ひとの気も知らないで

原田楓香

第1話  ふたりはいつも 


「これ、誰!? 誰がやったん!」


庭先で、激怒している想子そうこさんの声がする。

 僕は、そっとカーテンを開けて、2階の部屋から庭を見下ろす。

「ふん!ふん!」

 想子さんが叫ぶ。

 鼻歌を歌ってるわけではない。

 どうやら、いつも近所を徘徊しているネコが、うちの庭先に、また「落とし物」をして行ったらしい。

 ぎゃあ。むかつく!ぎゃあ。やだ!

トイレットペーパーで、「落とし物」を必死で掴みながら、想子さんは、わめく。ごめんやけど、僕は、聞こえないふりをする。つい2日前、僕も始末したばかりだ。

今回は、よろしく、だ。


 しばらくして、始末を終えて、想子さんは家の中に入ってきた。

 洗面所で手を洗い終えたらしい、想子さんの足音が、階段を駆け上がってくる。行き先は、わかっている。僕の部屋だ。

「ちょっと!ダイ、聞こえへんふりしてたやろ?」

 飛び込んできた想子さんに、反射的に答える。

「いや、ヘッドフォンで音楽聞いてたから、何も聞こえへんかった」

「どこにあるん?ヘッドフォン」

 しまった。ヘッドフォンは、想子さんの部屋だ。今朝、貸したままだった。

 でも、想子さんは、深追いせずに続ける。

「もう。ひどいねんで。ころっとしたやつならまだマシやのに、妙にゆるいやつで。めっっちゃ、とりにくかってん」

 め、のところに、ものすごく力が入っている。

「たいへんやったね」

「そやねん! もう、あのネコ、許されへん! 今週これで2回目やん。今度来たら、ホースで思いっきり水かけたる!」

「そんなんしたら、祟られるで~」

「大丈夫! 私の怒りの方がずーっと強いから。そんなもん、もし、祟られたら祟り返したるわ!」

 想子さんは、こぶしを握り締める。

「ひえ……」

「それに、まだ、化け猫ちゃうし。あのこは、よう祟らへんわ」

 さっき、『誰がやったん?』と叫んでいたけれど、どうやら、想子さんにも、犯人(猫)の目星はついているらしい。

「まあ、……なんかネコよけの薬でもさがしてこよか」

 僕は、提案する。

「頼むわ」


 想子さんは、僕の6つ違いの姉だ。両親は、僕ら二人を日本に残して、今はイギリスに滞在中だ。もう1年ほどになる。

 取材だとか言ってるけれど、結構のんびり過ごしているらしい。彼らの書いているエッセイを読むと、美味しい店や、素敵な店を巡ったり、呑気にお散歩している姿が目に浮かぶ。

「あんたらも行く?」

 両親は、発つ前に僕らに聞いたけど、

「日本語通じへんとこいやや」と僕は断り、

「本屋さん行かれへんのいやや」と想子さんは断った。

「イギリスにも本屋さんぐらいあるよ」

 父さんは言ったけど、

「私のお気に入りの本屋さんはイギリスには、ない」

 想子さんは言った。

 それで、両親は、僕たちを置いて、2人でイギリスに旅立った。


 で。

 僕らは、現在、2人暮らしだ。家事全般は、2人で手分けしてやっている。

 そうじやアイロンがけは、僕の方がうまい。想子さんは、そうじもアイロンがけも、苦手だ。そのかわり、料理は手早くて、結構おいしい。

 それぞれの得意分野を生かしつつ、お互いの協力体制は上手くいっていると思う。


「ねえ、ちょっとこれ、これ聴いて」

 自分の部屋から出てきた想子さんが、僕にヘッドフォンを差し出してくる。右手には、CD プレイヤーがある。

「うんうん」

「これな、なにわ男子のEmeraldっていう曲やねんけど、めっちゃいいねん。特に、2番の歌詞が、すっごくよくて、丈くんのソロのところとか、すごい心のこもった声と歌いかたで、めっちゃ素敵やねん。聴いて!」

 僕は、ヘッドフォンを受け取って聴く。確かに、すごくいい。

 心に響いてくる歌声で、心をこめて聴いていると、泣いてしまいそうだ。

「すごくいいね。そのうち、音楽の教科書に載ったりして。卒業式とかにも歌われてそうやな」

「せやろ。ほんまに、ええ曲やよねえ」

 僕の賛同を得て、納得顔の想子さんは、また自分の部屋に戻っていく。


 想子さんには、好きな人や好きなものがいっぱいある。そして、それを、僕に言わずにはいられない。さらには、僕の賛同を得ないではいられない。


(ダイ!これ聴いて。これ見て。これ読んで。)

 想子さんはいつも何かに夢中だ。そして、その夢中な何かを一生懸命、僕に語る。

 とても幸せそうだ。


「あんたがめっちゃ好きなんは、何?それか、誰?」

「う~ん。そやなあ。特に、今はないかなあ」

 僕は、いつもゆる~く答える。


 でも、心の中には、別の答えがちゃんとある。それも、もうずっと前から。

 でも、ほんとのことは、絶対、彼女には言えないし、言わない。

 だから、想子さんは、のんきに言う。

「あんたは、クールやねえ」

(ひとの気も知らないで。)

 僕は、心の中で、いつもつぶやく。

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