第3話 ピンクとブラック

「ただいま〜」


 聡美さとみの挙式が終わり、佳鳴かなるが家に帰り着いた時にはすでに午後に差し掛かっていた。


 ご祝儀は奈江なえに預けて来たので、披露宴の受け付けの時に渡してもらえるだろう。


 結婚式欠席の場合、ご祝儀の額は出席する際の2分の1から3分の1とされている様だ。


 佳鳴の場合は挙式には出席しているが、披露宴は欠席である。お料理もいただかないし、引き出物もいただかない。なので減額でも問題は無いのだろうが、佳鳴はせっかくのお祝い事なのだからと、出席する相場の3万円を包んだ。


 新婚さんなのだから、やれ新居や、やれ家具や食器やと、これからいろいろと物入りだろう。少しでも足しにしてもらえればと思っている。


「お帰り。昼飯食うやろ?」


「うん、ありがとう。着替えて来るわ」


 リビングで新聞を広げていた千隼ちはやに応え、佳鳴は部屋に入って普段着に着替える。そのまま店に入るので動きやすいものだ。


 脱いだワンピースなどは丁寧にハンガーに掛けた。アクセサリーも外した後は、無くしてしまわない様にとっととジュエリーケースに入れる。


 いつも佳鳴は薄化粧なのだが、今日はポイントメイクを少し濃いめにほどこしていた。普段はブラウンのアイシャドウが今はラメの入ったピンクだったし、普段しないアイラインも上だけだが引いていた。それが普段着とはアンバランスに感じたので、食事の前に一旦取ってしまおう。


 佳鳴は洗面所に入り、クレンジングジェルでお化粧を落とす。洗顔の必要が無いタイプを使っている。化粧水と乳液で肌を整え、さっぱりしたところで昼食だ。ダイニングへと向かう。


「あれ、化粧取ったんや。せっかく綺麗にしとったのに」


 キッチンに立つ千隼が軽く目を丸くする。


「あはは。この格好には浮くし、それにあんまり濃いお化粧でお客さまの前に立つのもねぇ」


「それもそうやな。はい、昼飯お待たせ」


「ありがとう。今日も美味しそうや」


 千隼が作ってくれたお昼ごはんはチャーハンだった。卵とハム、たっぷりの青ねぎと言うシンプルな具材で炒めた、千隼定番の一品だ。それにお揚げとわかめ、お麩のお味噌汁が添えてある。


 カウンタに置かれたそれを佳鳴がダイニングテーブルに移し、最後に麦茶のグラスが出された。


「いただきます」


「はい、いただきます」


 さっそくお味噌汁をすする。お出汁の素を使っているのだが、箱にある分量よりも多く入れるのがこの家流なので、お出汁の味がしっかりと感じられる。ほっとする味だ。


 チャーハンにれんげを入れると、ぱらぱらに炒まったそれはほろりと崩れる。はふはふと口に入れると、日本酒を使った事で生まれる甘みを感じ、ほわっとお醤油とごま油が香った。調味にはお塩とこしょう、うま味調味料も使われている。


「あ〜安定の味。今日もぱらぱらで美味しいわ」


「サンキュ。うん、我ながらようできてる」


 千隼もチャーハンをがっつく。


「どうやった? 結婚式は」


「うん、聡美綺麗やったよ〜。旦那さんになる人も、第一印象は優しそうに見えたんやけどなぁ。ふくよかな感じで」


「あー、確かにちょっと太ってる人ってええ人そうに見えるよな。けど姉ちゃんの友だちが嘘言う訳や無いやろうし」


「やんねぇ。でも今日の聡美は幸せそうに輝いてたで。幸せになって欲しいなぁ」


「そうやな」


 姉弟はそんな話をしながら、お食事を進めて行った。




 それから数日が経った土曜日、また「煮物屋さん」の営業は始まる。開店と同時にぽつぽつと席が埋まり始め、半分以上が埋まった19時ごろ。


「こんばんは」


 そう言って顔を覗かせたのはご常連では無く、だが良く知っている顔だった。


「あれ、聡美。いらっしゃい」


 横で千隼も「いらっしゃいませ」と小さく頭を下げる。聡美は笑顔を浮かべると、店内に入って来る。


 そんな聡美に続いて姿を現したのは、聡美と結婚式を挙げた新郎、聡美の旦那さまだった。


「なんやここは。飲み屋か?」


 旦那さまは怪訝な顔で言いながら聡美に付いて来る。真ん中あたりに空いていた席に並んで掛けると、佳鳴が出した温かいおしぼりを受け取った。旦那さまは不機嫌そうである。まるで佳鳴からおしぼりを奪い取る様な仕草を見せた。佳鳴は驚いて少しばかり面食らう。


「ありがとう。あ、隆史たかしさん、この子、私の大学時代の友だちの扇木おうぎ佳鳴さん」


 紹介され、佳鳴は冷静さを保たねばと気を取り直し、ぺこりと頭を下げる。


「聡美さんの友人の扇木佳鳴です。初めまして」


「聡美の夫の畑中はたなか隆史です。愚妻がお世話になってます」


 まさかの愚妻と来たか。昨今なかなか聞かない言葉だ。大昔の男尊女卑ドラマじゃあるまいし。なるほど、やはり見た目の印象だけではあてにならないものだなと、佳鳴はしみじみ思う。


