第3話 あの人ができたこと

 まだ寒さは続くが、そろそろ梅が蕾を付け始め、そろそろ春の気配を覗かせるころ。


 皮を剥いて角切りにしたじゃがいもを茹で、粉吹きにする。


 ボウルに移し、マッシャーでざくざくと潰す。まだ熱いうちにバターを落とし、シリコンスプーンに持ち替えて混ぜて行った。まだ温かなそれの熱を逃す様に、底から返しながら混ぜて。


 あら熱が取れるまで具材の準備。スライスした玉ねぎと輪切りにしたきゅうりに塩を振り、しんなりするまで置いておく。


 ハムはさいの目切りにする。缶詰のスイートコーンはざるで汁気を切っておく。


 じゃがいもが適度に冷めたので、用意した具材を入れて行く。玉ねぎときゅうりは揉んでさらにしんなりさせて、流水で水洗いをしたらぎゅっとしっかり水気を絞る。


 そこにハムとスイートコーンも追加して、全体を混ぜて行く。


 次に味付け。マヨネーズ、少量のマスタード、お塩、白こしょう。今日は少しのヨーグルトも入れる。


「姉ちゃん、今日もポテトサラダ?」


 最近は使う具材こそ違えど、ポテトサラダの小鉢が増えていた。もちろんメインの煮物を見てバランスを考えるので、そちらに芋類が使われたら作らないが。


「うん。春日かすがさんがいつ来はってもええ様に。他のお客さまに飽きられへん様に、具はいろいろ変えてるけどね。今日はちょっと凝ったバージョンで」


 千隼が春日さんにポテトサラダをお渡しした時、本当に嬉しそうにされていたそうだ。お好きだからと言うのもあるのだろうが、千隼の心遣いがきっとお心に届いたのだ。


 だからと言うわけでは無いのだが、佳鳴も春日さんに癒されていただきたい。佳鳴ができることはこうしてお料理を、ポテトサラダを少しでも美味しく作ってお待ちくることだけである。


「へぇ、とうもろこし入れてるんや」


 千隼がボウルを覗き込んで口角を上げた。


「うん。彩りが綺麗やろ? 同じ黄色やったら卵でもええんやけど、今日はコーンで。これも甘みがあって美味しいからね」


 そんな今日のメインは、鶏団子ときゃべつともやしの塩味の煮物だ。素材を昆布とかつおのお出汁で煮て、味付けは日本酒とお塩だけと言うシンプルなものである。それがまた素材の旨味を引き立てる。


 鶏団子には小口切りにした青ねぎとみじん切りにした椎茸が入っている。きゃべつも寒い時季を迎えて甘みが増して来ている。もやしはせっせとひげ根を取ったので、見た目も綺麗で食感も良い一品である。


 小鉢のもうひとつは、こちらは手軽に冷やっこにした。薬味はごま油としょうゆ、一味唐辛子で炒めたじゃこだ。


 炒めることでおじゃこのかりかり感が増し、香ばしさも加わる。ほんの少しピリ辛にして、煮物やポテトサラダとの味の違いを出した。


「毎日ポテトサラダは難しいけど、できる限りはね。また春日さんに美味しいって食べていただきたいなぁ」


「そうやな」


 そうしてふたりは、開店準備を進めて行った。




 時間になって「煮物屋さん」が開店し、小さな店内がぽつりぽつりと埋まり始めたころ。また開き戸が開いてお客さまが訪れる。


「こんばんは。すっかりとご無沙汰しちゃって。3ヶ月振りかなぁ」


「春日さん!」


 少し照れた様な笑顔で入って来た春日さんに、千隼ちはやはぱあっと笑顔を浮かべる。


「春日さん、ほんまにお久し振りです」


 佳鳴も笑顔になると、春日さんは少しほっとした様な表情になる。千隼に先日のご様子を聞いて心配していたのだが、今日はお元気そうに見えた。


「この前ハヤさんには少し話したんだけど、仕事が忙しくなってしまってね。でもどうにか落ち着いたよ」


「それはほんまに良かったです」


 春日さんは「うん。ありがとう。あ、呉春をよろしくね」とにっこり頷いてカウンタに掛ける。佳鳴から温かいおしぼりを受け取り手を拭いて、ようやく落ち着いた様に「ふぅ」と息を吐いた。


 けてしまっていたという頬は、戻りつつあるのだろうか。少なくとも顔色は良い様に見えて、佳鳴かなるも千隼も安堵する。


「実はね、3ヶ月前に会社の社長が変わったんだよ。当時の社長が隠居いんきょするって言ってね。社会経験のためによその会社に勤めていた息子さんを呼び戻して新社長にえたんだけど、これがまぁ、なかなかね」


