第3話 大事な大事な人となり

 浦島うらしまさんが男性をともなって来店されたのは、その翌々週の土曜日だった。その男性は中肉中背ではあったが頬がふっくらとしていて、とても人の良さそうな印象を佳鳴かなるは受けた。


 だが佳鳴は自分の目を信じていない。ちらりと千隼ちはやを見るとお客さまをお迎えしたままの笑顔で、どう思っているかは判らなかった。


 浦島さんと男性は並んでカウンタに掛ける。男性は千隼がお出しした温かいおしぼりで手を拭きながら、にこにことご機嫌そうなお顔で店内を見渡した。


「ここが浦島さんがご贔屓にしてはるお店ですかぁ。ええ雰囲気ですねぇー」


 のんびりとした口調でそう言われ、佳鳴は「ありがとうございます」と笑顔を浮かべた。


「店長さんハヤさん、こちら柏木かしわぎさんです。マッチングアプリで知り合うて何度かお会いしてるんですよ」


「初めまして。柏木です」


 浦島さんのご紹介に、柏木さんは笑顔のまま小さく頭を下げる。佳鳴と千隼も深く腰を折った。


「初めまして。「煮物屋さん」の店長の扇木です」


「店長の弟で千隼です。皆さんハヤさんと呼んでくれはります」


「じゃあ僕もそう呼ばせてもらいますね。よろしくお願いします。ここの料理が凄い美味しいと浦島さんからお聞きしとって。僕食べることが大好きなんで楽しみです」


 第一印象のまま、柏木さんは柔らかな雰囲気を醸し出されている。本当に食べることがお好きだと思わせる空気感だった。佳鳴はほろりと笑みを浮かべながら口を開く。


「お口に合うとええんですけども。ご注文はどうしはります? 柏木さん、このお店のご注文方法は浦島さんからお聞きになってはります?」


「はい。僕は定食でお願いします。実は下戸げこでして。あ、飲み物はウーロン茶をください」


「かしこまりました。浦島さんはどうされます?」


「私はお酒で。ジム・ビームのジンジャー割りをお願いします」


「かしこまりました。お待ちくださいませ」


 佳鳴がタンブラーを出してジム・ビームのジンジャーエール割りとウーロン茶を作り、千隼がご飯とお味噌汁の用意をする。


 それらを浦島さんと柏木さんにご提供し、続けて料理を整える。


 今日のメインは鶏もも肉と新じゃがいもの旨煮。彩りはたっぷりのうすいえんどうである。


 ころころと可愛らしい小振りの新じゃがいもは、柔らかな皮ごと使う。表面をスポンジで良く洗って半分に切ったものを、皮目を焼き付けた鶏もも肉とことこと煮込んで行く。煮汁はお出汁ベースの、日本酒やお醤油などの定番のものだ。


 うすいえんどうは和歌山県の特産品とされているのだが、そのルーツは明治時代にアメリカから大阪の羽曳野市にある碓氷地区に入って来た、剥き身用のえんどうなのだそうだ。


 関西のご家庭で良く食べられる春の味覚である。豆ごはんや卵とじなどは絶品だ。塩茹でするだけでも美味しい。グリンピースとは違う甘みと旨味がぱんぱんに詰まっている。


 そんなうすいえんどうと新じゃがいもを合わせた今日の煮物は、シンプルながらも春にしか味わえないご馳走なのだ。


 小鉢、まずはからし菜のごま和えだ。さっと茹でてざく切りにしたからし菜を調味液とたっぷりのすり白ごまでごま和えにした。白ごまの甘さと香ばしさの中に、からし菜のぴりっとしたほのかな刺激が感じられる一品である。


 もう一皿はきのこのポン酢炒めである。椎茸しいたけ舞茸まいたけとしめじをオリーブオイルと少量の塩で炒め、ポン酢でさっぱりと仕上げている。火を通すので酸味はかなり和らぐのだ。


