を

兵士達の死と命と比べ、

よほど、幸せにいきぬいたとおもうことで、

かろうじて、均衡を保っていられたんだ。

それを、なにもせず、

自分の周りの者を気にもとめず、

悲しみにおちこんでいったら・・・。

あたしは、

誰かを思う。

生きとし、生ける者を思うことで、

自分を生かしていたといっていい。

あたしは、

リックをつれて、食料保管庫にはいった。

みんなの食事を作る事にしたんだ。

この身体になにかたべさせなきゃ、

参ってしまう。

参った身体はろくな考えをおこさない。

患者達に毎日決まりきった時間に食事を作り

きっちり、栄養を補給させる作業は

また、ひいては自分自身にも

食事を与えることに繋がっていた。

あたしの身体はいつもの

勤務という慣性に動かされていただけかもしれない。

だけど、

リックはびっくりしていた。

「そこまで・・・?」

そこまで、我々に生きろとおもってくれるのか?

我々は生きている価値もないような殺人鬼だろう?

君が動き出すひとつ、ひとつが、

僕らに生きていていいんだと、

いきなさいと、

言ってくれる。

ほかでもない、

一番僕らをにくむべきはずの、

そんな君の心が

僕らを、勇気づけてくれる。

リックは何をおもったのか、突然、あたしにこういったんだ。

「僕は君とであえてよかった」

君とあってなかったら、僕はみじめな蛆虫のように、

自分が生きてる場所を

這いずり回り、その醜悪な場所を嘆くだけだった。

「食事をしたら、皆シャワーをあびればいいわ。

手術室の前にシャワー室があるから・・」

人間らしい暮らし。

平和が戻ってきたのだと錯覚するような暮らし。

食事があって、

身体を洗えて、

ベッドがあって、

心を抱いてくれる存在がある。

心を傾けてくれる人が居る。

生きていることを喜んでくれる人が居る。

リックのほほに涙の粒が滴る。

「生きてりゃこそ・・」

リックはぐいと涙をふくと、

「さて、オーナーシェフ。僕は何をてつだえば?」

すこし、おどけて笑った。

笑った顔は

とても、ハンサムにみえて、

やっぱり、笑っていられる事が、

一番良いと、あたしは思った。


空に架かる橋。/その54

出来上がった食事は保温トレーにおかれ、

さらにワゴンに乗せられる。

ワゴンをおし、

あたし達は診察室に戻っていった。

レトルトを温めただけの、クリームスープ。

チキンステーキとゆでた野菜。

これも、冷凍食品を解凍しただけのものだけど、

湯気をたてている。

いつもはご飯を用意していたけど、

冷凍パンをさがし、40度に設定した

解凍トレーのうえにおいて、

パンがとけるまでの間に副菜を用意した。

そのワゴンが治療室に入ると、

壁にもたれ、浅い眠りをむさぼっていた兵士達は

目を覚まし始めた。

食材の匂いはかぐわしく、

兵士達にひもじさを

やっと、おもいださせていた。

床に座ったままの兵士に

トレーを渡してゆく。

ベッドの簡易テーブルの

上にもトレーをおく。

あたし一人がつくって、持って行ったら、

彼らはあたしの報復を恐れ、

食事には手をつけなかったかもしれない。

でも、リックが一緒に居る。

彼があたしを見張っていたという

安心感が食事に手を伸ばさせる。

でも・・・。

あたしが食事を作るのは

コレが最後になってしまったんだ。

あたしは規律を取り戻した兵士達の

心を癒す役目を負わされてゆくことになったし、

兵士達も、心の底では

あたしを信用してたわけじゃないから。

仲間を殺し、同僚を医師を殺した兵士は

犯した罪が

あたしの心になにをうえつけたか。

それにおびえていたんだ。

植えつけたものが

油断を見計らい花をさかせる。

明美のリベンジがある。

死を覚悟した人間は平気に平静を装う。

装っている事さえ気がつかせないほどに。

彼らはせめても、あたしを、疑う事をしたくなかったのかもしれない。

疑うくらいなら、

疑わなきゃいけなくなる状況をつくらなきゃいい。

心の底にこれ以上黒く暗いものを見たくなかったのかもしれない。

次の日から食事は兵士達が作り始めたんだ。

あたしは、それを食べ、

兵士達が順序を守って

あたしの元へおとずれるのを待ち、

あたしは自分の身体を提供する。

そういう生活が始まって行くことを

あたしの頭にはチャンと計算できていた。

あたしが食事を作っている間に

部隊長はもう一人の兵士と

OC機器を開いていた。

パスワードがなければ

動かせないはずの機器を簡単に

ひらき、必要な情報を取り出し終わっていた。

あたしは二人が機器を開いてる診察室の奥まで、

トレーを運ぶと、

今度は逆にあたしが言われたんだ。

「食事をたべおわったら、シャワーでもあびて・・・。

君もゆっくり、身体をやすませればいい」

あたしの眠る場所に指定された部屋は

千秋が悲しい暴行を受けた場所だった。

あたしは、それでも、いつもの場所に眠れることに

安心するというんだから、

慣れた場所というのも、

生きてゆくための素材として、重要なんだと思ったりしてた。

あたしは最後のトレーをもつと、露木先生の机に置いた。

そこで、食べようと思った。

たべたら、シャワーをあびて眠ろう。

