3章 嘘から出たまこと

第1話 ひとつの嘘

 そろそろ本格的に寒くなってくるだろうか。気温も下がり吹く風も冷たく、すっかりと冬の気配を見せている。


 「煮物屋さん」に来られるお客さまも、ジャケットやコートを着込んでおられる方が増えて来た。


 この「煮物屋さん」ではお持ち帰りも行なっている。ご常連の会社員の女性仲間なかまさんは、今日もひょっこりと訪れ、お持ち帰り用にご用意したお料理を手に笑顔で帰って行った。


 今日のメインはおでんである。冬先取りと言ったところか。


 具は大根とじゃがいもにこんにゃく、厚揚げと牛すじ。牛すじはお箸でも食べやすい様に、ひと口大のものを3切れほど爪楊枝に刺した。


 かつおと昆布をメインにした優しいお出汁でじっくりと煮込んだ。それが全ての素材にしっかりと含まれ、ふくよかでほっとする味わいになる。


 大根は米の研ぎ汁で下茹でしてあるので、繊維の中までしっかりとお出汁が入り込んでいる。中まで味の沁みた大根はおでんの醍醐味とも言える。


 こんにゃくも格子に包丁を入れているので、お出汁が良く絡む。


 小鉢は冷や奴だ。薬味は塩もみしたきゅうりを柚子胡椒で和えたもの。お持ち帰り用は薬味を別添えにしてある。


 爽やかなきゅうりと柚子胡椒のぴりりが、淡白なお豆腐に良く合うのだ。


 きゅうりは旬を外しているので、買えたのは少し細めのものだった。それでも新鮮で身が張った良いきゅうりだったので、使うことに躊躇いは無かった。


 小鉢のもうひとつは、そろそろ旬の小松菜のマヨネーズポン酢和えである。ポン酢は佳鳴と千隼のお気に入りを入荷している。すっきりとした酸味を持ち、お醤油の辛みが柔らかなものだ。


 和え衣は小松菜に薄くまとう量にしてあるので、小松菜が持つ鮮やかな旨味を壊さない。


「家で録画した深夜ドラマ見ながら食べるんや〜」


 そうおっしゃっていたので、きっとお家でゆっくりと楽しまれるのだろう。


 今、深夜ドラマは何を放送しているのだろうか。その時間、佳鳴かなる千隼ちはやは店の片付けをしていたり、風呂に入っていたりで、まぁ見る時間は無い。


 そう言えば、定休日の月曜以外はゴールデンタイムのテレビを見ることも無いので、今流行りの歌やドラマなども良く分からなかった。


 インターネットを漁れば情報などいくらでも入るのだが、特に必要だと思っていない。お客さまとの会話も、佳鳴たちの場合はその方が話が広がりやすいのだ。お客さまはご自分のご存知のことを、嬉しそうに教えてくれる。


