5章 初めての振る舞い

第1話 初めての豚汁

 冬も本番を迎えようというころ。人々がまとうコートやジャケットも厚手のものになって来た。


 今日も佳鳴かなる千隼ちはやは「煮物屋さん」の仕込みのための買い出しに、車で豊南ほうなん市場へ向かう。


 お肉屋さんをのぞくと、お買い得だったのは豚の細切れ肉だった。


「千隼、今日は豚汁作りたいわ。寒うなってきたし、喜んでいただけそうやない?」


「お、ええな。ほなメインは魚介使ったもんにするかな」


「ええねぇ。豚汁に根菜たっぷり入れて、小鉢は葉物野菜をたっぷり使ってバランス取ろかな?」


「姉ちゃんて、バランスにこだわるやんなぁ」


「そりゃあねぇ。うちでお食事してくれるお客さまには、健康でおっていただきたいからね」


 外食はどうしてもバランスが悪くなりがちである。だからというわけでは無いのだが、「煮物屋さん」でお食事をしてくださるお客さまには、せめて少しでも身体に良いものをと思ってしまうのだ。


「そりゃあまぁな」


 そうして姉弟は買い物を進めて行った。




 まずは豚汁を仕込む。食材が多いのでふたり掛かりだ。


 ごぼうはたわしで皮を軽くこそげ取って薄く斜め切りにし、大根は厚く皮をいていちょう切りに。人参もピーラーで皮を剥いて半月切り。これらの根菜類は冬を迎え、ますます甘さを蓄え瑞々しくなって行く。


 こんにゃくは短冊切りにし、下茹でしてあくと臭みを取る。お揚げはお湯を掛けて余分な油を抜いて水分を拭き取って、こちらも短冊切りに。


 豚の細切れ肉は野菜に馴染むサイズにざくざくと切って。


 調理をしていく。温めた鍋にごま油を引いて豚肉を炒める。火が通って全体が白く変わったら根菜とこんにゃくを入れ、ざっくり混ぜながら全体に油を回す。


 そこに昆布とかつおで取ったお出汁を入れて、まずは中火で沸騰させ、お揚げを加えて弱火に落としたら、網じゃくしであくを取りながらことことと煮て行く。


 その間にメインと小鉢を作っていこう。


 豚汁は、あとはお酒とお砂糖、みりんで調味し、味噌を半量入れてさらにことことと煮て、仕上げに残り半量の味噌を溶き、すりおろした生姜と酢を隠し味に少量入れて完成である。青ねぎの小口切りと白ごまはお椀によそってから振るのだ。




「お酒飲みたいけど豚汁も飲みたい! 反則やんこんなん! ご飯無しでお酒で、締めで豚汁って行ける?」


 開店後、そんなご注文が相次いだ。さすが豚汁は大人気である。


「もちろん大丈夫ですよ。豚汁お飲みになりたい時はおっしゃってくださいね〜」


 予想通りである。なのでいつものお味噌汁より多く作っておいたのだ。炊いた白米の量はいつもと変わらない。


 メインはいかと里芋の煮っころがしである。里芋は下茹でをしてぬめりを取り、お出汁とみりんと日本酒、お砂糖とお醤油で整えた煮汁でことことと煮る。


 いかは新鮮ではあるのだが、臭み取りに日本酒を落としたお湯で茹でておき、ご注文をいただいてから里芋と一緒に軽く煮付ける。


 ねっとりとした里芋と、ふっくらと柔らかく仕上がったいかにふくよかな煮汁が沁み渡り、食材の味わいを上げるのだ。


 小鉢のひとつはししとうの佃煮だ。へたを外してぶつ切りにしたししとうをみりんと日本酒、お砂糖とお醤油で煮付けた一品である。甘辛い中にししとうの爽やかさが顔を出す。お酒にもお米にもぴったりである。


 小鉢のもうひとつはきのこの酒蒸しである。きのこは椎茸としめじ、舞茸を使った。お鍋に昆布を敷き、きのこをどっさりと入れたら日本酒を入れ、蓋をして蒸す。蒸し上がったら薄口醤油を回し入れて全体を混ぜ合わせた。


 きのこが蒸されることでしっとりふっくらと仕上がり、旬を過ぎても美味しくいただける一品となる。


 今夜もほぼご常連で埋め尽くされた「煮物屋さん」のカウンタ。あちらこちらで会話が繰り広げられている。それは今人気のタレントさんのお話だったり、「煮物屋さん」以外の美味しい居酒屋の話だったり、ちょっとした愚痴ぐちだったり。