そう思った。

さっきまで、診察室のベッドに横たわっていた

少年兵の姿も今は無い。

兵士も数えるほどまばらになって、

20人とふんで、作ったトレーは

6つ残った。

たべたりるわけがないだろう、兵士が

たべてくれるだろう。

あたしは、

いまさらに皆が居なくなったことを思い知らされる。

誰も知った人はなく、異邦人ばかりがいる。

ないちゃいけないと、

あたしはパンをのみこみ、

スープをすする。

胃の中に流し込むだけの作業だけど、

こみあげてきそうになる悲しみを

胃の下まで、もどしてくれるようにおもえて、

あたしは、たべた。

あじけないけど、

それでも、たべた。


空に架かる橋。/その55

あたしがシャワーを浴びてる間に

兵士達は食器をかたづけ、

部隊長は

改めて部隊の秩序を

皆に敷いた。

深夜の見張り役。

食事を作る兵士の順番。

そして、これからのこと。

ネットワークから何をさぐったのか?

あたし達を迎えにくるはずだったトラックは

どうなったんだろう?

ココへ連絡を送っても反応がなかったことで、

方針を変えたかも知れない。

連絡があったのか、それさえ、あたしにはわからない。

だけど、いまさらトラックがきて、どうなるというんだろう。

ここが、占拠されているとわかれば、

部隊をくりこんでくる。

そして、ただ、死者がふえ、

仮に病院を取返しても、

死者やけが人の犠牲をはらったことが、むなしくなる。

生き残っているのはあたしだけ。

他の皆が死んでる事を確認するためだけに払った犠牲が

いっそう、悲しくなる。

無駄死。犬死。

こないほうがいいんだ。

きちゃいけないんだ。

だけど、あたしが、連絡をすることは、

不可能だろう。

パスワードはわかっている。

問題はそんなことじゃない。

あたしが連絡機器に近づくことが出来るとは思えない。

あたしは、

ただ、なるにまかせるしかない自分の運命の非力をのろいたくなる。

考えるまい。

敵や味方と考えをめぐらすまい。

あたしは戦時下に命を永らえたただのナース。

シャワーがたたきつける湯と一緒にあたしは、

かんがえる事もいっしょに流し去った。

今はとにかく、

眠りたい。

とりあえず、命をなくす危険が無いと

眠気があたしにひっきりなしにささやきかけている。

シャワーを浴び終わり

兵士が入れ替わりに入ってくると、

「10分だけだとよ」

あたしにウィンクをしてみせた。

何日ぶりに身体を洗うのか

わからないけど、

そんなことがたまらなく嬉しい。

あたしは、

ここだけ、この場所だけ、時空間をねじって、

異世界に行ってしまえたら良いと思った。

すくなくとも、

いまのこの病院の中は

平和だったから。

このままでいたって、

べつにそれはそれで構わないのかもしれないと思った。

時空のひずみに落ち込んだ

さまよえるオランダ人のように、

現世界ときりはなれてしまえることができたら、

皆、もう、くるしむことがないのにね・・・。

空に架かる橋。/その56

治療室に入ると

あたしは、奥にすすんでゆく。

仮眠室にはいり、あたしは

千秋の生きていたときの痕跡を

みつめる。

畳に落ちる血の痕。

望みもしない性を

うけいれたくない相手に

奪われ、

必死にあらがったんだろう。

千秋の悲しい叫び声が

畳に染み付いている。

露木先生を追い

ここまできて、

先生の傍に居れるようになった代わりに

無くした命。

無くした純潔。

一人の人のために

命をなげだしてしまえた、明美や千秋。

あたしは、

いま、自分が一番不幸に思える。

誰か一人を愛してないから、

あたしは生きてこれた。

だけど、この命に何のおもみがあろう?

死を引き換えにしていいほどに

追い求める心を持たないあたしは、

余程不幸に見えてくる。

千秋が仮眠を取った布団を

かたづけて、

あたしは畳を拭く。

千秋の悲しい思いをぬぐいさるように、

今は露木先生の傍らに眠る千秋だけが

あたしの思いの中に残るように

アルコールをかけて、

痛ましく傷ついた思いが塗りこめられた痕を

綺麗にして、

あたしはやっと、自分の布団を敷いた。


兵士達がシャワーをあび、

ついでに服を洗い、乾燥機にぶちこんでいる。

サッパリしたと笑いながら

もとのふくをきて、

今度はベッドによじ登る。

鏡に向かってひげをあたり、

ちっとは、男前になったろう?と、

わらいさざめく。

その声がとおくなってくる。

あたしは眠りに

身をまかせ

夜半まで深い眠りに着いた。

そのあたしの眠りをさましたのは、

あたしを

むさぼりに来た兵士だった。

やっぱり・・。

こうなるしかないんだ。

わかっていたことだけど。

明美の事で、

千秋の事で、

先生の事で

あんなに打ちひしがれていたって、

ぬぐいたくなる。

やっぱり、どうしようもなく、湧いてくる寂しさ。

暗闇の中、

兵士は3人。

他の兵士はねむりについたまま、

単に行動をおこさなかっただけで、

きっと、同じ思いだろう。

やましさと

秩序に反する私的行動が

あたしにしずかにしろと

命じさせる。

そこまでして・・。

そんなにしてまで、

あたしが必要?

