第58話  幸せの温度

 抱きしめ合っていた腕をそっとほどく。

「想子さん。手」 

 僕が、そう言って手を差し出すと、

「ん」

 想子さんが、グーにした手を僕の手のひらに、ひょい、とのせる。

「ちょっと、『お手』とちゃうで。ワンコじゃあるまいし」 思わず笑ってしまう。

「でも、手、って言うから。つい」

 笑う想子さんの、グーの手をそっと開いて、僕の手で握り直す。

「手、つないで歩こ?」

「うん」

 想子さんが少し、照れくさそうにうなずく。

 

 こんな風に手をつないで歩くのは、大きくなってからは初めてかもしれない。以前、雨の日に、傘の下で、肩を抱えて歩いたことはあったけど。

 大学構内を手をつないで歩く。横目で見ると、掲示板の前の人だかりは、少しばらけ始めていた。


「なんか、めっちゃ嬉しいな。嬉しすぎて夢みたいや」 僕は想子さんに言う。

「ほっぺ、つねったろか?」 想子さんがいたずらっぽく笑う。彼女ならやりかねない。

 僕は、先制攻撃をかけようと、想子さんの柔らかいほっぺを、空いてる方の手でむにゅっとつまむ。でも、それよりわずかに早く、想子さんの空いている手が、僕の頬をむぎゅっとつまんでいた。

「いででで。……ほんまにつねらんでも」

「ごめん。嬉しくてつい力が入ってしもたわ」

「想子さんてば」

 笑いながら、立ち止まって向かい合う。

「夢じゃないよ。ダイ」 想子さんが、真っ直ぐに僕を見ている。

「うん」

「第一歩やね。ダイの目標の」

「うん」

 

 僕が嬉しいのは、合格だけじゃない。

 想子さんの体温が、つないだ手のひらと指先から、僕に伝わってくる。幸せな温もり。ふと思う。

 ――――幸せの温度は、36度2分なんや。(想子さんと僕の平熱だ)

 僕は、一生、今日のこの温もりを忘れない。この先、もっと幸せな瞬間を経験しても、きっと忘れない。

 そう思って、つないだ手を強くにぎり直した、そのときだ。

「ダイ?」「想子ちゃん?」

 僕らを呼ぶ声がした。


 振り向いた僕らの目の前に立っていたのは、両親だった。

「え? どうして?」 僕は、目を見開いた。

「家におったんちゃうん? さっき電話したとき」

 僕の手の中から、するりと想子さんの手が離れていく。引き留める暇もなく。


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