第2話 その原因とは

 翌日の日曜日、佳鳴かなる千隼ちはやが仕入れを終え、「煮物屋さん」に戻って来たのが15時少し前。


 豊南ほうなん市場は日曜日と祝日が定休日なので、その日の仕入れは地元のディスカウントスーパーでしている。お店側にも事情を説明していて、お肉やお野菜の大量買いを融通してもらっているのである。


 15時をほんの少し過ぎたころ、店の開き戸が開かれた。


「店長、ハヤさんこんにちは。今日は本当によろしくやで」


 仲間なかまさんだ。少し照れ臭そうに中に入って来られた。


「こちらこそよろしくお願いしますね」


「お願いします。エプロンは持って来てもらえました?」


 千隼の問いに、仲間さんは「うん!」と元気に応え、手にしていたナイロンの袋からがさごそと、スモーキーピンクの大振りな花柄のエプロンを取り出し、ばさっと広げた。


「持ってへんかったから、さっきダイエーで買うて来た」


「えっ、わざわざ。それは申し訳無いことをしました」


 千隼が焦った様に言うと、仲間さんが「いやいや」と笑って首を振る。


「考えてみたら、普段から料理をする人間の家にエプロンが無いんがおかしいんよね。今はエプロンせえへん人も多いみたいやけど、ほら、エプロン姿って言うのも、彼氏へのええアピールポイントになるやろか、なんて思って」


 仲間さんはそう言って「へへ」と笑い、エプロンを着ける。仲間さんは目鼻立ちがはっきりしたお顔立ちの女性なので、その華やかなエプロンがとても良く似合った。


「ほな始めましょうか。まずは手を洗うてくださいね。野菜など切ってもらうんは大丈夫ですか?」


「もちろん。そこは即戦力になれると思う」


「ほな、僕が作る煮物を手伝っていただきますね。横で姉が小鉢と汁物を作るので、それも見てもらえるやろかと思います」


「うん。楽しみ」


 千隼は買い出ししてきたばかりの食材を台に出して行く。ここは千隼に任せても大丈夫だろう。佳鳴は耳をそばだてながらも自分の作業を進めることにした。




 千隼はまず、ずっしりとした小かぶを持ち上げた。そろそろ旬に入り、おお振りでまるまると張りがある。きっと甘い水分をたっぷりと蓄えているだろう。青い葉も瑞々しくてしっかりとしている。


「まずはかぶの下ごしらえです。僕が洗うんで、切って行ってください。葉も使うので、落としたらとりあえずこのバットに入れておいてください」


「オッケー。かぶにくきは残す?」


「いえ、完全に落としてしもてください。もし砂が残ってしもたらあかんので。で、かぶは皮をいたら縦に4等分にしてください」


「かぶって、確か皮は厚めに剥くんやんね?」


「はい。薄く剥くと繊維が残って舌触りが悪くなってしまうんで。繊維を落とす様に剥いてください」


「分かった」


 千隼は小かぶを洗い、まな板に上げて行く。それを仲間さんが下ごしらえして行った。見るとなかなかの手際の良さである。


「仲間さん、すごいですね」


「ふふん。味付けは微妙でも、切ったり剥いたりは人並みにできるんやで〜」


 そう得意げに言い、手を動かして行く。洗い終わった千隼も小かぶの皮剥きに加わった。


 次は落としておいたかぶの葉だ。残った身を落として、根元に残っている砂をしっかりと洗い落としたらざくざくと切っておく。


 次は人参だ。へたを落としてピーラーで皮を剥いて乱切りに。


 椎茸は小振りなものなので、石づきを落とすだけでちょうど良い。


 お揚げは湯を沸かした鍋にさっと入れて、余分な油を抜いておく。


「さ、ここから調理です」


 土鍋を出してかぶ、人参を入れてお出汁を張り、火に掛ける。ふつふつと沸いて来たらお揚げを加え、再び沸いて来たら椎茸を入れ、落としぶたをする。そのままくつくつと煮込んで行く。


「かぶって実は火通りが早いんよね?」


「そうなんです。根菜なんですけど、大根とかじゃがいもなんかとちごうて、早いんですよね。それに形も崩れやすいんで、あまり触らずに手早く煮て行くんですね」


「なんか意外やよね〜。あ、私無駄に知識だけはあるんよね〜」


 そうして5分も煮たら、落としぶたを上げて味付けだ。まずは甘み。砂糖、そして日本酒。


 千隼が軽量スプーンで砂糖を、軽量カップで日本酒を計ると。


「えっ?」


 仲間さんが驚いた様な声を上げた。


「え?」


 千隼も驚いて顔を上げる。


「え、調味料計ってるん?」


 意外そうな声と顔。まるでこの工程を知らなかった様な。まさか。


「はい、計りますよ。お客さまには安定した味を提供したいんで」


「そうなん?」


「そうですよ。あ、仲間さんもしかして」


 やはり、これはもしや。


「調味料とか計らず、目分量で入れてましたか?」


「うん。だってオカンもそうしてたし。料理本見たら分量書いてあるから、そんな感じにはなる様に入れてるけど」


「仲間さん」


 千隼はぐっと唇を引き結ぶ。仲間さんはその様子にただならぬものを感じたか、緊張を帯びた表情になった。


「それです」


「それ、とは」


「微妙な味付けになってしまう、そう言うてはった原因です」


「そうなん!?」


「そうです」


 悲鳴の様な声を上げる仲間さんに、千隼は力強く頷いた。


「えええ? じゃあなんでオカンの料理は目分量やのに美味しかったん?」


「それは長年の経験です。お母さんも、料理を始めはったころにはきちんと計ってはったと思いますよ。そうしてると、大さじ1はこれぐらいやとか、おおよその量が把握はあくできる様になって来ます。そしたら目分量で作れる様になるんです。ほとんどの人はそうやと思います。いきなり目分量で作る方は少ないと思います。僕も今でこそお店意外では目分量で作りますが、料理し始めは全部計ってました」