その一瞬に命を吹き返せる?

そうかもしれない・・。

あたしだって・・・・。

悲しくて、

寂しくて、怖くて、寒い。

だけど、すくなくとも、

いま、あたしを抱いてる男は

こんなにも、

ほら・・・、あったかいよ。


空に架かる橋。/その57

部隊長は、どういう命令を

くだしたんだろう?

あたしは、

夜が明けるまでに

さらに忍び寄ってくる

兵士を数える事になる。

朝になれば、

当然のような顔をして、

別の兵士がやってくる。

暗黙の了承?

順番がきめられ、

兵士は

「男」になりにくる。

あたしは、

ただ、この部屋に居るだけ。

兵士は

ベッドに眠るときでも

靴を履いたまま、ねむっているというのに、

「男」はこの畳の部屋に上がるときには

靴を脱ぐ。

もしも、ここに敵がなだれこんできたら?

靴一つも履く暇もなく戦闘体制にはいる。

自分の命を危険にさらす。

それは、武器をもたずに、戦闘に参加してゆく

あほうのようでもある。

いいかえれば、

命をなくす危険と、

同じ重さであたしを抱こうとしているのだ。

だからこそ・・・。

あたしは、戸口の段差に腰をおろし、

靴を脱ぐ兵士がいじらしく、見えて仕方が無かった。

なんのてらいも、

はじかみももたず、

幼子が母親にあまえるのに、にている。

性を求める気持、

女を抱きたいと言う気持、

「男」という生物のごく、自然な感情でしかない。

その感情を素直に解きひらき、

あたしにすがる。

なんで・・・。

つきはなせよう?

どうにでもして、

うけとめてやりたくなる。

おたしがむかいあっているものは、

兵士でも

男でも

生き物でもない。

(感情)あるいは、焦がれる想い。

あたしのその部分は

さっきから、繰り返される接合のはてをみせている。

男達は

だれも、かれも、

その行為の最後をあたしに受止めさせた。

それは、

太古の昔から続く、男の情熱なのかもしれない。

子をはらませなければ、自分を種を継ぐものがいなくなる。

その白い液体の放出を

女にうけとめさすことが、

男の命を永遠に繰り返さす、種の輪廻。

男は女に

種を渡す事で、生き抜いてきた自分を確かめるかのよう・・・。

あたしのその場所は何人かの兵士の精液をうけとめ、

矢継ぎ早の交代に

身体を洗う暇もなく、

液体が膣からあふれだす。

他の男の精液を追い出すかのように男のものが動き回り、

新しい液体が膣の中をみたしきるまで、

男は種を残す雄の本能を促す快感に浸る。

あたしは、朝食が運び込まれる頃に、

自分がするべきことは

「男を受け入れてゆく事」

コレしかなくなった事にやっと気がついたんだ。


空に架かる橋。/その58

昼に近い朝。

そうだね。

時間で言えば、

十時?

その頃には

あたしは・・・、神話になってしまっていた。

「彼女はすばらしい」

「彼女は聖女だ」

救いの手を差しのべたという意味らしくて、

あたしは

おかしくなってくる。

コレが平和なときだったら、

あたしはただの淫売?

遊び人。

好き者。

内容はちっともかわらないのに、

それを求めてくる男の心が違うだけ。

平和だったら、

軽蔑され、

後ろ指を差される性欲解消が

死をとなりあわせにしてみたら、

はじめて、

高貴で神聖なものにかわる。

性自体・・。

本来、どうであろう?

