第8話 第二書庫

 兄に追いつかれる前に逃げ込んだ書庫で、ユリアーネは息を止めて固まった……。 

 つい今までの癖でこの場所に逃げ込んでしまったが、ここは今先客がいることを忘れていた。

「……あ、ノックもせずに申し訳ありません……。私をペット代わりにして遊ぼうとする兄から逃げておりまして……」

 つい言い訳がましく、しどろもどろの説明になってしまう。


 まさかの鉢合わせに、『下世話だな』というフォルカーの声がユリアーネの頭に響く……。その声に動揺するあまり仰け反ってしまい、ユリアーネは扉に後頭部を打ち付けた。

 そんなユリアーネを見たエリアスは、フォルカーのおもちゃにされていることに同情した。


「……いや、ここは君の家だし、気にしないで。フォルカーに捕まると面倒だから、暫くは隠れていた方がいいんじゃない?」

 フォルカーの外面に騙されずに自分に味方してくれる人に会うなんて、家族以外は初めてついだ。ユリアーネの口も、つい軽くなる。


「助かります! 兄様は私を犬か猫と勘違いしているので、捕まると心折れるまで精神的にやり込められて辛いんです」

 ユリアーネの心底苦い顔を見たエリアスは、思わず笑ってしまったが、さすがに不謹慎だとハッとして笑顔を引っ込めた。

 だがユリアーネはその笑顔に気づく様子もなく、異様な速さで書庫内の本を選んでいる。その無駄のない動きに、エリアスは見入っていた。


「もしかして、ここにある本の全てを把握しているの?」

 今まで挨拶以外の言葉を交わしていないエリアスに話しかけられ、ユリアーネはビクリと身体が揺れた。まさか声をかけられるとは、思いもしなかった。

 エリアスからは驚いたような、感心したような視線を向けられていて、何だか不思議な気持ちだ。


(私のことを物凄く拒絶しているのだと思ってたけど……)


「ここにあるのは全て私が選んだ本で、内容で分類分けしてあります。もしお探しの本があれば、言ってくだされば取ってきますよ?」

「えっ? ここにある本を全部読んだの?」

「……? 本は読むための物ですから……」


 ここはコーイング家の第二書庫だ。書庫と言っても屋敷からは独立しており、知らない人から見れば別邸にしか見えない。一階も二階もワンフロアとなった場所にびっしり本棚が置かれていて、もはや図書館と言って差し支えないレベルだ。いや、王立図書館より高度な品揃えだし、貿易商の家らしく外国の本で溢れている。


 それだけの量と質がある本を全て読んだと言うユリアーネにエリアスは驚いた。

 本の内容が十歳児にはとてもとても難しく読めないレベルだとか、これだけ大量の本を人は一生かけても読めないなんて常識はユリアーネには通用しない。

 ユリアーネにとって本は読むための物だ。ましてや自分が取り寄せた本を読まないなんてあり得ない。


 エリアスからは特に注文がないので、ユリアーネは持ってきた本をバランスよく積み上げた。

「えっ? 待って! その前が全く見えない状態で屋敷まで歩いて行く気?」

 ユリアーネは抱えた本の横からぴょこんと顔を出して、「そうですよ?」と事も無げに答えた。


 この第二書庫はユリアーネの第二の私室でもある。実際三カ月前までは、毎日ここで本を読んで勉強をしていた。

 だが、コーイング家に来たエリアスは、まず最初にこの場所を気に入って、そのまま居付いてしまった。

 結果としてユリアーネの居場所は無くなり、本を抱えて自室に持っていく日々を送っている。


「ここがユリアーネの書庫だとは思わず、居心地が良いから長居してしまった。僕が別の場所に移動するから、ユリアーネはこのまま残って」

「えっ? この場所を気に入ってくれたのですか?」


 瞳を目一杯見開いて驚きを露わにしたユリアーネに、エリアスも驚いていた。

「あ、ああ。珍しい本が多いだけでなく、派手過ぎず落ち着いた家具や座り心地の良い椅子は趣味がよくて居心地がいいと思う」


 積み上げた本を机の上に置いたユリアーネは、すました仮面を取り去り、珍しく子供らしく嬉しそうに笑った。

「そうなんですよ! いつまでも座っていられる座り心地最高な椅子を置いています。シュスター様の言う通り、とっても居心地の良い場所なのです! それなのに、兄様ときたら『こんな陰気な場所にいると気が滅入る』と文句ばかり言うのです! 私と同じ気持ちの人がいてくれて嬉しいです」


 捻くれていると言えば聞こえがいいのかもしれないが、他人であるエリアスから見てもフォルカーのユリアーネへの言動は大人げない。


「……そうだね、フォルカーの意見は参考にしなくて良いと思うよ」

「せっかく居心地がいいのだから、シュスター様はこのまま書庫を使って下さいね!」


 上機嫌のユリアーネからは、いつものピリピリとした雰囲気が消え去っていた。十歳の女の子らしい表情をしていて、ついエリアスの気も緩んだ。

「ユリアーネが嫌でなければ、このまま一緒に読書を楽しめばいいのでは?」


 エリアスの申し出はありがたいが、今までの二人の関係を考えると素直に受け入れていいものか悩んでしまう。

 三カ月もの間、毎日顔を合わせて挨拶以外したことがないのだから……。


「……シュスター様は、私がいたら嫌ですよね?」

「……誤解させる態度だったと思うけど、嫌じゃないよ?」

 恐る恐るのユリアーネの問いに、エリアスも申し訳なさそうに答えた。


 家族以外の人には嫌われてばかりだったから、エリアスの言葉は意外だ。

 どうやって話しかければいいのか分からなかったのに、意外にも普通に話せていることもユリアーネは嬉しい。


「てっきり嫌われているのだと思いました。違うと分かってホッとしました……」

「……嫌な思いをさせて、ごめんね。その……色々あって、前にも増して人と話すのが怖かったんだ。ユリアーネと話すのは全然大丈夫で俺もホッとした」

 そう言ったエリアスの表情も、いつもと違ってにこやかだ。

 

 「何があったんですか?」という言葉が、出かかった。でも、フォルカーの「下世話だな」という声が、ユリアーネに警鐘を鳴らす。


 ユリアーネにだって、人に知られたくない、人に聞かれたくない大きな秘密がある。だからなのか、エリアスもきっと同じなのだと分かる。




 それから二人は一緒に書庫で過ごすようになったが、だからといって話す言葉が格段に増えたりはしない。いつも通り挨拶を交わし、お互いの場所で本を読んでいる。

 そんな何も変わらないように見える二人だが、以前のお互いが何者か牽制し合う感じは消え、同じ空間を共有する仲間意識が芽生えているように感じていた。




◆◆◆◆◆◆


読んでいただき、ありがとうございました。


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