 しかしこうして近くで見てみると感じる。挙式の時は遠かったので判りづらかったのだが、細い目の奥には冷たい雰囲気があった。口元も今はへの字に引き結ばれている。


 挙式の時はああ言う場だったので、漂うめでたい空気が良く見せていたのかも知れない。


「佳鳴、お料理はちょっと待って。とりあえず瓶ビールちょうだい。一番搾りの方な」


 聡美が言うと、旦那さん、畑中さんは「おい」と顔をしかめて聡美をとがめた。


「結婚した女が外で酒を飲むやなんてみっともない。それに俺は、一緒に来たらいまだに仕事を辞めへん理由を聞かせるて言うから来てやったんや。さっさと話せ」


 そう言い切る畑中さん。いらいらされいるのが表情からも判る。佳鳴は内心「うわぁ」と思い、つい千隼と目を合わせてしまう。千隼も驚いた様に目を見開いていた。


 少しの間、黙って下を向いていた聡美。グラスを出すと両手で受け取り、佳鳴が注いだそれを唇を湿らす様に口に含んだ。そして顔を上げると、「ふぅっ」と短く、だが勢い良く息を吐いた。


「私がこのお店を選んだ理由はふたつ。まずは、家やとお義父とうさんがいちいち口出しして来てうるさいから。もうひとつは佳鳴に立ち会って欲しかったから」


「おいお前、うるさいってなんや」


 お父さまをおとしめられたからか、畑中さんが声に怒気を含ませる。


 しかし「家でお義父さんがうるさい」とはどういうことか。もしかして同居なのだろうか。結婚式の前にここに来てくれた時、聡美はそんなこと一言も言って無かったが。


 それまで生活を別にしていたお相手と暮らし始めるだけでもきっと大変だ。生活習慣や価値観のすり合わせが必要になる。そこにお相手のご両親が加わるとなると、その大変さは増す。花嫁の、この場合は聡美の心配の種にならないはずが無いと思う。なのに佳鳴に言わなかったということは、つまり。


「私、騙された気分やったわ。結婚前に新居どうするって話した時、あなた、それは式を挙げてからなって言うたよね。なのに式が終わって二次会まで終わって、帰るぞって言って、私の返事もろくに聞かへんままあなたの家に連れて行かれて、そのまま生活が始まったやんね」


 ああ、やはり。それは聡美にとってきっと最悪なことだっただろう。ただでさえお相手に違和感を抱いていたのだから。同居どうこうでは無い。騙し討ちをされたことが、だ。


 だがそれを思うと、畑中さんは結婚前から同居の話を出すと、反対されるかも知れないと感じていたことにならないだろうか。お嫁さんとご両親の関係性にもよるだろうが、進んで義両親と同居をしたいお嫁さんが多く無いことを、一般常識としてご存知だったのかも知れない。


「結婚したんやから同居は当たり前やろ。お前には両親の世話、将来は介護もさせるんやから」


 聡美に対する口調がいちいち命令形の上から目線で、話を聞くほどに佳鳴は引いて行く。聡美に話を聞いた時は時代錯誤だと思ったが、ここまで酷いとは思わなかった。時代どうこう言うつもりは無いが、あまりにも聡美に対する思いやりに欠けている。


「私は旦那さんには尽くしたいと思うで。でもそれはね、私のことをちゃんと尊重してくれる人やったら、の話や。あなたはそうや無いやんか」


 聡美は言って、佳鳴に顔を向けた。


「佳鳴、式の前に話を聞いてくれた時に、尊重し合えないと続かへんて言ってくれたやんね。それ、ほんまにそうやと思った。特にこの人の家でお義父さんとお義母かあさんとこの人と暮らす様になって、たった1週間も経たへんうちにつくづくそうやなって思ったわ」


 そして「ほんまにありがとう」、と続けた。


「尊重? それは嫁にするもんや無いやろうが」


 畑中さんが呆れた様な、馬鹿にした様な調子で言う。それを聡美は鼻で笑い飛ばした。


「お義父さんもそうやもんね。女から産まれて女に育ててもらって、今も誰かに世話をしてもらわなまともな生活もできひん様なあなたたちが、女をそんな扱いするんやから、ほんまにもう付き合ってられへんわ」


「お前……!」


 辛辣な言葉を投げ付けられた畑中さんの顔が怒りに染まる。聡美がそんな畑中さんを見る目は冷ややかだった。


「尽くすタイプの女が、ただ男性の、夫の言いなりになるやなんて思わんといて」


 聡美ははっきりと言い切ると、カウンタの下の棚に収めていたネイビーのトートバッグを引き出し、そこから茶封筒を出して、折り畳まれた白い用紙を抜き出した。


 それをがさがさと音をさせながら開くと、畑中さんの眼前に突き付けて言い放った。


「私と別れてください」


 それには畑中さんも予想外だった様で、大きく目をいて、その用紙を凝視した。

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