 その代わり日々のニュースと天気予報だけはきちんとチェックする様にしている。それは一般常識である。


「深夜ドラマ、俺も見てるわぁ。今ね、サスペンスのおもしろいのやってるんですよ」


「平日の遅い時間なんやから、録画して次の日見たらって言ってるのに、リアルタイムにこだわるんですよね〜。次の日仕事やってのに」


 田淵たぶちさんがわくわくした様子で言う隣で、奥さまの沙苗さなえさんが呆れた様に言う。


「だってそんなん待てへんって! 寝れへんって! 次どうなるんやろ、どうなるんやろって気になって気になって」


「そもそもヨシくん、そんなサスペンスとかって好きやったっけ?」


「いや。同僚に教えてもらってん。会社のな。原作の小説がおもろいから楽しみにしてるって言われて、じゃあ俺も見てみるかなって。そしたらはまってしもてさ〜」


「じゃあもう今から視るんや遅いですね。途中からやったら解らへんのや無いですか?」


 佳鳴が言うと、田淵さんは「いやいや」と手を振る。


「まだ間に合いますよ。前回までのあらすじってのもありますし。興味があったら視てみてください」


 そう言う田淵さんを、沙苗さんが小突く。


「ヨシくん、店長さんたちは多分お忙しい時間帯やで」


「あはは、そうかも知れませんね」


 佳鳴が笑うと、田淵さんは「あ、そっか」と目を丸くする。


「この店が終わっても、なんやかんやありますかぁ」


「そうですねぇ」


 佳鳴は応えて笑みを浮かべた。




 数日後、また仲間さんが来店される。今回も持ち帰りたいとのこと。


「今日は友だちが来るから、一緒に食べるんや〜」


 そう言っておふたり分をお持ち帰りされた。その日は週末だったので、家飲みでもするのだろうか。それは楽しそうだ。そういうシーンのお食事に、この「煮物屋さん」を選んでくださるのは嬉しい。


 その日のメインは豚の角煮だ。卵と大根も一緒に煮込み、盛り付ける時に塩茹でしたちんげん菜をたっぷりと添える。ちんげん菜の時期もそろそろ終わりだろうか。


 豚ばらの塊肉は、白ねぎの青い部分と生姜の皮、米ぬかを使ってしっかりと下茹でし、柔らかくするのと同時に余分な臭みと脂を取り除いている。


 半月切りにした大根は米の研ぎ汁で下茹でし、合わせて日本酒をたっぷりと使った甘辛の優しい味のお出汁でことことと煮た。


 日本酒の効果で豚ばら肉はまた柔らかくなり、お箸でほろりとほぐせる。大根はほっくりと煮上がり、半熟に茹でた卵は取り分けた煮汁に浸けたので黄身がとろりとしている。


 半熟卵が苦手なお客さまもおられるので、一部は一緒に煮て固茹でにして、選んでいただける様にした。お持ち帰りの場合は衛生的観念から固茹でを入れる。


 小鉢は、ひとつは白菜とかにかまの甘酢和え。もうひとつはほうれん草のごま和えである。


 白菜とかにかまの甘酢和えは、塩揉みした白菜と割いたかにかまを甘酢で和えた一品。太めの千切りにした白菜の芯はしゃきしゃきで、ざく切りにした葉もざくっとした歯ごたえ。