 そんな賑わいを見せる時、店の開き戸が静かに開かれる。


「こんばんは。いけますか?」


 そう言いながら姿を現したのはご常連の星野ほしのさん。柔和にゅうわな雰囲気を醸し出している、まだお若いであろう男性である。


「大丈夫ですよ。いらっしゃいませ」


「いらっしゃいませ」


 佳鳴と千隼が笑顔でお迎えする。壁にベージュのトレンチコートを掛け、空いていた席に掛けた星野さんは、千隼から温かいおしぼりを受け取った。


「ありがとう。今日は豚汁が飲めるんやね」


「そうなんです。飲まれますか?」


「そうやなぁ、うーん」


 千隼のせりふに星野さんは迷う。星野さんも普段はお酒を頼まれるお客さまなのである。


「お酒を頼まれて、締めに豚汁を飲まれるお客さま多いですよ」


「え、そんなことしてもらえるん?」


 佳鳴のせりふに星野さんは目を丸くする。その目はきらりと輝いた様に見えた。


「はい」


「じゃあ僕もそうさせてもらおう。お酒はそうやなぁ、うん、ビールで。ドライにしよかな」


「かしこまりました」


 先にスーパードライの瓶ビールを用意して、星野さんにお出しする。1杯目を佳鳴が注いだ。続けてお料理を整える。


 星野さんはビールを飲み、さっそく里芋にお箸を入れた。


「ええねぇ、里芋。ほくほくと言うより、ねっとりって言うんよね。僕好きやなぁ。いかも柔らかくてぷりぷりで美味しいわ。あ、ってことは豚汁には里芋入ってへんのやろか」


「はい。他の根菜はたっぷりと入ってるんですが」


「そっかぁ」


 佳鳴の答えに星野さんは少し残念そうだ。佳鳴は「すいません」と申し無さげに詫びた。星野さんは里芋入りの豚汁がお好きな様だ。今度作る機会があればぜひ入れてみよう。


「いやいや、こちらこそわがまま言うてしもて申し訳無い。僕が初めてひとりで作った豚汁が里芋入りやったからか、里芋入りが好きやねん」


「星野さん、お料理されるんですね。ええですねぇ」


 星野さんは確かおひとり暮らしのはずだ。佳鳴が言うと、星野さんは「いやぁ」と謙遜けんそんする。


「簡単なもんならなんとかね。豚汁って材料とかお出汁とかをいちから用意したらほんまに大変やと思うんやけど、今ってほんまに便利なもんがいろいろ出てるからね。僕なんかでも手軽に作ることができて助かってるわ」


「お味噌もお出汁が入っているもんがありますもんね。野菜もカットして下茹でされてるものが冷凍や水煮で売られているんですよね。私ら、ほうれん草とかささがきごぼうぐらいしか知らなかったんですけど、見てみてびっくりしました。今はきのことかまであるんですねぇ」


「そうなんよね。ほんまに下ごしらえがいらんってのは、料理のハードルが下がるからほんまに嬉しいわ。あ、このきのこ、お酒?」


「はい。酒蒸しにしてあるんです」


「これはもちろん生のきのこやんね?」


 星野さんはほんの少し冗談めかして言う。佳鳴は「ふふ」と小さく笑う。


「はい。生のもんですけど、冷凍のもんでもできると思いますよ。レンジならもっと手軽にできるでしょうし」


「これ味付けはお酒と、お醤油かな?」


「昆布も使っていますよ。お醤油は薄口です」


「今度家でやってみよ。冷凍のきのこミックスはいつも冷凍庫に入ってんねん。こっちのししとうは、僕には少し難しいやろか」


「そんなことは無いですよ。種ごとぶつ切りにして、お酒とみりんとお砂糖とお醤油で炒り煮にしてます。それこそ冷凍のささがきごぼうを使ってごまを加えれば、きんぴらごぼうができますね」


「あ、なるほどね。基本の和の味付けなんやね。僕が作るんはほんまに簡単なもんばかりやから。それこそ塩こしょうだけで野菜炒めとか。もうひと味パンチが欲しいて思うんやけど」


「ならお酒を少し使ってみてください。甘みとこくが出ますよ」


「へぇ、それだけでええんや。料理酒はいつもあるから使ってみよ」


「それなんですが星野さん、お酒は料理酒では無く、安いパックのもんでええんで、日本酒を使う方が美味しくできますよ」


 言うと、星野さんは「そうなん?」と目を丸くする。


「はい。料亭の板前さんがおっしゃってはったんかな、私はそう聞きましたよ。なのでうちではそうしてます」


「じゃあ僕もそうしよう。あれ、でも確か料理酒買ったばっかりやったっけ。あぁ〜なんか損した気分やで」


 星野さんは言ってがっかりと目を閉じた。


 さて、そんなお話をしながらすっかりと料理を平らげた星野さんは「じゃあそろそろ豚汁をもらおうかな」と楽しみそうな表情で言う。


「はい。お待ちくださいね」


 星野さんは瓶に残ったビールを全てグラスに注ぐと、まるで仕上げだと言う様にぐいとあおった。


「はい、豚汁です。お待たせしました」


 ほかほかと湯気が上がる、具沢山の豚汁。それを「ありがとう」と受け取った星野さんは、まずお汁をずずっとすすり、「はぁ〜」と息を吐いて目を細めた。


「美味しいなぁ、こんなに美味しかったら、里芋が入ってへんことなんで気にならんよね。これ、いろんなお野菜とかお揚げとか、それこそ豚肉からも味が出てるんよね」


「はい。だからこその美味しさやと思いますよ」


「白ごまが入ってるのもええな。今度買って来よ。はは、僕が初めて作った豚汁も、その時はほんまに美味しいと思ってたんやけど、ここのを飲んだら霞んでまうよね」


「初めての豚汁作りですかぁ。私、いくつの時やったかなぁ」


 佳鳴が考える様に小首を傾げると、星野さんが「僕はね」とゆったりと口を開く。


「はっきり覚えてる。中学2年の時やってん。そうやなぁ、なんや懐かしなって来たわ。もう少し話をさせてもろても?」


「ええ、もちろん」


 どんなエピソードが飛び出すのだろうか。楽しみになってしまった佳鳴が頷くと、星野さんは「ありがとう」と口角を上げた。

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