 春日さんは苦笑しながら言うが、先にお出しした呉春をちびりとやると、心地良さそうにふぅと息を吐いた。


「僕が言うのもなんなんだけど、どうもその息子さん、新社長、あまり良い会社に就職できて無かったみたいで、その影響をもろに受けてしまってたんだよ」


 いわゆるブラックと呼ばれる不良企業だった様で、従業員だけではこなせない仕事量、無茶なノルマ、理不尽な経費削減、夜遅くまでの無給残業は当たり前だった。


 かたや社長として就任した会社は、従業員に見合った業務量、残業もほぼ無し、あっても時間単位での残業手当が出る優良企業。


 だがそれが、新社長にとって「ぬるい」と感じられた様だった。新社長には就職した会社での働き方が常識になっていたのである。


「そんなに従業員はいらない、なら経費削減も兼ねてリストラしようとなってね」


「それやと従業員の方々も反発しはったんや無いですか? はい、お待たせいたしました」


 佳鳴は言いながら、千隼と整えた料理を春日さんに提供する。春日さんは「ありがとう」とそれを受け取り、続けて「そうなんだけどね」と口を開く。


「大役を任せられて浮かれちゃったのかなぁ、新社長が他の経営陣、取締役の話もまるで聞かないワンマンになっちゃったんだよね」


「ああ……」


「ああ〜……」


 佳鳴と千隼は揃って声を上げた。想像できなくは無い。社長と言う大役にのぼせ上がってしまったのかも知れない。


「僕の会社は毎日業務日報を出すんだけど、新社長がそれを見てリストラする人間を決めちゃったんだよ。まぁ営業なら売上げ成績とかで判断出来ないわけじゃ無いけど、内勤の人間には特に理不尽だったよ。新社長、業務の内容もろくに知らずに、仕事の数だけで判断しちゃったからね。優秀かどうかなんて判らずにやったから、ばんばん辞めさせられた。私は対象にはならなかったけどね。リストラされなくても、その状況じゃ離職率も上がってしまって、本当に大変なことになってしまってたんだよ」


「それは大変でしたね。今は改善された、でええんですよね?」


 佳鳴が恐る恐る聞くと、「そう」と深く頷かれる。


「とにかくお客さまとか取引先の兼ね合いなんかもあって、穴を空けられないことも多いから、皆必死で、死に物狂いで働いてたよ。でももう先が見えなくてね。で、どうしたら良いんだろうって考えて、まずは極端だけど、新社長退任の署名を、新社長に知られない様にこっそりアナログで始めたんだ」


「それを元に新社長さんに直談判を?」


「いや、前社長に持ち込むことにしたんだ。何せ誰の話も聞かないから、直談判は署名が無駄になるかも知れないからね。新社長は実家を出ていたから良かったよ。それも社会勉強のひとつだったらしいけど。休みの日に前社長の家に行って、署名を見せて社長に現状を話した。本当に驚かれてしまってね。まさかそんなことになっているなんてって。新社長は前社長の父親に今の会社の状態を詳しくは言ってなかったみたいだから。ただ聞かれても「巧くやってるよ」としか返って来なかったって。もともと信用している取締役もいるんだから、前社長も問題無いって思ってらした」


「そうですね。問題無いって言われれば、これまで通り、もしくはさらに良うなってるって思われますよねぇ」


 佳鳴が労わる様に言うと、春日さんは「だよねぇ」と息を吐く。


「だから前社長も安心していたって。でね、現状を知った前社長は、さっそく週明けに会社に来られて、そりゃあもう時間を掛けて現社長に話をされたよ。その結果、新社長は社長じゃ無くなった。いちから勉強をし直すことになったよ。次の新社長は取締役のひとり。これで会社は元に戻ったんだ。リストラされて再就職先が決まっていなかった人を呼び戻したりもしてね。その時に出された退職金やらなんやらでちょっとごたごたしたけど、それはそれとして」


「それで、またこの「煮物屋さん」に来ていただける様になったんですね。ほんまに良かったです」


 ことの顛末に佳鳴はつい泣きそうになってしまう。本当に大変な思いをされたのだ。解決されて良かったと心の底から思う。千隼もそうなのか頬を緩めている。


「ありがとう。本当に店長とハヤさんのお陰だよ」


 そう笑顔を浮かべた春日さんに、佳鳴と千隼は「え?」と驚いて首を傾げる。佳鳴たちは何もしていない。正確にはできなかった。ポテトサラダの頻度を上げて、春日さんをお待ちするしか無かった。


「疲れて帰って来たあの日、ハヤさんは僕にポテトサラダを持たせてくれた。家に着いてお茶を淹れてサラダをいただいた時にね、思ったんだよ。このままじゃいけない、なんとかしなければって。それまでいっぱいいっぱいだったんだけど、大好きなポテトサラダのお陰で少し余裕ができたんだろうね。また元気に「煮物屋さん」で美味しいご飯を、ポテトサラダを食べたいって」


 春日さんはふっと目を細める。


「店長さんの心の込もったポテトサラダが、ハヤさんの心遣いで僕に届いた。あの時は本当にぼろぼろだったから、優しさもすごくみたものだよ。あの時ハヤさんに会えなかったら、あの会社そのものの存続も危うかったかも知れない。あんな経営状態じゃ長続きしないだろうからね。だから店長さんとハヤさんには本当に感謝しているんだ。本当に、ありがとう」


 春日さんはそう言って、深々と頭を下げた。佳鳴たちは慌てて手を振る。


「春日さん、頭を上げてください! 私たは何もしてませんよ」


「そうですよ。僕らはほんまに何も。春日さんらが頑張らはったんですから」


「ううん、それもおふたりの心遣いが無かったら踏ん張れなかった。ありがとう」


 春日さんに笑顔で言われ、佳鳴たちは戸惑いながらも、笑みを返した。


「私らはほんまに何もしてませんが、そうおっしゃっていただけるのは嬉しいです。こちらこそありがとうございます」


「こちらこそだよ。さ、お料理をいただこう。ポテトサラダ嬉しいなぁ」


 春日さんはお箸を持つと、ポテトサラダをすくい、ぱくりと口に放り込むと、ゆっくりと咀嚼そしゃくする。


「ああ、やっぱり美味しいなぁ。こうしてここでゆっくりいただくポテトサラダが何よりのご馳走だよ」


 春日さんは満足げに言って、うっとりと目を細めた。その賛辞こそ、佳鳴と千隼にとって何よりのご褒美なのだった。

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