 それらを柏木さんにお出しすると、柏木さんは「わぁー」と目を輝かせた。柏木さんにはご飯とお味噌汁も添える。今日のお味噌汁はお揚げとお豆腐である。


「こういう家庭料理は久しぶりです。嬉しいなぁー。僕はひとり暮らしなんですけど残業が多くて、自炊にまで手が回らへんのですよ。でも外で家庭料理とか惣菜とか食べようと思うとやっぱりお酒のお店になるんで、飲めへんから行きにくくて。スーパーで惣菜を買ったりもするんですけど飽きてきちゃうんですよねぇー。味付けも濃いめですし」


「確かにそうですねぇ。お惣菜はどうしても保存性の問題で少し味が濃くなりがちでしょうからね。定食屋さんやと小鉢はあるんでしょうけど、メインは揚げ物やお魚だったりしますものね。お野菜は少なめでバランスは悪くなりがちでしょうか。お好きなお惣菜を取る様なお店はこのあたりには無いですしね」


 いわゆる「○○食堂」と、その地域の名を冠した食堂は豊中市にもあるのだが、場所が大阪国際空港の中なのである。晩ごはんのためだけに空港まで行くのはなんとも効率が良く無い。


 大阪国際空港は豊中市の蛍池と、隣接している兵庫県伊丹市とまたがって建てられていて、伊丹空港とも呼ばれている。一応公の住所表記は豊中市蛍池だ。


 ちなみに大阪「国際」空港だが、現在運行しているのは国内線のみである。国際線は泉佐野市にある関西国際空港に全て移されている。


「そうなんですよねぇー。そういうお店がもっとあってええと思うんですけど。さっそくいただいてもええですか?」


「ええ、もちろんです。どうぞ」


 柏木さんは「いただきます」と丁寧に手を合わせ、お箸を持つ。行儀の良い男性だ。佳鳴は感心してしまう。


 柏木さんはお茶碗を持つと、ほかほかと湯気を上げる白米をはふはふと頬張る。満足げに顔を綻ばすとお箸はそのまま旨煮に伸びる。新じゃがいもをお口に運んだ。


「ほくほくですねぇー。皮もやらかい。でも出汁をしっかり含んでるからかしっとりもしてるんですね。凄く優しい味わいてほっとします」


「ありがとうございます」


 千隼がにっこりと言うと柏木さんは嬉しそうに頬を緩ませた。ごま和えとポン酢炒めも口にして「美味しいなぁー。身体に沁み渡る感じがします」と口角を上げる。


「本当に浦島さんが言った通りですねぇ。ここはええお店ですねぇー」


 柏木さんがほっこりと言うと、浦島さんは「そうでしょう?」と破顔した。


「柏木さんにそう言ってもらえて嬉しいです。私もひとり暮らしやし自炊がままならんこともあるしで、ここにはちょくちょくお邪魔しとって。今の私の身体はここの美味しいご飯でできてるって言っても過言やありません」


「確かにまたすぐに来たくなるお店ですよねぇー。ここやったら子ども連れでも安心して来られそうですね」


「そうなんですよ。私は職業柄もあって、すぐにそういうこと考えてまう癖があって」


「保育士さんですもんね。ほんまに子どもが好きや無いとできひん仕事ですよねぇー」


「人さまのお子さんを預かるんですから責任も大きいです。でも毎日可愛い子どもたちに囲まれてるんはほんまに幸せなんです」


「浦島さんの天職なんですねぇー」


「そうやと嬉しいんですけど」


「僕も子どもは大好きですけど、浦島さんには負けるなぁって思います。甥っ子がおってほんまに可愛いんですけど、やっぱり親や無いですからできることにも限度があって。姉の子どもなんですけど、躾とかそういうんは姉や義兄に沿わなあきませんから」


「子どもの個性は皆ちゃいますから、その子に合うた育て方をしたいでしょうしね」


 浦島さんと柏木さんは自然と子どもの話になる。浦島さんはもちろん柏木さんも相当な子ども好きなのだろう。それは浦島さんが望んでおられることなのでそれは良いのだが。


 問題は柏木さんの人となりである。以前浦島さんはおっしゃっていた。児童のお母さまに関わることも多いので、たまに登園時や帰宅時の井戸端会議に混じって愚痴ぐちを聞くこともあるのだそうだ。


