第2話 豚汁の作り方

「うちね、父子ふし家庭やねん。両親が離婚して」


 その星野ほしのさんのせりふに、佳鳴かなるは「あれ?」と疑問に思う。子どもの年齢にもよるのだろうが、特に小さければ離婚の場合、親権は母親に渡ることが多いのでは無いだろうか。


 しかしその疑問はすぐに解消される。


「母親が外に男の人作って、家を出てってもうたんよね。僕が中学1年の時やったな」


 それは確かに選択の余地すら無かっただろう。そんな複雑な事情では佳鳴は「大変でしたね」としか言えなかった。


 おふたりはお母さまが出て行かれた時に暮らしていた大阪府池田市のマンションに、そのまま住み続けておられていた。


「それからは、家事は父親がやってくれとった。掃除と洗濯。自分の部屋の掃除は自分でやっとったけど、今思えばもっと手伝うたら良かったなぁて思うわ。今で言う見えへん家事っちゅうんか、そういうのは気付いた方がしとったけど。ご飯は、朝は惣菜パン、昼は中学ん時は売店のパンとかおにぎりとか。高校生になったら食堂があったね。ただ僕もそうなんやけど、父親も料理なんてろくにして来んかったから、晩ごはんはスーパーの惣菜とかやったなぁ」


 お惣菜の揚げ物やおかずやサラダなど、そういうものを器も変えず、取り皿だけを用意して、お父さまとテレビを見ながら、時折り会話などもしつつ、もそもそと食べておられたのだと言う。


「これも今にして、なんやけど、そうやって買うて来たもんでも、皿とかを変えてレンジで温めたりしたら、もっと美味しく食べられたんかもね。母親に裏切られたショックもあったんかも知れんけど、ろくに味が感じられへんご飯をしばらく食べてたわ」


 そんな中でも唯一美味しかったのが、お父さまが時々作ってくれたカレーライスだったのだと言う。


「玉ねぎとお肉とじゃがいもと人参って言う、ベーシックなカレー。カレールーの箱の裏に書かれてる作り方を見ながら作ってくれたんやと思う。せやから野菜はいっつも同じで。お肉はいろいろやったけど。ほら、作り方には「肉」しか書いてへんからね。で、あったかいそれがほんまに美味しくてねぇ。僕お代わりして、米もカレーも食い尽くしとった」


 星野さんは言って、「ふふ」と懐かしげに笑う。


 そんな生活が続いて中学2年の冬のころ、星野さんが通う学校のクラスで、インフルエンザによる学級閉鎖があった。


「予定外にまるっと暇になってもうたんよね。ゲームしたり漫画読んだりしてたんやけど、それもそう続かへんで。僕ってどうにもエンタメ系に執着が無いんやろか」


 そうして時間も16時を過ぎるころ。星野さんはぽつりと思う。あと少しで父親が帰って来る、そうするとまたあのさして美味しくも無いご飯を食べることになる。


 カレーなら嬉しいが、一昨日がカレーだったので、可能性は低いだろう。


 その時星野さんは思い付いたのだそうだ。なら自分が温かいご飯を作ってみたらどうだろうか、と。




 星野雪隆ゆきたかが父親に晩ごはんの支度を任せてしまっていたのは、クラブ活動で帰りが父親より遅かったと言うこともある。父親は公務員の17時退社なので、18時近くまで部活の雪隆の方が帰宅が遅かったのである。


 だがその日は学校は休みで部活にも出ない。時間はある。


 雪隆は自室に入り、小学校の時の家庭科の教科書を引っ張り出した。中学生の今でも授業があり教科書があるが、まだ実演していないメニューもあるので、料理初心者の雪隆では作れそうに無かった。3年で1冊の教科書を使うのである。


 作る時にはさぼり、でき上がった料理を食べるだけの男子生徒が散見される中、雪隆は真面目に授業に取り組んでいたので、不慣れでも包丁はどうにか使えるだろう。


 雪隆は教科書をぺらぺらとめくり、最後の方のページに載っていた豚汁の作り方を見た。豚肉と野菜がたっぷり入っていて、とても美味しかった記憶がある。よし、これにしよう。雪隆は必要な食材を適当な紙にメモした。