性は本来厳粛であるべきセイント。

なのに、平和なじだいには、

ガラクタのように

簡単に扱われていた。

同じものが、

色をかえるのは、

人の心が

変えているだけにしか過ぎない。

原子力を武器にするか、

兵器にするか、

それは、人の心がきめてゆくだけのこと。

だけど、

平和利用?をしていても、

うっかりすると、

核は分裂しつづけている。

恐ろしい事故をおこし、人の手におえない代物だと

わかるのは、いつだって、

事故がおきてから。

だからこそ、

扱いにくい代物をこそ、

神聖なものとすべきだろうに・・。

人の身体に性欲をうえつけ、

飢える心をつくり、

簡単に性が手に入る。

こんなときになって、はじめて、

性の本当の価値を知らされる。

命の重みとつりあわせて、

味わいえた悦楽は

ただ、

兵士達に「あたし」を神格化させる。

あたしはただのナースで

ただの女で・・・。

きっと、平和なときに貴方達にであっていたら、

命ほどに重い性を交わす事は無かっただろう。

あたしを抱いた男はいろんな事をいった。

「いきててよかった」

「もう、思い残す事は無い」

そんな意味の言葉が多かった。

生きて二度と女を抱く事などは無い。

ありえないと思った奇跡が起きている。

あたしはいつのまにか、

皆から

「マドンナ」/聖母/とよばれはじめていた。

そんなものになりたいわけでもないし、

英雄気取りの

慈善事業じゃない。

あたしは、自分の生きる場所をさがし、

同じように生きる場所を探す「男」によって、

自分がいきえてることを

実感していただけかもしれない。

彼らは

また、あたし自身だったのかもしれない。

そんな風に

あたしはあたしをくるんでやりたかっただけかもしれない。

だから、

マドンナという敬称がふわふわして、

おかしかった。


空に架かる橋。/その59

あたしのもとにきてないのは、

リックと部隊長だけになった。

リックはきてないけど、

すでにあたしと・・そういう事をしているから、

べつの言い方をすると、

あたしをだいてないのは、

部隊長だけになったといえる。

リックは自分でも下っ端だからといったから、

こういう事の順番も

やっぱり後になるんだろう。

そのリックが

昼食を運びにきた。

リックはこころなしか、寂しそうな笑みをうかべていた。

「正々堂々と君のところにやっとこれたのにね・・・」

と、わらうと、

「とても、遠い人になってしまったみたいにも、

簡単に僕が触れてもいいんだろうかとも思う」

と、つけたした。

つまり、あたしが食事をおえたら、

次はリックの時間になるということだ。

「すこし、はなしをしたいな」

自分の分のトレーを膝に置くと

リックは食事の時間にすこし、さいても、

会話をたのしみたいと、いった。

だよね。

性交渉だけの結びつきなんて、

あまりにも、殺伐としすぎている。

「僕は君がこんな風に振舞ってくれる事に

少なからず感謝している」

リックは、あたしが、千秋のように

泣き叫んでしか、男を受け入れないことに

成らない事をさして言う。

「たぶん、君がなきさけんでも、

皆・・君を・・・」

自分たちに嫌な後味をのこさせないでくれることも、

あたしが苦しまない事も良かったという。

「そうだろうね」

あたしは、そういういいかたしかできなかった。

「でも、僕は反面、ものすごく、嫉妬している」

「ああ・・・うん・・・」

そういうこと・・かあ・・。

どこかでリックはあたしの心と先に結ばれたと思ってるし、

少年兵の死の直後の兵士との性は

リックには暴行としか、かんじとれなかったんだろう。

だから、一番最初にあたしと、心と身体を結びつけたように感じるリックは

一種の支配感と、独占欲と所持欲をもってしまったんだろう。

そして、それをうちやぶる、(神話)が彼の上に君臨する。

共有物というだけでなく、

崇拝物になってしまったあたしを、

あがめるように抱きたがる男達の気持がリックの中でも膨れ上がる。

理解。

納得。

説得。

色んな接点で彼はあたしを抱くほかの男を理解する。

同時にあたしを見る。

そして、リックは自分を見る。

マドンナを独占する事は不可能だと。

そのくせ、もう一度。

まだ、あきたりぬ、焦がれがズボンの中で

リックを誘う。

結び合うそのときだけは

マドンナが自分のものだと。

「僕らは先鋒部隊だったんだ」

リックは何をおもったのか、

急に話をかえた。

そのあとに続く話で、

かえたようにみえただけだったとわかるんだけど、

あたしは、

リックの唐突な話しを、きっかけに、

この先の自分の運命を

見せ付けられるだけだった。


空に架かる橋。/その60

「僕らはココを占拠し、

後続部隊の前衛基地にするためにきたんだ」

リックが何をつげようとしているのか、

あたしは直ぐにピンと来なかった。

だから、

「でも、病院を占拠するのは、

条約違反だよ?」

わかってるはずだよね?

と、たずね返したんだ。

リックはあたしの言葉に

自分たちの悲壮な覚悟を

話さずに置けなくなったんだ。

「僕達がココでは安全な基地を手に入れることは

むつかしいことなんだ」

当たり前のことだろう。

敵の国にのりこんで、

戦陣を拡大してゆくに、

簡単なわけがない。

「そうじゃなくて・・・」

リックは言葉を選んでいる。

「なに?」

言いたくない何かを言おうとする

リックへの誘い水。

「きかせて・・・よ」

「僕らは捨て駒でもあるんだ・・」

思い切って吐き出した言葉の意味は悲しい。

「どういうこと?」

「どこに前線基地をつくっても、

敵を・・・壊滅させる事は

不可能に近い」

だから、遊撃手として、

少しでも敵をかく乱すればいい?

そういう事?

「そんな簡単なことじゃない。

僕らの後ろに後続部隊が居る。

敵は・・。

それを計算にいれ、僕らを叩き潰すために

ココに集結してくるだろう?」

そうだろうね。

きっと、そうだろうね。

「そこに、ミサイルや細菌兵器を投下する・・・」

「え?」

つまり、囮?