 かにかまの旨味が加わり、甘酢で白菜の甘みと爽やかさが引き出されている。


 白菜もそろそろ旬になり、葉のしっかりと詰まったぱんぱんのものが出て来るころである。味も濃厚になって、旨味をふんだんに味わえるのだ。


 ほうれん草のごま和えは、茹でたほうれん草にお出汁と日本酒、お砂糖とお醤油で作った和え衣を絡め、すり白ごまをたっぷりとまとわせた。


 旬のほうれん草の持つ旨味と白ごまの甘みと香ばしさが混じり合い、ほっとする味わいだ。


 ぜひお家で楽しんでいただきたい。




 その翌週末、また仲間さんがやって来た。今度は3人分を持ち帰りたいと言うことだ。


「今週も家飲みやで〜」


 そう言って仲間さんは笑う。「それは楽しそうで良いですねぇ」、そんなことを言いながら佳鳴と千隼は料理を整えた。


 その日のメインはじゃがいものそぼろ煮。


 皮を剥いて適当な大きさに切ったじゃがいもをお出汁でことことと煮て、味付けは日本酒とお砂糖、お醤油で軽く付ける。


 じゃがいもを引き上げたお出汁に、ぽろぽろに炒めた鶏もも肉の挽き肉とすり下ろした生姜を加え、一煮立ちしたら水溶き片栗粉でとろみを付ける。


 器に盛ったじゃがいもに鶏そぼろあんをたっぷりと掛け、彩りに塩茹でした絹さやを添えた。


 ほっくりと煮上がったじゃがいもに、ほのかに香ばしく仕上がった鶏そぼろあんが絡む。ほっこりと味わい深い一品だ。


 小鉢のひとつは卯の花。人参に椎茸、水菜とちくわで具だくさんで作った。それもあって今回は小鉢より少し大きめな中鉢に盛り付ける。その分メインを控えめにするのだ。


 おからが味をどんどん吸ってしまうので、ほんの少し濃いめの味付けにしてある。それぐらいでちょうど良いのだ。


 そこに様々な具材が絡み合って絶妙な美味しさを生み出す。


 水菜は鮮やかな色合いを残すために、最後の方に入れてさっと火を通すぐらいにしてある。そろそろ時季のもので、ぴんと張ったしっかりとした水菜が店頭に並ぶ様になる。


 もうひとつはシンプルに、きゅうりとわかめの酢の物だ。塩揉みしたきゅうりと塩抜きした塩蔵わかめをお酢などで作った和え衣で和え、盛り付けたら白ごまを振る。


 お手軽とも言える一品だが、こうしたさっぱりとした箸休め的なものがあると、他のお料理もぐっと引き立つ。もちろん酢の物そのものの味わいだって良いものなのだ。




 さて、その翌日。土曜日である。18時になり、表におしながきを出して開店だ。


 千隼が表から戻って来て間も無く、開き戸が静かに開かれた。仲間さんだった。


「いらっしゃいませ〜」


「いらっしゃいませ」


 佳鳴たちがお迎えすると、仲間さんは憂鬱ゆううつそうな表情で「どないしよ」と呟いた。どうしたことか。佳鳴と千隼は顔を見合わせた。


 仲間さんはふらりと中に入って来られると、まだ誰もいないカウンタ席の真ん中あたりに、コートも脱がないまま腰掛ける。そうして組んだ両手でひたいを支え、「はぁ」と溜め息を吐いた。