 あとはお金だ。小遣いをもらったばかりの財布を開くと、1,000円札が2枚入っていた。普段スーパーで買い物をしないので、食材などの値段はろくに判らないが、これだけあれば足りると思う。


 雪隆は財布をジャンパーのポケットに突っ込んで、スーパーに向かった。


 さて無事スーパーに到着するが、店内に入ったばかりの場所に広がる野菜売り場に圧倒される。


 色とりどり、様々な野菜が並べられ、どこに何があるのか分からない。雪隆は困惑しながら、買い物かごを使うことも忘れて、野菜売り場をうろついた。


 すると、緑の何かしらの野菜を追加陳列している店員さんが目に入った。そうだ、判らなければ聞けば良い。判らないまま自力でどうにかしようとしたら、失敗する確率が上がってしまうだろう。


「あの、すいません」


 すでに声変わりが終わった声でそう掛けると、店員さんのおばさんは「はい、いらっしゃいませ」と手を止めてにっこりと笑ってくれた。


「あの、この材料を探しているんですけど」


 そう言ってメモを見せると、店員さんはそれに目を滑らせる。


「豚肉、大根、人参、ごぼう……、はい、ご案内いたしますね」


 そうして店員さんに付いて行くと、そこにあったのはまず大根。2人分の豚汁に必要な大根は輪切りにして5センチほど。しかし1番小さいカット大根でも、10センチはあった。


 横に視線をずらすとごぼうがあった。これもまた、必要な量の倍がひと袋に入っていた。人参も1本で売られているが、必要なのは半分だ。


 当時の雪隆が、この材料で作ることが出来るのは豚汁ぐらい。材料が余るのは困ってしまう。今にすれば常温や冷蔵庫で数日保存できると判るのだが、当時の不慣れな雪隆はそこに思い至らない。


「量が多いなぁ……」


 困った様にそう呟いた雪隆さんに、店員さんは聞いてくれた。


「何を作らはるんですか?」


「豚汁です。2人分なんですけど」


「普段お料理はしはりますか?」


「いえ、ほとんどしてへんくて。学校の授業ぐらいで」


「それでしたら、包丁なども危ないかも知れませんね。お客さま、差し出がましいのですが、提案をさせてください。冷凍野菜に豚汁のセットがあるんですよ」


「冷凍野菜?」


「はい。里芋やごぼうなどが下処理されて、カットもされてあるんですよ。ご案内しますね」


 そうしてまた店員さんに付いて行く。店員さんは途中で積まれていた買い物かごから1番上のひとつを取り上げる。


 そうして着いたのは大きな冷凍庫が立ち並ぶ売り場。店員さんはそのドアのひとつを開けると、何やら商品を取り出した。


「こちらです」


 そのパッケージには、堂々と「豚汁の具」と大きく書かれていた。


「お出汁にこの冷凍野菜やお肉を全部入れて、いて具に火が通ったらお味噌を溶きます。それで豚汁の完成ですよ。こんにゃくは冷凍ができひんので入ってないんですけど、代わりに里芋が入ってます。豚肉と白ねぎも入ってますよ。ああ、でもこれだけやったら、食べ盛りのお客さまには豚肉が少ないかも知れませんね。あちらこちらお連れして申し訳ありません。こちらへどうぞ」


 そうして案内してもらった場所は精肉売り場。定員さんは棚から発泡スチロールのトレイに入った豚肉のこま切れを取った。


「おひとりさまでも使いやすい様に、少量パックで販売させていただいている商品もあるんですよ。これで100グラムぐらいなので、豚汁の具に入っている豚肉と合わせたらご満足いただけるかと思いますよ。こま切れなので包丁もいりません。大きいなと思われたら、薄切りなので手でちぎれます」


 冷凍野菜や包丁を使わずに済む豚肉。それはどれも雪隆が知らなかったことばかりで、ついつい楽しくなってしまう。普段料理をする人にとっては常識なのだろうが、雪隆は初心者に毛も生えていない。


 本当にすごい。これなら雪隆でも安全に作ることができそうだ。


 雪隆は笑顔で店員さんにお礼を言った。


「ありがとうございます。僕、これで豚汁を作ってみます」


 すると店員さんは、雪隆を安心させてくれる様なゆったりとした笑みを浮かべてくれた。

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