「決定じゃないよ。かもしれないってことだよ」

「そ・・・そんなの・・それこそ、条約違反じゃない?

そのうえ、仲間を囮にして?」

リックは今度こそ泣き出しそうな顔になりながら、

あたしに告げる。

「僕らが病院を占拠したのは

そのためでもあるけれど・・・。

かんがえてごらんよ。

君だって、君の味方がココを占拠されて、

ココを奪い返すことを考えると思うかい?

病院にいるのは役に立たない患者と

わずかな医療従事者。

それを救い出すリスクをおうより、

後続部隊の到着をまって、

僕らの壊滅をはかろうとするだろう?」

つまり・・・。

お互いの動きをみてからでないと

お互いがどうするか判らない?

そして、リック同様。

あたし達は捨石にしかならなかった?

病院を占拠されたと言う条約違反を

盾にミサイルや細菌兵器を使う大義名分が出来る。

そこで、その種の兵器がつかわれても、

敵本国にも、

報復にうつる、根拠と言い訳が出来る。

「じゃあ?はじめから・・・」

「そう、僕達ははじめから、大型兵器を

持ち出させる可能性か、

完璧にココを前衛基地にしてしまうか・・」

「・・・・・」

仲間から、

味方から、

同胞から、

死んで来いといわれて、

おくりだされたようなもの。

そして、

あたし達もへたすれば、味方からの

敵を壊滅させる攻撃に巻き込まれる?

ふと・・。

皆、死んでしまえてて良かったねという思いがあたしの中を掠めた。

「だから・・・。君達の仲間。僕らの敵の動きですべてがきまってゆくんだ」

「そう・・だね・・・」

「君達の仲間は多分、僕らの仲間がココに集結するのをまっているだろうね・・」

それは・・・。

あたしの仲間が先に大型兵器を使用するという意味?

「そして、君は・・・、それまでの間、死を覚悟して集まってきた後続部隊の

マドンナにもなる・・だろう」

あたしは・・・。

大笑いしそうになった。

たった、十人そこそこの人間の性をうけとめるだけで、

あたしの身体はへとへとになっている。

其れを?

それを、何百人いるかわからない部隊の男達の

相手をさせられる?

文字通り。

消火活動だね。

生きたいという火を

くすぶらす事なく

宥めてあげる?

あたしは・・・。

消耗品だよ。

あたしは、機械?

あたしは、

女の性器を持った機械?

リックは本当に泣き出しそうだった。

「僕は怖い。それが本音だし、

できることなら、生きていたい。

生きて故郷にかえりたい・・・」

故郷に居ながら、

仲間に見放されるだろう、

(それでいいのだけれど)

希薄な存在が

本国の仲間を守るために

生贄にされる

希薄な存在を

なぐさめるのは、

やはり、

生命を生み出してゆく原点である

性本能を満たしてやる事しかない。

こんなことでしか、

こんなことだけが、

たった一つの憩いで、

ラグ・タイムなんだ。


空に架かる橋。/その61

まだ、どうなるか、判らない。

判らないけど、

どのみち、あたしは、たすからないんだろうなと、

おぼろげに判る。

リックはつかの間の命をむさぼる。

あたしは、精一杯彼を受止める。

大型兵器を誘い出す軍略。

それにはめ込まれた図式のなかで、

あたしは、

たった一つの至福なんだ。

あたしは今になって

兵士達が明美や千秋にまで群がらずに

置けなかった心の底の空虚を

思い知らされた。

其れは、又、あたしという人間の

命の軽さと同時に

ココに生きているという偶然の重さを教える。

せめて・・・。

今を精一杯いきてゆくしかないなら、

それが、あたしも、兵士達も同じ事なら、

せめて、

あたしは、

自分をなめらかにさせてゆこう。

リックの背に回した手が

あえぎの中で

ゆるんでゆく。

あたしは、自分の身体が

不思議だと思う。

生きている証拠のような

快感という感覚を

こんなにも

湧き上がらせてゆく

自分の身体が

不思議に思え、

そして、

愛しいとも思う。

一生懸命、命を、性を

享受する体こそ、

リックと同じ。

生きていたいと

悲しい訴えを続けていた。

リックがその行為を終えると、

あたしは

告げられた。

「夕方まで、もう、誰も来させないから、

ゆっくり、ねむるといい」

夜半から、くりかえされた、営み事をしっていたのだろうが、

リックが勝手にそんなことを決定できる立場ではないだろう?

不思議な顔をしたあたしにリックはきがつくと、

「隊長が・・そうしてくれと・・・」

と、言い添えた。

部隊の目的を覚悟した隊長は

兵士達が規律を乱し

勝手に女を追い、

犯し始めざるをえない心の底の憂いと

鬱積を思い、

勝手な行動に目をつぶった。

その結果が、

明美の手榴弾で多くの仲間を失い、

たった一人、残したドクターを自らの手で

打ち抜く事になった。

自分の部隊を

半壊滅に追い込んだのは、

自分の判断の甘さだけれど、

其れは

いっぽうでは、

「女」のせいだったろう。

その「女」を自分も欲しがる。

部隊長は

判断の甘かった自分を許せなかったように、

「女」に埋め合わせられるものが自分にもあることを

みとめたくなかったのだろう。

彼は「女」をゆるさないまま、

しんでしまうのかな?