「仲間さん?」


 佳鳴が声を掛けると、仲間さんはとろとろと顔を上げる。


「うっとうしくてごめんやで。こんばんは」


「こんばんは。どうかされました?」


「自業自得なんやけど、やってもた〜ってね……」


 そうして仲間さんは、また「はぁ」と溜め息を吐いた。


「どないしよ……」


 そう呟いて、また溜め息をひとつ。注文をお伺いできる様な雰囲気では無かった。どうしたものかと佳鳴と千隼はまた顔を見合わせる。


「あの、仲間さん……?」


 千隼がそっと声を掛けると、仲間さんは「ん〜」と唸る。


「店長さんとハヤさんにお嫁に来て欲しい……」


 切実そうにそう言われ、佳鳴たちは思わず揃って「は?」と声を上げてしまった。


「私、彼氏がいるんやけどね……」


 仲間さんはそうぽつりと口を開く。


「あら、そうなんですね。それはお幸せですねぇ」


 佳鳴が明るく言うと、仲間さんは「そうやんねぇ〜」と机に突っ伏してしまう。


「ほら、最近料理持ち帰りにさせてもらってたやろ。それ、その彼氏と、昨日は彼氏の妹さんも一緒に食べたんやけど」


「はい」


「私、自分で作ったって言ってもて〜……」


 仲間さんは突っ伏したまま、悲痛な声を上げた。


 ああ、それは確かに良く無いかも知れない。佳鳴たちは仲間さんのお料理の腕前は存じ上げない。しかしそうしてしまうと言うことは、自信が無いのかも知れない。


 佳鳴たちはまなじりを下げ、無音で(ああ……)と口を開いた。


「彼氏と結婚したくて、胃袋つかみたかってん〜……。彼氏のお母さんがお料理上手やって聞いて、負けたないって思って〜……。でもな!」


 仲間さんはがばっと顔を上げる。少しばかり目が血走っていた。


「料理ができひんってわけやないねん! ただ、味がなんか微妙で、こうお店で食べるご飯の様にならへんって言うか、オカンみたいにもならへんって言うか」


「普段はお料理されるんですか?」


 佳鳴が聞くと、仲間さんは「たまに」と応える。


「平日仕事の時は疲れてるからなかなかできひんねんけど、彼氏と会わへん週末に作り置き作ってみたり。でもなんかいまいちなんよなぁ」


 そう言って眉をしかめて首を傾げる。


「レシピとか見てますか?」


「うん、見てる。オカンからは料理の基本しか教わらへんかったから、家を出る時に基本の本を何冊か持たされた。野菜炒めの味付けなんかもそれで知ったぐらい」


「なら、問題無く美味しいものが出来ると思うんですが」


 よほどお料理ができないのならともかく、レシピ通りに作ればほとんどが成功するのでは無いだろうか。佳鳴が首を傾げると、仲間さんも「やんねぇ」と頷く。


「やのに微妙なものしかできあがらへんの。なんでやろか」


 仲間さんはしょんぼりとうな垂れてしまった。


 千隼が佳鳴を見て、何かを問う様に首を数回縦に振る。佳鳴は千隼が言わんとすることを理解し、1度大きく頷いた。


「あの、仲間さん、もしよろしければなんですけど、明日午後から時間があったら、僕らの仕込み見てみます?」


「え、ええの?」


 千隼の申し出に、仲間さんははっと目を見開く。


「はい。仕込む量が多いんでどこまで参考になるかは判りませんけど、もしかしたら何かお伝えできたりすることもあるかも知れませんし」


「うわぁ、それは助かる! 嬉しい! いろいろ質問とかしてまうかも!」


 仲間さんのお顔に生気が戻って来た。お母さまから基本は学ばれているとのことなので、きっとご覧になるだけでもお解りいただけることがあると思うのだ。それが一助になれば、佳鳴たちも嬉しい。


「はい。私たちでお応えできることならなんでも」


 佳鳴が笑顔で言うと、仲間さんは「やったぁ!」と小さくガッツポーズを作った。


「ほんまにありがとう! ああ、安心したらお腹空いて来てもうた。店長さん、お酒でお願い」


 仲間さんは心底安心したと言う様に息を吐かれ、ようやく注文をされるに至った。


「かしこまりました」


 今日のメインは豚肉としめじと水菜のみぞれ煮である。


 豚肉をごま油で炒め、お出汁を張って煮込み、小房にほぐしたしめじを加えたら味付けは少し濃いめに、お砂糖と日本酒にお醤油。水菜を加えたらさっと煮て、すり下ろして軽く水気を切った大根をたっぷりと入れて一煮立ち。


 大根おろしを入れると味が薄まるので、濃いめの味付けにしたのである。


 すり下ろした大根を入れることでお出汁がふんだんに具材に絡まる。また大根に火が通ることで甘さが生まれ、全体がまとまり良い味わいになる。大根はこれからの時季さらに美味しくなるのだ。


 小鉢のひとつは蓮根と赤パプリカのサラダ。半月切りにして蒸した蓮根と乱切りにした赤パプリカに、ワインビネガーとオリーブオイル、お塩と黒こしょうで作ったシンプルなドレッシングを掛けた。さっぱりといただける一品だ。


 もうひとつはペンネと玉ねぎの明太クリーム和えだ。塩茹でしたペンネと塩揉みした玉ねぎを、明太クリームで和えてある。


 生クリームはしつこくならない様に、明太子を軽く溶きのばす程度にしてある。玉ねぎの爽やかさがあるので、想像するよりあっさりといただけるのだ。


 仲間さんはご用意したそれらにさっそくお箸を伸ばし、「はぁ〜」と嬉しそうな息を吐いた。


「みぞれ煮美味しいなぁ〜。あっさりしてるのに優しい〜。私も明日でこんな美味しいの作れる様になれたらええなぁ〜」


 そう言いながら、仲間さんは「サマーゴッデス」の炭酸割りをぐいとあおった。


 サマーゴッデスは福井県の真名鶴まなつる酒造が造る、炭酸割り専用の日本酒だ。ほんのりとした甘味とフルーティで爽やかな酸味が感じられる。炭酸で割っても水っぽくならない製法を用い、完成した一品なのである。

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