「私も働いてるのに、夫は家事も育児も何もせぇへんのよね〜」


 そういうお相手なら、ご結婚後浦島さんは苦労をされるだろう。浦島さんがご結婚後もお仕事を続けようとされているかどうかは分からないが、どちらにしても旦那さまになる方が非協力的なら、それは浦島さんが望まれている「ええパパ」では無い。


 子どもはただ可愛がるだけでは駄目なのだ。悪いことをすれば叱り、教え、躾もしてやらなければならない。


 例えそれで子どもを泣かせてしまうことになっても、親ならば、親だからこそ辛い思いも必要なのだ。親はそうして子どもを抱き締めてやるのである。


 浦島さんと和やかにお話をされる柏木さんは良い人そうに見える。しかし佳鳴は自分の目を信用していないし、何より外で良い人が内でも良いとは限らないのだ。


 何とも難しい。佳鳴はつい唸りそうになってしまう。


「姉ちゃん、顔がおかしい」


 千隼にぼそりと言われ、佳鳴ははっと慌てる。


「え、私変な顔しとった?」


 小声で言うと千隼は呆れた様に「おう」と応える。


「変に構えすぎやっちゅうの。第一印象でええって浦島さんも言ってただろ。見極めてくれって言うてもそれぐらいしかできひんねんから。こんな短時間やし」


「そ、そっか、そうやんね。私自分に見る目が無いもんやから」


「大丈夫や。それに最終的には浦島さんが決めることなんやから」


「うん」


 佳鳴は落ち着いてあらためて柏木さんを拝見してみる。柏木さんは穏やかな表情で浦島さんと会話を楽しんでおられる様だった。


 こうして普通に見ている限り、はやり柏木さんは良い人そうに思えた。佳鳴はその思ったままを浦島さんにお伝えしようと思う。それに千隼も見ているのだ。また佳鳴とは違う意見があるかも知れない。


 浦島さんと柏木さんは、柏木さんのスマートフォンに入っている甥っ子さんの写真を見ながら盛り上がっていた。




「お家までお送りしますね」


 浦島さんと柏木さんが退店されてから十数分後、浦島さんがまた顔を覗かせた。


「アパートまで送ってもろうてそのまま、柏木さんの後をつけながら戻って来ました。早く店長さんとハヤさんの印象が聞きたくて」


「お帰りなさい」


 佳鳴と千隼はくすりと笑って浦島さんを迎える。


「どうぞお掛けください。お飲み物飲まれますか?」


「そうですね。またジム・ビームのジンジャー割りお願いします」


「はい。お待ちください」


 お飲み物を作ってご提供すると、浦島さんはごくりと喉をうるおして「はぁ〜」と息を吐いた。


「ちょっと緊張しました〜。あの、どうでした? 柏木さんの印象」


 浦島さんは恐る恐るといった様子で聞いてくる。不安を感じておられるのだろう。だが浦島さんが求めておられるのは、慰めや表面上の言葉では無い。佳鳴は思ったままを口にした。


「私にはとてもええ方そうに見えたんですが、何せ見る目の無さに自身があって」


 最後は苦笑になってしまう。そんな佳鳴に千隼は「はは」と笑う。


「僕にも良さそうな方に見えましたよ。僕もそう人を見る目っちゅうもんがあるわけや無いんですけど、子ども好きって言うんはほんまでしょうし、甥っ子さんの話をしてはる時には「自分のお子さんが欲しいんかな」って感じがしましたしね」


「そ、そうですか」


 浦島さんはほっと安堵した様に表情を和らげた。やっと緊張が解けた様だ。


「おふたりにそう言ってもらえて良かったです〜。なら安心ですね。まだお付き合いをしているわけや無いんですけど、そうなってもならへんでも、自分自身でも柏木さんを拝見して行こうと思います」


「はい。それがええですね」


 佳鳴が微笑んで言うと、浦島さんはにっこりと笑った。結局決めるのはご自身なのだ。間違えてしまうこともあるかも知れない。だが自分で決断するからこそ意味がある。


 とは言え、やはり柏木さんが感じた通りの良い方であるなら、それに越したことは無いと佳鳴は思っている。なにせ浦島さんが見極めをお願いされる程に、心を寄せようとされている方なのだから。

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