それはそれで、

ひどく、かなしくて、辛い事じゃないのだろうか?

そんなことを思いながら、

あたしはリックに言われたとおり、

布団にもぐりこみ、

ううん。

既に、あたしの身体も限界だったから。

夕方までの何時間かを

眠りにつかうことになった。


空に架かる橋。/その62

夕方に目覚めるとあたしは、

おきあがって、まず、トイレにいった。

治療室の脇に検尿専用のトイレがある。

あたしが、治療室にでてゆくと、

兵士達がいっせいに声をかけてくる。

「ゆっくり、ねむれたかい?」

「いま、ウェーバーが食事をつくってるよ」

横をすり抜けるときには、切ないめくばせとともに、

「あとで、また・・いくよ」

と、恋人のようにささやいてみせる兵士。

マドンナ。

究極の娼婦をそう言い換える、

彼らのあたしを見つめるまなざしが痛い。

トイレにすわりこんでみれば、

尿より先におちてくるのは、

兵士達が打ち離した精液・・・。

あたしの瞳からふいに

なみだがあふれた。

落ちて行く粘りのある液体は

奈落の底に落ちて行く

命そのもの。

命を生み出す事もかなわず、

あたしの身体は

精液を身体の外におしだしてゆく。

でも、ひょっとして、

妊娠するかもしれない・・。

誰の子かわからないまま、

あたしは、身ごもるのかもしれない。

だけど・・・。

父親はいない。

そして、

あたしも、

いきているのかどうか?

実りのない果実を求め、

受粉を授けることだけでも、

それを

「愛」

と、よべないものだろうか?

あたしはトイレをでると、

シャワー室に向かうことにした。

部隊長は相変わらず

ネットワークから、情報を搾取しようと、

機器に向かい合ってる。

シャワーを浴びに行ってきます。

彼に告げるつもりだったあたしの口から出た言葉は

彼の背中の孤独に押されていた。

「あとで、きてください。身体をあらってきます」

部隊長の返事を聞かずあたしはシャワー室に向かった。

熱いシャワーを身体にうたせながら、

あたしは、自分を責めていた。

あたしは、

なにをうぬぼれているんだろう?

彼を救えると本当に鼻持ちならないマドンナ気分。

欲望を愛情にすりかえて、

甘い夢を見たがってるのは

あたしのほう。

彼はだまされはしないんだ。

あたしは、聖女でもなんでもない。

ただ・・の、

現実逃避。

あたしは、自分がちっぽけにつまらなく死ぬのが怖い。

でも、彼はそれを見抜いてる。

あたしは、

それを否定したいんだ。

彼は何も気がついてない。

彼もあたしの前ではただの男になる。

そうじゃなきゃ・・・。

あたしのやってることはなに?

まだ、内腿を伝い落ちてくる精液をあたしは

洗い流す。

「ごめんね・・・。命の芽を吹かしてあげれないみたいだよ」

思い切り心の中の黒いものを

シャワーであらいながすように


今のあたしは・・・。

自分の役目に徹するしかないじゃ・・・ない・・・?


空に架かる橋。/その63

食事を持っていった兵士が

仮眠室から、なかなか出てこない。

それが彼らにひと時が

始まったと教える。

銃を手入れしながら、

あるいは、食器をかたづけたり、

シャワーをあびたり、

運悪く、見張り番がまわってくると、

なげいてみたり、

各自がその時までの

期待さえ楽しんでいる。

拒まない女は

まずいない。

ましてや、敵兵。

金をやるわけでもない。

渡されてもうけとりゃしない。

自己嫌悪をうずめる術もなく、

女に無理やり挑みかかって

後に残る居心地の悪さに

辟易するのがお定まり。

なのに、

マドンナは優しい。

切なくあえいでくれる。

兵士の中で何かが吹っ切れる。

それが、なにか?

わからないけれど、

こうならば、

俺も捨てたもんじゃないさ。

と、なにかが、

兵士をなで上げてくれる。

胸のつかえが取れたときのように

妙な爽快がわいてくる。

ひょっとして、コレが生きてるって

実感なのかもしれない。

多分、そうだから、

そんなきもちをくれるマドンナに

できるだけ、

優しく接しったいと思う。

こんな気持にさせてくれるのも、

マドンナだから。

兵士達は満ち足りた思いをかみしめる。

そして、仮眠室のドアから

ウェーバーが早く出てこないかと

待つんだ。

あたしは、また、はてしなくつづいてゆく

夜の蠢きの

序章にしか過ぎないウェーバーの恣意に応える。

再びあたしを、自分の物に出来る行為を

彼は飾る。

「愛しているよ」

その言葉は嘘じゃない。

確かな真実だろう。

あたしは、彼の恣意に応える。

今は彼だけのものだから・・。

蠢いてゆく彼の物に

息を荒らしながら、

あたしは、

心の底から彼に言う。

「あたしも・・・、愛してるわ・・・」

言葉が心を高め、

行為が心を結ぶ。

あたしは、その時、その時、

その相手を愛し

一つになってゆく。

その瞬間の沸騰。

あたしには、それでしか、

彼らにこたえてやれなかった。


空に架かる橋。/その64

男達のさざめきが静まり返り、

あたしは、

夜明け近くになっても

やってこない「彼」をかんがえていた。

このまま、

彼はあたしを許さないまま。

なのだろうか?