「そうなんや、そうなんやぁ……、そんな初歩的なことやったんやぁ……」


 仲間さんは力が抜けた様に、台に両手を付いてうな垂れた。


「ああ〜……、でも原因が解ったから、私でも美味しいご飯作れるやろか」


「はい。大丈夫です。今作っている煮物と、姉が作ってる小鉢のレシピをお渡ししますから、家で調味料の分量を計って作ってみてください。軽量スプーンとカップは持ってはります?」


「ううん、持ってへん」


「ではぜひ買ってください。100均でもありますから。ダイエーにキャン・ドゥ入ってますよね。それかシルクのワッツか。今は便利なもんも出てるんですよ。1カップと大さじ1が両方計れるもんとか。ご自分で使いやすそうなもんを見てみてください。粉を計るのはスプーン状のがええかも知れへんですね。一緒にキッチンタイマーも揃えられたらええと思いますよ。これも100均にありますから」


「じゃあこれ終わったらさっそく行ってみる。そっかぁ、それで解決できるんなら助かるわ。実はさ、彼氏の妹さんと3人で食べたって話、昨日したと思うんやけど」


「はい」


「もうすぐお母さまの誕生日なんやって。で、妹さんがお母さまに料理を作ってサプライズしたいんやってさ。彼氏が妹さんに「俺の彼女料理巧いで」って言うてもて、じゃあ教えて欲しいって話になってもてさ。妹さんも美味しい美味しいて嬉しそうに食べて、これやったらお母さんも喜んでくれるわなんて言われちゃ、実は私味付け微妙なんて言えへんで。嘘吐いたことを知られるんの嫌やったけど、妹さんがほんまに嬉しそうやったから」


 仲間さんが苦笑しながら言うと、小鉢を作っていた佳鳴が「ふふ」と笑みをこぼす。集中しつつもしっかりと話を聞いていた様だ。


「ええや無いですか。一緒に計量しながらお作りになられたらええんですよ。実際計量することは大事なんですから。まだ実は私もそんな慣れてへんねんなんて言いながら作ったらええんですよ。きっと楽しいと思いますよ」


 すると仲間さんは、安心した様に表情を綻ばせた。


「そうやろか」


「はい」


 千隼も笑って言うと、仲間さんは「そうかぁ〜」と嬉しそうに笑みを浮かべた。




 作り終えると、仲間さんは「家に帰ってさっそく作ってみたいから!」と、「これお礼!」とアルチザンの焼き菓子詰め合わせを置いて、レシピとエプロンをバッグに大事にしまい、飛び出す様に帰って行かれた。


 お菓子のアトリエアルチザンは曽根を本店に、豊中市内に数店店舗を持つ洋菓子店だ。佳鳴と千隼が産まれる前から展開していて、地元で親しまれているお店である。


 佳鳴と千隼が誕生日の時などのケーキもアルチザンで用意してもらうことが多かった。幼いころから慣れ親しんだ味なのである。


 講習代の様なものも支払うとおっしゃられたのだが、むしろこちらは下ごしらえを手伝っていただいたこともあるし、そもそも最初から受け取るつもりは無い。佳鳴が言うと仲間さんは空気を読んですぐに引き下がってくれた。美味しいアルチザンの焼き菓子で充分過ぎるほどだ。


 仲間さんをお見送りして、佳鳴と千隼は晩ごはんだ。今日のメインは小かぶと人参とお揚げの煮物、小鉢はちんげん菜のじゃこ炒めと、豚しゃぶとホワイトアスパラガスのサラダだ。


 煮物の小かぶは丁寧に繊維を落としているので、とろっと舌の上でとろける様だ。人参もほっくりと仕上がっている。


 お揚げから出る程よい油と旨味がかぶと人参に絡み、優しくも味わいのある味にできあがった。かぶの葉も入れてあるので彩りも鮮やかだ。


 ちんげん菜のじゃこ炒めは、千切りちんげんさいの軸とざく切りにした葉、おじゃこをごま油で炒める。おじゃこに塩分があるので、味付けはちんげん菜を炒めている時に少しお塩をする程度。


 お醤油も香り付け程度で、器に盛ったら白ごまを振っている。


 旬の甘いちんげん菜とおじゃこの塩味が絶妙に合い、白ごまの香ばしさが合わさって、また深い味わいを生むのだ。


 豚しゃぶとホワイトアスパラガスのサラダ、ホワイトアスパラは缶詰を使う。


 佳鳴と千隼のお気に入りはクレードルという北海道札幌市のブランドだ。北海道産の旬の時季のホワイトアスパラガスを缶詰にしているので、風味豊かで甘みも強く、美味しいのである。


 お湯で豚肉を茹でる時は、弱火に掛けて静かなところに入れて、ゆっくりと火を通す。ぐらぐらと沸騰したお湯に入れると豚肉は固くなってしまうのである。


 丘上げにして冷ましてからひと口大に切り、適当な長さに切ったホワイトアスパラガスと合わせて、器に盛り付けてからヨーグルトソースをとろりと掛けた。さっぱりといただける一品だ。


「仲間さん、巧く行くとええなぁ。うん、かぶがとろっとして美味しい」


「そうやな。お、豚しゃぶ旨い。ヨーグルトソースが合うな。しかし姉ちゃん、またレシピ教えてもてさぁ」


「出し惜しみする様なもんや無いやろ?」


「確かにそうやけどさぁ。ま、仲間さん喜んでくれたしな」


「うん。それが1番やで」


 ふたりはただ、こうなったら成功を祈るのみである。

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