欲望に飲み込まれる自分を

許さないままだろうか?

そんなにも、

彼の精神は強靭であるのなら、

あたしは、

もとより、

他の兵士の横行を何故、

許すのだろう?

彼の底にだって

餓えはある。

あるはず。

あたしは、彼を待った。

必ず・・・来る。

来なきゃ、おかしい。

夜明けの風が、

白い光をつれてくる。

薄墨色にもやがかかり、

小鳥達も枝を離れることもできず、

身体を夜露にふるわせている。

彼は来る。

こんな寂しい朝は

きっと、誰かのぬくもりがほしくなるに決まってる。

かたりと、音がすると、

扉が開いて

戸口に腰をかけた男が軍靴をぬぎはじめる。

あたしは、かけよりたくなる心をその手に

映す。

手をさしのべ、

彼を招く。

彼はあたしをだきよせ、

あたしをすする。

あたしは、せわしなげに

ズボンをはだける彼を待つ。

あっと、いうまに、

彼の女になってしまう場所に

繰り返される振幅。

膝の上に抱かれるような

形の接合は深みに届き

あたしは、

声を漏らす。

彼はあたしを見つめていた。

そして、

「ありがとう。皆をありがとう。そして、僕を・・・」

つぶやく声になりそうな、

「感謝している」

彼は・・・・。

最後にあたしをねじ伏せた男。

あたしは、

彼に打ち負かされる。

あたしは・・・。

彼を一番支配したかった。

でも、それは、同時に

あたしが

彼に支配される自分になること。

欲情というのは、限りないと思うけど、

手に入らないものほど、

ほしくなるし。

抑圧したものほど

激しいものになる。

でも、彼の抑圧からの

己の解放は

別離という起爆剤が

有ったからだった。

「朝には、ココをでるよ」

あたしとの最後を惜しみたくて

彼はここに来たという。

おしんでいるのは、何?

心残り?

なぜ、あれほどにストイックだった

貴方をこんなにかえさせた?

それは・・・。

最後の性ということ?

だから、

ココにこれずに置けなかった?

あたしを、

こんな目に・・・。

到達してゆく快感の深さにおぼれる

意識が彼との一体感になる。

あたしは、尋ねたかったことを

忘れ

いままでで、一番、密度の濃い

ひと時に沈んでゆく。


空に架かる橋。/その65

移送トラックが来るのは、今日の予定。

出発がコレに関係するのだろうか?

でも、撤退していったあたしの国の兵士達の

情報で、

ここが、占拠されたと推測されるだろう。

そうでなくとも、

本部と病院の直線上に、敵兵が待ち伏せるとかんがえるだろう。

どのみち、病院は両陣営の搾取の的。

吾国はプライドをかけて、

病院の奪回にかける。

いずれにしろ、病院はどちらかの陣営に利用される。


移送トラックが来るとしたら、

そのトラックの荷台には、兵士が潜むだろう。

その後ろから

追撃の軍隊が前進してゆく。

そこで、肉弾戦が始まる。

敵の後続部隊がながれこみ、

さらに吾国の攻撃陣が投入され

リックのいう大型兵器が照準を合わせ始める。

パールハーバーの時のように、

吾国を追い詰めてゆく。

大義名分さえ、できれば

それでいい。

敵の国は

リックたちを囮につかい、

病院内にいた兵士なのに、

発砲されたと、我侭な理屈を作る。

こういう図式のはずじゃなかったのだろうか?

なのに、出発?

ココを離れる?

彼は仮眠室を出ると、

直ぐに号令をかける。

「敵陣営は我々の存在を無視し、

後続部隊の出撃に照準を合わせる模様。

コレを援護にいく」

吾国は敵兵に大型兵器をもちださせる大義名分を

作らす事を避けた。

この病院と病院にいる患者をみすてることで、

敵のワナをぬけでた。

裏をかjかれた、

リックたちは

新たな行動に移る。

そういうことだろう。


空に架かる橋。/その66

あたしは事実を確かめるために

仮眠室をでた。

兵士達はやっぱり、

出撃に備えてあわただしく

身支度をしている。

でていくんだ・・・。

みんな、ココをでていくんだ。

あ?

あたしはどうなるわけ?

ここにいて、味方が負傷してくるのを待つわけ?

医者もいないこの場所で?

仮眠室を出て来たあたしを

兵士達はひどく

明るい笑顔で出迎えてくれる。

「やあ、とうとう、部隊長も陥落したね」

まるで、陣地とりのように、あたしの満足を

ほめるけど、

あたしは、そんな言葉がほしいわけじゃない。

「いっちゃうの?」

行った先になにがあるか。

30人近く居た連隊が

たった14人になり、

後方軍を突破する敵と闘う。

ここにいたって、

あたしの国からの援軍にはさまれるだけ。

せめて、自分の死に場所を

味方への援軍というかたちにするだけで、

やはり、

たどり着く所は空・・・の彼方。

死んじゃうだけじゃないか。

どっちみち、死んじゃうだけ・・。

あたしの瞳からぼろぼろと涙が落ちてくるのは、何故?

それをみつめて、

兵士は支度の手を休めて、いう。

(マドンナのおかげで、僕らは戦いに立ち向かえる勇気を

もらえたんだよ)

だから、泣かずに僕らをみおくっておくれ。

華やかに死んでゆけるのは、君のおかげだから・・・。

だから、泣かないで。

うなづくしかない。

どう、さからってみても、

結局はどう、死ぬかしか、

選択肢がないんだ。

僕らが再び死に挑んでゆけるのは

マドンナのおかげ。

僕らは笑って闘いにのぞむ。

悲しみは、君がぬぐってくれた。

ぼくらは、たった一つの

闘志に命を燃やせる。

あたしは・・・。

闘える気力をつくりあげただけ?

いつか、露木先生がいっていた。

「死なせるための治療をすることしかできないのかねえ」

あたしは?

あたしは?

本当は・・・・。

マドンナの仮面をかぶった

・・・・死神?・・・・


空に架かる橋。/エンド

みんな。自動小銃を担ぎ

玄関にむかってゆく。

なんで、あっけなく、

状況はかわってしまうんだろう?

さよならの言葉を

皆はのみこんで、

外にでてゆく。

朝もやがゆっくり光の中でゆれうごく。

もやの中に並んだ兵士は

玄関先にたちつくす

あたしに

敬礼をする。

並んだ兵士は

あたしの指揮をまつかのように、

じっと身じろぎひとつせず、

敬礼の姿勢を崩さずあたしをみつめつづけていた。

「さ・・さよなら・・」

いってらっしゃいという言葉で見送れない別れ。

あたしはくずれてゆきそうな身体を門柱でささえ、

兵士が敬礼をとき、前進して行くのをみまもっていた、

涙でかすむあたしの目の中で

ストップモーションのように

隊列を抜け出て、走りよってくる

リックがみえた。

リックはあたしの傍にかけよってくると、

あたしを抱きしめた。

あたしの目はリックが戻るべき仲間の表情を

追おうとする。

衝撃が鈍くあたしの額を打ち抜く。

隊列の中から自動小銃を構えた兵士が

みえた。

リックの唇があたしの唇を覆う。

あたしの悲痛な声が洩れないように、

皆を苦しめないように、

あたしが安らかに死んでゆけるように。

そうだよね・・・。

あたしは、マドンナ。

マドンナには敵も味方もない。

だけどさ・・。

あたしの役目はもう、マドンナでしかない。

だから・・。

貴方達はあたしをうちぬいたんだよね。

これから、ここにやってくるだろう貴方達の敵にとっても、

あたしはマドンナになるしかないだろう・・・。

死ぬ事を懼れない兵士を

作り上げてしまうあたしは、

貴方達にとって、

一番怖い存在・・だ・・よ・・ね。

貴方たちの選択は

まち・・がっ・・ちゃ・・い・・な・・・い。

                                   ー終ー


空に架かる橋/ラスト


佐々木先生のメモ。


死は怖いものじゃない。

本当に怖いものは

「思い」を残す事だ。

私は今までこの職務において、

思いを残してきていた。

誰かの命を救う。

誰かの身体を回復させる。

生きて行くための身体の術を支えなおす事が

役に立つ事だと考えていた。

だが、それがうまくいかない。

私の中で無念が降り積もっていた。

だが、

今、命が当たり前のように消滅され、

ホルマリン浴槽には

命無き物体が浮かぶ。

人はいつか死ぬ。

命はいつか途切れる。

ならば、いきていた意味はどこにいく。

思いを残さない生き方をするしかない。

身体の治療は、この世に生きていくための

延命法でしかない。

本当にいきぬくということは、

本当に死ぬという事は、

思いを残さない事だろう。


佐々木先生はこのメモを書いた後、

一切の治療から手を引いた。

いくら身体をなおしてみても、

思いがうかばれないと

身体はまるで、

命無き物体のようだった。

むしろ、死に至った人間でありながら、

思いがうかばれていると、

生き抜いた充実に心が安らがされた。

思いをうかばす。

あたしは、

その役にたったのだろう。

そして、

あの空で皆が帰ってくるのを待っているんだ。

あたしがまってるから・・・。

皆、怖くないよ。

そう、あたしは、

空に架かる橋。

あたしが・・・・

空に架かる橋。

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「空に架かる橋」 @HAKUJYA

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